第十三節「憧れの虚構」
俺たちは飛鳥の後ろに二人並んで歩いた。
「なんで蹴られたのかいまだにわからないんだけど……」
「おい蛍、それマジなのか?」
どうやらこの男、そういった部分にはかなり鈍感らしい。しかし、これはこれで面白いから、詳しいことは伝えないでおこうと思う。
「ところで蛍、この前言っていた"黒髪の乙女"の話。聞かせてくれないか」
ストロボの事故が起きる直前、椿さんに中断されて詳しく聞けなかったが、蛍は飛鳥を見ながら「彼女は黒髪の乙女に憧れている」と言っていた。その言葉の意味が俺は気になってしょうがなかったのだ。
蛍は俺を見る。その顔はなぜか口を尖らせていた。
「えぇ〜教えちゃおっかなぁ〜どうしよっかなぁ〜」
「もったいぶんなよ気持ち悪い」
気持ち悪いという言葉が意外と突き刺さっていたようで、蛍は俺の一言で拗ねた。といっても、それは一瞬で、すぐ普通に戻ると、俺が聞いたことを答え始める。
「彼女が読んでいた小説、覚えているかい?」
「あぁ、たしか……『夜は短し歩けよ乙女』だったか」
「そう。あの小説の中には主人公が二人登場する。ひとりは、同じ大学の後輩である"黒髪の乙女"に恋をする腐れ男子大学生。そして、もうひとりは、その腐れ大学生が恋する"黒髪の乙女"本人だ。彼女は自由奔放で面白いことに全力。そして、好奇心旺盛な性格故に、京都の街で珍妙な出来事に巻き込まれていくんだ。でも、その出来事を彼女はいつも自由に楽しんでいる。どこぞの乙女とは、真反対だね」
そう言って、蛍は目の前を歩いている飛鳥を見る。この距離だ。きっと俺たちの話は飛鳥にも聞こえているだろう。蛍の話を聞きながらどんなことを思っているのか。想像もつかない。
「人が物語を読む理由は様々だ。そしてその中での最たる理由は、その物語の世界を体験できるということ。登場人物に憧れ、共感し、自分もその世界に没入できる。その世界にいるときだけが現実の世界から離れることができる唯一の手段。そういう人だっている。そこで俺は、彼女があの本を読んでいるところを見たときに思ったんだ。あの本に出てくる黒髪の乙女のように雛咲さんは自由に生きてみたいんじゃないかってね」
蛍は読書家である。そして、飛鳥も読書家である。きっとあのときから、蛍には飛鳥の心の内が何となく読めていたのかもしれない。
「やっぱり、蛍は名探偵だよ」
「もうそれいいよ。きっと読者の皆もこの流れ飽きてきたよ」
「えぇ、まだ第二集だよ?」
「そういうこと言うと、世界観崩れちゃうって」
こういう発言はしないほうがいいと我々も理解しているが、寛容な読者の皆様はきっと許してくれると信じている。お願いします。
ぐだぐだと会話をしながら、俺達は歩いた。周りはだいぶ暗くなってくる。うっすらと星が見え始め、夜が深くなってきた。飛鳥の話を聞いているうちに、思いのほか時間は進んでいたようだった。
ふいに、蛍の顔が動いた。周りをきょろきょろと見まわしているが、後ろだけは絶対に見ない。俺はそんな蛍に声を掛けようとした。
「どうし……」
「静かに……足音がひとつ多い。後ろから聞こえる。たぶん、大城だと思う」
蛍の言葉を受けて、俺は後ろを振り返ろうとする。しかし、それを蛍によって止められた。
なるべき自然に見えるように前を向き、俺は蛍に声をかける。
「尾行されてたのか?」
「尾行……いや、この道をよく見てみて」
蛍に言われて、後ろを見ないように周りを見てみる。
今歩いている道は、飛鳥の後ろをただついてきた結果、歩くことになった道である。
しかし、不思議なことに、俺にはこの道を歩いたことがあった。
「ここって、俺たちが雛咲さんを助けたときの……」
この道は、数日前に俺達が飛鳥と最初に会った場所。大城に追われている飛鳥を見て、俺達が駆け抜けた道だった。
つまり、大城はまたこの道を選んで近づいてきたということになる。
俺の言葉を聞いて、蛍は小さくうなずく。
「でもおかしい。大城はこの道を知っているはず。なら、尾行なんてしないで待ち伏せをしていたほうが雛咲さんに近づけるはず。でもそこであえて尾行を選んだということは……大城の狙いは……」
ほんの一瞬、後方から誰かが走ってくるのが聞こえた。その音を聞いて、俺と蛍は初めて後ろを振り返る。
しかし、人間は今まで思っていたことの逆のことをしようとすると反応速度がどうしても鈍る。ずっと前を見ようと意識していた俺たちは、大城が目と鼻の先に来るまで何もすることができなかった。
大城が手をまっすぐ伸ばしてくる。手にはナイフ。その狙いは俺の隣にいる蛍。
一瞬のことに、蛍が小さく「しまった」とつぶやいたのを俺は聞いた。ナイフの切っ先は、蛍の間近へと迫っている。
○
結論を言えば、大城のナイフが蛍に刺さることはなかった。
今の状況は、大城を俺が取り押さえていて、その前に蛍があぐらをかき、隣には飛鳥が座っているというさっきとは打って変わった状況だ。
なぜこのようなことになったか、数秒前に起きたことをもう一度見てみよう。
○
「死ねぇぇぇぇぇ!」
大城がナイフを蛍へと向ける。
反応が遅れた蛍のもとへ大城のナイフが届きそうになったその瞬間、蛍は地面へと引っ張られた。
引っ張られた方向を見てみると、そこには飛鳥がいる。
ナイフの切っ先が蛍に触れそうになった瞬間、飛鳥は蛍の服を思いっきり引っ張り、地面に倒れこんだ。そのおかげで、我が友人は無傷である。
が、大城も無傷だ。寸前でよけた蛍を見て、大城は再びナイフを振り上げた。
「ちょっ、待てっ!」
俺は大城の拘束を試みた。後ろから大城の右腕と左肩に腕を回す。
なんとか動きは止められたが、この状態では完全に拘束はできない。
「おい蛍っ!アレっどうやるんだっけッ!?」
「アレってなに?」
「アレだよ!ガンヘッドなんちゃらっ」
「アレは正面からのカウンター技だよ。この場合はっ……」
俺が動きを止めている間に、蛍は「よいしょ」という掛け声とともに立ち上がる。
そして蛍は、大城の右腕と襟を掴んで見事な背負い投げを披露して見せた。仰向けに倒れる大城の胴体を踏んづけ、手首をひねってナイフを取り上げる。
そのナイフを放り投げると、そのまま大城をうつぶせにさせた。
「夏目君。ちょっと頼む」
その言葉を聞いて、俺は言われた通り動いた。俺は大城の上に馬乗りになり、両腕を腰のあたりで抑えた。大城は胴体を動かして抵抗してきたが、残念ながらこの体制で突破されるほど俺はヤワじゃない。
俺と交換をした蛍は、大城の前にあぐらをかく。その隣に飛鳥が寄ってくる。
その姿を見た大城はまた抵抗を始めていた。だが無駄である。
「さっきは……助かった」
隣によって来た飛鳥を見て、蛍は不本意そうにお礼をしていた。
「この前の借り返しただけ」
"この前"のとはストロボの一件のことだと思われる。この二人、素直じゃないところがよく似ている。
蛍はもう一度大城を見据えた。そして小さくつぶやく。
「それじゃあ……取り調べを始めるかね」
彼はそう言って微笑んだ。
これはあくまでも個人的見解だが、彼の取り調べは絶対に受けたくない。




