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桜嘉高校推理部のひまつぶし手帖  作者: 下鴨哲生
第二集「なりたい君に送る」
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第十一節「少女の物語」

 十六歳。高校二年生。血液型はA型。

 トドロキプロダクション所属のモデル兼タレント。

 

 これが、簡潔(かんけつ)に述べた私。

 雛咲飛鳥のプロフィールです。


 私にはお母さんがいません。

 もちろん、私も人の子です。コウノドリが運んできたわけでも、どこかの研究所で生まれたみたいな突飛なものでもありません。

 

 ちゃんと、私にもお母さんがいました。


 私が、小学校に上がる直前のことでした。お母さんは生まれつき体が弱い体質で、私を産んだときも決して好調ということではなかったんです。私を産めば、体の状態が悪化する可能性はゼロではない。でも、それでも、お母さんは産むと決めました。

 私のお父さんもそんなお母さんの気持ちを汲んで、お母さんを献身的(けんしんてき)に支えました。


 そして、私は生まれたのです。


 しかし、今の社会は難しい。お父さんは私たちのためにしっかりと働いてくれていましたが、それだけで生きていくことは難しかったのです。

 生活していくために、体の弱いお母さんも日中に働くことになりました。

 そんな状況でも、お母さんが私の育児を怠ったことは一度もなかったんです。

 たくさんのごはんを食べて、たくさん遊んでもらって、たくさんのお話を聞かせてもらって。お母さんはいつも、そのことを一つひとつを笑顔で楽しんでいるようでした。

 いつだったか、お母さんが寝る前のお話をしてくれたときに私は聞いたのです。

「ねえおあさん。おかあさんはなんでいつもわらってるの?」

 そう聞いたとき、お母さんは私をぎゅっと抱きしめて笑顔で答えました。


「お母さんはね、ずっと良いお母さんになりたかった。体が弱くて、なにかと不自由なこともあったけれど、それでも、ずっとなりたいと思ってた。そうしたら、いつの間にか素敵な旦那さんができて、素敵な娘が生まれて……素敵な家族が持てた。そんな家族と、お正月やクリスマス、お誕生日をお祝いしたり、一緒に遊んだりごはんを食べたりできる。とっても小さいことだけど、それがお母さんはとっても幸せ。幸せだから、私は笑っていられる。だから飛鳥も、なりたいものになって、うんっと、幸せになってね……」


 幼い私にお母さんの話は難しいものでした。そのとき私は「わかんないなぁ」と言っていたのを覚えています。そんな私を、お母さんはより強く抱きしめてくれました。優しい笑顔で。

 

 私はたくさんの愛情を受けて育ちました。


 でもきっと、それが良くなかったんだと思います。

 私が五歳になったころ、お母さんが倒れました。ただの偶然か、それとも仕事による過労だったのか、原因は詳しくは分かりません。


 お母さんの容態(ようだい)が急変し、私とお父さんがお母さんに会えるのは病室だけ。私の六歳の誕生日も病室で一緒にお祝いして、クリスマスもお正月も病室で。


 それでも、私達は幸せでした。お母さんはいつも笑顔で、体が良くなれば、来年は家でお祝いできると幼い私は勝手に思っていたんです。


 しかし、その来年は来ませんでした。

 

 私の大好きな人は、病室のベットの上で、静かに眠るように亡くなりました。

 最後まで、笑顔でした。


 苦しかったはずなんです。病気に体を蝕まれ、笑顔でいることが辛かったはずなのに、お母さんは最後まで笑顔でした。


 葬儀は滞りなく行われました。親族以外は両親と親しかった人だけが呼ばれた小さな葬儀です。

 その光景は今でも鮮明に覚えています。

 

     〇


 その後、私が中学一年生になるまで、特にこれといって何もありませんでした。


 正確に言えば、何も起こらないようにしてきたというほうが正しいかもしれません。友達は少しだけいたと思いますが、私は積極的に人と関わる方ではなかったため、そこまで親密な友達だったかと言えば、自信を持ってそうだとは言えません。


 私のそれまでの人生にあったのは本だけ。現実世界のことを少し間だけでも忘れられる虚構の世界。私はその世界が好きでした。その世界にいる私だけがなりたいものになれている気がしました。


 そんな私に転機が訪れるのは中学一年生の夏のこと。

 私が街に出て、本を買いに行ったときです。

 本を買って、私なりのうきうき気分で家に帰っている途中、私に声をかけてくる女性がいました。まだあどけなさが残る妙齢の女性。ショートボブの髪型に少し大きめのスーツ。


「あなたにひとめぼれしましたぁ!」


 彼女の第一声はこれだった。

 名前は矢島椿。椿さんはトドロキプロダクションという芸能事務所で働いているマネージャー見習いで、誰かひとりスターになれる逸材を見つけてこいという無理難題を押し付けられた最中でした。

 ここまでくれば大体察しがつくとおもいますが、私は椿さんに文字通りひとめぼれされ「事務所のモデルになりませんか」「ならなくても友達になってくれませんか」という、どっちが本当の目的なのかわからない提案をされたわけです。

 私はそれを、ほぼ二つ返事で受けました。「はい。別にいいですよ」と。


 お母さんが亡くなってから、お父さんは休む間もなく働いていました。私の学費と生活費を稼ぐためです。

 かといって、私への対応が粗雑になっているということもなく、良き父親としてお父さんはいてくれました。

 そんなお父さんを少しでも楽にしてあげたくて、私は椿さんの提案を受け、芸能の世界へと足を踏み入れたのです。


 右も左も分かりませんでしたが、椿さんのサポートもあって、仕事には少しずつ慣れました。どうすれば、芸能界で生きていけるのか。どうすれば、世間の皆様に気に入ってもらえるのか。仕事をしていくうちに、私はそれを教えられました。

 しかし不思議なことに、そうやって仕事を何回も繰り返しているうちに、自分の中に言いしれない違和感を抱えていく感じがありました。

 それは、とても大切なことであったのに、そのときの私にはそれを理解することはできなかったのです。


 ある日、私は轟社長に呼び出されました。

 大事な話があると言われて一人で社長室に。そこで私は轟社長にある仕事をしてほしいと頼まれたのです。その仕事の内容は、芸能界で大きな力を持っている人への接待とのことでした。


 いくら私でも、それが普通の接待じゃないことは分かります。この仕事の先に何があるのか、明確には分かりませんし、考えたくもありません。何もないということも十分あり得るとは思いますが、私はその仕事を断ったのです。

 私が丁寧なお断りの挨拶をした瞬間、轟社長の態度が明らかに変わりました。大きくため息をつき、私に対して辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせかけてきました。「使えない」「言うことを聞いていればいい」様々な暴言がありましたが、正直なところ、そんなことを言われたところで私はさほど気にしません。


 しかし、たった一つだけ。その一言だけが私の胸を大きく締め付けることになりました。

 私が社長室を出ようとドアノブに手をかけた瞬間です。

雛咲飛鳥(ひなざきあすか)はこの事務所のモノだ。お前は事務所の言う通り、俺の言う通りのモデルになればいいんだ」

 その瞬間、私は胸の中に複雑を超えたグチャグチャしたものを感じながら、社長室を出ました。


 その日の夜。

 いつもより遅く帰った私は、お気に入りのウサギのぬいぐるみを抱えながら一人考えていました。

 そして、なぜ社長に言われた言葉がこんなにも心を締め付けるのかその理由を導き出したのです。

「なりたいものになって」

 お母さんの言葉で一番強く覚えている言葉。

「俺の言う通りのモデルになればいい」

 まったく真逆の言葉。


 そうか、私は。

 

 自分の中に抱えていた違和感の正体に気づいたとき、私は、暗闇の中で泣いていました。

 私はいつの間にか、私という人間がわからなくなっていました。仕事をするうちに、私は私が思う雛咲飛鳥ではなく、多くの人間がイメージする雛咲飛鳥として生きるしかなくなっていました。

 私は、私自身のなりたいものがわからなくなっていました。


「おがあざん……ごめん。わだしっ……なりたいものっ……なれないや」

 

 私はそれ以降、笑うことも、泣くことも、なにかにおびえることもなくなりました。

 肝が据わった、と言えば聞こえはいいですが、言葉を選ばずに言えば、私は感情をなくしたと言っても過言ではありません。

 そしてまた、そのことに対しても、私は今はなにも感じなくなりました。

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