第二節「人の話はちゃんと聞こう」
飛鳥を助けた翌日である。
授業を終えた放課後、俺は図書準備室に来ていた。最近は、ほぼ毎日この場所を訪れている。蛍は読書。俺はスマホでゲーム。そして時々、誰も得をしないようなグダグダとした会話を蛍と繰り広げている。要するに、何も生産性がない不毛な時間を過ごしているわけだ。
「なあ蛍。これ見てくれよ」
俺はある女の子が映ったスマホを窓枠に座る蛍に見せた。
「ひな…さきあすか。誰?」
「誰って昨日助けた女の子だろうが」
昨日の出来事がどうしても気になった俺は、ネットで「雛咲飛鳥」の名前を検索にかけた。その結果、雛咲飛鳥が人気のモデル兼タレントであることが分かったのだ。
「なるほど、それで『私のこと知らないんですか?』なんて聞いてきたわけだね」
蛍は昨日の言葉にようやく納得したようだった。結構な有名人を助けたにも関わらず、まったくもってその人物を知らなかった。今を生きる高校生がそんなことで良いのだろうか。だいぶ惜しいことをした気がする。
「もうちょっと世間に目を向けた方が良いよ夏目君」
「君に言われたくない」
図書準備室の外が騒がしいことに気が付いたのはこのあとのことだ。普段は虫一匹いないように閑散としているのに、今日はドアの向こうから大勢の生徒の声が聞こえる。
よく耳を澄ましてみると「なんでここにいんの?」とか「私ファンなんだけど!」など様々な生徒の声が入り混じって聞こえてくる。女子の叫び声に交じって、男子の「キャー」という悲鳴まで聞こえてきた。男子高校生の悲鳴なんて誰が聞きたいんだ。そんなもの、ただ胃がもたれる。
そこで、図書準備室のドアが開く。扉の先にいたのは見覚えのない女性と見覚えのある黒髪の女の子だった。
〇
「それで、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。まぁあの、だいたい誰かは分かるんですが」
俺は図書準備室に来訪した二人の女性にお茶を出しながら言った。二人はソファに腰掛け、テーブルをはさんで向かいのベンチに俺たちが座っている。蛍は来客用の茶菓子をむしゃむしゃと頬張っていた。本日はチョコレートクッキーです。
「私たちはこういうものなんですが……」
二十代後半に見えるショートボブの女性がテーブルに名刺を置いてこちらに差し出した。その名刺にはトドロキプロダクションと小さく書かれた下に「矢島椿」と名前が書かれている。
椿さんはスーツ姿でメガネをかけており、とても知的な印象を受けるが、実際の雰囲気がそれに伴っていない。若さのせいか、少し弱弱しい喋り方のせいか、服装に反して少し頼りない雰囲気なのだ。
「要するに、芸能関係の方ってことですよね。えっと……」
俺は視線を飛鳥のほうへ向けた。飛鳥はテーブルを見つめながらうつむいている。改めて見ると、確かにモデル級の可愛さが見て取れる。一言で言えば、「清廉な黒髪の女の子」といったところだろう。髪は背中ぐらいまでまっすぐ伸びており、顔も小さい。
飛鳥を助けたのが、そもそも女の子に興味がない俺とそもそも変人な蛍でなかったら、一目ぼれというのをしてたのかもしれない。
俺の視線に気づいた椿さんが俺の言葉に続いた。
「はい。隣にいるのが雛咲飛鳥さん。うちの事務所のモデルです。そして私は飛鳥さんのマネージャー。あなたたちが飛鳥さんを助けてくださったと聞いて、お礼をしに来ました」
椿さんは俺たちに頭を下げた。
「別にお礼なんていいですよ。それに、実際に雛咲さんを助けたのはこの隣にいる蛍ですから」
当人の蛍はベンチに体育座りをしながら未だにクッキーを頬張っている。
「って、いい加減、そのムシャムシャやめなさいよ」
俺は食べるのに夢中な蛍に言った。蛍は口に含んだクッキーを飲み込む。
「ムシャムシャじゃないよ。どっちかって言うと、ボソボソって感じ」
「どっちでもいいわそんなん」
やっと食べ終わったかと思うと、蛍は次のクッキーへと手を伸ばす。まだ食うのかと思いきや、蛍はその手を飛鳥の前へと伸ばし、「ん」と小さく声発しながらお菓子を差し出した。飛鳥が「ん……ありがと」と遠慮がちに言いながらそれを受け取る。
どうやら蛍は飛鳥がテーブルの上のお菓子を見ていたことに気づいていたようだ。
蛍は飛鳥にクッキー差し出した後、自分の分のお菓子を取った。
「だからやめなさいって」
俺は無理やりクッキーを取り上げた。
〇
「昨日のことは飛鳥さんから聞きました。男の名前は大城洋二。飛鳥さんのことを付け回していた、俗にいうストーカーです。少し前から事務所の方でも認識はしていたんですが、昨日のような直接的なことはなかったので、そこまで重視はしていなかったんです……」
昨日の雰囲気からして、熱狂的なファンという枠から超えていることはわかっていた。蛍や俺が気付かなければ、飛鳥がどんなことになっていたかは想像に難くない。
「雛咲さんになにもなくてほんとによかったです。しかし、俺たちは逆に謝らないといけません。その大城という男を、俺たちは逃がしてしまったんですから」
俺の言葉にしばらくの沈黙が流れる。話を聞いてから改めて思ったが、あの男を逃がしてしまったことはやはり、少し悔やまれる。
大城の行いは俺たちによって一度阻止された。しかし、あくまで一度だけ。この先、大城が何もしないとは限らない。むしろ、かなりの確率でもう一度同じようなことが起こるだろう。そのとき、一体誰が飛鳥を助けられるのだろうか。
俺がこうして意外とちゃんとしたことを考えてる最中にも、蛍は菓子をむしゃむしゃ食べている。そして飛鳥もむしゃむしゃ食べている。あ、失礼。ボソボソ食べている。
「いえ、あのまま誰も来なかったら、もっと最悪の事態になってたと思います。本当にありがとうございます。あの……それと、今日来たのはお礼のためだけではなくてですね……」
椿さんはどこか申し訳なさそうに視線をそらした。言葉が続くと思いきや、このあとだいぶ長い沈黙が続いた。時が止まったんじゃないかと思うほどに。
しばらくして意を決したようにこっちを見た椿さん。時間が停止したザワールドから戻ってきた椿さんが口を開く。
「あなたたちに、飛鳥さんのボディーガードをお願いしたいんです」
この言葉を聞いたとき、俺がどんな顔をしていたかは言わなくても分かると思う。蛍は相変わらず間の抜けた顔で口をモゴモゴさせていた。




