第一集終幕
その後、西城先生が屋上に来た。
門谷先輩を英人に任せ、なかなか降りてこない俺たちの様子を見に来たのだ。西城先生の目の前にいたのは、むせび泣く美香とそれを見ていた俺。そして、その様子をベンチに座って見守っていた蛍であった。
西城先生はこの光景を見るや、なにかを察したように真剣な表情になり、美香へと近づく。そして、「お前らは帰れ」と俺たちに言い残して美香とともに屋上を離れていった。
二人が去ったのを確認したあと、俺たちは静かに階段を降り、昇降口を出た。そこで俺は、俺が事故にあったときに座っていたベンチを見つける。
それを見た瞬間、俺は吸い込まれるようにそこに近づき、身をゆだねた。
体の中の力が抜けていくのを感じる。言いしれない脱力感だ。
今日は色々ありすぎた。まるで、今日は蛍の言う通りだ。
「人生で最悪の日か」
俺は昨日の蛍の言葉をつぶやいた。そんな俺を見て、蛍は俺のとなりに少し間を開けて腰掛けた。
「夏目君、すまないね。この世界には、知らないほうが良いこともあるけれど、今回のことは、すべてを知る必要があったと思ったんだ」
蛍は最初からわかっていたんだと思う。事故の話を聞いたときから、美香の本当の気持ちを。そんなに長い時間接していたわけではない彼にわかったというのに、ずっと一緒にいた俺にはなにもわからなかった。英人のことも、樹のことも、西城先生のことも門谷先輩のことも。そして、美香のことも。
「全部……俺が悪いんだよな……俺が……なにも……なにも知らなかったから。自分のことに夢中だったから……」
俺は、胸の内からあふれ出そうになるものを抑えるのに必死だった。ちょっとでも気を抜いたら出てきてしまいそうなそれを流すことは俺には許されない。
俺は蛍の言葉を待った。彼なら俺が悪いと言ってくれるだろうから。その言葉を待っていた。
「君が悪い。……なんて、誰にも言えやしないさ」
蛍がかけてくれた言葉は俺が予想していたものではなかった。彼は首を少し上へ傾けて空を見上げている。この場所からは丁度沈む夕日が見える。
「人はいつだって、自分のことで精一杯だ。他人のことなんて見ている余裕もない。そうしないと、きっと生きていけないんだ。たぶん、それが正解なんだと思う。でも俺は、決してそれを認めたくない。認めてはいけない。だってそんな生き方……やっぱり悲しすぎるじゃないか」
蛍は夕日を見ながら語った。そうしてベンチから立ち上がると、少し歩いて俺の方へ振り返った。
「だからせめて、それを理解している俺はただ推理をする。ひまつぶしという名目でね。本当に大切なことを、もう二度と取りこぼさないようにするためにこれからも全力でひまをつぶすさ」
逆光により、蛍の顔は良く見えなかったが、それでも、今どんな顔をしているかぐらい俺にも推測することはできた。
「それでは、ただいまをもって依頼の全てを解決したと判断し、これにて依頼完了とさせていただきます。さらば!」
赤髪の高校生はそのままくるっと振り向いて正門へと歩いていく。俺はしばらく、その高校生の背中を見ていた。
そして、彼が正門をぬけたあと俺は上を向いて大きく深呼吸をする。こみ上げて来ていたものがすぅっと降りていくのがわかった。
俺は結局、泣くことはなかった。"その資格がない"ではなく、"そうしている時間はない"と思ったからだった。
〇
その後、桜嘉高校剣道部は変わったり、変わらなかったりした。
門谷先輩の処分は一か月の謹慎。あれだけの事故を起こしてもそれだけで済んだのは、門谷先輩がケガをさせた人物が願いでたから。俺は門谷先輩を許すことにしたのだ。西城先生も一緒に頭を下げてくれた。
そして、美香は。
「私は何も知りませんでした……門谷先輩が剣志にこんなことをするなんて……」
最後まで知らぬ存ぜぬを突き通していた。それに対して、俺も蛍も何も言わなかった。反論したところで証拠はなかったし、それに、ここで美香を追いつめれば、彼女はきっと今以上に壊れてしまうだろうから。
剣道部はその後も何事もなく活動している。新部長になった英人によれば、むしろ、部員たちが前よりも練習にはげむようになったらしい。
「なんか、俺としては複雑な気分だよ。そんなに剣道に真剣なわけじゃないんだけどな。なぜかみんな俺を信頼してるんだ」
格技場で稽古にはげむ部員たちを見ながら、英人はふてぶてしく話していた。こんなやつが部長になっていいのかと思うが、残念ながら二年生部員は俺以外にこいつしかいない。でもまぁ、きっと大丈夫だろう。
「ところでさ、やっぱりもう部には戻ってこないわけ?」
英人は隣にいる俺に聞いた。
足はもう治っている。今まで通りとはいかないが、部活として剣道を続けることは可能だろう。だが、俺は決めている。
「残念だけどさ、俺、見ていたいものができちゃったからさ」
それを聞いた英人は「そっか、残念だな」と言って、自分も稽古へと向かって行った。
〇
「それでなんでここにいるんだ。意味が分からない。俺には意味が分からないよ」
窓枠に腰掛け、足を大きく机へ投げ出し、手に本を持った蛍は、図書準備室のベンチに腰掛けている俺へ言った。
「いや、だからさっき言っただろ。剣道部やめてきたんだって。しばらくここにいさせてもらうわ」
「はぁ!?待て待て待て。聞こえない聞こえない。聞こえててもそんなの分かりたくもない!何が『見ていたいものができちゃったからさ』だよ!ここは俺の図書準備室、静かな俺のだけの部屋じゃコノヤロー!出てけ!今すぐ出てけぇ!てかおねがぁい!お願いするからでてってちょうだぁい」
彼はこの図書準備室に他の誰かが居座ることがこれほどまでもイヤらしい。しかし、残念ながら俺はここを出ていく気はない。
「大丈夫大丈夫。俺いつも静かだし、迷惑かけないから。それにここは君の部屋じゃないだろ?」
「そういう問題じゃなぁぁぁぁぁい!」
蛍はいつの間にか窓枠を降りていた。フラフラと力なくたじろぐと、俺と対面にある来客用のソファにバタっと倒れた。
そんな蛍を見て、俺はふふっと微笑む。そして改めて周りを見渡してみると、壁沿いの本棚の隅に手のひらぐらいの大きさの緑の手帳があることに気が付いた。どうやら一度も使われていないようである。
俺はその手帳を手に取り、埃を払うとその手帳を蛍のほうへ見せた。
「蛍、この手帳なに?使ってないみたいだけど」
蛍は手帳をちらっとみると、なにかを思い出したように「ああ」とつぶやいた。
「たしかそれは、だいぶ前に立花先輩からもらったんじゃなかったかな。『きっとこれが必要になるよ』って。でも俺、メモなんてとらないから結局本棚にずっと置いといたんだね。たぶん絶対に使わないから、必要ならあげるよ」
そう言った蛍は、ため息をつきながら立ち上がり、再び窓へと近づいていった。
そして俺は、もらった手帳を開いてみた。悩んだ末、俺はこれに、なんてことのない高校生のひまつぶしを書き連ねることに決めた。
最初のページに書く、最初の項目のタイトルは――
〇
第一集「夢破れた少年」
これにて、終幕。




