第九節「謎解きはキャンディのあとで」
「用務員さんが屋上にいたんですか?」
「うん。そうだよ。少なくとも夏目君の事故が起こる十分から二十分前までは屋上にいたことが確認できている。この事件の犯人かどうかは分からない。というか、ほぼ白に近いだろうけど、話を聞いてみるぐらいはしたほうが良いんじゃないかな」
立花先輩はメモ帳をパタンと閉じてシャツの胸ポケットにしまった。
屋上に人がいたことがわかったのは良いが、それが用務員の鳥越五郎という、全く面識のない人物では、犯人の可能性はとてつもなく低い。
「その用務員さんが今回のこととなにか関係があると?」
俺は立花先輩に問いかけた。
「さぁね。それは僕にはわからないよ。僕は情報を提供するだけ。そこから先は君たち名探偵の仕事だ」
立花先輩は微笑みながら俺たちにそう言った。
「俺は探偵ではないですよ」
立花先輩の言葉に、蛍が言い返す。
「おっと、それは失礼。ただの高校生の蛍くん」
ふっと微笑んだ蛍は、立花先輩に軽くお辞儀をしたあと、用務員の鳥越五郎への聞き込みをするべく、オカ研を出た。
蛍を追いかけようと、俺も席を立つ。オカ研のドアの前に立ったとき、後方の立花先輩から「また会えるといいね」と声を掛けられた。
「"また"会いますかね」
俺は立花先輩のほうへ振り返り、引っ掛かった言葉を聞き返す。
立花先輩は俺の顔をしっかりと見据えて、落ち着きのある笑顔を向けていた。
「うん。きっと会えると思うよ。蛍くんと知り合ってからだいぶたつけど、蛍くんが助手を連れているのを僕は初めて見た。人と関わることをあまり良しとしない彼が、依頼人とはいえ誰かを連れて歩くってことは、君になにかを感じたからかもしれないね。いや、もしかしたら、これこそ運命というオカルティズムなのかもしれない。これは僕の願望なんだがね、この事件が解決したとしても、君に彼を見ていてほしいんだ。君が彼から学べることは多いだろうし、それに、なにより彼には誰かが必要だから」
そう語った立花先輩が、どこか寂しいような表情をしていたのが俺は気になった。しかし、それ以上話す言葉も見つからなかったため、俺は立花先輩に挨拶をしたあと、オカ研をあとにした。
〇
「ああ~確かにあの日は屋上にいたなぁ、丁度生徒も早く帰っていたし、ベンチのペンキを塗ろうと思ってなぁ」
オカ研を出たあと、俺たちが来たのは桜嘉高校のごみ集積所。掃除後の大量のごみの分別を確認するために、用務員鳥越五郎はそこにいた。
「それにしても、すごいゴミの量ですね」
目の前には学校のいたるところから回収されたゴミの山が広がっている。俺は目の前の光景にただただ驚いていた。
「最近はみんな何もかも一緒に捨てるから分別も一苦労。でも、大変なモノが混ざってる可能性もあるからちゃんとやらんとな。分別とは関係ないが、この前もボロボロの上履きが捨てられてあってな……まったく、いじめというのは昔も今もなくならんな……」
鳥越さんが悲しそうな目でゴミの山を見つめていた。
すると、今まで黙って話を聞いていた蛍がゴミの山からゴミ袋をひとつ引っ張り上げると袋を開けてゴミを分別し始めた。
「なにしてんの?」
俺は蛍に問いかけた。
「別に。ただのひまつぶしさ」
蛍は黙々と作業をしている。そんな蛍を見て、鳥越さんは「あんがとなぁ」とお礼をし、自分も作業を再開した。
その様子を見て、俺も微笑を隠せなかった。
俺たちはゴミの分別を続けながらも、鳥越さんへの質問を続けた。
「ちなみにいつから、どのくらい作業していましたかね」
「たしか……十六時くらいから始めて、終わったのは三十分後くらいかな。そこからお前さんの事故が起きるまで、少し階段の掃除をしておった」
俺の事故が起きたのは十六時四十分すぎ。つまり、鳥越さんはその事故が起きる前まで屋上にいて、起きた瞬間も屋上へと続く階段を掃除していたことになる。
「それじゃあその間、屋上で人に会ったり、階段で誰かとすれ違ったりしましたか?」
鳥越さんが作業していた時間を聞いて、蛍は鳥越さんに補足質問をした。
これが一番大事である。もし屋上や階段で誰かと会ったのなら、その人が犯人である可能性が高い。
「わしが見た限りでは、屋上では誰にも会っとらんし、階段でも誰もすれ違わなかったな。事故が起きてからは大きな騒ぎが起きていたから、学校にいたやつはほとんどが一斉に下に降りて行った。そのときには結構な人が下りていったから、まぁ校舎内にはそこそこ人はいたと思うんだが」
俺たちは鳥越さんのこの情報により、さらに切迫した状況へと追いやられたことになる。
十六時から十六時半までの間、屋上には鳥越さんがいて、事故が起こるまでは屋上へ続く階段で掃除をしていたとなると、事故が起きた瞬間には屋上には誰も人がいなかったことになる。鳥越さんの存在によって、簡易的ではあるが密室が完成しているということだ。
その後も、俺たちは鳥越さんの作業を手伝った。ペットボトルと燃えるゴミが一緒に入っているたびにイライラがつのったり、ゴミがチョークの粉まみれだったりして大変な作業だったが、なんとか最後までやり切り、分別の大切さを知った。
作業を終えたあと、鳥越さんは近くの自販機で俺たちに飲み物を買ってきてくれた。
「俺はコーヒーにするが、若いお前さんらにはこういうののほうがが良いじゃろ」
そう言って鳥越さんは自分にはコーヒーを俺たちにはコーラを一本ずつ渡した。
炭酸が抜けるプシュっという音が鳴る。俺たちは缶を突き合わせて乾杯し、ぐいっと飲み物を流し込んだ。
〇
俺たちは数時間ぶりに図書準備室に戻った。窓からは橙色の綺麗な夕焼けがうかがえる。しかし、そんな綺麗な夕焼けとは裏腹に、俺たちの心は晴れない。
蛍はベンチに俺はソファに、男二人が対面に座してうなだれていた。蛍は棒付きキャンディを加えながら、ベンチにぐたっと寝転んでいる。
現場を見て、聞き込みをして、さらには新しい情報も得たというのに、調べれば調べるほど行き止まりにぶち当たる。きちんとした証拠はない。あるのは、懸垂幕のロープの断面が不自然だったという不確かなものだけ。
俺は半ば諦めかけていた。犯人の候補も定まらないために推測も立てられない。仮に推測を立てたとしても、推測は物証があって初めて事実となる。俺たちにはその物証もなかったのだ。
「分別、大変だったね。夏目君」
「うん」
「鳥越さん、いい人だったね。夏目君」
「うん」
「コーラ、おいしかったね。夏目君」
「うん」
恐ろしいほどの緩い会話が続く。
蛍が普通じゃないことはなんとなくわかるが、彼はまだなんの答えも導き出せていない。強盗事件を解決した高校生であっても、やはりしょせんは高校生なのかもしれない。
あからさまに気分が落ちていた俺は、心の中でそんなことを思っていた。自分も高校生だというのに、我ながら失礼だったと思う。
「ところでさ、夏目君、めっちゃ汚いよそれ」
蛍が俺の足元を見て言った。
「それってどれ?」
「それだよ」
「だからどれだよ」
「だからそれだよ。上履き」
「上履き?」
あ、これか。正確に言えば、俺の履いていた上履きは体育館履きである。格技場を訪れたあと、校舎用の上履きではなく、どうやら体育館履きのまま動き回っていたようだ。たしかにこの体育館履きには少し普通とは違うところがある。
「あーこれね、これ、西城先生が書いたやつなんだ」
俺の体育館履きには西城先生直筆の草書の筆文字が書かれている。
草書というものは一見、文字と判断しにくい。俺たちが普段使っている文字はいわゆる楷書。その次に行書、草書、隷書、篆書と俺達が知っている文字から崩れ、複雑になっていく。
西城先生は書道をたしなんでおり、桜嘉高校剣道部に入部した際にはほぼ強制で体育館履きに文字を書かれるのだ。
「それってなんて書いてあるの?読めないんだけど」
蛍はしかめっ面で体育館履きを睨みながら俺に問いかけた。
「まぁ読めないよな。文字に見えないもん。これさ"桜剣"って書かれてるんだ。桜嘉高校剣道部を略して桜剣」
「絶望的にセンスがないね」
蛍はそう言いながら腹から湧き出る笑いをこらえきれずにいた。
しかし、その笑いは蛍が「あっ」とつぶやいた瞬間に収まる。その瞬間、蛍の中の空気が変わったのを俺は感じた。
彼は天井を見上げ、しばらく動きを静止させたあと、小さくなった棒付きキャンディをかみ砕いた。
「そうか。これはそういう物語だったんだ」
俺は小さく「えっ?」と声を漏らした。
蛍はベンチから立ち上がって「うー」とうなりながら腰をそらした。そして、また腰を起こすと俺のほうをみて笑みを浮かべる。
「夏目君、俺の推測はすでに書けた。あとは証拠ってやつだ。粘土がなければレンガは作れないってね」
そうして彼は俺に「剣道部のみんなを集めておいてほしい」とお願いをしたあと、そそくさとどこかへ向かっていった。




