06. Time Slipping Away / 31人目
何だか──気まずい。
何か違う話題は──そうだ、そういえばレオナルドさんの厚意で雨宿りさせてもらっているというのに、何もお礼を言っていなかった。
そのうえ美味しすぎる手料理まで!
「レオナルドさん、雨宿りさせて頂いている上に美味しいお料理まで……感謝いたしますわ」
「ははっ、礼なんか要らねえよ。それより、〝レオナルドさん〟なんて呼ばれると何かむず痒いから、レオって呼べよ。このまちのヤツは皆そう呼ぶんだ」
「えっ……」
い、いきなり愛称で呼び捨てだなんて──出会ったばかりなのに?
でも私の恩人がそう言っているのだから、まずは──練習するしかない。
「は、はい、承知しましたわ……れ、レオ……お兄様」
「っぶはっ!! お、おにーさま?!」
「……。」
ふ、吹き出された──!
恥ずかしい──!
でも、れ、〝レオ〟だなんて無理だし、もしも私にお兄様がいたのなら、彼のような方がいいな──という願望が、つい──。
「ははっ……わりぃな笑っちまって。三十年生きてきて初めての経験だったもんで……まあ、そうだな……レオお兄様っつうのも、色々と、悪くねえな」
レオお兄様はそう言ってニヤッと笑ってみせた。
よ、よかった、一応受け入れてもらえて。
──よし、それならば、遅くなってしまったが私もレオお兄様に自己紹介しなくては。
「名乗るのが遅くなってしまい申し訳ありません。私は、ジョージアナ・メアリルボーン……」
──いや、今はもう違うじゃないか。
その名前は、もう使えない。メアリルボーン伯爵家はすでに潰えたのだ。
それに、すでに私は師匠の所有物になった。
「……どうぞ〝ジジ〟と呼んでくださいませ。師匠がそう名乗るように、と」
「それじゃあ、ジジ。もうあいつから〝僕に絶対、決して、何があっても触れるな〟って言われちまったか?」
レオお兄様はそう言って、完璧な師匠の声真似をしてみせた。
すごい、似てる! というかそっくりだ!
師匠独特のあの神経質な声音!
「ふふっ……ソックリですわね」
「ジジ、そんなこと言われちまって、戸惑ったろ」
「はい、戸惑ったというか……衝撃でした」
同じ人間に面と向かって「汚い」だなんて──本当に衝撃だった。
でも、今の私はたしかにその通りだから、図星というか──惨めだった。
私がそう言うと、レオお兄様は困ったような表情で話しはじめた。
「あいつはな……クラレンスは、清潔か否か、あるいは、美しいか否かにものすごく執着しやがる。自分以外の人間は全員、指の先でも触れたもんじゃないんだと」
「え……?」
ぜ、全員──?
私だけじゃない──?
そ、そうだったのか──。
路上生活をしていた私が汚いからそう言われたのだと思っていたけど、それ以前に、すべての人間が不潔だと思っているということ?
「ど、どうしてそんなこと……」
「……さあ?」
レオお兄様はそう言って首を傾げた。
よく分からないけど──私だけが汚いと言われて避けられているのではないと思うと、少しほっとする。
するとレオお兄様は、昔話を語り始めた。
「あいつの歴代の弟子は、合計三十人はいたな。だが、皆んなそんなあいつについていけず……あるいは別の理由で……自ら辞めてったり、強制的に辞めさせられたりで……今はジジひとりだ」
「や、やっぱり……」
あの師匠の弟子というのは、おそらく、私が想像するより更にハードワークなのだ。
「あいつは魔法使いとしては最高峰だが、師匠としては最悪だ。でも、あいつには弟子が必要なんだな。そこらへんの平民出は駄目だから金で奴隷でも買ってくるとか言ってたが、本当に買ってくるとは……」
レオお兄様はそう言ってため息をついた。
つまり、奴隷(私)が師匠の──最終手段?
ぞっと背筋が泡立ったが、レオお兄様の話は続く。
「あいつは、一度汚ねえと思うものにさわっちまうと、我を失くしやがる。……まあ、我を失くすっつっても、元々の性格がもう悪りいけどよ」
し、師匠──ひどい言われよう──。
「だから、雨ん中外に閉め出されることなんかよりももっとひでえことが、これからもあるかもしれねえ。だがジジは、一応奴隷だから、辞めるなら逃げるしかねえわけだ」
〝逃げるしかない〟──。
レオお兄様ならばもしかしたら、本当に逃げ出したくなったときは、師匠からの逃亡を手助けしてくれるかもしれない。
すると彼は言った。
「だが逃げる前に、俺んとこちょっと寄ってくれよ。俺が、逃げんの思いとどめさせてやっから。何が何でもな!」
「……え」
何が何でも──?
私はレオお兄様に満面の笑みで見つめられて、思った。
何だろう、この、周囲を念入りに取り囲まれてどこにも逃げられないような感覚は──。
「……つっても、今みたいに腹一杯食べさせて愚痴聞いてやるくらいしかできねえけどよ。でも、絶対、元気にしてまたあいつのもとに返してやっから!」
そう言って背中をバシンと叩かれた。
「ブフッ……」
重い一撃で口に入っていた食事が飛び出た。
咳こみながら、頭の中で、もしかして実は、レオお兄様は私の味方のふりをしてはいるが、本当は師匠が誰より大事なのでは──と悟った。
つまりは弟子が必要らしい師匠のために、自分も協力するということだ。
レオお兄様は、師匠と古い仲のようだし──。
私には知り得ない何かがあるのだろう。
「レオお兄様は、師匠が大切なのですね」
「当ったり前だろ? あいつ、俺しかダチいねえし。……それにこれからは、ジジもそうさ」
そして、彼は「ジジ、頑張れよ〜」と言いながら私の髪をわしゃわしゃとかき回す。
しばらく頭髪を洗えていないから、汚いと思いますよ──と言おうかと迷っていたとき、この部屋のドアが開く音がした。
「っ……」
そこには、ギョッと目を見開いている師匠が立っていた。