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05. Love Me Back / 愛されたかった

 



 レオナルドさんがキッチンに立った。

 今日初めて出会った見ず知らずの人間のために、お料理をふるまってくれるなんて──。

 私の専属シェフでもないのに。

 この人はどうしてそんなことができるのだろう?

 そんなことを考えながら、レオナルドさんの手元を観察する。

 かれが右手で上手に鶏の卵を割ると、それがフライパンの上に着地した瞬間、ジュワッと美味しそうな音が響きわたる。

 それを、もう二回。

 そのつぎは、ベーコン三枚。

 ──私は人が料理するところを見たことがない。

 でも、私のために作ってくれているところを見ていると、ますますお腹が空いてきて、とても待ち遠しくなる。

 香ばしい匂いも漂いはじめ、食欲をそそられる。

 早く食べたいなあ──。

 そのとき、レオナルドさんが唐突にフッと笑った。

 

「……もう少しの我慢だ」


 わ、笑われた──。

 ありあまる食欲を見透かされた──。

 動物じゃあるまいし、なんてはしたない──。


「お、お見苦しいところを……」

「はは。分かりやすくて俺は好きだ」


 え?

 「分かりやすくて、俺は好きだ」?

 どういうこと?

 ──いや、まさか冗談だろう。理性のない獣のように、みっともないことに変わりない。

 ぐるぐると考えこんでいるうちに、「できたぞ」という声が響いた。


「そこ座れ」


 そう指定されてその椅子のほうを見たが、脱ぎ散らかした衣類が堂々と占領している。

 レオナルドさんが準備をしてよそ見しているうちに、パパッと手ぎわ良く靴下やらパンツを退かした。

 そしてサッと座ったとき、かれは振り向き、出来たての温かい食事がテーブルに運ばれてきた。


「さあ、たんと食えよ!」


 汚れた皿やグラスを押しのけて、目の前にどんと置かれた料理は、目玉焼きにベーコン、それから山盛りのパンにミルクが一杯。

 ──こんなお料理、出されたことがない。

 メアリルボーン家専属シェフの作った、とても繊細で手の込んだ料理からは程遠い、シンプルで簡単で、言ってしまえば──粗雑なそれ。

 それだというのに、どうしていつもより食欲をそそられるのだろう。

 とにかく早く食べたい。

 今、ここには、マナーを注意してくる人はいない。

 食事前のお祈りも、ナプキンもナイフだって、もう要らない。フォーク一本を握りしめ、ベーコンにかぶりついた。

 そのお味は──。


「……お、おいしい……」


 熱々のベーコンを頬張って、咀嚼する。

 そしてじゅわっとした旨味を噛みしめた瞬間──、ひとすじの涙が頬を伝っていた。

 ──美味しい。美味しすぎる。

 たしかに粗雑な料理なのに、どうして涙が出るほど美味しいの?


「おい、何で泣いてんだ?」


 少し困ったような声色に、自分でもどうしてなのか分からず──言葉に詰まっていると、頬を伝う涙がゴシゴシと乱暴に拭われた。


「どうした? 思ってることは言わなきゃ分かんないだろ」




 どうして──?

 レオナルドさんはどうして、私のことを気にかけてくれるんだろう?

 どうして、こんな私に優しくしてくれるんだろう?

 お父さまも、お母さまも──もうこんな私のもとに戻ってきてくれることは、ないというのに。

 ──今になって、私は現実をようやく呑みこめる気がする。

 今まで蓋をしていた感情が、どっとこみ上げてきて、溢れてしまう。


「……すてられた」

「……ん?」

「私、お父さまとお母さまに、捨てられたんだ」


 一度蓋を開けてしまったら、もう戻せない。

 当たり散らしてしまいそうで怖い。

 恥ずべき、忌むべき、まるで悪魔に取り憑かれたかのような、この、憤怒──。


「あのクソ叔父さまのせいでっ!」

「?!」


 あの、フェリシス叔父さまが、やらかしさえしなければ──!

 私がお父さまとお母さまに捨てられることなんて、なかったのに──!


「叔父さまのせいで私たちもろとも爵位剥奪、社交界追放なんて、とばっちりもいいとこですわ! しかも、平民に没落するだけでなくそのたった三日後に奴隷商に捕まるなんて……私の大馬鹿者!!」

「おいっ、口から何か飛んできたぞ……」


 怒りは抑えられなくて罵詈雑言は止まらないし、目玉焼きは美味しすぎて食べるのはやめられないし。

 何が何だか分からなくなってきた。


「一体誰のせいにしたら、清々できますの……」


 私がそう言って鼻水をすすると、レオナルドさんが言った。


「……まあ、まずは全部、俺に聞かせてくれよ」


 そして涙も鼻水も拭ってくれる。

 レオナルドさんのシャツを汚させてしまった。

 十四にもなる娘が、赤ん坊みたいにこの体たらく。


「わ、私は……私なんか……平民になったのに、外に出て働いて稼ぐことも、炊事洗濯掃除も、何もしたことがない……それなのに、良家に嫁ぐことも、もはやできない……ただの穀潰しだから……」


 だから、お父さまとお母さまに見放されたんだ──。

 私はグラスを勢いよくあおった。


「なあ、それただのミルクだよな……?」

「私、努力したつもりですわ……非の打ち所のない、完璧な所作を常に心がけ、本は毎日三冊は読んで知性を磨き、ダンスのステップも必死に練習して……いつか、何かものすっごい家柄の紳士に嫁ぐために……マナーとか本とかダンスなんて全部苦手でしたけど、すべては、メアリルボーン家の繁栄のために……」


 私のこれまでは、すべてお父さまとお母さまのためだった。


「……努力すれば、私だけを見てくださると……」


 そう。私が欲しかったのは、お父さまとお母さまの私に対する関心だった。

 何て子どもなの。

 ──でも、それももう無理なこと。

 別れる直前のお父さまの言葉を思い出す。


「結果として、我々は()()()()()だった。もはや高貴なる伯爵様ではなくなったのだから、各々自分で稼ぎ、自立するように。ジョージアナ、お前ももう十四だっけ? 一応大人じゃん? お前ならやってける、達者でやれよ!」


 そして「それじゃ、解散!」の一言で一家は解散した。

 お母さまは「じゃ、二人とも元気でねぇ〜!」と残して──恐らく、昔からの愛人のもとへ行ったのだと思う。

 ──どうして、私たち家族ですのに、一緒に暮らせませんの?

 私は二人のどちらにも、そう聞くことはできなかった。答えを察したから。

 きっと、お父さまにもお母さまにも、もう会うことはない。

 三人で共に暮らすことはもうない。

 きっとそう思ったほうが、気が楽だ。

 家族に対して関心がなかったけど、お茶目なところのあるお父さまを愛していた。

 自分勝手でよく振り回されたけど、誰よりも自由で美しいお母さまを愛していた。

 ──だけど私は、たった今、新しい人生を歩きはじめたということ。


「……まあ、私を捨てるなんて、お父さまとお母さまがいちばんの大馬鹿者ですわ!」


 涙と鼻水は止まらないけど、そう言い張ってベーコンを口いっぱい頬張る。

 レオナルドさんは同情するでも、励ますでもなく言った。


「……つまり嬢ちゃん、平民デビューしてからたったの三日で奴隷落ちしたってわけか」


 レオナルドさんのほうを見てみると──、口元を押さえて明らかに笑いを堪えている──。

 も、もしかしてずっと笑いを堪えながら私の話を聞いてたの──?!

 確かに、その通りだけども──!


「笑わないでくださいまし!」

「あっはは……わりいな。嬢ちゃん、見るからに鈍臭そうだから」


 レオナルドさんはニヤリと意地悪く笑っている──きっと私をからかっているのだ。

 で、でも、からかわれるとか、そんな風にされたことがないから戸惑う──。

 何やら、居心地悪くなってきた。


「クク……かーわい」




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