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03. Waiting for You / 雨に打たれて




 突然気絶した師匠を支えきれず、冷たい床に倒れこんだその瞬間、低い呟きがかすかに聞こえた。


「……風呂」


 お、起きた。

 ──というか、お風呂?

 何故、今、お風呂──?

 と問う間もなく、師匠が素早く杖をひとふりしていた。

 






 お臍がぐいと物凄い力でひっぱられ、四方八方に振り回されるような感覚のあと、すぐに私の体は何か硬質なものに思いきり叩きつけられた。


「い、痛……」


 見ると私は石畳の上に寝転んでいる──。

 ──痛いわけだ。

 そして、とても眩しい──。


「なるほど、これが魔法ですのね……」


 日の光の中に聳えたつのは師匠の長い足。師匠ばかり華麗に着地してずるい。

 衝撃のせいで少しの間起き上がれずにいると、突然女性の必死な声が耳に届いた。


「ああ、クラレンスさま! お帰りをお待ちしておりました! じつは私の子どもが突然高熱を……今もひどく魘されています……どうか、わが家に来て治していただけないでしょうか……」

「一時間程お待ちを。のめば必ず回復する薬を煎じますので」


 師匠は女性を安心させるためか、笑顔でそう応じている。

 高熱──。

 薬を煎じる──。

 これは、早速の初仕事ね!

 気力で起き上がり、周囲を見渡した──。

 ここは、先程のうす暗くて小汚い奴隷競売場とは一転、日の差す小さなストリートだ。青い空の下、煉瓦造りの古そうな家々が並び、パンや魚介類の出店も出ていて、威勢の良い声が聞こえてくる。

 ここはどこだろう──? 同じルースヴェン王国内ではあるだろうが、どこか下町風情のある──。きっと師匠の住処のある通りなのだろうが──。

 師匠はといえば、いつのまにか颯爽と目の前の家屋の扉を開けて中へ入ろうというところだ。

 私も急いでついていく。


「お待ちください、ししょ……」

「ギャッ!」


 私が急いで師匠との距離を詰めたとき、かれは急に振り向いて、叫んだ。


「こっちに来るな! シッシッ!」


 え、来るなって、どういうこと──?

 師匠はこちらを恨めしげに睨みつけながら、私を避けるようにドアの裏へと逃げこんだうえ、手ぶりであっちへいけと払いのけてくる──。

 よく分からないが、まるで警戒心の強い猫だ。

 師匠は徐々に後退りながら言った。


「いいか? 師匠としてお前に命ずる。今後一切、絶対に、決して、何があっても、その手で僕に触れてくれるな。何故なら、非常に不潔だから。……分かったか?」


 ふ──。

 不潔って──。

 たしかに三日シャワーを浴びていないけど、触られたくないほど不潔──?

 そんな言い方ってある──?

 でも、ショックを受けている場合じゃない。私にはもう、師匠しかいないのだ。かれの命令は絶対聞かなくてはならない。

 そうでないと、また、私は──。


「はい、師匠。仰せのままに」


 今が、ここぞというときだ。

 繰り出したのは、淑女らしいほがらかな微笑み。

 自分で言うのも何だが、社交界でも評判だった、〝春の陽だまりの如き微笑〟。

 つまりは作り笑いだが、私の秘儀だ!

 こうすれば大抵、場は丸く収まる。

 でも師匠の反応は違った。


「な、何だよ……気色悪い……」


 師匠の言葉は嘘じゃなさそうだった。心底気色悪そうな、それとどこか困惑したような顔をしている。

 全戦全勝の微笑が、失敗した──。

 しかも「気色悪い」だなんて、初めて言われた──。

 ──でもたしかに師匠の立場から見れば、「お前は不潔だ」と言ったのにいい笑顔を返されたらびっくりするかもしれない──。


「とにかく、お前は一時間そこで待ってろ。そのあと、風呂と食事だ」

「えっ、師匠、」


 中に入れてくれないの──?

 無情にも扉はバタンと閉められた。

 残されたのは、師匠に助けを求めていた、顔にそばかすのある二十代くらいの女性と私。

 彼女はといえば、私の頭からつま先までを、疎んだような煙たいような目で眺めまわしたあと、呟いた。


「きたならしい……」


 そして踵を返していった。

 ──雑巾のようなボロ布を着て、髪は埃まみれ、しかも裸足は真っ黒。


「……私、汚れてしまったわ」


 たった三日前までは、毎日美しく豪奢なドレスで着飾って、髪も毎朝侍女に梳いてもらって、お母さまが肌の白さを褒めてくれて──。

 すべて失った。

 伯爵令嬢だったこの私が、平民どころか奴隷として売り飛ばされ、不潔だの汚らしいだのと蔑まれるなんて、落ちる所まで落ちたものだ。

 空を見上げると、雲ひとつなく、太陽が輝いている。

 このあたたかい光だけは、みなに平等だ。

 ──私は大丈夫だ。少しの間耐えていれば、お父さまとお母さまがきっと私を迎えに来てくれる。私を完全に見捨てられるはずがない。だって家族なのだから。

 私を買った師匠だって、何だか偏屈な男だが、風呂と食事を与えてくれると言っている。

 とにかく、今は少し待とう。







 扉の前に座りこみ待機していると、世界の果てからたくさんの黒雲がやって来て、太陽を覆い隠しはじめた。さあ、だんだんと空模様がこの国らしくなってきた。

 肌寒くて体をさすっていると、すぐに雨がふってきた。

 往来では、通行人が足早に店内へ逃げこんでいく。出店も畳みはじめた。

 半刻くらい待っただろう。もうあと半刻だけだ。

 雨に打たれるくらい、この三日で慣れた。

 今、師匠は頑張って女性の子どものために薬を煎じている。私を閉め出す理由は、よく分からないけど、初心者は邪魔になるのかも。

 寒さで体は震えはじめ、雨は冷たいけど、自然のシャワーだと思え。三日分のものすごい汚れを流し落としてくれる。

 サッパリだとは、思えないけど──。

 

「嬢ちゃん、そこで何してる?」


 そのとき、突然声をかけられた。

 見上げると、黒いハンチング帽をかぶった、三十代位の男性が往来からこちらを見ている。

 とりあえず、怪しい者ではないと説明しなくては。


「この店の家主を待っています。私は、かれの弟子で……」

「……。」


 しかし、男性は私の言うことなど聞いていないかのように、怪訝そうに私の顔を穴が開くほどまじまじと凝視される。

 人前だというのに化粧もしていないし、それどころか、三日も顔を洗えてない。

 やっぱり、それほど汚いんだ──。

 ──惨めだ。

 でも、男性は私の予想と違うことを言った。


「……わりい。俺の知ってる人に、少し似てたもんだから」


 え、誰かに似てただけ──?

 な、なんだ──よかった──。

 私がほっとしていると、男性はひとつ頷いた。


「……まあ、大体分かった。そいつはしばらく出てこないぞ。嬢ちゃん、俺の店へ来な」


 男性は、顎先をくいと往来のほうへ向けている。

 え、こんなに汚れているのに、店に入れてくれる──?

 あたたかい室内に入れる──?

 でも、ここから私が居なくなったら、師匠が探すのでは──?


「で、でも……」


 私が動けずにいると、男性は言った。


「こんな冷てえ雨に打たれながら待ってるつもりか? 見てらんねえよ。あとでちゃんと師匠・・のもとに返してやっから」




拙い小説なのにここまで読んでくださり、ありがとうございます!

次回も金曜日更新を予定しています(^^)

よろしければ、励みになるので評価・ブクマをよろしくお願いします!

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