08.『冷感』
読む自己。
入ってみて抱いた印象は『寂しい空間』というものだった。
リビングも同じ、どうしてここまで自分の家へと違うように感じるのだろう。
彼女達は彼女の部屋で話をしているためここにはいないが、それにしたって寂しいが過ぎる。
冷たさだけがここにはあって、どうにもできないような壁もあるような気がしていた。
「すみません、待たせてしまって」
「ううん、大丈夫だよ。あの子は?」
「疲れたうえに寒すぎてどうしようもないと言っていたので、寝てもらうよう言っておきました」
「そっか。それなら僕は帰ろうかな」
なんかこの冷え切った場所にいたくないのだ。
……もしかしたら単純にお母さんが好きすぎなだけなのかもしれないが。
「え、泊まっていってください」
「そういうわけにも……」
「お願いします」
身長差から必然的にそうなる必殺の上目遣い。
「……ならこのソファを借りようかな、毛布とかあるかな?」
「はい、持ってきますね」
一応お昼のは楽しいの基準が分からなかっただけだと言っていたが、きっぱり言うこの子が少し怖い。
仁に答えた時もそうだった。まるで凍えそうになるくらいの声音でゾッとした。
可愛いからこそ冷たい表情になった時に怖くなるというものだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
チクタクと針時計の音だけが響く。
彼女は立ったままこちらを真っ直ぐ見つめるだけで、なにかを言うことはしない。
「あの……どうしたの?」
「どうして今日は来てくれたのですか? 危ないから駄目だと言ったのはあなたじゃないですか」
「そりゃ……中原さんのことが心配だったからだよ。誰だって友達に危険な目には遭ってほしくないよ」
「だから、どうしてあなたはわざわざここまで……」
これは心配してくれているのだろうか。
それともいつものように純粋に疑問を抱いているだけなのかもしれない。
仁が言っていたことが分かった、彼女は確かにどこまでいっても「マジで詠だわ」というやつが。
「だからさあ、一緒にいたいと思うような子が危ない目に遭ったら嫌でしょ?」
「私にはいないので分かりません」
「はぁ……うん、僕はそう思うってだけだよっ。……というかさ、ご両親、いないの?」
「……今日は遅いみたいですね」
今日は遅いって……遅すぎるだろう。
もう22時半を越えようとしているところだ。
いや、帰りが遅い職種があることなんて僕だって知ってる。
……でもあれか、このことについて口出す権利は自分に存在していない。
もしこれが帰っても明かりが点いていない理由であったとしても、首を突っ込むべきではないと僕でも分かっていた。
「いいや……寝かせてもらうね」
「まだよくないですか?」
「え、いつもこんな遅くまで起きてるの?」
「寝るのは……26時くらいでしょうか」
「え? な、なんで?」
僕なんか下手をすれば20時台に寝ることすらあるというのに。
「……寝られなくて……ですかね」
「そうなんだ。……昔からそうなの?」
「はい、恐らく小学3年生くらいからでしょうか」
「えっ? 小学3年生って……」
彼女に「だからそんなに身長が育たなかったんだね!」なんて言えるわけがない。
そんなことを言えば怒られるし、せっかく良くしてくれているのに恩を仇で返すことになる。
それに、小学3年生というのは僕にとって厳しかった頃だ。
幸い、他人に当たるタイプではなかったから抱えて抱えて、抱え続けた。
壊れなくて済んだのはお母さんとあのふたりのおかげで、自分の力なんて言うつもりはないが。
「君の部屋は……あ、使われてるのか。それじゃあ違う部屋でさ、寝る練習しようよ。駄目だよ、26時まで起きてたら」
「……はい、それでは両親の部屋で」
「うん、付き合ってあげるからさ」
って、どうすれば寝てもらうことができるかなんて分からないけど。
でも、睡眠不足がたたれば倒れたりもしてしまうかもしれない。
それだけは嫌だった。早く寝るに越したことはないだろう。
両親の部屋には他になにもなかったが、一切気づかないフリをしてベットに彼女を寝かせる。
「はは、心配なら手を繋いでいてあげようか?」
「お願いします」
「うぇっ!? あ、あ、うん……はい」
差し出された手を握った。
小さくて柔らかいのはいつもどおりだが、その手は異常なくらい冷え切っていた。
「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
彼女が目を閉じたのを確認して僕も同じようにする。
なにかがあるのは確かだ。
でも、踏み込むことはできない。
仮に彼女を僕が特別な意味で意識したとしても、それは最後まできっと同じことだろう。
意外にも少しして穏やかな寝息が聞こえ始めた。
優しく手を離して布団をしっかりとかけ部屋の外へ。
「あぁ……ドキドキしたぁ……」
あんな長時間に渡って手を繋いだのは初めてだった。
文ちゃんとだってしたことないぞこれはっ。
信用されているのか、されていないのか、この曖昧な距離感からでは分からない。
それでも早くに寝られたということは、悪いことではないはずだ。
……明日は日曜日だけど僕も早く寝よう。
「内山さん、起きてください」
「……ん……おはよ……」
時計を確認してみると現在は5時……。
「……早くないかな……」
「早く寝たので早くに目が冷めました。というか、付き合ってくれるのではなかったのですか?」
そこで意外にも少しだけむっとした表情を彼女は浮かべた。
「あ、寝たの確認してから部屋出たよ僕……ふぁぁ……そういえばあの子は?」
それに苦笑してから僕は答える。
一応、紳士だったということにしてほしい。
あのまま彼女を見てたら……いけないことをしているみたいで嫌だったのだ。
「確認しに行ったらまだ寝ているようでしたのでそのままに」
「えぇ……それなら僕も寝かせておいてくれればいいのに……」
「駄目ですよ」
「え? どうして?」
「いえ、なんでもありません。とにかく、起きてくださいね?」
まあいつもだって6時過ぎに起きているので1時間くらいなんてことはないだろう。
「んー……はぁ、ふぅ……」
「大丈夫ですか?」
「うん。いや、君の家にいるの良くないことかなって思ってさ」
あの子だって僕が泊まっていることは知らないだろうし、できることなら出てあげるべきだと思う。
「嫌ということですか?」
「ううん、ここはなんていうか冷え切ってるんだよ、あんまり好きな場所じゃなくてさ」
「……それは『嫌』なのと一緒じゃないですか」
「君が問題なんじゃないんだよ。この全く使われている感じのしない空間が嫌なだけで」
「嫌なら直接言ってくれればいいですよね? なのにわざわざ否定しないでください」
最終的にはしっかりと口にしたのでこれで満足してもらいたい。
「ま、男女的な意味でも長居するべきじゃないからさ、もうこれで帰るよ」
彼女は反応してくれなかったが別にいい。
靴を履いて外に出る。
「あ……寒い……」
期末テストがもう始まるわけだし、勉強もしなくてはいけないのだ。
あ……そうだよ、仁に言えば良かったんだよ、と僕は今更ながらに気づいた。
「おー……早いなお前」
だから彼の家に寄って話させてもらう。
「うん、あ、ねえ聞いて? 昨日の21時頃に中原さんの家のインターホンがめちゃくちゃ鳴らされたらしくてさ、良ければ見に行ってあげてくれないかな?」
「それをどうしてお前が知ってるんだ?」
「文ちゃん経由で知ったんだけど、怖くて行けなくてさ。情けないけど……とにかく、行ってあげてよ」
あそこの空気が嫌なんだ。
それに実は少し怖かったのも本当だ。
あんなこと言った手前、行かないということはできなかったが。
「ま、危ねえし気になるからな、分かったよ」
「ありがと、じゃあね」
「おう」
よし、これでまた傍観者に戻れる。
僕は主人公の幼馴染でいい。そして、メインはいつだって格好良く動く義務がある。
彼にはそれができて、僕にはそれができない。
たったそれだけのことでしかなかった。
期末テスト3日前になった。
勉強については自信がないわけではないので不安視はしていない。
僕が気になるのは――
「これはこうだろ?」
「あ。ありがとうございます」
「仁ー私にも教えてー!」
「まあ待て、えと……」
自惚れでもなんでもなく皆が自分の場所に集まってしまうことだ。
原因は仁が来るから。仁が来ればあのふたりだって当たり前のように付いてくるわけで。
「あ、そろそろ帰ろうかな。じゃあ気をつけてねー」
「待て、まだ全然時間あるだろ?」
「というかさ、どうして僕らは放課後の教室で勉強してるの?」
テスト勉強というのは本来自分ひとりでやるものだろうに。
「仕方ないだろ、文の頭がよくないんだから」
「えぇ!? 酷いよ~!」
文、ね。
昔みたいに文ちゃんが好きになったとか、また言わなければいいが……。
「なんで中原さんは残ったの?」
先程までと違い彼女は俯いたまま答えることはしない。
「……ま、答えたくないならいいけどさ。僕はひとりで十分だから帰るよ、じゃあね」
教室をあとにする。
安心できる点はこうしてひとり出ても追ってこなくなったことだろうか。
下駄箱にも容易にたどり着いて靴へと履き替える。で、外へ。
「寒いなぁ……」
「ひとりごと大きいよー」
「あ、涼さん! なんか久しぶりですね」
「そーだねー……よっしゃっ、ライチゲットー」
「スマホゲー?」
僕も涼さんに影響されて初めてみたが、まるで続かなかった。
その点、彼女は8個くらいのゲームを掛け持ちしてたとか言ってたっけか。
「うん。あ、文を待ってるんだけど、たけ知らない?」
「教室で勉強中! 行ってきたら?」
「うーん、まあいいかな。だって一緒に帰ってあげないと寂しいでしょ?」
「うわぁ、優しー」
「だろー? いいから帰ろ? たまにはアイス奢ってやるからさ!」
――コンビニ。
買ってもらったモナカを壁に寄っかかって食べていた。
「寒い中食べるアイスもいいね」
「でしょ? あーそうだ……健、ありがとね」
「え? ああ、それは仁と中原さんに言ってよ」
「ううん、健のおかげだと思ってるから」
「どうしたの? 今日はしおらしいじゃん」
彼女のおでこに触れてみる。
「うーん、熱はないみたいだね」
「……たけさ、いつの間にそんな子になってたの?」
「あ、ごめん……不快にさせたなら謝るよ」
「別にいっけどさー……」
「ははは、涼さんって髪の毛弄る癖あるよね」
サイドで結んだ藍色の髪をイジイジと、これはなにかを隠していることの証明だ。
「弄ってないと……やっていられないんだよ」
「あ、そうなんだ? なんかイラッとすることでもあった?」
「そうだね、変な後輩に舐められちゃってね」
「え、そういうのはガツンと言っておかないと駄目だよ? 言いにくいなら手伝うけど」
1年生の子が言えるわけないだろうし2年だよね。
同級生の子に言うのは緊張するが、これは涼姉のためだ。
「ふっ、たけは面白いこと言うねー。でもまー、ありがとっ」
「うん、こっちこそありがとね、これ」
「どういたしー。帰るよ、じゃね!」
「またね」
ゴミを捨てて歩きだ――
「文さんのお姉さんと仲がいいのですね」
「あ、中原さん」
あくまで彼女は真っ直ぐこちらを見ていた。
……ひとりでいるとなると、僕の作戦は意味がなかったようだ。
「仁達はどうしたの?」
「まだ残るということだったのでひとりで帰らせてもらいました」
「そっか、それじゃあ帰る?」
「そうですね、帰りましょうか」
了承した彼女だったが、歩きだしても話そうとはせず。
コンビニから彼女の家は近いのですぐに着いてしまった。
「あの子は?」
「今日も家に来ると言っていましたよ」
「鍵は?」
「え、あの子に合鍵を――」
「ねえ、もっと気をつけた方がいいよ」
彼女の細い腕を掴んで言う。
本当のところを聞いたわけではないから、実際は逼迫した状況なのかもしれない。
だが、いきなり合鍵を渡すような子とは思わなかった。
「別に同性ですし……」
「駄目だ、返してもらった方がいい」
「……どうしてですか、あなたにどうこう言う権利はないですよね?」
「……ごめん」
そうだよ、仁に頼んだから問題ないんだ。
再度謝って別れ歩いていく。
なにか危険な目に合わなければいいが……まあ、彼が助けてくれることだろう。
「ただいま」
「おかえりなさい、健」
「え……ここでなにやってるの美幸……」
「どうでもいいじゃないそんなこと。お腹空いたからご飯作ってちょうだい」
「それは別にいいけどさ……なんか心臓に悪いよ君が来ると」
斎藤美幸――簡単に言えば従姉妹。
とりあえず、もやしの期限が近かったのでもやし炒めを作ることにする。
とはいえ、ただもやしとお肉を炒めるだけ完成だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いただきます」
僕は対面に座って彼女を見つつ、
「今日は平日だけど、わざわざ電車使ってよく来たね」
僕はそう言った。
いちいち隣の市からご苦労さまだ。
「良かったわ、鍵を持っていて」
「そういえば合鍵持ってるんだよね、お母さんなあ……」
「別にいいじゃない私なら。それより健、仁君は元気にしている?」
「うん、元気だよ? あ、もしかしてまだ好きだとか?」
「んーどうでしょうね。ひとつ言えるのは、あなたより優秀なことね」
「当たり前じゃん、知ってるよ」
何人に言われなくても知ってるって!
仁って人気だなぁ……。
皆が仁のこと好きだね。




