18.『肉食』
読む自己で。
彼女と詠は固まってしまっていた。
それならばと僕は続きを言わせてもらうことにした。
「お父さんがいなくなったことが本当に悲しくて辛くて傷ついている時に、文ちゃんは支えてくれた。それが凄くありがたくて暖かくて僕はどうしてこの子はこんなにしてくれるんだろうと思うと同時に、もっと近くにいてほしいと思ったんだ。優しくしてくれる人から段々と変わって……まあ、さっき言ったとおりで」
「ちょっ、な、なに言ってんのさあ! あの時は仁だって支えてたでしょ!」
「仁は同性だし……それに文ちゃんは可愛かったからさ」
「やめて! あ……もう意味ないことだよ……」
確かにそうだ、自分勝手なことこの上ない。
でもこれで隠していたことを詠に吐くことができた。
もしはっきり言って嫌われるのなら、それでも満足することはできる。
なにも言わず、行動できず、結果的にそうなるよりかはマシと言えるから。
「いいのではないですか」
「ちょ、詠ちゃん!?」
「お互いが好き同士なら、いいと思いますけどね」
「だ、だから……もう終わって――」
「本当ですか? 心の底から、神様に誓っても言えますか?」
彼女はそこで黙ってしまった。
詠の方は最近会得した暖かい笑みを浮かべて彼女を見ている。
「後悔しているのですよね? だったら、向き合うべきだと思います」
「……できないよ、もうこれは終わったことなの! それを今更ここでそうするなんて言えるわけない!」
「素直になってください、抱えて生きるということは大変なことですよ」
「詠ちゃんこそ素直になってよ! たけくんのことどう思ってるの!?」
「好きですよ」
「「え……」」
まさかそこでどストレートに認めると思わなかったからつい声が出た。
何度も蒸し返すようで悪いが、これが本当に「楽しくない」と言ってきた子の言葉か?
「でも、私こそ横取りみたいなことはしたくないのです」
片方は笑みを浮かべ、片方はいやいやとぐずるように頭を振る。
身長は彼女の方が高いはずなのに子どもで、低い詠の方がお姉さんに見えた。
「文さん」
「詠ちゃん、気持ちはありがたいけどそれはできないよ」
彼女はなにかをグシグシと拭ってから、真っ直ぐの声音でそう口にした。
「どうしてですか? 健さんだってこう言って――」
「私のは過去形だもん! たけくんだってそれは同じこと、だからもう終わってるんだよ。それに詠ちゃんは下手くそすぎ! 渡したくないって顔に出ちゃってるもん! 凄い辛そうな顔してたもん」
今度は逆転、文ちゃんは笑って彼女が困惑したような表情を浮かべる。
「そんなことは……」
「ううん、してたよ? 私はちゃんとこの目で見たから。詠ちゃんこそ素直になってよ!」
「あの……」
「うん、私は帰るから安心して! たけくん、ちゃんと向き合えよ! じゃねー!」
女の子って強いなぁ……。
自分でこの状況を作っておきながら言うのもなんだが、なんでこの場面で笑いかけられるんだ?
しかも詠にだけならともかく僕にまでなんて人が良すぎる。
今この時だけはちょっと前みたいに怒鳴る資格だってあった。
あの時みたいに「やっぱり仁の方がいいよね!」と事実を突きつけることもできた。
どうしたらその強さを、……得られるのだろうか。
「この流れで言うのもあれですけど」
彼女はそう口にして1度深呼吸をする。
「私、先程分かりました。あなたことが好きだと分かりました」
「……僕は本当に矛盾してるけど、それならどうして文ちゃんにあんなことを?」
「先程も言いましたが横取りはしたくなかったのです。文さんもあなたも本当に優しい方です、気持ちを聞いたら嫌だとは言えないではないですか。でも、聞いてください。嫌です、文さんに取られるのは、他の方に取られるのも絶対に」
彼女もだったのか。
いやもうなんで矛盾を抱えてばかりの人生なんだろうな僕らは。
真っ直ぐ自分が決めたことを貫いて生きられている人は素晴らしい。
僕はあっという間にそれを破ってしまった。
仁を応援しておきながら距離を作っては近づいて。
仁を応援しておきながら今更になって振り向かせたいとか考えて。
そして今、それが叶ってしまったということになる。
「あなたのことが好きです」
今日は言葉と態度で攻撃してくることが多いな。
どうしてこうも積極的になれるんだろう。
「それでは帰りましょうか」
「えっ!?」
「どうしましたか?」
「……そうだね、帰ろうか」
「はい、寒いので帰りましょう」
自己満足の告白というわけではないはずだ。
となると……僕のことを考えて聞かないでおいてくれたのか。
家へと向かって歩きつつ、どうするべきなのかと探していく。
「あ。明日でも良かったですよね、喫茶店に行くのは」
「そ、そうだね、土曜日だしゆっくりできたわけだし」
文ちゃんにも遭遇していなかったわけだし。
「でも、今日言えて良かったのです」
彼女は髪を弄りながらこちらを見ずにそう言った。
そもそも少し前を彼女が歩いているため、表情を見ることはできない。
真顔なのか安堵して笑みを浮かべているのか、どちらなのかを知りたかった。
「詠っ、え……」
そのどちらでもなく、ひたすら困ったかのような表情を浮かべ涙を流している彼女を見て固まる。
「……怖いのです……」
怖いってなにがだ?
今日の自分の積極性が――なんてことはないだろう。
や、それに困惑しているのは確かにありそうだが、それとは別のということになる。
もしかして、僕が断るとか思っているんだろうか?
本当は文ちゃんが好きなんでしょと、言いたいのだろうか。
答えてあげるべきなのか?
泣いているから、泣かせたくないからって急に態度を変えて答えるなんて、いいのだろうか。
「あの……少しいいですか?」
「うん……詠がしたいなら」
彼女は弱い力で抱きしめてきた。
抱きしめ返すか否かを考えている内に「お願いします」と頼まれどうにもできず。
おずおずと小さな体を抱きしめ、無根拠に「大丈夫」と呟いていた。
だって答えはもう出ているようなものだ。
こういうシチュエーションになってから出すのは卑怯だと考えているだけで。
「頭、撫でてください」
「うん」
いつもどおりのサラサラな髪。
特になにも飾っているわけではないのにも関わらず綺麗で明るいそれ。
良くも悪くも匂いというのはあまりしない。
ただただ柔らかさと温かさと触れていたい感だけがそこにある。
「ありがとうございました、今日はもう帰りますね」
「うん、今日はありがとね」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
全然気づいてなかったがもう家の近くまで来ていたらしい。
彼女がとたとたと走っていったのを見送って、自分の家の方へ歩こうとした時だった。
「手を挙げなさい」
「ははは……まさか見られているとはね」
「こんなところで女の子を抱きしめるなんて最低ね」
「そう言わないでよ」
振り返ると不敵な笑みを浮かべた美幸がそこにいて。
「今日ね、仁君が答えを聞かせてくれると連絡がきたのよ」
「じゃあ今から?」
「ええ」
「いい結果だといいね」
「そうね。ところであなた達はどうなったの?」
これは言うべきだろうか?
言う必要があるようでないような、そんな曖昧な感じ。
「聞かせてちょうだい、少なくとも少し前までのあなた達ならあんなことはしていなかったわ」
彼女は「勇気が出るから」と言って真剣表情になる。
「……詠がね、告白してくれたんだ。僕はすぐに答えられなくて、保留中なんだけど」
「即答するかと思っていたけれど」
「ちょっと直前に色々あってさ、なんか流れで答えるのは卑怯だと思ったんだ」
「そう。教えてくれてありがと、行ってくるわね」
「はは、これくらいで役に立てるか分からないけど、楽しんでね」
「そうね、そうするわ」
どうせ向かう方向は一緒なんだし別れる必要はないが僕らは別々に行くことにした。
もっとも、僕に急ぐ理由はないので美幸に先に行かせてではあったが。
さて、どうなるんだろうか。
案外、受け入れられましたとかもあるかもしれない。
……最悪の場合は従兄弟としてご飯を作ってあげよう。
上手くいった場合もご飯を作ってあげようと決めたのだった。
土曜日。
体を起こすと床で寝ている美幸の存在に気づく。
一見、振られたのでは? と思われる感じだが、そうではない。
単純に好きな人の部屋で寝るのが恥ずかしかったらしい。
なのに、横には仁も寝ているのだから面白い話だろう。
「ふたりともー!」
というか、今更仁といるくらいで恥ずかしいクソもないだろうに。
昔からずっと好きだったんだからその発言は矛盾している。
だって昔は僕の家に泊まったり、彼の家で泊まって寝たりなんて日常茶飯事だったのだ。
文ちゃんや涼姉だっていたから問題なかったのかもしれないが、彼女が恥ずかしがるような人間ではない。
「……うるせぇ……」
「そうよ……うるさいわよぉ……」
「ここ僕の部屋だからねー嫌なら仁の部屋で寝てください!」
「お前はさっさと答えてこい」「そうよ、なに待たせてるのよ」
「うっ……ま、まあ、明日までには必ず答えるよ」
僕は1階へ行って掃除を始める。
廊下とリビングは掃いて拭いて、お風呂場は磨いて、心も同時に綺麗にしていく。
あまり自分のそれが綺麗だとは言えないが、心持ちだけはそうでいたかったのだ。
彼女を泣かせないためにストレート言うために、こういう形で勇気をつけたい。
お母さんも利用するあのふたりも気分良くいられるのだから、無駄ではないわけで。
「おはよ~」
「おはよお母さん! 掃除しておいたよ」
「ありがと~私はお仕事だからもう行くね」
「え、早くない? あ……全然早くないね」
「そう、早くないよ~行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
さて、あのふたりには昨夜たらふく食べさせたので用意はいらない。
ついでに言えば僕も食欲がないので、適当に散歩をすることにした。
ま、その過程で出会ってしまったら、その時がその時ということにして。
暖かい格好をして外に出ると、とてもいい天気で気分が弾む。
歩くというよりスキップをするようにして進んでいると――
「おはようございます」
「あ……」
どうしてか道の中央に彼女は立っていた。
僕が見なかったフリをして歩こうとすると、袖を掴まれて足が止まる。
昨日抱きしめてきた時のからは考えられないくらい強い力で。
「ふふ、逃げ出ないでくださいね」
「こ、怖いなぁ……逃げないから離して」
「はい、それなら離します」
離すと言った割には袖から離しただけで、彼女はそのまま僕の手を握ってきた。
小ささと暖かさと柔らかさにドキッとする。
その自分の小物さ具合に苦笑しつつも一応握り返しておいた。
「どこへ行こうとしていたのですか?」
「ちょっと散歩をね」
「私も行きます、というかこれを離しませんから」
「あ、うん……別にいいけどね」
肉食獣中原詠の誕生である。
冗談はともかく僕らは歩き始めた。
特になんてことはない、ただの歩くことが楽しいと思うのは単純だろうか。
彼女がいてくれるだけでここまで違うのかと少し驚く。
コンビニに寄っておでんを購入し食べたり、意味もなく学校に行ってみたり。
見方によっては意味のないことを繰り返して、結局僕らはいつもの公園に戻ってきていた。
ベンチに座って自動販売機で購入した温かいコーヒーを飲む。
「温かいね」
「はい、とても温かいです」
「詠はどうして外にいたの?」
「なんとなく健さんが来ると思いまして」
もし行ってなかったら風邪引いてるよそれじゃあ……。
なんか無防備すぎて心配になる。
「健さん、私が昨日言ったこと、忘れてないですよね?」
「忘れられるわけないよ。ただね、あの後じゃなかったらもうちょっと良かったかな」
「ですよね、私もそう思いました」
「責めてるわけじゃないけどね」
そも原因は僕なんだし。
さて、これからどうしましょうか。
ここで告白するのも簡単だ。
ただ一言「好きだ」とぶつければいいのだから。
「返事は……聞かせてくれないのですか?」
それだというのにどうして僕は引っかかっているんだろう。
いや、他の子に意識が向いてるとかそんなのは一切ない。
自分の髪の毛を弄って不安そうにしている彼女を抱きしめ「好きだよ」って言えばいいのかな。
……勇気出せ、そのために朝から掃除をしてきたんじゃないか。
「詠、好きだよ、君の暖かいところが好きだ」
一生懸命になったら攻撃性が凄まじくなることや、他者にも優しくできるところを知っている。可愛くて、柔らかくて、時々綺麗になって、こちらをドキッとさせてくれる彼女が好きだ。
……可愛いから好きだ、なんて言ったら「可愛ければ誰でもいいですよね?」と言われかねない。
だから1番素敵だと思った『暖かさ』を挙げさせてもらったわけだ。
「……焦らすあなたは嫌いです」
「えぇ……」
「ふふ、冗談ですよ、ありがとうございます」
「うん、こちらこそ」
呆気ないな。
好きだと言ったくらいで変わる関係というのも。
兎にも角にも、これで僕らは晴れてカップルになったのか。
昨日のお昼から夜まで仁と美幸はなにをしていたんだろう。
いきなりキスとか――美幸ならできそうなものだが。
「これからどうしようか」
「焦っても仕方ないですしね……」
「焦るってどういうこと?」
少し意地の悪い質問をぶつけてみる。
彼女もちょっと困惑したような顔で「えと……か、カップルとして……ですね」と答えてくれた。
「詠はさ、なにがしたいと思う?」
彼氏、彼女になれたというだけで特別感はあまりない。
お泊りとか抱きしめるとかも初めてとかではないからだ。
「……聞かないでくださいよ」
「ははは、ごめんごめん。僕は手を繋いだり、頭を撫でたり、抱きしめられればそれでいいけど」
「……それは今でなくてもできました」
「ふーんっ、ということはその先を希望するってこと~?」
「じゃあいいです……」
「あ、ごめんって! ちょっと恥ずかしいから素直になれなかっただけだよ」
怒るのではなくシュンとされるのが堪えるな……。
「詠、抱きしめていい?」
「嫌です」
「しょうがないから今日はもうこのまま別れようか」
「むぅ、そういう作戦……なのですよね?」
「えっ? いや、純粋に君のためならって思ったんだけど」
「もう嫌いです! さようなら!」
でも彼女が走り去ることはなく、僕の前に立って見下ろすだけだった。
「み、見下ろしてるはずなのになんか微笑ましいなぁ」
「健さん、チャンスをあげます。このチャンスを活かすも殺すも健さん次第」
「はは、どうすればいいの?」
「……こう……」
指で作った狐と狐のをぶつける彼女。
「ふ、冬ですし狐が見た――」
……まあここまでアピールされてなにもしないわけにもいかない。
告白だって彼女から先にさせてしまっていた。
反故にすることだってできたというのにされるまで固まってて、答えることができなかった。
普段頼りない分、彼女が望んだことくらいは守ってあげたい。
「ふぅ、これで良かったよね」
「……はぃ……」
さあこれ以上一緒にいたら僕が確実にイカれるぞ。
なので彼女を送って帰ることにした。
「……まさか……あれで伝わるとは……」
「頭の中がピンク色なんだよ僕は。欲まみれでさ」
「……もう帰りますね」
「うん、それじゃあまた月曜日にね」
「え? 分かりました、そういう人ですよね健さんは、さようなら」
えぇ、正しくなかったようだ。
恋人になれたからって連日一緒にいるよりも、空白期間を設ける方がいい気がするのだ。
ま。間違いなく不正解を選んだのは、確かなようだった。
部屋に帰ってベットに寝た。
自分の唇をなぞって気恥ずかしくなって布団をかぶる。
してくれたけど、その後の対応は少し満足できなかった。
てっきり日曜日――明日も会おうねと言ってくれる思っていたからだ。
それとどことなく余裕のある感じも気に入らなくてあんなこと――
「……健さんのバカ……」
……吐いてもよりもやもやが増すだけだったのは言うまでもない。
ひとりでも読んでくれてばいいんだけどなあ。