警察とヤクザ
額から濁った汗が噴き出す。
夏特有の分厚い雲がスッポリと空を覆い、陽の光が届かない分、ジメジメとした空気が余計に不快感をかき立てている。
目の前を喚きながら走る男は、細く入り組んだ路地を飛ぶように進んでいく。
この辺りを庭にしているのはお互い様だ。故に走っても走っても、一向に差は縮まらない。
いや、少し離されているか。
「予想通りのコースだ。大通りの手前で止めるぞ。」
男の目を盗んでトランシーバーで声を飛ばす。
了解と返って来た声は、不安と緊張が混じり普段よりも数段高い音程だ。
こっちまで不安になるじゃねーか。
集中力を男に戻す。
どの道このまま走っていても追いつけないのだ。
俺にできることは、あと1分も掛からずに到着する仲間との合流地点までに奴を焦らせ疲れさせ、この後の展開を楽にすることだけだ。
「オラ待て、止まれ!」
男はちらりとこちらを振り返ると、気持ちの悪い薄ら笑いを顔に貼り付けて再び前を向いた。
あの自信、逆効果だったか。
しょうがないと、再び足に力を込める。
今ここで離されて不意にコースを外されては元も子もない。
男は想定通り、大通りに続く30メートルほどの細い路地に駆け込んだ。
人が3人並べばいっぱいになるほどの道幅、両脇は建物で埋まり、大通りに出る以外道はない。
計算通りだ。
「入った。止めるぞ。」
数歩遅れて俺も路地に入り、再びトランシーバーを飛ばす。
退路も断った。終わりだ。
俺のシーバーを受けて、制服姿の若い男が大通り側の道を塞いだ。
警棒を持つ手はどこからどう見てもぎこちないが、足止めには十分。
十分な、はずだ。
男は行く手を阻む若い警官を見るなり、一段と姿勢を低くしてさらにスピードを上げた。
突破する気か。
「気をつけろ!絶対逸らすなよ!」
叫びながら、俺の頭には諦めが過った。
こいつは何枚も上手だ。
警棒は、虚しく宙を切った。
空振りして体制が崩れたところを思い切り蹴り飛ばされ、若い警官はいとも簡単に吹き飛ぶ。
男は蹴った反動を利用して軽やかに方向転換すると、大通りの喧騒へ紛れた。
「おい、生きてるか」
若い警官は苦しそうな呻き声を上げ、何とか身体を起こす。
はぁとため息をつき、俺は立ち上がった。
ここ数週間の準備も、今日の全力疾走も、この瞬間無意味と化したのだ。
「やられたな。まぁいい勉強になっ」
女性の悲鳴に、俺は思わず言葉を止め声の方へ顔を向けた。
悲鳴は男が逃げた先から飛んできたようだ。
折り重なるように道を塞いでいた人たちが、何かを避けるように左右に道を開けていく。
「あぁ、あいつ、、」
悲鳴の元凶は、この世界に入って1年の若造にも認知されている。
こんなところで出くわすとは、運がいいのか悪いのか。
細身の体は180を超える背丈に似合わず、一見はこの辺りを締める者とは思えない。
まぁ大物のヤクザなんてだいたいそんなものだ。
中心に立つ者は直接手を下すことは珍しい。
そう、今日のようなことは。
奴の後ろでは、ついさっきまで俺たちが追っていた男が見事に伸びているのが見える。
「なぜこんなところに、って顔だな」
男はそういうと、長い前髪を乱雑に掻き上げた。
髪に隠れて見えなかった目が、獲物を捕らえるように露わになる。
その目はまっすぐ俺を向いている。
汗が額を伝う。
暑いはずなのに寒気を感じるほど、身の毛は逆立ち鳥肌が立っている。
「警察さん。あんたのことは知ってるよ。何人か、うちのチームもお世話になってるだろ?」
俺は何も言わず、ただ正面の男を見つめる。
ここで下手なことをすれば、一瞬でこの男に呑まれてしまう。
「そんな顔すんなよ。迷惑掛けたことは謝るさ。ただまぁ、あんたの裏もこっちはある程度把握してる。」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる男に、俺は思わず後退りしてしまう。
「フフッ、あんたも人の子だな。心配しなよ。俺らはまだ、あんたと喧嘩する気は無い。」
動けない俺を嘲笑うように、男は俺の肩を掴み、グッと自分の方へ引き寄せた。
「仲良くしようや。警察さん。」