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扇動ダンジョン

作者: ジレスメ

 いらっしゃい。

「う……、ぐくぅ……はぁ、はぁ……。ベルモント……様、私は……、ここまでの、ようで……す」

「そうか、もういってしまうのだな、ガムシン」


 人外の異形が跳梁跋扈する薄暗き魔窟の中、従者の命が散ってゆく。

 国を追放されて、おおよそ一か月。もはや人の世に情も尽き果てたか。願わくは、私の言葉が後世に残されることを祈りたい。


挿絵(By みてみん)




 ベルモントは王国の政治家であった。戦争の熱冷めやらぬ、流血の時代に博愛を説き、自身もそれを実践してきた。貴族として生まれた彼は、家督を継ぐと財を投げ売り、今日を生きる者に明日を与えた。そこに身分の上下なく、困窮しているのであれば、同じ貴族であろうと手を差し伸べた。

 彼は理解していた。流血の時代が過ぎ去れば、必ずや博愛の時が来ると。それが大きな力となると。そして、彼の中にも、その生き方しか存在していなかった。

 だが、時は乱世。生き馬の目を抜く世情に、彼の考えは先進的過ぎた。多くの支持者を集めはしたが、武を尊ぶ世をいたずらに搔き乱す国患として、言を異にする同職の者に危険視される。

 生き方が無防備過ぎたのもあるだろう。結果として、彼は国命により、僅かな従者と共に魔物の住まう魔窟の底へ封ぜられる。

 曰く、博愛が国を救うというのならば、爪と牙に生きる魔物を説き伏せてみせよという。


 考えたこともなかった。


 裕福な家に生まれ、将兵として外の世界を見た経験のないベルモントの言葉は、知らぬ内に戦場に立つ者の反感を買っていた。軍人にとって戦う相手は、何も人間ばかりではない。故に、自分達は国を救ってきたという自負があるし、人間の守護者だという誇りがあった。だからこそ、自分達の流血に目の届いていないベルモントの振る舞いは、富める者の道楽に感ぜられた。

 もちろん、ベルモントは国のために戦う軍人を蔑んだことなどない。彼にとっては軍人もまた等しく博愛の対象であった。

 だが、彼らの考えも理解できた。ベルモントは自分自身が視野狭窄に陥っていることを自覚している。彼は自分の信じる生き方しか出来ない男であった。遠き世界に生きる者にまで考えが至っていないことには、別段驚きはしなかった。


 しかし、魔物を説き伏せるという考えには、自身の説く博愛の不完全さを認めずにはいられなかった。軍人にとっては、魔物もまた隣人なのだ。そして、魔物の中にも言葉を理解する者が存在するのだ。彼の者達に相対せずして、博愛の何を説けようか。


 ベルモントは外の世界へ足を向けた。兵士に連行されるという形ではあったが、彼の足にはしっかりと意志が込められていた。付き従うものは少ない。彼に賛同した者の多くは涙を流して庇いはしたが、魔物という死の体現者を前にして足を鈍らせた。付いて来る者は、彼に心酔した奴隷や、拠り所のない咎人に被差別民のみであった。

 ベルモントは死など恐れていない。だが、無為に死すことは恐れていた。

 そして、魔窟は力の理によって支配された死の世界であった。


「ガムシン、お前の罪は私が背負おう。だから、安らかにいくがよい」


 ベルモントは最後に残った友に別れを告げる。

 魔窟での生活は悲惨であった。怒り狂う獣人に襲撃され、魔窟に訪れたその日の内に半数が死に絶えた。従者に守られ命からがら生き延びはしたが、流血は興奮を呼び、乏しい食料は人心を荒廃させた。カビの生えたパン一つで殺し合いが始まり、とうとう凶刃の切っ先がベルモントに向いたところで、ガムシンが剣を取りその場を治めた。

 ガムシンは元剣奴婢であった。ベルモントが彼を剣の世界から遠ざけ、文字を教え、別の生き方を与えた。その結果、彼は罪の意識を負うようになってしまった。


 ベルモントは彼の生が無為でなかったと、そう伝えたかった。

 最期の時まで悔いる必要はない。私を守れなかったなどと思う必要はない。

 これは、私の弱さの所為なのだ。


 眼前に立つ獣人が血の付いた曲刀を払う。彼らの二度目の襲撃によって、生き残っていた者は悉く命を散らせた。

 何が彼らを突き動かしているのだろうか。目に浮かぶ憎悪は明確に我らへと向けられていた。せめて、死ぬ前に彼らの思いが知りたい。


「獣人よ、あなた達は何故、それほどの怒りを宿したのだ」


 先頭に立つ獣人がピクリと言葉に反応した。


「何故……だって? 俺達は人間と殺し合いをしてんだ。俺の親も兄弟も殺された。怒るのは当然だろ。お前らは俺達の縄張りに入ってきたんだぞ? 殺されても文句は言えねえ。むしろ、お前は何で剣をとらねえ?」


 ベルモントは驚いた。先だって問答無用に殺戮を開始した相手には、話に聞く魔物の野蛮さしか感じず、こうまですらすらと人語を操るとは思ってもみなかったのだ。


「そうか、我々は認識を間違っていたのだな。あなた達には意思がある。私達は必要以上に恐れてしまった」

「何を言ってんだ? 俺達が怖くねえだと? なめてんのか、剣も持てねえ臆病者のくせに!」

「そうではない! 我々は、あなた達を本能によって人間を殺す化け物と、そう教えられてきたのだ! だが、違った。怒りがある、感情がある。我々と同じなのだ! 今、目の前にいるのは知性ある対話すべき隣人だ!」


 獣人達がベルモントの迫力に気圧される。臆病者と侮り、今まさに殺されようとしている相手が放つ言動だとは思えなかったからだ。


「……お前、なんでここに来た? 見たところ大した武器も持ってねえし、戦えてたのも、今くたばったそいつだけだ。それじゃ殺されに来たようなもんだろ」

「私には信念がある。剣ではなく対話によって、世に安寧をもたらすのだ。その考えによって私は国に疎んじられ、この魔窟へと追い立てられた。だが後悔はない」

「何だよ、お前ら国に捨てられたのかよ。聞くんじゃなかったな。後味がわりい」


 獣人は曲刀を構え、ベルモントを睨みつける。


「最後に聞いとくが、何で後悔はしてねえんだ? 捨てられた上に、結局は俺達に殺され、お話も無駄な努力だったんだぜ?」


 投げかけられた言葉に、ベルモントは真っ直ぐな曇りのない眼で見上げ、答えた。


「私はあなた達を知らなかった。そして、ここへ来て知った。あなた達とは話すことが出来ると。ならば私の信念には可能性がある。我らの命でそれが知れたのなら、それで十分だ」


 そう話し終えると、ベルモントは静かに首を差し出した。そこに恐れは微塵も感じられない。

 その態度に、後ろで眺めていた獣人達も動揺し始める。


「……俺達は獣人じゃない、誇り高きライカンスロープだ。俺達は強き者を尊敬する。お前は剣を持たないが、その精神は気高く強い。だから、殺すのはやめる」


 ベルモントと対話していた獣人が手にした曲刀を下ろす。


「俺の名はアスターハ。戦士たちを率いる長だ。お前の名は何だ?」

「私は……、そうだな、国を追われたベルモントだ。ただベルモントとだけ呼んでくれればいい」

「ベルモント、お前は話しが得意なのだな? だったら聞かせてくれ。外の世界にある俺達の知らないものを教えてくれ。それが、ここでお前の生きる理由だ」

「分かった。私の背には散っていった者達の思いが乗ってる。なればこそ、私の命を意義ある物にしてみせよう」


 この日から、ベルモントとライカンスロープとの魔窟生活が始まった。


 ライカンスロープは魔窟内でも中規模の勢力であるらしい。元々は魔窟の外にある森を支配圏としていたが、群の長を決める戦いが部族間で起き、争っている間に人間が進出して土地を失った。人間の攻撃に曝された彼らは、魔窟内に逃れ、人間から土地を取り返すことを誓った。

 そのため、ライカンスロープは魔窟内でも上層を縄張りとしている。元は日の下で暮らしてきたこともあって、大穴から差し込む日の光も限られている中層以降は居心地が悪いのだ。また一応、下層であっても光の差す場所も存在する。加えて、周囲に多く含まれる特殊な鉱石は、強い燐光現象が見られ、松明の炎を当てれば十秒ほど緑色の光を発する。とはいえ、薄暗いのは変わりなく、時折見られる何らかの条件で青く光る鉱石は、何とも言えぬ不気味さを覚えた。


「飯だ、食え」

「ありがたい」


 得体の知れぬ生物の丸焼きが渡される。予想通りと言うべきか、彼らライカンスロープは狩猟によって日々の食料を得る。獲物の大半が魔窟内にはびこる魔物であるから、その見た目は異様であった。食せるかどうかの判断は任せるしかない。

 それに、マシなのだ。彼らと暮らす前の二か月と比べれば。外敵に見つからぬために、暗闇の中で捕まえた姿の見えない生物を手探りで解体し、血なまぐさい肉を生で齧った。喉の渇きは、床に出来た水溜まりの汚水を啜り解消した。それが地表から流れ着いた雨水なのだと信じて。


「美味いか?」

「ああ、美味い。獣よりも、虫の方が美味いとは思わなかった」

「そうか、意外だな。人間は食べ方にもこだわりがあると聞いていたから、口に合わんと思ったのだが」

「料理のことか。それは物が豊かな場所でこそ活きる文化だ。この魔窟でそれを望むのは贅沢が過ぎる。腹が減った時に食える物があり、喉が渇けば地底湖もある。私の身を考えれば、これだけで既に満ち足りていると言えよう」

「……満ち足りている、か。俺は、そうは思わんぞベルモント。俺はこんな魔窟の中で生を終えるのはまっぴらごめんだ。お前は望むべきだ。俺もお前の知っている料理とやらを食いたい。俺達は、この魔窟ですら支配していないんだ。何か知恵はないかベルモント。俺達一族は、森を取り返し、さらにその先を見たいのだ」


 アスターハの目には、燃え滾るような情熱が宿っている。それは、戦となれば多大な流血を呼ぶ類のものであることは明白だ。

 だが、ベルモントは、その目が嫌いではなかった。形は違えど、自分と同じく、信念にひた走る者が宿す目に違いなかったから。


「アスターハ、私はこの洞窟のことを良く知らない。だが、あなた達が魔窟の中でも強い種族であろうことは分かる」

「ほう、確かにその通りだが、何故今更そんな分かり切ったことを言うのだ? 世辞はいらんぞ」

「……これは印象ではない、推測だ。あなた達は好戦的過ぎる。暗く、魔物が蔓延る魔窟で、危険があると知ればむしろ勇猛に踏み込んでゆく。それではいつ死んでもおかしくない。だが、事実この通り生き残って、それなりの勢力を築けている。ならば、それだけの力があるのだろう」

「……何か、考えがあるのか? 俺に何が言いたい?」

「今日、地底湖にいると、あなた達の姿を見て逃げ出す者達がいた。あの者達は何だ?」

「ああ、ありゃコボルトだ。ただの雑魚だよ。時々、俺らがいない時間を見計らってこっそりと水を取りに来る。数が多いし、相手するだけ無駄だから、いつも適当に追っ払ってんだ」

「彼ら、簡単な言葉なら扱えるな? 私も国で見たことがあるから知っている」


 アスターハは腕を組んで考えた。ベルモントの言いたいことが何となく見えてきた。そして、それがライカンスロープの矜持に反するであろうことも。


「お前、ライカンスロープにコボルトと手を組めって言いてえのか?」

「その通りだ。あなた達は既に魔窟を支配するだけの材料を揃えている」


 予想通りの言葉が続く。

 アスターハは呆れたように溜息をつき、ベルモントを諭した。


「馬鹿を言うな。お前は戦を知らん。あのような臆病者を戦陣に加えれば、俺達の士気まで下がる。俺達は強き者が先頭に立ってこそ、戦いに全力を出せるのだ。第一、コボルトは戦い方を知らん。強き者からは逃げ、自分より弱い魔物を集団で襲い、喰らうだけだ」


 やはり、武人ではない、ということなのだろう。今も考え込んではいるが、さっきの発言からして弱者の発想に傾きすぎている。期待しすぎたか。


「……やはりと言うべきか、あなた達と人間とでは発想が違うようだ」

「まあ、その通りだな」

「コボルトは弱くない」

「あ?」


 意外な言葉が続き、呆気にとられる。


「何を言いやがる。コボルトは力で俺達に勝る部分はないし、立ち向かおうともしねえぞ」

「確かにその通りだろう。そして、勇気もないのかもしれん。だが、生き方は知っている。数は多いのだろ? どうやって、この魔窟で生きのびているのだ?」

「そりゃ、子供をたくさん産むからじゃねえのか?」

「アスターハ、数が多い、数を増やせるというのはな、それこそ強さなのだ。あなたの理屈だとライカンスロープは人間に勝てなくてはならない。だが、実際は敗北している。それは何故か。数で負けているからだ。加えて言うなら、部族間で争っているタイミングを狙われたからだ。人間は真正面から戦えば、あなた達には勝てない。だから、そうしたのだ。自分達の出来ることを理解している者を、決して侮るな」


 アスターハは言葉に窮した。人間との争いで負けた理由、それに本当は気が付いていたから。だが、一族の誇りとして弱気を吐くわけにはいかなかった。一族の繋がりが瓦解することを恐れていたのかもしれない。

 だが、いつまでも叶わぬ夢を見ているわけにはいかない。現実として、今自分達は魔窟の中で燻っているのだ。そして、ベルモントはこの魔窟内で、最も現実が見えている。


「……分かった。俺はお前の強さを認めた。だから信じよう。コボルトと話をつけよう。……だがな、コボルトは臆病で槍の扱いも分かっていない種族なんだ。本当に、戦力になるのだな?」

「数の多さは、それだけで敵を威圧し、味方に勇気をもたらす。戦い方はあなたが教えなさい」

「何だと、俺が? 教えるだと? 戦力になったとして、反乱する可能性だってあるんだぞ?」

「誇り高きライカンスロープが恐れているのか? 相手は人間よりも弱いコボルトだ」

「ぐ、分かった。分かったよ。お前には口で勝てん」

「分かってもらえたようで何よりだ。しかし、先に言っておくが、奴隷や舎弟としてではなく、同胞として扱うのだ」

「……同胞だと?」

「そうだ。共に命を賭すのだ。戦場に矛を並べるのならば、そのくらいの礼儀が必要であることも理解できるであろう?」

「……理屈は分かる。それが、お前の言う博愛ってことなんだろうともな。だが、分かっているのか? これは殺し合いだ。お前の言う仲良しこよしとは程遠い世界だ。俺達が勝てるよう助言するってことは、それがいくら平和的な方法に聞こえても、結局は敵を殺す手伝いをするってことだ。その覚悟があって、俺達にコボルトと友誼を組めって言ってるんだな?」


 アスターハはベルモントを睨みつける。

 ベルモントの精神力は認めている。だが、それ故に強すぎる主義がライカンスロープの行動原理を阻むとも限らない。アスターハには群れを率いる長としての責任がある。一族の方針を決断する転機として、今一度、人間の男が友人足り得るのか確かめる必要があった。


「アスターハよ、勘違いをするな。私は闘争を否定したことはない」


 どうやら、覚悟が足りていないのは自分の方らしい。目の前の男が持つそれは、底が知れなかった。


「私が博愛を説くのは、これが最も可能性に満ちた大きな力になると信じるからだ。無血は理想である。だが、今それを成し遂げる強さを私は持っていないし、博愛は私一人で完結するものでもない。歴史を鑑みれば、兵なくして民の安寧が保てぬことなど自明の理だ。力無くば暴風に呑まれる。私が望むのは、兵を以て暴風に対話と均衡をもたらし、博愛によって暴風を鎮めることだ。アスターハ、私の残された生に意味を持たせるならば、まずは力を求めるほかあるまいよ」

「はは、恐れ入ったよ。やっぱりお前、面白いな。俺がお前を頼ったはずなのに、ベルモント、お前は俺を利用しようとしている。いいとも、俺が力になってやろうじゃないか」

「感謝する。だが、忘れてくれるな。力による統治は歴史に永世の名を残せた試しがない。だからこその博愛なのだ」

「分かったよ、無駄な殺しはしねえ。それでいいな?」

「ああ、頼む。……しかし、皮肉なものだ。流血の時が過去るのを待っていた私が、流血を彩る担い手の一人になろうとはな」

「綺麗な手で平和を語られても、俺には寝言にしか聞こえんがな。それに、お前ならいつまでも待ち惚けてるなんてことは、有り得ねえと思うぜ?」

「……かもしれんな」




 その日、アスターハの号令によって魔窟内の情勢が大きく動き始めた。

 ベルモントの助言通り、ライカンスロープはコボルトとの同盟を成立させ、勢力の拡大を果たした。

 当初、コボルトは罠であることを恐れ逃げていたが、ライカンスロープの圧力に断れりきれず、交渉の席に着いた。そこで、仇敵であるはずの人間を傘下に加えているのを確認し、ライカンスロープの変化を信用することにしたのである。ただし、コボルト側が横に立つことを遠慮したため、形としては同盟だが、実質的な勢力の吸収であった。


 それからは早かった。

 ベルモントの助言によって、アスターハは拠点を地底湖の周囲に移し、ライカンスロープとコボルトを常駐させて囲んでしまった。すると、水を得られなくなった種族の中には、立ち去って土地を放棄する者や、傘下に加わることを望む者が現れ始めた。

 水の独占に怒り、戦いを挑む者もいたが、ただでさえ勇猛なライカンスロープに、無数のコボルトによる投石の援護があっては、勝敗は火を見るよりも明らかであった。

 そして、地底湖の最大勢力を誇っていたサハギンも、知らぬ内に閉じ込められ、地上で食料を得る手段を失っていたことに気付き、とうとう降伏した。


 これは、僅か五か月の出来事であった。

 結果として、魔窟の上層と中層の支配に成功したのである。


「あとはスネークマンに土蜘蛛か」

「問題ねえよ。こっちは数も増えたし、お前の言う軍の戦い方も分かってきた」

「……」


 確かに、アスターハは成長した。それも早すぎるほどに。

 種族の適正を理解し、状況に応じた的確な指示を出す。敵を恐れず最前線で檄を飛ばす姿は、まさしく一軍の将であり、軍事に精通していないベルモントから見ても将器があるように感ぜられた。

 だが、その一方で、日々重ねる勝利は生まれ持った過剰な自信を増大させ、瞳に宿す炎もまた激しさを増していた。


「アスターハ、私のいた国の軍隊であっても、正攻法での下層攻略は難しいだろう。ライカンスロープは暗闇で戦えるのか?」


 下層は暗闇の広がる世界である。それ故に、視覚に頼らない種族が大勢力を誇っていた。生物の熱を捉えるスネークマンに、体毛に伝わる振動で獲物を感知する土蜘蛛。どちらも並みならぬ実力を有した難敵であった。


「舐めてんのか? ライカンスロープは月明かりの民とも呼ばれているんだ。夜こそが我らの領域。闇は我らの友だ。……まあ、さすがに多少の光は欲しいがな」

「やはり、策は必要だ。こちらも数が増えたから、力押しで勝てぬこともないだろうが、臆病なコボルトは嫌がるし、被害が大きくなりすぎる。他種族の信頼や、今後の活動に支障をきたすだろう」

「……策か。だったら、ベルモント、今回は俺に任せてくれないか? 俺に考えがある」


 アスターハは戦いの方針に関して、そのほとんどをベルモントに任せていた。しかし今回は、珍しく自分に任せるよう主張している。


 ベルモントはそれに対し、少し考えた後頷く。

 仮にアスターハの考えが失敗したとしても、それならそれでよい。今までが順調すぎたのだ。敗北を知らずに増長する軍は血気に逸る。

 ベルモントはむしろ、彼に挫折してほしかった。彼の心にある激情は、日に日に強さを増している。ベルモントは、それが不安だった。




「我ら古来よりこの地を支配せし、まつろわぬ一族。新参よ、なめた真似をしてくれるな。よりにもよって人間を引き連れてくるとは。その身、五体を引き裂き、魔窟の入口へ素っ首晒してくれる。覚悟しろ、獣人」

「我らライカンスロープに覚悟とは、笑わせてくれる。我が勇壮なる一族に脅しなど通じんぞ。貴様らこそ覚悟するんだな。まさか、負けた後に約束を破るような恥知らずはおらんだろうな?」

「抜かせ、人間に負けて逃げ出した臆病なガキが」


 魔窟の底でアスターハと土蜘蛛の首領が対峙している。

 アスターハの考えは、ベルモントの予想以上に単純明快であった。


 一騎打ち。負けた側の一族が勝者に従う。ただそれだけであった。


「この勝負の立ち合いは、我らスネークマンが引き受ける。約束を破る者は、即ち我らの敵でもある。よくよく心に刻んでおけ」


 一点だけ、アスターハの策にも褒められる部分があった。

 それは、スネークマンに対して、土蜘蛛との一騎打ちを知らせたことだ。

 スネークマンにとっては、肥大化したライカンスロープと事を構えても旨味がなく、魔窟の支配者を自称する土蜘蛛と潰しあいをしてくれるなら、それが最良なのだ。だが、一騎打ちとなると話は変わる。彼らにとって、敵の兵力が磨り減るのを望むのであって、たった一対一の戦いで勢力が糾合してしまうと、分散していた敵の矛先が自分達に集中してしまうのだ。

 故に、スネークマンは、その重要な一騎打ちに立会人となることを申し出た。そうすることで、他の種族よりも余力を残しつつ、高い序列で勝者と同盟を汲もうと画策したのだ。スネークマンとしては、機会を最大限利用するつもりだったし、そうするしかなかったのだが、その結果、土蜘蛛が約束を反故にして暴れ出したとしても、確実に勝てる場を作ることが出来た。


 一騎打ちなど、博打であり、策とは呼べぬ代物である。

 だが、その見返りはとてつもなく大きかった。


「アスターハ、私の命は拾ったものだ。だからあなたに全てを預ける。だが、簡単には捨ててくれるなよ」

「任せろ。俺はお前を見て強くなろうと誓った。そして、成長したんだ。大将としてだけでなく、勇猛なる戦士としてもな。待っていろよ、ベルモント」


 アスターハが曲刀を片手に闇の中へ足を進める。魔窟の底に広がる広大な空間は、周りの者が松明で照らしても、なお暗かった。人間であるベルモントには見守る事すらできない。暗闇の中から友の姿が出てくるのを、ただ祈って待つしかなかった。


 暗闇の中を歓声が駆け巡る。

 硬質な金属音が響き、叩きつけられた何かが大地を僅かに揺らす。

 歓声の中に異形の呻き声が混じり、金属音に粘質な鈍さが覆う。


 そして、騒がしい歓声が一瞬止み、直後に一段と大きな歓声が上がった。

 ベルモントは結末を察する。近付いてきた足音は、見る必要もなかった。


 暗闇から現れたのは、人外の友アスターハであった。


「その様子では、心配する必要もなかったようだな」

「ああ、真っ向勝負に持ち込んだ時点で、俺の作戦勝ちだ。暗闇で待ち伏せするからこそ、土蜘蛛は強い。それなのに、一族の誇りと人間を見た怒りで退けなくなったんだ。確かに殴り合いも強かったが、松明の明かりがあるなら、俺に負ける道理はねえ」


 策としては下策。しかし、闘争という枠での話ならば、ベルモントよりもアスターハに一日の長があった。


「で、スネークマンの皆さんよ、分かってると思うが、あんた達はこの結果を見て、どう動く?」

「……我らも無益な争いを続けることは、不本意であった。仇敵であった土蜘蛛とも和解し、ライカンスロープと共に矛を並べよう! 我らは同盟を求める!」

「よし、ならば今から地上に出て森を奪還する、共に戦おうぞ!」


 ライカンスロープの一族から再び歓声が起こる。

 対して、スネークマンは予期せぬ宣言に慌てふためいている。


「ま、待て、それはならん! いや、違う、人間と戦うことには吝かでないが、土蜘蛛はたった今、首領を失ったばかりだ! 統率もとれまい、戦どころではない筈だ!」

「スネークマンよ、我らを見くびるな。正当な決闘にて敗れたのだ。敗北は受け入れるし、約束は違えぬ。それに、人間を恨むは我らも同じ。このわだかまった悔しさと怒り、どこかで一暴れせねば収まりがつかん!」


 余力を残し、他の種族よりも優位に立ち回ろうとしていたスネークマンであったが、この流れには大いに狼狽えた。スネークマンは他よりも頭を使って生きる種族であった。それ故に、自分達の長所と短所を理解している。実のところ、長き間、暗闇を利用して生きてきた一族のため、外での戦闘には自信がなかったのである。


「待つのだ、アスターハ」


 周りの亜人や魔物が呆気に取られた顔をする。盛り上がる場に人間が水を差したのだ。それが正しい反応であった。


「……何だ、ベルモント? この通り、俺は勝ったぞ。何か間違ったことをしているか?」


 空気が凍り付いたようであった。言葉の主は、この場で最も強き男である。その口調から、親しき者へ向けたものであると理解できたが、静かで平坦な声は、確かな怒りを宿していると、周りの者は本能で察した。


「一年だ」

「……何だと?」

「今はまだ魔窟内を完全に掌握できたとは言えん。人間に勝つためには、短くとも一年は必要だと言っているのだ」

「ふざけるな! 今、この間も、我らの故郷は人間に侵され姿を変えているのだ! 我らは十分に待った! 約半年、魔窟内の主だった種族は我らに付いたのだ! 今こうして土蜘蛛とスネークマンが参軍したというのに、この魔窟内で縮こまっていろと言うのか!? 我らは臆病者ではない、お前の弱気に付き従って、どうして先祖の無念を晴らせようか!」

「お黙りなさい!! あなたは、またしても無様な敗北を晒すおつもりか!? 今外に出たとしても、野蛮な殺戮集団となるだけだ! さすれば、天を衝く怒りと地より滲む出す恨みによって、人間の攻撃を一層苛烈にさせるだけだと何故分からん! 怒りを宿した土蜘蛛は戦場であなたの指揮をに耳を貸すのか? 足の遅いスネークマンは地上での戦い方を知っているのか? あなたには責任があるのだ、種の命運を託された長である自覚を持て!」


 場の空気は既に凍った。もはや息をすることにすら意識せねばならぬ静寂に包まれている。横で反対する文言を考えていたスネークマンは、口を開けたまま固まっている。


「……ふ、そうだったな。お前に口では勝てん。そして、俺はお前を暴力によって殺すつもりもない。……一年だな。一年あれば、勝てるのだな、ベルモント?」

「努力する。まずは全ての者に簡単な統一の文字を覚えさせ、指揮系統を明確化し、簡易の議会を作る。さすれば、我ら集団の目的意識も明らかとなり、すべき事も自然と見えてこよう。兵を鍛える必要もあることは、人間に敗れたあなたが一番わかっていることだな?」

「違いねえな。分かった、ベルモント、お前に再び従おう」


 場に困惑の顔が並ぶ。

 この場に集まっているのは、各種族の中でも、それなりの強者であった。それだけに、圧倒的な武勇を誇るアスターハが、人間ごときの言葉に意見を変えたことが不思議でならなかった。

 そんな中、土蜘蛛の一体が我慢出来ずに叫んだ。


「何故だ、アスターハ! よりによって、人間の言葉に心を動かすなど! 我らの、この、溶岩の如き怒りをどうやって鎮めよというのだ!」

「だったら俺に挑め、お前らの首領を殺したのは俺だ! 一暴れしたいのだろう? いいさ、やってやる。一年後には人間と戦争をするのだ。良い稽古になるだろう。さあ、来い!」


 アスターハの迫力と、偽りのない本気の声に、土蜘蛛たちが後退りする。


「……お前は我らよりも強い。従おう。そして、人間よ、お前の勇気も認めよう。我らは下がる。アスターハ、その人間の企てがまとまったら呼ぶがいい。我らを使え」


 土蜘蛛達は暗闇の中、散らばった首領の亡骸を搔き集めると糸に包み、魔窟の奥底へと去ってゆく。

 横でその様子を窺っていたスネークマンが、土蜘蛛が立ち去るのを確認すると、ベルモントに声を掛けた。


「人間よ、土蜘蛛に認めらるとは、お主なかなかに見どころがあるな。それに、先程は助かった。この魔窟は、血の気が多いものばかりで敵わん。何か必要であれば、我らスネークマンを頼るといい。何か遠望があるのだろう? 我らが率先して手伝おうではないか。なに、礼には及ばん。共に、計画を進めようではないか。我らと共に、な。……で、どんな事をするのだ? 我らに教えてくれぬか?」

「まずはアスターハと話し合ってからだ。仔細は追って伝える」

「んー……そうかそうか。なに、無理強いはせぬ。今日の所は帰ろう。ただ、忘れないでくれ。我らはお主の友人だぞ? 悩みがあるならば相談しに来るがよい、では、さらばだ」


 怪しげな笑顔を残し、スネークマンが立ち去る。ゆったりとした動きだったが、アスターハの視線に気付くと、少しだけ歩みを速めた。


「気をつけろ。油断ならん奴らだ」

「……」


 アスターハも警戒しているらしい。彼としては、戦場に出て数を減らして欲しい、というのが本音かもしれない。


「アスターハ、彼らは使える。出来れば後方においてくれ。彼らの狡猾さは、見方を変えれば思慮深いと捉えることも出来る。それに恐らくだが、地上での戦いは不慣れで避けたがっている」

「うーん、いまいち信用できんがなあ。まあ、お前が言うのなら、そうしよう。役に立たん奴が戦場でべらべら喋ってると士気も下がるからな。それで、俺の方はどうなんだ? 俺は何をすればいい?」

「……アスターハ」


 ベルモントが姿勢を正し、重々しく口を開く。

 その様子に、アスターハも自身に重大な責務が託されることを悟った。


「王になるのだ」

「……は?」

「あなたは、この魔窟の王になるのだ」


 ベルモントは決意していた。そして、アスターハはベルモントの胸中に宿す、暗き思いに気付くことが出来なかった。




 一年後、魔窟の王アスターハが人間の領域に侵攻を開始した。

 それは、凄まじい勢いであった。魔窟の外に出たアスターハの軍勢は、たちまちにして森を呑み込み、そこにいる全ての人間を弾き出した。


 亜人は叫んだ。我らはアスターハ国の兵であると。

 魔物は疾駆した。アスターハの威を示さんと。


 アスターハの軍は走る。

 標的を決める方法はベルモントが考えた。

 各種族の代表を十集めた議会を開き、教えた文字によって攻めるべき相手を票に書かせた。最も多く票が入った相手を攻める。ただそれだけの単純なものである。だが、それ故に意思決定が早く、皆が納得して攻めた。


 軍を用いた攻撃を行う場合は、この投票によってのみ決定する。

 これが、アスターハ国で最初に生まれた法であった。

 この法は、アスターハ国で 『討票決法』 の名で呼ばれる。


 迅速な意思決定は、疲れ知らずの人外部隊も相まって、人間の国を驚嘆たらしめる。辺境に対し関心の薄い人間本国は、辺境の警備兵が全滅した後に、やっと事態の深刻さを知る有様であった。

 アスターハ国は、王が先頭に立つ。ベルモントがかつて言ったように、人間がライカンスロープに正面から戦って勝てる道理はない。それどころか、様々な種族による奇襲なのだ。人間の砦は次々と落ち、半年後には、近隣の小国を落としていた。

 その頃には、流石に人間側も危険を察知し、国同士で連携して防衛網の構築を進めていたが、アスターハ国は各地の亜人や魔物を軍に糾合し、勢いを増していた。それを止める術は、既に人間側には残されていなかった。




 アスターハ軍が魔窟から出陣して三年が経った。

 もはや、人間に反撃する力は残されていない。未だ陥落していない国は一つのみとなっていた。


「王よ、もうよいだろう。もう討票決をする必要はない」

「いや、まだだ。余に抵抗する国がまだ残っているではないか。ベルモント、お前には感謝している。だがな、あと少しなのだ。あと少しで、我が子ユプーフに偉大なる王の姿を見せることが出来る」

「……王よ、あなたは、もう既に偉大な王だ。かつて、これほどの覇業を成し遂げた者はいない」

「ならば、もう少し走ってみよう。行き着く先を見てみたい」

「王よ……」


 二か月後、アスターハ国では凱旋のパレードが行われていた。

 煌びやかな鎧を纏ったライカンスロープが列の先頭に立って、深紅のマントをはためかせている。パレードの中では皆等しい。王は自らの足で歩き、後ろにはコボルトやサハギン、スネークマンに土蜘蛛が共に歩いていた。

 皆が馬も車も使わずに歩いている。十字架を背負わされた、ベルモントのかつての王も。


 王宮の窓から覗く光景に、ベルモントは溜息を残し、そっと席を立った。




「さあ、次は何処を相手にする?」


 王の声が集まった者達に、票の記入を促す。 


「……王よ、まだ、敵を求めるのだな」


 討票決は各種族の代表半数の同意が得られた時に行われる。だが、実際は臆病なコボルトは王の言いなりであるし、スネークマンは王に気に入られようと擦り寄っていた。王は偉大過ぎた。もはや逆らえる者はおらず、王の意向が、ほぼそのままに反映されていた。

 人間の国をすべて落とした後も、不従順な亜人や、反抗的な集団は積極的に攻撃対象とされた。


「さあ、票を開けろ! 力を示し、反抗しようという意志を挫くのだ!」

「本当によいのですね、王よ?」

「くどいぞ。今まで全て勝ってきたのだ。その結果、幼くして死ぬ子供は格段に減った。我らの戦いが繁栄をもたらしたのだ。ベルモント、お前も魔窟で死にゆく同胞の姿を見ただろう? 余には民を守る責任があるのだ」

「……哀れな方だ。あなたは偉大過ぎた。勝ちすぎたのだ」

「なに……?」


 ベルモントはアスターハの言葉を無視するように席を離れ、票の開封を始めた。


「王よ、票の開封が終わった。結果が出たのだ」

「…………何だ? 何を考えている? 結果を早く言えベルモンド」

「アスターハ」

「何?」

「アスターハ。あなたの名だ」


 冷ややかな空気が流れる。この世界に最強の名を冠する唯一の王が沈黙したのだ。

 集まった議員達は、永遠にも感じられる沈黙に、思わず死を連想した。


「…………どういう、つもりだ?」

「王よ――」

「どういうつもりかと聞いているのだ! 貴様ら!!! 何の冗談だ、申し開きをしてみろ! 何とか言わんか、貴様らあっ!!!」

「あなたが討票決で選ばれたのだ、王よ! 目を逸らすな、現実を見ろ!」


 ベルモントが声を荒げた。

 偉大なる強き王が、人間に諫められたのだ。


 それに対し、王は驚くほどに衝撃を受けていた。

 顔は悲痛に歪み、振るえる体は椅子に沈んで、小刻みに息を漏らしている。


「ベ……ルモント。お前……が、仕組んだの、……か?」


「王よ、民はこれ以上の闘争を望んでいない。あなたは他者の血を流しすぎた。あなたの振るう矛は強力だ。だが、強大な敵を失った今となっては、その向かう先に皆が恐れているのだ」

「何故だ! 何故、お前まで余を裏切るベルモント!」

「周りを見るのだ、王よ!」


 アスターハが目を向けると、その場にいた者は一斉に目を伏せた。体を震わせる者。冷や汗を流す者。その中には勇猛なライカンスロープの一族も混じっていた。


「これは……」

「その通りだ、王よ。民はあなたを恐れている。あなたは恐怖の象徴となっているのだ。恐怖による統治は民の頭を押さえてしまう。あなたは、俯いた民の笑顔を見ることが出来るか? 私は伝えたはずだ。力による統治の先には、博愛が必要なのだと」


 アスターハはこの時になって、初めて民を顧みた。彼は偉大な王になりたかった。そのために力を振るった。自分の優れている部分は力であることを知っていたから。


「そうか、お前だけなのか」

「……」

「お前だけは、最後まで余を見てくれるのだな。ありがとうベルモント。我が生涯最愛の友よ」

「……偉大なる王アスターハよ、私はあなたの隣に立てたことを誇りに思う。そして、なにより楽しかった。ユプーフは、私が責任を持って必ずやあなたに劣らぬ王にしてみせる」

「世話をかけるなベルモント。……ガムシンのことはすまなかった」

「アスターハ、私は……」

「よいのだ、ベルモント。余はな、お前と初めて会った時、お前の強さに憧れたのだ。一方、余は結局、死ぬ間際にならねば、本当に伝えたかった言葉を口に出すことが出来なかった。余は、本当は臆病な王だったのだ。お前の期待に応えたかった……。だが、結果はお前の真に望むものではなかった。余の勇気が足りなかったのだ。すまなかったなベルモント。……さあ、道を開けろ! 余は王だ、死す時も自らの足で往こう!」

「……王よ。我が友よ」


 偉大なる王は死んだ。僅か四年の王位であったが、その功績の大きさは誰一人として疑う余地がない。処刑に際しては、一切の抵抗なく、呻き声一つ上げることがなかったという。


 そして、アスターハ国に第二代国王が生まれた。

 魔の国に生まれた人間の王ベルモント。

 選出に当たっては、満場一致の評決であった。


 その後、ベルモントは博愛主義を掲げ、占領した国家への主権回復を順次行っていった。国内から強い反発があったものの、新興国であるアスターハには、他国を占領し続ける余裕も統治する能力も不足していた。そのため、派遣していた軍人や文官からは好意的に受け止められた。

 以前がアスターハによる恐怖に支配されていた分、ベルモントの姿勢は、次第に国内外から強い支持を集めることに成功した。元々の人気が高かった上に、強き者は認め、弱者は救済するという徹底した姿勢は、国内情勢の安定を招き、次第に流血の記憶は忘れ去られていった。


 だが、万事平和の時は長く続かず、主権を回復した国家の中からいくつかは、アスターハの恐怖を忘れ、次第に反抗するようになっていった。

 反抗勢力が膨れ上がるその度に、ベルモントは友好国と協力して均衡状態を作り出した。度が過ぎるものには兵を出したが、出来る限り説得と交渉によって折り合いをつけるよう徹した。そうして、いたちごっこのような状況が二十年続いた。


 しかし、これも、ベルモントにとっては理想の範囲内であった。

 結果として、流血の時代に王座へ就いたにも拘らず、他国間を含め、一度も大きな戦を起こさせずに博愛主義を貫き続けたのである。


 しかし、その二十年が過ぎた時、ある出来事が起きた。


 アスターハ国では、人間との最も大きな差を埋めるとして、学問が奨励されている。その為の設備には投資を惜しまず、輩出された人材によって法も整備されていた。

 だが、その法の中で、最も古き物は形を変えず、残っていた。それが、二十年の時を経て、

再び日の目を見ることになったのである。


 討票決法。


 各種族の代表より、半数の同意が得られたときに開かれる、討票決。かつては、血の気の盛んなライカンスロープと土蜘蛛が積極的に進言していたが、ベルモントの統治下では明確な敵が現れなかったことから、一度も開かれることはなかった。

 しかしながら、周辺国の増長に対する弱腰な対応に、民衆の中では着実に不満が溜まっていたのである。

 好戦的な種族が一族をまとめるために、ガス抜きとして進言する土壌は大いに生み出されていた。

 だが――


「陛下、お主には世話になったな。だが、これも因果応報と言うべきかもしれん。此度は少しややこしいことになったのだ。我らも一枚岩とは言えん。力になれぬこと許せ、幸運を祈っておるぞ」


 スネークマンの言葉は、これが自然に開かれたものでないことを、ありありと語っていた。


「では、投票は終わったな? ユプーフ、頼む」

「……はい、陛下。開票を始めます」


 アスターハの息子は良く育った。ベルモントに引き取られた後、学問を教えると、すぐにその才を発揮し、若くしてあらゆる分野に習熟した、国にとって無くてはならぬ人材へと成長した。

 今も、評議会の議長をを務め、性格のバラバラな各種族の意見を上手く取りまとめている。

 その手腕は、そろそろ王位を譲っても良いと思えるほどであった。


「結果が出ました。……同数が出たようです」


 それだけに、惜しい。


「私と、同数が出たのだな」

「……はい、残念ながら」


 このような、国が割れる事態になるとは。


「やはり、お前が仕掛けたのかユプーフ。だが、気が急いたな。表は割れてしまったようだ。この結果は、国の行く末を示す指標にもなる。この先、アスターハ国は混乱の時代を迎えるだろう。賢きお前なら分かるな、ユプーフ?」

「……ええ、私の力不足でした」


 ユプーフは歯噛みして震えている。


「分かっている。私が王位を譲る前に、決着をつけたかったのであろう?」

「学問を知り、法を知る程に、……あなたを知れば知る程に、私は偉大さを感じずにはいられなかった。ですが、それと同時に、知恵をつける程に、私の胸には疑念が渦巻いた。そして、私は気付いてしまった。……ベルモントおじさん、あなたは王が、父上が、増長するように仕向け、民に殺させたのですね?」


 ベルモントの脳裏に、偉大なる王の、最後の姿が浮かぶ。


「……その通りだ。私は、アスターハの強さを尊敬していた。だが、その強さは生来の激情が大志として形を成したものだった。それは暴風だったのだ。力の均衡を打ち破り、覇道によって国を栄えさせる。私の理想とする博愛とは相反するものだったのだ」

「……あなたはきっと、国に必要な方なのでしょう。でも、罪は罪なのです。罪に対して償いが得られねば、法は破綻するのです。だから、私は、あなたを、ベルモントおじさんが作った最初の法で……」


 ユプーフは声を詰まらせた。震える体がそれ以上の言葉を遮った。


 そこにあるのは父を失った青年の姿ではなかった。

 そこにあったのは父を失う王子の姿であった。


「ユプーフ、いつかはこんな日が来るだろうと思っていた。この法はな、我らのまとまりがまだ弱かった、国として未熟な頃に出来た簡易のものだ。この法自体が不完全で未熟なのだ。それが、何故今の今まで残っていたのか。それはな、この法こそが私の罪に違いなかったからだ」


 ベルモントは静かに立ち上がった。

 そして、最後に残った票を投げ入れた。




 ――この法を定めたのは私である。だが、票決が下されたのであれば、私もまたこれを受け入れねばならないだろう。万能の者などいない。私とて、それは同じだったのだ。なればこそ、他者と手を繋ぐ道を探ろう。赤く染まった大地を無駄にすることなかれ。私の死が国の礎となり、私の言葉が国の血となって国難を払う強さとなることを願う。


 アライサン・カープ著 『ベルモント・ギルユート・ヴェステヌムッド最後の言葉』

 アスターハ歴334年 130頁

 お疲れさまでした。


 ジャンルものを書いた方が読んでくれる人が多いかなと思って、ダンジョンものとして書いたつもりやったけど、何も考えずに書いてたら脱線してたやよ。ワクワク感があらへん。けど、自由に考えたストーリーを書ききることが出来て満足や。

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