4 帰ってきたのにこんな事って
ーーポス、ポス。
スピカは目の前で二回頼りない音を奏でながら拍手をし、そのまま礼をとる。
「これでいいの?」
先ほどメーティスにそうするように言われたからだ。
意味はよくわかっていない。
《ええ。最後に真竜さんにお礼とお別れを言っておきましょうね》
「うん。竜さん、ありがとう。そしてさようなら」
スピカはそう言ってメラクが封じられていた部屋から出て行った。
先ほどノーライフキングと戦った場所に戻って来たが、相変わらずあるのは玉座だけだ。
《ところでスピカ、その翼を使って飛べる?》
「うーん、やってみる」
スピカは翼をバサバサと羽ばたかせる。
「わわわっ、あいたっ!!」
不安定ながらも一応宙に浮かぶ事には成功した。
しかし、スピカは初めて宙に浮かぶ経験をし、その不安定さから焦ってそのまま墜落してしまった。
殆ど浮いていなかったので少し転けたくらいだ。
《確か、ここに来る途中に上に穴が空いて空が見えている所があったわね。そこから脱出しましょうか。それまでスピカは飛ぶ練習ね》
「わかった!!」
スピカは脱出口に飛ぶ練習をしながら向かう。
最初は不安定極まりなかったが、やっているうちに段々と様になって来た。
幸い、これまで出会った魔物は全滅させて来たので一度も魔物に出会う事はなかった。
そして、脱出口に着く頃にはゆっくりとだが、かなり飛べるようになった。
《スピカ、準備はいいわね?》
「うん。大丈夫。」
《よし、出口に向かって飛ぶのよ!!》
「はーい!!」
スピカは翼を広げ、羽ばたかせる。
ゆっくりとだが確実に上昇していって、ついに……
「やったぁぁ!! お外だぁ!!」
洞窟から脱出する事が出来た。
《よくやったわスピカ。後は家に帰るだけね。ここは……森の中かしら。スピカ、もう一回飛んでくれる?》
「わかった」
そして、スピカはもう一度空を飛ぶ。
辺りを見回せるように。
《えーと、スピカの家はあの町にあるの?》
「うん。たぶん、あそこ」
《だったら森の外の手前まで飛んで行きましょう。人に見つからないようにね》
「どうして?」
《まだ、分からないかもしれないけどスピカは珍しいのよ。そして珍しいのは狙われて危険なの。だからお願いね》
「わかった」
メーティスに言われた通りにスピカは森の外の手前まで飛んでいく。
メーティスには魔物の気配は感じなかったがそれでも森には危険が一杯だ。
空を飛んだ方が安全なのでメーティスはスピカが空を飛べる事に感謝した。
それなりの距離を飛んでスピカは地面に降り立つ。
ここからは歩きだ。
《その前に、その翼とツノしまえる?》
「やってみる。うーん……できた!!」
翼とツノを消えろと念じれば消え去った。
再び現われろと念じれば生えてきた。
随分と便利である。
《よし、それじゃあ、町に向かいましょう。お日様が沈むまでに行けるように頑張るのよ》
「うん!!」
そして、スピカは歩く。
その小さな足でテクテクと一歩ずつ歩く。
道のりな長い。
でも、険しくはない。
ここは薄暗くない。
怖い魔物もいない。
なによりメーティスがいる。
だからスピカは元気よく歩く。
幼子が歩くには少し長い距離だが、疲れは回復魔法で消していく。
あの洞窟を抜け出せたのだ。
こんな道どうって事ない。
テクテクテクテクと歩いてついに町の門まで辿り着く。
町の門番はスピカのボロボロの格好に目を疑った。
こんな幼子が一人でこの様な時間に遊びでは考えられないくらいボロボロの格好で現れたのだ。
そして、遠目では分からなかったが、門番にはスピカに見覚えがあった。
「嬢ちゃん。もしかしてスピカ様かい?」
正確に言えば直接見た事は無いがスピカの姿は知っていた。
領主の娘で珍しいアルビノの子。
さらには失踪したスピカの捜索命令が出ていた。
5歳くらいの白い女の子を見て門番は少女がスピカだと悟った。
「うん。私はスピカだよ」
「おお、良かった。ずっと探していたのです。屋敷からお迎えを呼びますのでこちらにいらしてください」
そして、門番の詰所に連れられた。
《スピカは貴族の子女だったんだね》
「お父様はりょうしゅさまだよ?」
《ふふふ、そうね。それよりもスピカ。念の為に私の事はみんなに内緒にしておいてね》
「どうして?」
《どうしても。理由は今度言うわ。お願いね》
「わかった」
待機中に小声でメーティスと話していると迎えが来て、あれよあれよとスピカは家に到着した。
「「「お嬢様、おかえりなさいませ!!」」」
スピカは使用人一同に出迎えられた。
皆、スピカが帰ってきて心より安堵している。
優しくて可愛らしいスピカは使用人達のアイドルだった。
「みんな、ただいま!!」
「さ、お嬢様、お疲れでしょう。今日はお体を清めて休みましょう」
「う、うん。ねぇ、お父様とお母様達は?」
使用人達が出迎えてくれて心配してくれたのは嬉しいが、自分の親達が誰一人いない事にスピカは悲しんだ。
「だ、旦那様方はお部屋の方に」
「本当!!」
スピカは駆け出した。
ずっと会いたかったのだ。
何せ5歳にも満たない子供だ。
あんな環境でずっと親に会えなかったのだ。
会いたくもなる。
勝手に隠れて付いて行った事を怒られてもいい。
とにかく親に会いたかったのだ。
屋敷に入ると、一人の若い男の姿を見つけた。
「お父様!!」
スピカは父親の足元に強く抱きつく。
死にそうな思いをして、メーティスに助けられ、また死にそうな思いをして。
飛ぶ練習をする時も何度も怪我をした。
それでもめげずにスピカは帰ってきた。
そして、やっと会いたかった家族に会えたのだ。
スピカはとても、とても嬉しかった。
「あ? 何だ……って、うわっきったねぇなっ!!」
「あぐっ!!」
父親は足を振って、スピカを振り払う。
「お前、そんな汚い格好で俺に抱きつくとかふざけんなよ!!」
そして、男は更に怒りに任せてスピカを蹴り飛ばす。
「けっはっ!!」
スピカの小さな体は血を吐きながらボールの様に簡単に吹き飛ぶ。
「いいいああうううう。なん、で」
「なんでだぁ? お前がそんな汚い格好で俺に抱きついてきたからだろうが。何汚してくれてんだ」
更に、男はスピカを蹴ろうとするが、スピカの前に使用人達が駆けつけた。
「おやめ下さい旦那様!! これ以上はお嬢様が!!」
「ああ? 教育だよ教育。俺のズボンを汚した分のな」
男は邪魔をする使用人ごと蹴り飛ばそうした瞬間、
「「「ファクス様ぁ〜」」」
複数の女性達の甘ったるい声が聞こえてきた。
その声を聞いた男、ファクスは蹴るのを止める。
「どうなさったのです? なかなかお戻りにならないので様子を見に来たのですが」
そのうちの一人の女性が言う。
「ああ、あいつがあんな汚い格好で俺に抱きついてきてな。お陰で汚れちまった」
「まぁ、大変!!」
「急いで身を清めまないと!!」
女性達は心底心配そうにファクスを見る。
対して、スピカを見る目は正に汚物を見る目であった。
「そうだな。どうせなら一緒に入るか」
「まあファクス様ったら」
「もう、ファクス様のえっち!!」
「ふん、あんたが望むなら一緒に入ってあげなくも無いわよ!!」
などなどと、人族を始め、獣人やエルフ、そして、スピカの母親である竜人など、様々な種族の女性達が顔を赤らめながら満更でもなさそうな態度をとる。
「よし、いくか」
「「「はぁーーい」」」
女性達はスピカを心配するどころか汚物を見る様な目を残して、ウキウキとしながらその場を後にした。
「なんでぇ。なんでぇ。なんでぇ」
そして、スピカはそれを見てしまった。
恐怖を乗り越える勇気がそれを見せてしまった。
蹴られ、血を吐き、涙を流してもスピカは辺りを見る事を止めなかった。
それが生きる事に必要だと洞窟で学んだから。
それが痣になった。
父親に蹴られた事、暴言を吐き捨てられた事。
実の母親までもがスピカを心配せず、逆に汚物を見る目で見た事。
一人よがりだったのだ。
父親にも母親にも愛されていなかったのだ。
スピカはその事に気がついた。
あんなに頑張ったのに、残ったのは絶望だった。
《スピカ!! スピカ!!》
スピカに宿る精霊の声は聞こえない。
精霊がどんなに叫んでもスピカは一つも反応しない。
ただ泣きながら蹲るだけだ。
《スピカ!! スピカ!! スピカッ!!》
精霊は叫ぶ、絶望した少女を救うために。
それしか出来なかった。
ー▽ー
使用人達はいたたまれない気持ちになった。
それは当然だ。
こんな幼子が失踪して3日。
ボロボロになって帰ってきたのだ。
どんな経験をしたのか分からない。
だけど血泥に塗れた服を見れば想像を絶する所から帰ってきたに違いないと思った。
使用人達は心から涙を流した。
よく帰ってきたと。
しかし、同時に怒っていた。
スピカに興味を示さない主人達に。
捜索命令を出したのだって、執事長だ。
それまで、スピカが失踪したなんて主人達は気づきもしなかった。
主人は毎日女を侍らせて、女達は主人に甘える。
スピカに微塵も興味を示さなかった。
挙げ句の果てに今日の出来事だ。
主人がボロボロのスピカを蹴飛ばした。
これには目を疑った。
そして、主人達が去って行った後には、死んだ様な目でブツブツと呟くスピカ。
いたたまれない気持ちにならないはずがない。
悲しくないはずがない。
しかし、使用人達に出来る事はなかった。
せいぜい、怪我の手当てをして身を清めてさせて、お粥を作り、食べさせ、休ませるだけだった。
そして、夜中。
スピカは目を覚ました。
声が聞こえたのだ。
スピカは声の主の元に行く。
隣の部屋だ。
「おぎゃゃゃゃゃあああ!!」
声は鳴き声、夜泣きだ。
スピカの弟が泣いていた。
何かを求めて泣いていた。
スピカは弟を抱っこする。
すると弟泣き止んだ。
「きゃっきゃっ!!」
何が面白いのか弟は急に笑い始める。
「うー、うー」
そして、スピカの顔をその小さな手でペチペチと叩き始める。
叩くと言うよりは撫でている様だ。
まるで、そんな顔してどうしたの? よしよしと。
「あっ」
その瞬間、スピカの中から何かが溢れだした。
良いものも悪いものも全て。
スピカは涙を流しながら少しずつ少しずつ受け入れていく。
「メーティス」
《スピカ……》
「赤ちゃんって小さいね」
《うん》
「あんな奴に任せられない。私が守らないと。この子に私と同じ目に合わせたくない」
それは宣言。
親との心の絶縁の。
「私、強く生きる。この子を守る。みんなも守る。そして自分も幸せになる。だって竜さん言ってたもんね。"幸あれ"って。さちって幸せって意味でしょう? だから私も幸せになる」
《スピカ……。そうよ!! スピカは幸せになるのよ!! あんな奴らなんて居なくてもスピカは幸せになるわ!! 私が幸せにするんだから!!》
「ふふふ。メーティス、ありがとう。これからもよろしくね」
《もちろんよ!! よろしくスピカ》
スピカは強い。
怖くても勇気を振り絞る。
恐怖を乗り越える。
絶望しても希望を見出す。
スピカは一人じゃない。
護るべき弟がいる。
大切にしてくれる使用人達がいる。
何よりメーティスがいる。
その事に気がついたスピカは絶望になんか囚われない。
大いなる星竜に幸せにって言われたのだ。
直後に不幸があろうと最後には笑ってみせる。
スピカはそう決意した。
「スー、スー」
「あ、寝ちゃったね。私たちも寝ようか」
《そうね》
スピカはまた、明日を生きるのだ。