③
境内には、花が咲き乱れている。青に紫、黄色に赤。色彩の嵐だった。
神社らしき建物は、意外とまともだ。全体はクリーム色で、屋根は淡い紫色をしているが、形は神社そのものだ。俺は神社が好きで、よく参拝に出向く。この本殿なら違和感はない。
問題は、境内に祀られているものだ。冷蔵庫や車、洗濯機が並んでいる。いずれも、ほとんどスクラップ状態だ。それらの四方に竹が建てられ、注連縄が張られている。錆びた薬缶や、空気の抜けたサッカーボールが、小さな祠の中に祀られている。
「なんだ、これは! テレビ局も金を掛けているな。俺たちほどの次世代のスターを騙すには、もってこいの仕掛けだ」
直太郎に耳打ちをする。反応がない。なにかに見入っている様子だ。視線の先を追う。
社務所らしき建物の前に、檻があった。中にいる動物は犬に似ているが、もっと獰猛な雰囲気がある。
「泰三君。僕は動物が好きだから、断言できる。あれは日本狼だ……。絶滅した品種だよ。この状況は、テレビのドッキリではないのかも……」
色を失っている。言われてみると、図鑑に載っている日本狼そのものだ。
呆本は、企画によって作り出された架空の島ではないのかもしれない。つまり、打ち首は実際に執行される……。
血の気がさーっと引いた感覚がある。海という名の魔物に、未知の世界へと、誘われた。
花撫が俺の尻を叩いてくる。
「どうしたの君たち! 今から社に入るんだよー。打ち首の前に、儀式をするからね。もしかして、狼が気になった? 立派な呆本狼でしょう。打ち首にした人たちを、あの子の餌にしているんだよー!」
この世で最も純粋な笑顔で、猟奇的な発言をさらりとする。とんだサイコ野郎だった。よけいに恐ろしい。
体が震えだす。直太郎に目をやると、放心状態だった。口をあんぐり開けて、涎を垂らしている。恐怖のあまりに、精神を宇宙まで飛ばしているのだろう。便利な脳味噌だ。
花撫が、社務所へ駆けてゆく。玄関を、がらっと開けて叫んだ。
「爺ちゃん! 悪者を連れてきたよー! 打ち首のお祭りをするよー!」
やはりサイコ野郎だ。俺は深呼吸をして、頭を働かせる。逃げる術があるはずだ。周りには、時代錯誤な丁髷を結った男たち。刀を差している者も、少なくはない。
逃げ出そうものなら、斬られる。クレイジーな民族だ。蚊を潰すくらいに容易く、人を殺せるはずだ。なんの感情もなく。
手を縛られた縄を引かれる。俺と直太郎は、お社の中へと足を踏み入れた。畳の上に、正座をさせられる。
後ろから、胡散臭い爺が登場した。人々の正面に立つ。
スーパーのレジ袋を着ていた。レジ袋の底に穴を空けて、裸の上半身に通している。手を通す部分は、肩に掛けてある。遠くからだと、タンクトップと勘違いしそうだ。
下半身は、腰巻で隠している。半透明のレジ袋なので、乳首が透けている。見たくはないのに、自然に目が行く。
小柄な爺だ。百六十センチもないだろう。白い髭が長く伸びて、皺深い顔を覆っている。頭はツルツルだった。
「儀式を執り行う! 神様に、出てきてもらおう。花撫。歌いなさい」
爺の言葉を受け、花撫が立ち上がる。
「ぽぽんぽんぽん。ぽんぽぽん。ぽぽんぽんぽん。ぽんぽぽん」
不気味な歌を、歌い始めた。爺は、社の奥へと歩き出す。金で装飾された、大きな扉を開いた。
神様は、ダッチワイフだった。空気を入れるタイプの、安物ではない。シリコンで作られた、本格的なラブドールだ。30万円以上もする、高級品だ。革張りの椅子に座らせている。
あれが神様なのか。確かに神々しい。島に流れ着いたものなのだろうが、傷が少ない。美品だった。
「今日も神様が見守って下さる! 神様に、拝礼!」
爺が叫び、人々は深々と頭を下げた。
「ねえ。泰三君。あのダッチワイフは、高そうだね」
放心状態だった直太郎が、意識を取り戻していた。
「あれは、日本のメーカーで作られたものだろうな。俺たちみたいに、流れ着いたんだろう」
ヨットも神様と呼んでいた。境内に祀られているものからも推察するに、島の者にとっては、島に流れ着いた物が、神様なのだろう。不気味な宗教だった。多くの物が流れ着いただろうに、なぜ、よりによってダッチワイフを選んだのか。どうせ爺の助平根性だろうが、腑に落ちなかった。
直太郎も、ダッチワイフをまじまじと眺めている。島の者は、長い間じっと拝礼を続けている。両手を地面に着けているために、俺たちの手に結ばれた縄を、掴む者はいない。チャンスだった。
体を傾けて、直太郎に耳打ちする。
「今だ。逃げるのなら、今しかない! 行くぞ!」
俺は正座を崩し、立ち上がった。直太郎も、立ったはいいが、足が痺れたらしい。そのまま、ずっこけた。
「悪人が逃げるぞ! 皆の者! 捕まえろ!」
宗教祖の爺が叫ぶ。
島の者たちが、瞬時に起き上がった。まるで猿人だ。電光石火の早業で、俺たちは取り押さえられた。
俺と直太郎は、羽交い絞めにされる。丁髷を結った男たちに、日本刀を突きつけられた。このご時世に、武士気取りだ。
静かなお社の中に、水が滴る音が響く。直太郎が小便を漏らしていた。畳に尿が染みてゆく。武士たちの目つきが、いっそう険しくなった。
「やれ! 儀式の途中だが、この場で斬り殺せ!」
爺が甲高い声で命じた。武士たちは、日本刀を振り上げる。絶体絶命だった。
ピピピピっと、電子音が響く。武士たちが腰を抜かして、尻餅をついた。俺を羽交い絞めにしていた者も、すぐさま離れてゆく。
腕時計だ。俺の腕時計が、午前の十時を知らせていた。奇跡に近かった。まるで、火を恐れる野生動物だ。聞き慣れない電子音が、怖いらしい。
「これを見ろ! 爆発の神だ! 俺がその気になれば、今すぐにでも、このお社を吹き飛ばせるぞ! お前ら諸共、木端微塵だ!」
腕を突き上げて、腕時計を見せつける。
「爆発! 爆発ー! 大変だよー! 爆発するよー!」
花撫が燥いで、飛び跳ねる。
「爆発神だ! 皆の者! 避難しろー!」
爺はダッチワイフに抱きついた。
「逃げろー! 世界が滅びるぞー!」
島の者たちは、腰を抜かしたまま立てないらしい。手で這いながら、お社を出てゆく。爺もダッチワイフを抱きかかえて、逃げ出した。
「早く逃げないと、やばいよー! 爆発だよ、爆発ー!」
花撫は、俺の尻をペンペン叩いて、喜んでいる。
お社の中には、俺と花撫、直太郎だけが取り残された。
「お前は逃げないのか? 爆発したら、お前も死ぬんだぞ」
「大丈夫だよ! 皆で爆発すれば、きっと楽しいよ!」
俺の腕時計に触れようとしてくる。恐怖心がないらしい。
「皆は、爆発が怖くて逃げたんだよ! 早く行け!」
外に追い出そうとするが、「大丈夫だよ!」と、俺の胸を叩く。
爺が、お社の中を覗き込んだ。
「花撫! 逃げて来い! 神様がお怒りだ!」
「神様が! 大変だー! 世界が滅びるよー!」
先ほどまでの陽気さが消えて、泣きながら逃げてゆく。
「泰三君。今のうちに逃げよう。ヨットまで!」
直太郎が走ろうとする。
「待て! 仕事が残っているぞ」
引き留めて、俺は御扉へと向かった。
「仕事ってなに!? そこにはもうダッチワイフもないんだし、用はないよ!」
直太郎はなにも分かっていない様子だ。ダッチワイフがなければ用はない? こいつは、ダッチワイフがあれば、なにか用があるのか?
御扉の金の装飾。俺はこれに目を付けた。メッキにはない高級感がある。かなり立体的で、重そうだ。
独特の模様をした装飾に触れる。撫子の花の模様だ。純金に触れた経験はない。しかし直感が告げている。これは、本物だ。
御扉の金を全て剥がしたら、百キログラムくらいあるかもしれない。興奮に、体が震えた。
「泰三君! どうしたの? そこにはもう、ダッチワイフはないよ! 爺が持って行ったよ。そんなに欲しかったのなら、追いかけよう」
「いいから、こっちに来い! 俺たちは文字通り、大金持ちだ。ダッチワイフなら、いくらでも買える!」
俺は、わざとらしく、金の装飾を叩いた。
「まさか。それを盗む気?」
直太郎が、俺への非難のこもった口調で尋ねた。
「金だぞ、金! これを頂戴すれば、しばらくは、働かなくて済む! もう、アルバイトをしながら、披露する機会もないネタ作りに励む生活とは、オサラバだ!」
「それで、いいの? その装飾は、この島の人々が大切にしている物だと思うよ。花撫ちゃんも」
こいつは変なところで真面目になる。一般的には長所なのだろうが、芸人として見るとつまらない奴だ。
「いいんだよ! 俺には関係ない。俺たちを殺そうとした奴らだぞ。仕返しだ!」
「僕は堂々とテレビに出られない人間と、コンビではいたくないな。それに、島の人たちにバレたら、次こそ本気で殺されてしまうよ……」
「そこまで言うか。分かった。お前とのコンビを解散するくらいなら、金なんて、捨ててやる。行くぞ、直太郎! 売れればいくらでも稼げる! 逃げるぞ!」
俺は潔く諦めた。解散を恐れての断念ではない。バレたら、殺される。その意見に同意した。あいつらなら、俺を八つ裂きにして、内臓でホルモン鍋をしそうだ。
「泰三君……。僕は泰三君が相方で良かったよ!」
直太郎が、目を潤ませた。俺の台詞を真に受けている。つくづく利用しやすい奴だ。