第八章『唇』
夢を見ていた。
木陰に座って、アルフェミアが気持ちよさそうに風を受けている。
その隣りに座っているのは機械戦士じゃなく、生身の、武上直人のままの俺。
何かを話すわけでもなく、ただ二人で木陰に座って、風を受けているだけ。
寄せ合った肩から伝わる、アルフェミアの温かさは、鎧越しに感じるものとは全然ちがっていて。
その触れあった手の柔らかさを感じて、甘い電撃が背筋に走るのを感じた。
「アルフェミア」
呼びかけて、おそるおそる肩を抱こうと手を伸ばした。
「クロード」
名前を呼ばれて、手が途中で止まった。拒まれたのだろうか。
そうではないということは、俺の顔を見つめる、アルフェミアの紅潮した頬が語っていた。
アルフェミアの目が閉じられた。
そして、俺は……。
目を開けると、そこにあったのは石造りの天井。
柔らかいものが当たったはずの場所を指で触ると、兜の頬当ての硬い感触がした。
「夢だったのか? もしかして?」
横で寝ているはずのアルフェミアを見ると、アルフェミアも同じように指で自分の唇を触っている。
いつものように、白いコードでつながれた俺とアルフェミアの手。
こうやっていると意識が共通化するとかで、同じ夢を見てしまうわけで。
まさか、俺がさっきまで見ていた夢、アルフェミアも見てしまっていたとか。
横でアルフェミアが何か言うのを待っていると、普段は無表情な彼女の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
やばい。俺が変な夢を見たから、怒り出したのかも。
「ごっ、ごめん、アルフェミア」
「申し訳ありません、クロードっ!」
へっ?
同時に頭を下げたので、俺の兜とアルフェミアの頭がぶつかりそうになる。
「なんで、アルフェミアが謝るの? さっきの、俺の夢だろ?」
前にアルフェミアの故郷の夢を見た時は、俺の存在は陽炎のようで、他人の夢を横からのぞいているのだとわかった。今回は、俺の夢だったに違いない。だって、俺も夢の中にいたんだから。
シュルンと音を立てて、手首の中にもどっていく白いコード。
アルフェミアは、それ以上のことは何も言わずに、部屋から逃げ出してしまった。
「修行が足りないのかもしれないなあ」
変な夢を見て、アルフェミアに迷惑をかけてしまった。
サークルカウンターでの指名はもう終わっているので、差し当たり、一人でも大丈夫なことは大丈夫なんだけど。
次の対戦相手は、灼熱の戦斧セルゴア。
性能的には、俺が今まで戦ってきた相手を全て上回っていて、しかも、フレイムアクスという強力な武器を手にしているので、アルフェミアがとても心配していた。モーターブレードとフレイムアクスの間合いは一緒で、しかも性能が段違い。スピードも、パワーも、装甲の頑丈さも、相手の方が勝っている。
重量級機械戦士は、無双の城壁ルーケンを相手にしたことがあるけど、それよりも強い相手だそうだ。
でも、俺は別に、以前のように不安にはなっていなかった。
むしろ今は、アルフェミアに迷惑をかけてしまったことの方が気になる。
「刺激が強かったもんなあ」
毎日のように、俺にまたがって修理や調整の作業を行うアルフェミア。一生懸命にやってくれて、ありがたい限りなんだけど、やっぱり、同い年の女の子と密着しているっていうのは、15歳の健康な男子の俺にとって、刺激が強過ぎる。
そう思っていた矢先、水着みたいな、ほとんど布地が無い服を着たタルフォードが、俺の横を通り過ぎた。
「こんなこと、している場合じゃないんだけどなあ」
それでも、振り返って、水着みたいな服を着たタルフォードの尻をながめてしまう。
「吉乃さんが見たら、絶対に軽べつするだろうなあ」
そして、アルフェミアは怒り出して、また針で刺すような目で、俺をにらむだろう。
「とりあえず、練習しよっか」
その日は、オートレイも遊びに来てくれなくて、ティガスやオスグットと一緒に、練習場で体を動かした。
窓から星空をながめながらの帰り道。
殺風景な石造りの廊下に、きれいな歌声が響いてくる。
「だれが歌っているんだ?」
鳥のさえずりのような、小川のせせらぎのような、軽やかな、美しい旋律。
その歌声の主を知りたくて、俺は歌が聞こえてくる方へ、足を動かした。
窓際に立ち、胸に軽く手を当てて歌っているのは、水色の法衣を来た、鮮やかな緑色の髪を三つ編みにした少女。
「ああ、リーネだったのか」
俺の試合が終わる度に、悪態をついてくる憎たらしいタルフォード。だけど、その歌声は、そんなことが信じられなくなるほど、美しかった。
「黒の狂戦士? 今、忙しいんだから、話しかけないで」
リーネはやっぱり、憎たらしい口を利きながら、俺をじろりとにらんだ後、歌を再開した。
心が安らぐような、だけど、それでいて悲しくなるような曲。
「きれいに歌えるんだな」
「きれいなのは、私の声じゃなくて、この歌だよ。戦争で散っていった機械戦士たちの魂を、安らぎの国に送る歌。戦争が終わった今では、もう歌われることはないけど。たまには、だれかが歌ってあげないと、悲し過ぎるからね」
一通り歌い終えると、リーネは、よほど俺のことが嫌いなのか、敵意むき出しの顔で俺のことをにらんだ。
「クロード。今度こそ、年貢の納め時だよ。灼熱の戦斧セルゴアって言ったら、戦う相手を徹底的に叩きのめす、とっても強い機械戦士なんだから」
第一回戦で俺に負けたリーネのパートナー、紅蓮の騎士エリフは、胸に受けたダメージの回復が思わしくないらしく、それからの戦績は良くなかった。最初の順位にもどれるかも怪しいような調子だ。
飽きもせずに俺に絡んでくるリーネに、俺は呆れて言った。
「俺なんかにかまってないで、エリフの整備でもしていた方がいいんじゃないか?」
「それができるんだったら、やっているよ」
本当にくやしそうな様子で、リーネは言う。
「できるとか、できないじゃなくて、やれよ」
その言葉を聞いて、俺は腹が立った。俺がアビセンナに胸を斬り裂かれた時、アルフェミアは一晩中、寝ないで修理をしてくれた。俺を直そうと一生懸命に頑張ってくれた姿を忘れることはできない。
「だから、やれるんなら、やっているってっ!」
俺よりも先に、ガキんちょのリーネの方がキレる。怒りで握りしめられた手は傷だらけで、機械油で黒くなっていた。
「あんたに蹴られたエリフの胸の傷は、コア・クリスタルの近くまで達しているの! 本当なら、試合に出るのだって危ないくらいなんだからっ! あたしが修理したって、ひどくなるばっかりで、直りなんかしないんだからっ!」
コア・クリスタルとは、機械戦士の首元に位置する、心臓のようなもの。アルフェミアの説明では、このコア・クリスタルという拳ぐらいの大きさの宝石があるから、機械戦士として活動できるのだという。だから、機械戦士は頭を潰されるか、首をはねられるかすれば死ぬ。
エリフは平気だと笑っていた。
次は負けないぞ、と言っていた。
「それなら、なんで試合に出るのを止めないんだ。おまえ、エリフのパートナーだろうが」
鋭い太刀筋を見せた、赤い鎧の機械戦士の姿を思い出して、俺は質問を続ける。
「元の順位にもどるまで頑張るんだって、エリフは言うもの。だったら、タルフォードである、あたしが止められるわけないじゃない」
リーネは泣いていた。
俺は自分が悪いとは思わなかった。俺にだって、勝たなければいけない理由はある。エリフにも、勝たなければいけない理由があるんだろう。ただ、結果として、俺が勝ってしまったというだけのことだ。
アルフェミアの言うとおり、エリフの実力からすれば、リーネはまだ、ずっと実力が下なのだろう。そして、そのことがエリフの足を引っ張り、エリフ自身だけではなく、リーネの心も苦しめている。
リーネの泣き声が、耳に痛かった。
「なあ、参考になるかどうかはわからないんだけど」
修理を受けている、俺にとっては退屈な時間の時、アルフェミアから聞いたことがある。
「修理や調整作業のコツっていうのは、何度でも最初から、やり直すことなんだって。完璧にできたと思っても、わずかな傷、わずかな欠点が残っているかもしれない。そして、そのわずかな傷害が、結果として、重大な結果を発生させてしまうことがあるんだって。だから、あきらめないで、最初から、何度でもエリフの傷を確認してみろよ。もしかしたら、調子がもどるかもしれないぜ」
噛んで含めるように、ゆっくりと、俺はリーネに、アルフェミアから聞いたことを話した。
リーネは、いつの間にか泣き止んで、真剣な瞳で、俺の言葉に耳を傾けている。
「回線っていうのは太い方が性能がいいんだけど、コア・クリスタルの近くとかは、特に注意して太さを選ばないと、返って不調を起こすんだって。その時の環境、状態によって最適の太さというものがあって、そういうものを選んでやらないと駄目だってさ」
それが一番のヒントになったのか。リーネの顔に、喜びの色が浮かんだ。
「礼なんか言わないよ」
そう言うと、リーネは飛ぶようにして、自分とエリフの部屋へ走っていく。
役に立てたんだろうか。
残った後半戦。
紅蓮の騎士エリフが活躍できるといいな、と思いながら、俺は部屋へと帰っていった。
カチリ、カチリと、なにかをはめこむ音。
モーターブレードの刀身に、研いだばかりのサメの歯のような三角の刃をはめこんでいたアルフェミアが、俺の方を振り向いた。
「先ほど、緑色の小悪魔が、私に頭を下げに来ました。今まで、ひどいことを言って、ごめんなさい、だそうです」
緑色の小悪魔って、リーネのことか?
思わず笑いながら、俺は作業をしているアルフェミアの横に座った。
「もう許してやれよ。謝ったんだろう?」
「黒の狂戦士という二つ名が定着してしまいました。ひどい侮辱です」
そう言いながらも、刃をはめこむアルフェミアの顔は怒っていなかった。
「今回は許しますが、部屋での話を、あまり外で話すものではありません。リーネに情けをかけたつもりでしょうが、それが後で仇になることもあるのです」
「そうかもな」
言葉は厳しいけれど、アルフェミアは怒っていない。刃の列をはめ込み終わったアルフェミアは、作業に疲れたのか、俺の方に体をもたれかけさせた。
「クロードは優しいのですね。まるで、いにしえの機械戦士を見るようです」
「最高の褒め言葉だな。ありがとう、アルフェミア」
人が死ぬことが日常だった時代から続く武上流。いにしえの技を伝え続ける俺たちにとって、昔の戦士、侍のようだと言われるのは、本当に嬉しいことだった。
「これは秘密ですが、私の方からも、リーネに具体的な忠告を与えておきました。紅蓮の騎士エリフは、怪我から立ち直るでしょう」
「なんだ、アルフェミアも同じことをしているじゃないか」
「パートナーであるクロードの流儀に従ったまでです」
お互いに、微笑んでいた。
もしかしたら、間違っているかもしれないけど。
それでも、いいことをしたのだと信じたかった。
それは、アルフェミアも俺も、同じ気持ちだった。
「そう言えば、俺も謝ることがあったんだ」
リーネの話をしていて、すっかり忘れていた。
「なんのことですか?」
「今朝の夢のこと。ごめん、変な夢を見せちゃって。今日は思いっきり体を動かしたから、もう見ないとは思うんだけど」
「変な夢って……えっ?」
思い出したのか、アルフェミアの顔が一気に赤くなる。
やっぱり覚えているよなあ。
「いっ、いえ、それはいいのです。クロードがそう思っているのなら、問題はありませんから」
「えっ?」
バタバタと手を振り、なぜか焦って話すアルフェミア。
なんのことを言っているのだろう。
結局、わからないまま、眠る時間が来る。
その夜は、変な夢を見なかった。
「随分とあっさり勝っちまったなぁ」
「大したことなかったよ、実際」
練習場でモーターブレードを振りながら、俺は隣りで座っているだけのティガスに答えた。
「すごいな。灼熱の戦斧セルゴアって言ったら、ちょっとは知られた機械戦士なんだぜ。それを大したダメージも受けずに勝っちまったもんなあ」
感心したように言っているけど、ティガスの順位は俺よりもずっと上だ。疾風の騎士っていう二つ名は伊達じゃないみたいで、最初から優勝争いに絡んでいるらしく、サークルカウンターも俺よりずっと上の位置で上下を繰り返している。
「ティガスは優勝を狙っているのか?」
「もちろん。機械戦士なら当たり前のことだろ」
それなら、俺はティガスと戦うこともあるかもしれない。
アルフェミアに迷惑をかけまいと、本気で戦った昨日の戦い。
灼熱の戦斧セルゴアは、呆気ないほど簡単に、闘技場の地面に倒れてしまった。
あの砂漠の戦士アビセンナの太刀筋と比べたら、燃えさかるだけの炎の斧なんて、こけおどしに過ぎない。
本当に、そう思えてしまうほど、昨日の試合は呆気なかった。
「優勝したら、オートレイは俺のもんだ。知っているか。噂では、オートレイは特性付与を全て備えているっていう話だ。彼女を手にすれば、中央で大活躍するっていうことだって夢じゃないんだぜ。より強く、より速く、より頑丈になれる。機械戦士にとって、これ以上の褒美はないぜ」
「ミュンザの特性付与って、回線伝達速度の向上と流体装甲だったっけ。いいんじゃないの? タルフォードがミュンザのままでも。速さが売りのティガスが、頑丈になったり、力強くなったりしても、あまり意味がないと思うけどなあ」
「馬鹿を言うな、一つ目。おまえには現実味がないかも知れないけど、優勝を狙っている俺にとっては、オートレイをパートナーにするのは、手に届きそうな夢なんだ。考えてみろよ。あんな美人の細い指で修理してもらえるんだぜ? 想像しただけで、たまんなくなるだろ?」
「それを言うと、オートレイは怒ると思うんだけど」
一人で妄想して、飛行機みたいな変わった形の体をクネクネと動かしている機械戦士ティガス。
「そうですね。愉快とは言えませんわ」
どことなく固い感じのするオートレイの声が聞こえたので、その気色悪い動きは止まった。
涼しげな微笑みに、どことなく怒気を感じさせながら、オートレイが俺たちの近くに立っている。
「やっ、やだなあ、見てたんですか、オートレイ。誤解しないでくださいよ。俺は真面目な男なんですから」
そう言うと、ティガスは立ち上がって、わざとらしいほど猛烈な勢いで、三段突きの練習を始める。
アルフェミアに、ティガスの試合をデータリングで見せてもらったけど、この三段突きの速さって洒落にならない。ほとんどの試合で、ティガスは、この三段突きを決めて勝利を収めているぐらいだ。
「クロード様。昨日の試合は、お見事でした。ますます冴え渡る剣の技。見惚れてしまいます」
そう言われると、照れるなあ。
おい、ティガス。後ろでビュン、ビュン、うるせえぞ。
「オートレイ。俺の試合はどうでした?」
「拝見しておりませんわ」
冷たく言って、オートレイは、俺たちのそばから去っていく。
「なんで、俺にはそんなんなんだよぉ」
下心、丸出しだからだろう。
ティガスの悲しげな声を聞きながら、俺はそんなことを思った。
この世界に来てから一ヶ月近く。
六人目の対戦相手は、死神の鎌シヴァイル。やっぱり、俺よりも性能は高くて、ずっと強いみたいなんだけど、俺は不安になったりはしていなかった。
自信でもなく、あなどりでもなく。
みんなが強い、強いと言うほど、高性能の機械戦士は優れていると思わないからだろう。
アルフェミアは心配しているが、前みたいに不安を口にしたりしない。
ただ黙々と調整を続けて、俺を試合に送り出してくれる。
その無言の激励が、なによりも嬉しかった。
変わったことと言えば、練習場につながる廊下を歩く度に、見たこともないタルフォードが、親しそうに微笑みかけてくれたり、声をかけてくれたりしてくれるようになったこと。
適当にあしらっているんだけど、中にはしつこく話かけてくる奴もいて、面倒くさいこと、この上ない。
「なあ、アルフェミア。練習場に行く時、一緒にいてくれないか。最近、タルフォードたちが俺をかまうから、邪魔でしょうがないんだ」
「あまり、彼女たちに冷たくしないでください。その方が、後でクロードのためになります」
なんでだろう。
くわしいことをアルフェミアに説明してもらう前に、部屋の扉がノックされた。
部屋に入ってきたのは、編みカゴを持ったオートレイだった。
「お菓子を焼いてみたのです。よろしかったら、食べて下さいませんか」
そう言って、オートレイが持ってきたのは、焼きたてのクッキーだった。
「よかったじゃないか、アルフェミア。差し入れだってさ」
そう言ったんだけど、返事はなく、アルフェミアは見事な、ふくれっ面をしていた。
「なんで、怒っているの? 俺、口がないから、物は食べられないだろ。だから、これはアルフェミアに焼いてくれたんだって」
オートレイがたまに部屋へ遊びに来ても、冷たい態度で追い払うアルフェミア。それなのに、わざわざ手間をかけてクッキーを焼いてきてくれるなんて、オートレイは優しい人だなあ、と、そんなことを思いながら言ったんだけど。
「その焼菓子は、私に対してではなくて、クロードに贈られたものです」
「へっ?」
口がないのに、どうやって食べるんだろう。
「美味しく焼けたと思います。食べてみてもらえますか」
そう言って、にっこり笑ったオートレイが、俺の横に座って、自分の手を差し出した。その白い手から伸びているのは、白いコードの神経束。俺と手をつなげってことかなあ。確か、同じ夢を見ることができるくらいだから、味覚ぐらいは共通で持てるのかもしれない。
「なにをしているんですかっ!」
オートレイと反対側に座っていたアルフェミアが、いきなり、ものすごい剣幕で怒り出した。
「はい。クロード様に、お菓子を食べてもらおうと思ったのです」
炎みたいに真っ赤な顔をしているアルフェミア。対して、オートレイは涼しい顔。
この二人、ものすごく相性が悪いのかもしれない。
「クロードは私のパートナーです。勝手に接続することは許しません」
そう言うと、アルフェミアは俺の手を握った。俺の意思とは無関係に手首から白いコードが伸び、二人の手がつながる。
「では、アルフェミアもご一緒にどうぞ」
そう言って、オートレイはクッキーの入った編みカゴをアルフェミアに差し出す。
アルフェミアは不機嫌な表情のまま、クッキーを一枚かじった。
俺の口があった辺りに、確かに、クッキーの砕ける感触が広がる。
「あっ」
久しぶりに、食べ物を口に入れた感触は、とても新鮮だった。感動で、俺は思わず声を出す。
そして、その後。
聞いている者が切なくなるぐらいの悲鳴を上げた。
「ぐぅわああああああああっ!」
口の中に広がった、猛烈な味。まずいという言葉を越え、衝撃と言って差しつかえない味。
言葉で表現すると、酢とタバスコと味噌とヨーグルトとナンプラーとハチミツを一緒にしたような、すさまじい味だった。
「アルフェミア?」
「なんのことでしょうか?」
アルフェミア、そのクッキーは危険だ! 早く口から吐き出せっ! さもないと、俺が死んでしまうっ!
平気な顔でクッキーを食べ続けるアルフェミアと、その横で悲鳴を上げて、のたうち回る俺。
「アルフェミア?」
「ですから、私は知りません。美味しいクッキーですね」
美味しくねえっ! どちらかというと、そのまま幽体離脱して死後の世界を垣間見れそうな味だろっ!
俺が苦しんでいるのに、微笑んだままのオートレイ。二枚目のクッキーに手を伸ばそうとしているアルフェミア。
「アルフェミア?」
「わかりました。今回は譲りましょう」
三回目に、オートレイが微笑みと一緒に呼びかけた時、拷問は終わった。
アルフェミアが二枚目のクッキーを食べたので、再び、あの地獄のような味が口のあった辺りに発生するのだと思って、俺は恐怖を感じるどころか失神しそうになっていたんだけど、感じたのは、甘い砂糖の味。
ほのかに感じる香ばしい木の実の香りが、とても心地よかった。
「美味しいですか、クロード様?」
うん。一枚目と比べると、全然違う。
「よかったですね、クロード」
そう言うアルフェミアの顔は、まったく笑っていない。一枚目のクッキーの時に、アルフェミアが何か細工をしたのかもしれない。けど、俺は、彼女とつながったままの白いコードを見て、とっても命が惜しくなったので、それ以上は追求しないことにした。
カチャカチャという音が、部屋の中に響く。
アルフェミアは、モーターブレードの刀身に新しい刃の列を並べ、その具合を試している。
「もしかして、オートレイのことが嫌いなのか?」
背中を向けたまま、なにもしゃべってくれないアルフェミアに、俺は思いきって聞いてみた。
「好き嫌いの感情はありません。オートレイの無作法な行動に腹が立っただけです」
むしろ、アルフェミアの方が礼儀知らずだったような気がするんだけど。
「私は礼儀知らずではありません。あと少ししか一緒にいられないとはいっても、クロードはまだ、私のパートナーです。オートレイは、あまりにも不作法です」
あと少ししか、一緒にいられない?
なんで?
突然の言葉に、俺はあわてて理由を聞いたんだけど、アルフェミアはいつものように説明してはくれなかった。
なんでだよ。
中心に向かって転がっていく、黒い宝石。
六回目の戦いで機械戦士シヴァイルを倒した俺の順位はさらに上がり、優勝争いに加われる順位に入った。
「どうだよ、アルフェミア。俺が最初に言ったこと、嘘じゃなくなってきただろ?」
最初の頃よりは自信ないけど。それでも嬉しくなった俺が言うと、
「そうですね。本当に優勝するかもしれません」
なぜか、うつむいたまま、アルフェミアは暗い声で答えた。
「なあ、アルフェミア。最近、暗いんだけど。俺、なにか悪いことしたのか?」
「クロードは何も悪くありません」
それ以上、アルフェミアは喋ってくれなかった。
仕方なく、一人でサークルカウンターを指差し、次の対戦相手を指名する。
「おい、見ろよ。黒の狂戦士がまた、すげえ相手を選んでいるぞ」
「いくらなんでも、今度は無理だろう」
「いや、あいつならやるって。賭けてもいい」
周りの機械戦士たちは、好き勝手なことを喋っていた。
闘技大会もいよいよ大詰めを迎えて、優勝しそうな奴の名前も決まってきた。
七回目に戦う、俺の次の相手は、蛇身の戦士ラウラ・ロラ。下半身が二本足じゃなくて、蛇みたいになっている奇妙な格好をした機械戦士だ。ジャベリンと呼ばれる短い槍を使い、その動きは変幻自在。
でも、ここまで来たら、戦うしかないわけで。
変わらずに練習場に通う俺。いつものように、修理と調整を続けるアルフェミア。
だけど、アルフェミアは最近、すごく暗くて、あまり話さなくなってきた。
俺が話しかけても、気のない返事を繰り返すばかり。
どうしたんだろうか?
「アルフェミアの様子がおかしいんだよ。なにか知らないか?」
顔を見ても、まともに喋ってくれない。話しかけても、すぐに会話を止めてしまう。
心当たりが全然なくて困ってしまった俺は、アルフェミアの友達のミュンザに相談した。
「ティガスは馬鹿だと思っていたけど、クロードも馬鹿だったとはね。本当、タルフォードって報われないよ」
「なんだよ、それ。ちゃんと答えてくれよ。俺、本当に困っているんだからさ」
部屋で一緒に暮らしているアルフェミアが暗いと、こっちまで気分がまいってしまう。
「焦らなくても、すぐにわかるって。あんたが、このまま勝ち進んでいくならね」
ミュンザの言っていることはわからない。
その目も、何も教えてはくれない。
その後ろで響くのは、トタトタトタという足音。
「待ってくれよ、オートレイ。優勝したら、俺のタルフォードになるんだからさ。今のうちに、少しでも親睦を深めておこうよ」
疾風の騎士の二つ名で呼ばれているティガスに追いかけられているのに、ドレスの裾をつかみ、意外なほどの速足で逃げているオートレイ。
「クロード。手に持っているモーターブレードを貸して」
「いいけど、壊さないでくれよ」
「大丈夫。先に、ティガスの頭が割れるから」
ミュンザの怒鳴り声。ティガスの悲鳴。金属が引き裂かれる音。
いいなあ、あいつら。悩みなんてなさそうで。
殺伐とした光景に練習場にいた連中が怯える中、そんなことを思った。
振っている剣先が鈍く感じられる。
強敵との試合を前にしているっていうのに、モーターブレードは、いつもより重く感じられた。
「まいったなぁ」
練習場でモーターブレードを振りながら、俺はぼやいていた。
「アルフェミアが変なことを言うから、妙に意識しちまったのかもなぁ」
あと少ししか一緒にいられない。
優勝したら、俺は人間にもどり、吉乃さんと一緒に元の世界へ帰る。
そのことを言っているのだろうか。
「そう言えば、もう少しなんだよなあ」
あと三回、勝てばいい。
アビセンナに負けて以来、そんなに自信はなくなったんだけど。
それでも、なんとかなるような気がする。
頑張っているのは、俺一人じゃないから。
今日もまた、アルフェミアは黙々と作業を続けている。
こいつって本当に真面目で、放っておくと、ずっと働き続けるんだ。
「なあ、アルフェミア。今度の試合のことなんだけど」
俺が話しかけても、アルフェミアは忙しいのか、背中を向けて作業を続けたまま、返事もしてくれない。
その間、俺はベッドに腰かけて座っているだけで、暇で仕方がなかった。
黙って作業を続けるアルフェミア。
そのアズキ色のワンピースを着た肩は、たまに悩むようにピクリピクリと震えた後、また忙しそうに動き続ける。
タルフォードになる前、アルフェミアが人間だった頃。彼女は牧場で生まれ、馬と一緒に育ったそうだ。
言われてみると、確かに体つきは細いんだけど、背中の腱は健康的に盛り上がっていて、太股なんかもかなり太い。その太股の上につながる、お尻も大きい。牧場育ちで鍛えられた結果だろうか。胸はガキんちょのリーネと同じくらいで、非常に慎ましやか。言ってみれば、ペチャパイのデカシリなんだけれども。
「なにか、変なことを考えていませんでしたか?」
退屈になって、つまんないことを考えていると、それまで、いくら話しかけても返事をしてくれなかったアルフェミアが、俺の方を振り向いていた。
「考えてないよ。ただ、やることがないなって思って」
「もう少ししたら、相手をしてあげますから。いい子にしていてください」
俺は、おまえの子供かよ、おい。
文句を言おうと思ったんだけど、アルフェミアがまた背中を向けて、忙しそうにカチャカチャと音を立てながら作業を再開したので、俺はまた、観察を続けるしかなくなってしまった。
アルフェミアの引き締まった背中を流れる、青だか黒だかわからない、不思議な色の髪。それは光が当たる角度によって、雨に濡れたカラスの羽のようにも、透き通った海のようにも見えた。
その不思議な色の髪の間から、ちらりと見える、アルフェミアのうなじ。その首筋に光るのは、銀色のプレートのようなもの。
あれって、なんだろう?
前にも見たけど、結局、アルフェミアには聞かずじまいだった。
試合とかには関係ないし、暇つぶしの話題にしては、あまり面白くなさそうだったからだ。
でも、今は、あまりにもやることがなさ過ぎる。
アルフェミア、早く、作業を終わってくれないかなあ。
退屈過ぎた俺は、アルフェミアのうなじに光る銀色のプレートに、なんの気なしに指を伸ばした。
複雑な紋様が描かれたアクセサリー。
それは指をかけると、パコリと音を立てて外れて、その奥には真っ白な繊維の塊、糸玉のようなものが見える。
もしかして、俺やアルフェミアの手首から出る神経束のようなものかな?
アルフェミアのうなじの奥にある白い糸の塊は、いつも眠る前につなぐ白いコードよりもずっと細くて、柔らかそうに見えた。
試しに、指でつついてみる。
ふにゃりと、妙に柔らかな感触がした。
「ひゃひっ!?」
ひゃひっと、妙な悲鳴が聞こえた。
そして、うなじをすぐに手で押さえて、俺の方を振り向く。
「なっ、なにをするんですかっ、クロードっ!」
顔を真っ赤にして、目には薄く涙まで浮かべて、アルフェミアがすごい剣幕で怒鳴ってきた。
えっ? 俺、なにかしたっけ?
驚いて、指に持った銀色のプレートを見つめると、アルフェミアの手が、それをひったくった。
「大変態っ!」
へっ、変態?
ちょっと待て。今まで、馬鹿とかデクノボウとか言われたけど、変態っていうのはないぞ。
しかも、大をつけるな、大を。大変態って、なんか痴漢の王様みたいじゃないか。
俺が文句を言う前に、アルフェミアは扉を殴りつけるようにして開けて、部屋から飛び出してしまった。
なんなんだ、一体。
それから、しばらくして。
アルフェミアが帰ってこないので、探しに行こうかと思っていた頃、部屋の扉が開いた。
「こらっ、クロードっ! あんた、アルフェミアになんてことをしたのよっ!」
いつもニコニコと笑っているミュンザにいきなり怒鳴られて、俺は面食らってしまう。そして、怒鳴りこんで来たミュンザを先頭にして、リーネ、サイカ、イツキ、パーシエと、今まで会ったことがあるタルフォード、そして、会ったこともないタルフォードまで、十数人くらいが部屋の中に入ってきた。
「えっ? いや、それは俺が聞きたいんだけど?」
「馬鹿っ! 知らない振りが通るわけないでしょっ! アルフェミアがかわいそうじゃないのっ!」
普段はアルフェミアと仲が悪いはずのリーネまで、顔を真っ赤にして怒っている。
「変態」
「クロードさん、最低です」
「愚か者」
みんなに滅茶苦茶言われて、俺はすっかり途方に暮れてしまった。
なにを言ってもわかってもらえそうにないので、黙って、だれかが説明してくれるのを待つ。
どれだけ怒鳴りつけても、罵倒しても、俺が理解していないということを悟ったのか、部屋に怒鳴りこんできたタルフォードの中では、もっとも年長者のパーシエが、俺の顔をのぞきこむようにして、質問をしてきた。
「あなた、本当に、自分がなにをしたのか、わかっていないの?」
俺は黙ったまま、首を縦に振った。
「わかんないはずがないよ。クロード、嘘をついているって」
「リーネ。あなたは黙っていなさい。クロード、もう一度だけ聞きます。本当に、なにをしたのか、わからないのね?」
俺をにらみつけているリーネは無視して、また首を縦に動かした。
あきれたように、パーシエがため息をついた。
「そんなことって有り得るの?」
ミュンザが聞くと、パーシエはあきらめたように首を横に振った。
「クロードは、この闘技大会が始まった直後に覚醒したばかりだと、アルフェミアから聞いています。それが本当のことであるなら、機械戦士とタルフォードの体の構造についての知識がない、ということも考えられなくはありません」
アルフェミアと同じような生真面目な口調で、パーシエは眉をひそめて、困った顔をしている。
「でも、子供だって、そんなことは知っているのに」
知らねーっつーの。
「だから、とりあえず教えてくれって。俺、アルフェミアのうなじにあった首飾りを外して、そこにあった糸玉に触っただけだぞ。そりゃあ、勝手に、アルフェミアのうなじに触ったのは礼儀知らずだったかも知れないけどさ。そんなに悪いことをしたのか?」
そこにいたタルフォード全員がうなずき、そして、途方に暮れた顔をした。
「どうする? 教えろって言われても困るよね?」
「普通、こういうのはパートナーのアルフェミアが教えるもんじゃないの?」
「駄目だよ。それじゃ、アルフェミアがかわいそうだって」
闘技大会でライバルとして競い合っている割には、女同士の結束は固いのか、俺を取り囲んで文句を言っていたタルフォード一同は、困惑した表情を浮かべたままで、なにかを話し合っていた。
そして、最後に、アルフェミアと同じ神殿の出身であり、先輩でもあるパーシエに、視線が集まった。
「なぜ、私が?」
自分の顔を指差して、パーシエはとても迷惑そうな顔をしている。だけど、タルフォードたちも困っているのか、助けを求めるような顔でパーシエを見つめていた。
ため息をついて、パーシエは改めて、俺の方に向き直った。
「いいですか、クロード。大事なことですから、よく聞いておきなさい。あなたが首飾りだと思っていたのは、タルフォードにとっては下着と一緒の意味を持つのです」
下着って、アルフェミアが寝る時に着ている、薄い布でできた服のことかな?
そうではない、と、パーシエは首を横に振り、自分の腰の横辺りを叩いた。
「ここを包むものと同じ意味を持つのです。つまり、あなたがやったことは、アルフェミアの下履きを脱がして、その奥にあるものに指を突っ込んだということ。どれだけのことをしたのか、わかりましたか?」
学校の先生のような口調のパーシエの言葉をよくわからないながらも聞いていた俺は、兜の奥にあるはずの脳から、血の気が引いていくのがわかった。
「つまり、俺がやったことは、アルフェミアのパンツを脱がせたのと同じことなの?」
それって、とってもまずいのではないだろうか。
「あなたは、それよりも、もっとすごいことをしています」
そこまで言ってから、パーシエは顔を赤らめて、ゴホンと咳ばらいをした。
「アルフェミアには、私から言っておきます。無知は罪ではありませんが、許されないこともあるはずです。反省しなさい、クロード」
「はい……」
あー、俺の馬鹿っ!
いくら暇だったからって、大事なパートナーに、なんてことをしていやがるんだ。
俺の馬鹿、俺の馬鹿、俺の馬鹿、俺の馬鹿。
自己嫌悪の声は、しばらく鳴り止みそうになかった。
夜もふけた頃。
もうタルフォードたちも去り、静かになった部屋の扉が、キィと小さな音を立てて開いた。
泣いていたのか、目を赤く腫らしたアルフェミアが、扉の影から、部屋の中をうかがうようにして、俺の方を見ていた。
「ごめんっ、アルフェミアっ! 本当にごめんっ!」
どう言ったらいいのかわからないので、とにかく頭を下げた。
アルフェミアは、厳しい目で俺を見ていたけど、うつむいて、小さな声でつぶやいた。
「もう、謝らなくてもいいです」
そう言うと、いつものように、ベッドの横に腰かけて、アルフェミアは俺が同じように腰かけるのを待った。その顔はもう、いつもの生真面目な表情にもどっていて、どうやら許してくれたようだった。
「パーシエ先輩から、くわしいことは聞きました。クロードは、機械戦士、タルフォードについての知識がない。あまりの事態に、そのことを忘れていました。今回は、私も騒ぎ過ぎてしまったようです」
口調は大人なんだけど、アルフェミアの頬には、まだ涙が落ちた跡が残っていて、俺は本当に申し訳ない気分になってしまった。だけど、まだ頭を下げようとする俺を、アルフェミアは手で制した。
「謝らなくていいです。傷ついたわけではなく、驚いただけなのですから」
「えっ?」
アルフェミアが、なにを言っているのかわからなくて、俺は聞き返そうとしたんだけど。
「さあ、寝ましょう。明日も早いはずです」
手首から白いコードを伸ばしたアルフェミアは、なにも教えてはくれなかった。
その日の夜。
いつもなら、俺はすぐに眠りの中に落ちこんでしまうはずなんだけど。
となりで静かに寝息を立てるアルフェミアの体から、甘い桃のような匂いが強く香ってくるような気がして、なかなか寝つけなかった。
昨日の騒ぎの後、アルフェミアは少しだけ明るくなったような気がする。
あれだけ失礼なことをしたのに、俺に話しかけてくれるようになった。
聞いてくるのは、俺が人間だった時のことばかり。
「クロードは何歳ぐらいの時に、機械戦士になったのですか?」
「吉乃さんと一緒に、この世界に飛ばされたのが、中学校の卒業式の時だったから。十五歳だな」
「それでは、私の方がお姉さんですね。私は十六歳ですから」
えっ? アルフェミアって、吉乃さんや兄貴と同い年なの?
てっきり、俺の方が年上かと思っていた。
他にも、生まれ育った家がどんなところだったのか、どんな友達がいたのか、どんな景色を見てきたか。今まで話したこと、話さなかったこと、いろいろと話した。
「優勝して、無事に家に帰れるといいですよね」
俺は、アルフェミアの言葉に、ありがとうと返しただけなんだけど。
その言葉に、どれほどの想いがこめられているかなんて、想像もしていなかった。
六戦目で、異形の機械戦士ラウラ・ロラを打ち破った。
蛇身の体にカタパルトランスを撃ち込み、刃を弾く鱗ごと、胴体を叩き潰した。
あと三回、試合に勝てば、俺は人間に戻って、吉乃さんと一緒に家に帰ることができる。
だけど、サークルカウンターの青い宝石が中央に向かって転がっていくのを見ても、アルフェミアは前のように喜んでくれなくなった。
「ここまで来ると、さすがに感慨深いな。あと三回だ」
サークルカウンターを見ると、紅蓮の騎士エリフも順位を上げていた。どうやら、胸の傷は完治したらしい。
「見ろよ、アルフェミア。リーネの奴、ちゃんと修理ができるようになったみたいだぜ」
「そうですね」
嬉しいことのはずなんだけど、アルフェミアの返事は素っ気ない。
それは、翌日も変わらなかった。
サークルカウンターの前に立つ。
アルフェミアの隣りで次の相手を指名しようとすると、俺の指先に、回りの視線が集まっていることに気がついた。
「なあ、アルフェミア。なんで、みんなが俺のことを見ているの?」
「遥かに実力で勝る相手に勝ち進んできたクロードの動きが気になるのでしょう。さあ、次の対戦相手を指名してください。といっても、私の助言など聞いてくれないのでしょうが」
「列の先頭の奴ね」
「やっぱり、予想通りでしたか」
呆れたように溜め息をつくアルフェミアが、俺の次の対戦相手の説明をしてくれた。
その顔に元気はなかったんだけど、俺には、その理由がわからなかった。
練習が一段落して、俺とティガスは練習場の地べたに座り込んで、くだらない話をしていた。
「なあ、あのタルフォードって、すごい格好をしているけど。あれって、まずくないか?」
「すごいって、なにがだよ」
練習場で、ハサミみたいな腕を振っている機械戦士。その横にいるタルフォードを指差して、俺は言った。
「だって、紐みたいな水着を着ているじゃないか。他のタルフォードは、全然、そんな格好なんかしてないし。やっぱ、まずいって」
なぜか俺は、名前も知らないタルフォードの格好について、熱弁をふるっている。
しょうがないだろ。俺だって、健康的な十五歳の男子なんだから。
俺の熱弁を、ティガスはしょうもなさそうに聞き流している。
「そうかぁ? 俺の国じゃ、あんなの普通だったけどな?」
「なに?」
「俺が産まれた国って南国で、海が近いんだ。毎日、熱過ぎるから、しょっちゅう海に飛びこまないとやってられないんだよ。だから、よぼよぼの婆さんでも、コルナみたいな格好をしている奴はいるぜ」
それは、ちょっと見たくないかも。
「やっぱりタルフォードっていうのは、あれだな。最後は性格だよ。優しくて、大人しくて、こっちの意見をちゃんと聞いてくれる人。そういうのが一番だって」
「ミュンザだって、優しくて、性格いいと思うけどなあ」
確かに、大人しくはないけど。
「そんなことねえって。あいつって、ものすごく乱暴で、俺のことを犬コロぐらいにしか思ってねえって」
そりゃまあ、男としては見ていないよな。どっちかと言うと、悪ガキあつかい。
ティガスが機械戦士になる前、人間だった頃、どんな姿だったかはわからないけど、きっと、ミュンザにとっては弟みたいな存在だったに違いない。だから、ティガスには本音が出るんだと思うんだけれども。
「それよりも、クロード。次のタルフォードは、だれにするのか決めたのか?」
「はあ? なにを言っているんだ?」
ティガスが変なことを言い始めたと思って、俺はなんの気なしに答えたんだけど。
「俺のお薦めとしては、メイフォアかシェラだな。二人とも、おまえに興味を持っているみたいだし、能力も申し分がない。おまえが今、パートナーにしているタルフォードと比べたら、段違いの性能だ」
「おい、それ以上言うと怒るぞ」
アルフェミアのことを悪く言われて、俺は不機嫌になった。
「おまえこそ、なにを言っているんだ? 優勝を狙っているんだろ?」
あと三回勝てば、俺は優勝できる。俺を半人前扱いしていたティガスの言葉も、それなりに変わってきていた。
「うっせえ!」
試合を明日に控えているっていうのに、俺はもう少しで、ティガスと殴り合いをするところだった。
どうも、おかしい。
俺の知らないところで、なにが起こっているんだろうか。
七回目の試合相手は、流星の騎士ラムタス。ロープフレイルと呼ばれる、紐でつながった多節棍を使う奴で、その軽快な動きは油断を許さない相手のはずだった。
だけど、アルフェミアの暗い顔、ミュンザやティガスの言葉が、俺を悩ませていた。
そして、練習場から帰る、俺の後ろについてくる連中も。
「あれが噂の、黒の狂戦士クロード? 大したことないように見えるけど」
「馬鹿ね。データリング見ていないの? 最低ランクの装備で、あれだけ戦えるんだから。ランクに合った装備をそろえてあげたら、すぐに優勝できるって」
「それって美味しいわね。楽して、優勝経験が得られるじゃないの」
自由参加をしてたり、昔のイツキみたいに新しいパートナーを探しているタルフォードたちが、俺の後ろを歩きながら、勝手なことをしゃべっている。
怒鳴りつけてやろうかと思ったけど、それも大人げない。
「クロード様は人気者なのですね」
まるでカルガモみたいにタルフォードたちを引き連れている俺の様子をオートレイが面白そうに見ていた。
白いドレスを着たタルフォード。
その姿は、本当にお姫様みたいで、他のタルフォードとは別格のように思えた。
「しばらく、ご一緒してもよろしいですか?」
そう言って、オートレイが俺の横に並んで歩き始めると、それまでしつこかったタルフォードたちは、いつの間にか、まばらに散ってしまった。
どうやら、オートレイに気おくれして、逃げちゃったみたい。助かった。
オートレイと肩を並べて、通路を歩く俺。本当なら、こんな美人と一緒に歩けるのなら、心がおどる状況であるはずなんだけど。
「なにか、お悩みでもお持ちなのですか?」
オートレイの言葉に、何も言わず、うなずいた。
「周りの者が言うことなど、意味はありません。クロード様のことは、クロード様が決めるべきです」
そうだよな、やっぱり。
アルフェミアをパートナーにしたままで、俺は戦い続ける。
そのことに不安なんかない。
だから、俺は気にしなくていいんだ。
七回目の闘技場に立ち、俺は流星の騎士ラムタスを打ち破った。
自分でも信じられないくらいの、圧倒的な戦いの末、俺は勝った。
ほとんど無傷で勝利した俺は、アルフェミアが喜んでくれると思って、ガッツポーズを取ったんだけど。
生真面目に体の前で手をそろえたまま、アルフェミアは涙をこぼしていた。
生真面目な表情は変わらないまま、アズキ色のワンピースを、涙が濡らしている。
なんで、泣いているんだ?
勝っちゃいけなかったのか?
「アルフェミア。言ってくれないとわからない。何が悲しいんだ?」
アルフェミアは何かを悲しんでいる。でも、それが何かはわからない。
自分の鈍さが恨めしかった。
青とも黒ともつかない、アルフェミアの不思議な色の髪の毛が揺れる。
久しぶりに俺の顔を正面から見つめると、アルフェミアは俺に向かって告げた。
「おめでとうございます、クロード。お別れの時がやってきました。私の代わりに、新しいパートナーを探して下さい」
「なんだよ、それ」
ひどい言葉だった。
そして、アルフェミアは何も教えてくれずに、俺の前から走り去ってしまった。
部屋にもどっても、アルフェミアはいなかった。
幸い、試合で傷を負うこともなかった俺は、アルフェミアに、さっきの言葉の意味を聞き出そうと思って、彼女を捜すことにした。
俺は、アルフェミアをパートナーから外すつもりはない。
アルフェミアだって、そう思ってくれると信じていた。
それなのに、なんで今さら、あんな、ひどいことを言われなくちゃいけないんだろう。
練習場に立ち、アルフェミアの姿を求めたけど、彼女はいない。
立ち去ろうとすると、練習をしていたティガスが、俺に話しかけてきた。
「それは、アルフェミアの言うことが正しいんじゃねえか?」
試合の後に起こったことを説明すると、ティガスは平然と答えた。
「今までタルフォード変えずに、ここまで連勝しているのが、普通はありえないんだから」
「ティガスは、パートナーを変えたことがあるのか?」
アルフェミアに逃げられてしまって、落ちこんだ俺の言葉に、ティガスは首を横に振る。
「機械戦士になった時に、売れ残ったミュンザにつきまとわれて、ずっと、そのまんま。あいつ、俺が他のタルフォードと一緒にいると怒り出すから、誰も怖がって近づいてきやしねえ」
それは、アルフェミアと同じだな。あいつも、オートレイが遊びに来たら、ずっと不機嫌だし。
「闘技大会の参加は、今回で十回目くらいかな。地道に順位を上げて、ここまで登り詰めてきたんだ。優勝したら、やっとミュンザとおさらばできるよ」
「俺は、そっちの方がわかんないが」
確かに、ミュンザは整備が乱暴で、修理されているティガスとしては、たまったもんじゃないんだろうけど。それでも、人間だった頃から一緒にいる人と離れたいものだろうか。
「なに言ってんだ。強くなるのが機械戦士の仕事で、タルフォードの仕事は機械戦士のサポートだ。好きだ、嫌いだで相手を選り好みするようなもんじゃないんだよ。別れる時期が来たら、さっさっと別れて、自分の実力にふさわしい相手を探す。そういうもんだ」
「でも、ミュンザはティガスのことが好きなんじゃないのか?」
ガスっと音を立てて、ティガスが振り損ねたメタルソードが壁に刺さった。
そして、ティガスは泣きそうな目で俺を見る。
「恐ろしいことを言うな、一つ目。おまえは、ミュンザに修理してもらったことがないから、そんなことを言えるんだ」
よっぽど痛いんだろうなあ。悲鳴を上げていたし。
結局、ティガスの言葉には、聞きたい答えは含まれていなかった。
人間にもどり、吉乃さんと一緒に、元の世界へ帰る。
それは、俺が絶対にしなくちゃいけないこと。
どこにいるのかはわからない、どうしているかもわからないけれど、吉乃さんは俺にとって大事な人で、こんなロボットみたいな、わけのわからない姿になったって、それは変わらないはずなのに。
今は無性に、アルフェミアに会いたかった。そして、その言葉を聞きたかった。
アルフェミアを探し回って、闘技場をうろつく俺。
「あなたが、噂のクロード?」
その後ろに、見たこともないタルフォードがついてきて、非常にわずらわしい。
「ごめん。俺、いそがしいから」
そう言って逃げるんだけど、相手も俺を逃がすつもりはないらしく、中には馴れ馴れしく腕を絡ませようとしてくるタルフォードもいた。
「私なら、あなたを今の倍は強くしてあげられるよ。私にしときなさいよ」
「いいえ。私であれば、もっと足回りを強化することができます。あなたに欠けているのは俊敏性。それを補えれば、より勝利に近づけるはずです」
「重機械戦士を素早くしてどうするの。もっと装甲を厚くすれば無敵よ」
あのな、おまえら。俺の戦い方を見て、物を言っているのか。
冗談じゃない。俺はアルフェミアを探しているだけなんだってば。
まとわりつく連中を追い払いながら、俺は闘技場を探し回った。
窓から夕日が差しこみ、日が落ち、代わりに星明かりが差しこむようになっても、アルフェミアの姿は見つからない。不安は大きくなるばかりだった。
「補給とか、どうやってやるんだ?」
俺の背中には、車の給油口みたいに補給口が空いているらしく、寝る前に、いつもアルフェミアが補給パイプをつないでくれていた。
「もしかして、エネルギー切れになったら、止まってしまうのか?」
それは困る。試しに、自分で補給口を触ってみようと思ったんだけど、機械戦士になって、ごつくなってしまった背中に、手は届かなかった。
「それに、どうやって寝るんだ? 一人で寝るって、できるのか?」
我ながら、お母さんがいなくなった子供みたいで情けない、と思ったが、戦う以外のことは全て、アルフェミアが近くにいてくれないとできないのは事実だった。
「おーい、アルフェミア。どこ、行っちまったんだよぉ」
女房に逃げられた旦那みたいで格好悪いと思ったが、背に腹は替えられない。
声を出して、アルフェミアの名前を呼んだ。
窓の外から星の光が降る暗い闘技場の中を、一人さまよう俺。
「アルフェミアー? どこー?」
大事になってしまった人の名前を呼びながら。
「おお、そこの若い機械戦士。ちょうどいいところに通りかかった」
床に外した自分の腕を置いて、座り込んだままで俺に呼びかけてきたのは、アビセンナの爺さんだった。
「また、自分で修理しているの? 爺さんもこりないなあ」
埃だらけ、傷だらけの老機械戦士を呆れた顔で見ながら、俺はアビセンナの近くへ行く。
「体中にガタが来る。おぬしも歳を取るまで生き延びられれば、自然とわかることじゃ」
アビセンナの外れた腕の装甲を外すと、中から出てきたのは、複雑な配線と回路、鋼の骨格で構成された人間の腕の模造品。言われたとおりに修理を手伝いながら、俺は柱の影に隠れるタルフォードの姿を横目で見ていた。
アビセンナのパートナーであるシモン。
半分は機械であるタルフォードは歳というものを取らないのか、フード越しに、俺たちの様子を心配そうに見守るシモンの顔は、まだ若々しいものだった。
「えーい。なおらんではないか」
アビセンナは、タルフォードであれば大したことがないような故障に四苦八苦しているが、シモンは柱の陰から出ては来ない。出てくることは許されない。
それが多分、アビセンナとシモンの間に許された距離。
その理由は、アルフェミアに教えてもらったけれど。
それでも悲しいと、俺は思った。
不本意な夜の散歩。
アルフェミアはまだ、見つからない。
床を踏むたびに、ガシャリガシャリと騒がしい音を立てる、金属製の俺の足。
街に出ちまったのかと思って、ミュンザにアルフェミアが行きそうな場所を聞こうと思ったんだけど。
「いってえー! いっ、いっそ、殺せっ! 殺してくれぇ!」
「男がこれぐらいで、ガタガタ騒ぐんじゃないのっ!」
ティガスとミュンザの部屋の前。扉の前に立った俺は、怖い声が聞こえてきたので、ノックをするのを止めた。ミュンザはアルフェミアよりは評価が高いタルフォードなんだけど、修理がものすごく乱暴で、だれも彼女のパートナーにはなりたがらないと聞いていた。
「ぎにゃあああああああっ!」
成仏しろよ、ティガス。
俺は合唱すると、アルフェミアの姿を探し続けた。
随分と長くなった探索行。
夜の通路、星明かりの下で踊る銀剣の道化師。
「次の戦いの練習か?」
ヒョットコみたいな、愉快な顔をした機械戦士プルクトは、六本の腕で逆立ちをしたまま、俺に答えた。
「いいえ。こちらが本業。私は人を笑わせ、幸せな気持ちにさせる道化師。今は、サイカがどうやったら笑うのか、研究しているところなのですよ」
プルクトのパートナー、サイカ。あまり話したことはないけれど、アルフェミア以上に表情が少ない子で、確かに、笑顔は見たことがない。
「手伝おうか?」
「そう言いながら、なぜ、拳を握るのです?」
俺に盾でボコボコに殴られたせいで、おかしな形に変形してしまったバルザークの顔は、まだ修理をしてもらっていない。サイカに、その妙な表情を気に入られてしまって、直してもらえないらしい。
「笑わせる、と、笑われる、というのは違うのです。練習の邪魔をしないでください」
そう言うと、プルクトは宙返りをして、普通の直立姿勢に戻り、俺の目の前で六本の腕を組んだ。
「どうやら、お悩みの様子。優勝を狙っていると評判の、黒の狂戦士クロードらしくはないですね」
リーネが広げた俺の二つ名は、すっかり定着してしまったようだった。
「アルフェミアが、どこかに行っちまったんだ。見かけてないか?」
「あのタルフォードなら、屋上に続く階段に登っていました。乙女も悩んでいるのでしょう。おっと。お待ちなさい、クロード。行って、どうなるというのです?」
礼を言って、俺が階段の方へ行こうとすると、プルクトが俺を止めた。
「どうなるって言われても。俺、あいつがいないと困るんだよ」
飯が食べられない、寝ることができない、戦った後に怪我を直せない。
「それは、アルフェミアでなくてもできることです。他のタルフォードに頼みなさい。前例のない戦果をおさめているクロードに頼まれれば、嫌というタルフォードはいないはずですから」
無茶なことを言うな。あいつ、自分以外のタルフォードが俺に触ったら、物凄く怒るんだぜ?
「別れがつらくなるだけですよ、クロード」
プルクトはわけのわからないことばかりを言って、俺をアルフェミアのところに行かせてくれない。
「なんでだよ」
「それはですね」
プルクトの説明を聞いた後、それでも俺は、アルフェミアがいる屋上へと向かった。
夜風が吹く、闘技場の屋上。
黒とも青ともつかない不思議な色の髪をたなびかせて、アルフェミアは夜空を見上げていた。
「風邪をひくぞ、アルフェミア」
俺が後ろに近寄っても、アルフェミアは返事もせずに、唇を引き結んだまま、夜空を見上げている。
横に並んで、俺も夜空を見上げた。元の世界よりも、星の数は多く見えた。
しばらくの沈黙。最初に口を開いたのは、アルフェミアだった。
「大事な話があります、クロード」
「パートナーを変更しろっていう話なら、なしだ」
即答した俺の腕を、アルフェミアの手がつかんだ。
「なぜですか、クロード」
夜風の冷たさとは対照的に、アルフェミアの手は温かかった。
「プルクトから聞いた。今のままのタルフォードだったら、次の戦いは絶対に勝てっこないって」
「はい。優勝決定戦まで、残り二戦。もしも優勝したいと思うのであれば、次に指名しなければならない相手は、ただ一人。光輝の騎士デュビュトレイン。彼は光学武器を使う機械戦士」
「強いのか、そいつは?」
「はい。デュビュトレインは中央から流れてきた機械戦士で、装備自体の質が、私たち、地方で戦っている者たちとは異なります。その手に持つのは光学武器」
久しぶりの、アルフェミアの長い説明。
最初は嫌だったけど、今は嬉しかった。
「エネルギーソード、ビームセイバー。形状によって呼ばれ方はさまざまですが、光学武器は、機械戦士が竜と戦うために振るった必殺の武器。威力はすさまじく、機械戦士の装甲を一撃で蒸発させてしまいます。光学武器に立ち向かうためには、同じ光学武器しかありません」
「本当の真剣勝負っていうわけだ。で、アルフェミアは、光学武器の調整はできないんだよな」
「しょせん、私は最下級評価のタルフォード。あなたのそばにいたことで、この大会が終われば、多少は評価も上がるでしょうが、現時点では、何の力になることもできません」
「そんなことないって」
アルフェミアの手が震えている。俺は、自分の言葉が足りないことを恨めしく思った。
「私は、リーネのようになりたくはありません。自分の力が及ばないがために、パートナーである機械戦士の足を引っ張るということは、タルフォードにとって最大の恥辱です」
アルフェミアも、言葉を選んでいる。もっと他に、言いたいことがあるんじゃないか。
俺の腕をつかんだアルフェミアの手は、そう語っていたんだけど。
「それに、あなたは優勝すれば、人間にもどって自分の家に帰ると言っていました。私たちはお互いに、新しいパートナーを探すべきなのです」
悲しげな、アルフェミアの言葉。
夜空を見上げていることしか、俺にはできなかった。
そうだ。俺は優勝して、吉乃さんと一緒に、元の世界に帰らなくちゃいけない。
どのみち、アルフェミアとずっと一緒にいられるわけじゃないんだ。
それでも、アルフェミアの言葉が正しいとは思いたくない自分がいて。
見上げた星は、何も答えてはくれなかった。
だから、俺は自分の言葉で答えた。
「俺には、おまえが作ってくれたモーターブレードがある」
「クロード。同情は止めて下さい」
拒絶の言葉。だけど、アルフェミアの手は、俺の腕をつかんで離さない。これが、彼女の本心だと思いたかった。
「なぜ、わかってくれないのですか、クロード。私のような低級のタルフォードには、光剣を扱う技術はないのです。そして、光剣に対しては光剣でしか対抗する手段はありません」
本当に、そうだろうか。
否。
木刀で真剣に勝つことはできる。
たとえ、枯れ枝一つだって、真剣に勝つことはできる。
長く続いてきただけだと思っていた武上一刀流の歴史が、俺の背中を押してくれた。
「いらないよ、光でできた剣なんて」
アルフェミアは強く、頭を振った。目に浮かんだ涙が、星明かりで照らされながら、淡く散っていく。
「クロード。あなたの最初の面倒を見たタルフォードとして、私からの最後のお願いです。必ず優勝して、ヨシノを連れて、自分の家に帰り着いて下さい」
光剣とか技術がないとか、そんなことは俺にはわからない。
俺の腕から手を離し、また走り去っていこうとするアルフェミアの腕を、今度は、俺がつかんだ。
「離してください、クロードっ!」
「そんなひどいこと、なんで言えるんだよっ!」
腹が立った。ただのレンズの一つ目から涙が出るなら、泣きたいぐらい、腹が立った。
「ひどいのは、クロードの方ですっ! 私に、リーネのようなタルフォードになれ、と言うのですか? 自らの実力不足のために、パートナーである機械戦士に正当な評価も与えられないような、惨めな女になれと言うのですか?」
アルフェミアは泣き叫んで、俺の手を振りほどこうとする。
「だから、最初から言っているだろ! 俺を信じろって! なにがあったって、勝ってみせるって!」
「そういう問題ではないんです、クロード。相手の性能が比べようもないほど優れていて、武器でも負けてしまうなら、いくら、あなた自身に実力があったとしても、勝つことなんて不可能なんですっ! そんな前例は、どこにもないんですっ!」
そして初めて、その言葉で、俺は自分の身勝手が、アルフェミアをどれだけ不安にさせていたのか、気づいてしまった。
アルフェミアは頑張っていた。きっと、この大会に参加している、どんなタルフォードよりも頑張っていた。この大会に参加している間、彼女が自分の用事で部屋から出ているところを見たことがない。全ては、俺のためばかりだった。
そして、ようやく気づいた。アルフェミアのことを好きになってしまっていることを。
ならば、できることなんて、一つしかない。
「アルフェミア。俺にチャンスをくれ」
「ですから、私はあなたの可能性を潰さないように行動したんです。私だって、本当は……」
それ以上、俺はアルフェミアにしゃべらせなかった。
口はないから、頬当てなんだけど。それがアルフェミアの口をふさぐ。
アルフェミアを抱きしめている俺の両手首から伸びているのは、白いコード。それは勝手に伸びて、アルフェミアの手首から伸びている白いコードに絡みつく。これでもう、逃げることなんてできない。
アルフェミアの唇は、柔らかさを伝えてくれた。
ないと思いこんでいた胸は、俺の胸の装甲に当たって、柔らかさを伝えてくれた。
アルフェミアは柔らかい。そして、その体は暖かかった。
時間が過ぎていく。
アルフェミアに唇を重ねたまま、時間が過ぎていく。
しばらくして、俺から唇を話したアルフェミアが、恥ずかしそうにつぶやいた。
「……クロード。わかりました。もう、わかりましたから。みんなが見ています。離して下さい」
「えっ?」
見られているという言葉に驚いて、俺はアルフェミアを抱擁から解き放った。
周りを包むのは、何重にも響く拍手の音。
「見直しちゃった、クロード。すっごく感動したよ」
「その心意気、見事としか言いようがない」
涙ぐんで言ってくれたのは、俺を卑怯者扱いしていたリーネ。彼女がしがみついている紅蓮の騎士エリフの赤い腕が、涙と鼻水でグシャグシャになっている。
「なんたる無謀、なんたる無計画。いいですねぇ~。あなたたち、最高に泣けますよぉ」
そう言ってくれたのは、まだ顔を直してもらっていなくて、ヒョットコみたいな顔をしたプルクト。その横で、サイカが表情を変えないまま、無表情に拍手をしていた。
「俺だったら、絶対、他のタルフォードを選んでいるんだけどなぁ」
「ティガス。それ以上、口を開いたら、コア・クリスタルを潰すよ」
ティガスとミュンザは、相も変わらず仲が良さそうだった。
「さすがに恥ずかしいな」
「クロードが大袈裟に騒ぐからです」
自分は泣き叫んで腕を振り回していたくせに、何を言ってんだよ。
顔から湯気が出るくらい赤くなった俺とアルフェミアは、屋上から逃げるようにして出て行った。
「常識であれば、機械戦士もタルフォードも、自分よりもパートナーの実力が下だと感じたら、新しい相手を探すものなのです」
部屋に戻ると、アルフェミアは落ち着いたらしく、くわしい理由を説明してくれた。
「クロード。あなたは間違いなく、強い機械戦士になれます。それこそ、中央でも名をはせるような、もしかしたら、世界最強の称号『ドラゴンスレイヤー』を獲得するような、そんな機械戦士になれるかもしれません」
「俺はそんなものに興味がないよ。優勝して、家に帰してもらうことだけが望みなんだから」
そう断言する俺の横顔を見て、アルフェミアは寂しげに微笑んだ。
「そんな強さを見て、足手まといになるのが怖かったと言ったら、あなたは笑いますか?」
「アルフェミアは足手まといになんかならない。知らない世界に飛ばされて、最初に俺を助けてくれたのはアルフェミアだった。そして、今までもずっとだ。アルフェミアがいなかったら、俺は希望なんか持てずに野垂れ死にしていたかも知れない。そのことを忘れないでくれよ」
アルフェミアが俺の顔を見上げた。
もう一度、唇を重ねる。
アルフェミアが愛しかった。
誰よりも愛しかった。
その時、あれほど大事に思っていた吉乃さんのことを忘れてしまったのは、俺が馬鹿だからなんだろうか。でも、そんなことを思い出させなくするほど、アルフェミアの唇は柔らかかった。
お互いに残念に思いながら、唇を離す。
「もう、望むことはありません。クロード。どうか、次の戦いは無事に帰ってきて下さい」
「大丈夫。勝って、帰ってみせるさ」
光輝の騎士デュビュトレイン。
それがどんな奴だろうと、俺は負けるつもりはなかった。




