第七章『老戦士』
夢を見ていた。
顔を真っ赤にして怒っている俺。俺に向かって、しきりに頭を下げている吉乃さん。
格好は俺が武上家の胴着で、吉乃さんは広津家の胴着。
互いが手に持っているのは木刀。吉乃さんの手には赤い痣。
「なんで、わざと負けるんだよっ!」
「ごめんなさい……」
吉乃さんの手を木刀で打ったのに、そんなことは放っておいて、ガキの俺は、自分のプライドを優先しているようだった。吉乃さんは優しいから、俺に自信をつけさせようと思って、わざと負けてくれたことが何回かあったっけ。
それに気づくまでは有頂天だったけど、気づいてからはすごく傷ついて、理不尽なことに吉乃さんに当たり散らしたんだよな、俺。
馬鹿の極みだ。
「ごめんなさい……」
吉乃さんの悲しげな謝罪の声が、耳に痛かった。
聞き慣れてしまった、カチャカチャという金属の音。
「おはようございます、クロード。よく眠れましたか?」
ルーケンのハルバードに痛めつけられた俺の体を、アルフェミアは徹夜で修理してくれていた。
「ごめんな、また徹夜させちまって。あんまり無理するなよ」
「私はタルフォードとしての義務を果たしているだけです。気にしないで下さい」
そう言いつつも、アルフェミアの顔は疲れていて、目の下にはクマができていた。
「とりあえず、サークルカウンターに行って、次の対戦相手を指名しないか? その後なら、ゆっくりと眠れるだろ?」
「待って。もう少しだけ修理を続けさせて下さい」
まだ中断できるところまで修理が終わっていないのか、アルフェミアはベッドの上に寝そべっている俺の上に馬乗りにまたがって、ひたすら手を動かしている。こうなると、目の前で動くアズキ色のマンジュウ、アルフェミアの大きな尻を観察するぐらいしか、やることがなくなってしまう
俺にとっては退屈な、アルフェミアにとっては忙しい時間。
「クロードは子供の頃、ヨシノと一緒に、剣の練習をしていたのですか?」
俺とアルフェミアの手首は、神経束でつながっている。それはある程度、自由に伸びたり縮んだりするのか、アルフェミアは特に不自由を感じさせることもなく、地道に作業を続けている。
「そうだよ。俺の生まれた家は武上って言って、先祖代々、ずっと剣術の練習を続けていた変わり者の一族なんだ。吉乃さんと練習することもよくあったよ。今なら、多分、負けないとは思うけど。昔は全然かなわなかったなあ」
「そうですか。さすがに、クロードのお姉さんだけあって、剣も達者だったのですね」
お姉さんみたいな人であって、実の姉じゃないんだけれども。くわしく説明するのも面倒だったので、俺はアルフェミアの修理を受けながら、時間が過ぎるのを待った。
応急修理を終えた俺は、アルフェミアと一緒に、サークルカウンターへ対戦相手の指名に向かった。
相変わらず美しい輝きを放つサークルカウンターの前に立つ。
そして、俺の横に立ったアルフェミアの顔に、失望の色が浮かんだ。
最強の機械戦士、優勝者を表す中心から、もう半分以上近づいた、俺の順位を表す黒い宝石。そこから七つ分くらい離れた位置に、砂で作られたバラみたいな宝石が輝いており、その他の宝石は全て、指名を終えられてしまったらしく、こぢんまりとした光しか放っていなかった。
「失敗しました。やはり、クロードの言うとおり、修理を後回しにして、先にサークルカウンターで指名を終えるべきでした。あれは砂漠の戦士アビセンナの順位を表す宝石、デザートローズです」
「気にするなって。どうせ、上の順位の奴しか指名しないんだから。俺の次の相手は、砂漠の戦士アビセンナ。それで指名は終わりだ」
俺の言葉を受けて、サークルカウンターの螺旋状に並ぶ板の上の宝石、黒い宝石と砂のバラが輝く。
指名を完了して、俺とアルフェミアは、緊張した面持ちで相手が出てくるのを待ったが、サークルカウンターの回りは、まばらに機械戦士とタルフォードがいるだけで、俺たちに話しかけてくるような奴はいない。
「指名したのに、相手が出てこないな? これ、決まっちまったってことでいいのか?」
「わかりません。正午を過ぎれば、自動的に決まってしまいますが」
俺とアルフェミアが困っていると、トゲだらけの体をした機械戦士が大きく手を振って話しかけてきた。
「おーい、なにをボサっとしてんだ?」
話しかけてきたのは、豪腕の闘士オスグットだった。
「アビセンナの爺さんなら、サークルカウンターの前には来ねえよ。指名の時に、タルフォードの手を借りなくちゃならなくなるからな」
俺とアルフェミアが質問すると、オスグットは訳知り顔で説明してくれた。
「それでは、これで決定したと思っていいのですか?」
生真面目な顔で問いかけるアルフェミアに、オスグットは大袈裟にうなずく。
「アビセンナの爺さんは強いぞ。俺も二回ぐらい戦ったことがあるが、ボロ負けした。おまえと同じ剣使いだけど、腕はずっと上だ。覚悟しなくちゃな」
「俺より上?」
武上一刀流の末席、剣士としての誇りが刺激されたのか、思わず聞き返してしまう俺。
「砂漠の戦士アビセンナ。整備状態は劣悪ですが、実力では間違いなく、本大会でも上位に入ります。これまでのような奇襲が通用するような相手ではありません」
緊張した顔で、アルフェミアが俺の言葉に答えたんだけど、俺は不思議に思ってしまった。
「整備状態が劣悪なら、そこまで強い相手じゃないんだろ? アルフェミアも言っていたじゃないか。タルフォードが駄目だったら、どんなに強い機械戦士でも勝てないって」
「アビセンナに関しては別物だと思って下さい。実力は中央レベルで、しかも実戦経験者です」
実戦経験って、戦争に行ったことがあるという意味だよな。
「それじゃ、かなりの爺さんじゃないのか?」
アルフェミアが産まれる前には、悪い竜との戦争は終わっていたって言っていたもんな。
「竜との戦いで生き残り、現役で稼働している機械戦士です。わずかの油断が命取りとなります」
「そんなに強い機械戦士なら、いくらでもいいタルフォードが見つかるだろうに。なんで、そうしないんだ?」
「それは私が語っていい話題ではありません。行きますよ、クロード。時間が惜しいです」
質問には答えず、アルフェミアは急いだ様子で、俺の手を引く。
その時、パチパチという拍手の音が、俺たちの背中から聞こえてきた。
「なんたる無謀、なんたる無計画。いいですねぇ~。あなたたち、最高に笑えますよぉ」
六本腕の機械戦士プルクトかと思って、俺とアルフェミアは振り向いた。そして、
「プっ! ブァハハハハハハハっ!」
思い切り吹き出して、馬鹿笑いする羽目になった。
「なっ、なにを笑うというのですか、三人とも」
吹き出した理由は、格好をつけて六本腕で拍手をしているプルクトの顔。
試合の前は哀しみの笑顔を浮かべたピエロだったんだけど、前の試合で俺が大盾で叩きまくったせいで、今はヒョットコみたいな愉快な顔になっていたんだ。
「たっ、タコの化け物みたいだな、その顔」
オスグットも笑いながら、滅茶苦茶言っている。
「あっ、あまり笑ってはいけません。プルクトに失礼です」
そう言うアルフェミアも、腹を押さえて苦しそうに笑っている。
「サイカ。やはり、この顔は修理した方がよくありませんか?」
俺とアルフェミアに思いっきり笑われて、プルクトは悲しそうに、自分の横に立つ銀髪のタルフォード、サイカにお願いをしている。
「……面白いから、駄目」
そのサイカの言葉がおかしくて、俺とアルフェミア、オスグットの三人はまた、しばらく呼吸困難に陥ることになった。
「面白かったなぁ、アルフェミア。久しぶりに大笑いしたよ」
「笑っている場合ではありませんよ、クロード。アビセンナは強敵ですが、できることはあるはずです」
「なんだよ、アルフェミアも笑っていたくせに」
もう少し話を続けたかった俺を、強引に次の試合の話に引き戻して、アルフェミアはまだ終わっていない修理を再開しながら、いろんなことを教えてくれた。機械とベッドしかない殺風景な部屋。そんな中で、アルフェミアは一生懸命に俺のことを考えてくれている。最初は吉乃さんと比べてしまって、こいつのことを子供だと思ってしまったけど。自分のしなくちゃいけないことに関しては、アルフェミアは誰よりも真剣だと思い直した。
「なぁ、アルフェミア」
「なんですか、クロード。説明はまだ終わっていませんが」
「ありがとう」
感謝の気持ちを少しでも表したかっただけなんだけど。
「だから、いきなり、そういうことを言わないでくださいっ!」
アルフェミアを困らせて、顔を真っ赤にさせてしまうだけだった。
俺が黙り、アルフェミアも黙ってしまった、ちょっと気まずい時間。
なんだか、妙な雰囲気。
そんな居心地がいいのか、悪いのか、よくわからない空気を打ち破ったのは、軽やかなノックの音だった。
ノックの後、扉が開く。
部屋に入ってきたのは、白いドレスを着た金色の髪のタルフォード、オートレイだった。
「クロード様。今日は、型を舞ってくださらないのですか?」
オートレイはそう問いかけながら、朗らかな微笑みを、ベッドに寝そべっている俺に向かって浮かべた。
さっきまで、恥ずかしがっていたアルフェミアの顔が急に強張る。
「このタルフォードはだれですか、クロード?」
抑揚のない声で言うアルフェミアは、刺すような目つきで、俺をにらんでいた。
「練習場で知り合っただけで、くわしくは知らないんだけど。オートレイっていうんだ」
「はじめまして、アルフェミア。私はオートレイと申します」
白いドレスの裾をつかんで華麗にお辞儀をするオートレイ。だけど、アルフェミアはオートレイに挨拶を返すこともせずに、相変わらず、鋭い目で俺の方をにらみつけてくる。
あの、俺、なにか悪いことをした?
「今、クロードは修理中です。練習する姿が見たいのであれば、次の機会にしてください」
無愛想に答えながら、アルフェミアの手が、白いコードでつながっている俺の手を握った。。
「よろしければ、お手伝いさせてもらってもよろしいでしょうか? 早く修理できれば、私はクロード様の練習を拝見することができます。クロード様も助かるはずです」
「駄目っ! こっちに来ないでくださいっ!」
親切で言ってくれているんだから、そんなに嫌がらなくても。
だけど、アルフェミアが俺のことを怖い目でにらむので、そんなことはとても言い出せない。
ああ、俺って根性なし。
だけど、オートレイは俺なんかより、はるかに大胆だった。
オートレイは、着ているドレスの裾をつかむと、早歩きで俺たちが座っているベッドまでやって来て、アルフェミアが座っている場所とは反対側に座った。
つまり、ベッドに寝そべっている俺が、アルフェミアとオートレイに挟まれる形になったわけで。
「なんのつもりですか、オートレイ」
「ですから、修理をお手伝いすると申し上げました」
俺をはさんで、視線の火花が散っている。
おっかねえよぉ。頼むから、俺の上で喧嘩しないでくれぇ。
しばらく、二人は視線を交わした後、結局、アルフェミアの方が折れた。
「仕方ありませんね。確かに、修理を手伝ってもらうのは助かります。ですが、手伝っていいのは装甲の補修だけです。調整部分に触ったら、部屋から出て行ってもらいます」
「わかりました。感謝いたします、アルフェミア」
割れた箇所に金属の欠片を当てて塞ぎ、駄目になった部分は交換して。
くわしいことはわからないんだけど、オートレイはアルフェミアと同じくらい、手際がいい。
腕のいいタルフォード二人が協力すれば、それだけ早く修理が進むわけで。
思ったよりもずっと早く、俺の修理は終わってしまった。
「終わりましたね。それではクロード様、あの美しい型を見せていただけますか?」
作業を終えたオートレイが嬉しそうに言う反対側で、アルフェミアはコードが伸びた手を口に当て、大きなアクビをした。
「申し訳ありません、オートレイ。私は睡眠が不足しているようです」
アルフェミアがアクビするところ、初めて見た。
「今日は見せていただけないのですか?」
そう言うと、オートレイはアルフェミアじゃなくて、俺の赤い一つ目を見つめた。
いや、そんな顔で見つめられると、俺も困っちゃうんだけど。
「クロード。あなたも寝ていないはずです」
いや、アルフェミア。寝ろって言って、俺を強制的に寝かせたのは、おまえじゃないか。
って、なんで俺を、そんな怖い目でにらむ。
止めて。その噛みつきそうな目。
「ごめん、オートレイ。アルフェミアが言ったとおり、俺も眠いんだ。明日は必ず、練習するから」
「承知いたしました。それでは、ごきげんよう」
来た時と同じように、ドレスの裾をつかんで、お辞儀をすると、オートレイはやっと部屋から出て行ってくれた。せっかく修理を手伝ってくれたのに、アルフェミアの態度があんまりだったので、俺はつい余計なことを言ってしまう。
「そんなに無愛想にしなくても」
帰ってきたのは、凍るような冷たい視線。だから、俺が何をしたっていうんだよ。
「オートレイに気に入られたからといって、優勝しなければ、彼女は手に入りませんよ」
「はあ?」
「オートレイという名前は知っています。パートナーとなる機械戦士を探して、中央から流れてきたタルフォード。今は、闘技大会の主催者である神族、ファラネー様を頼って、この国に滞在しているという話でした」
「それで、優勝とオートレイに何の関係があるの?」
「闘技大会に優勝した機械戦士、最強であることを証明した機械戦士が、優秀なタルフォードを手にする。これは自然なことです」
つまり、オートレイは大会の優勝商品だってことか。
「それって、ひどくないか?」
「ひどくはありません。実力の高い機械戦士が、優れたタルフォードと組むのは当然のことです」
アルフェミアはそう言うけど、自分の意志で選べないっていうのは、やっぱり、ひどい気がする。そんなことはないって、アルフェミアに何度も言ったんだけど。納得してもらえなかった。
「話はここまで。時間が惜しいです。クロードは練習を始めてください。不本意なことですが、オートレイのおかげで修理を早く済ませることができました」
「ほら、助かってんじゃん」
俺はそう言ったんだけど、アルフェミアに厳しい瞳でにらみ返されただけだった。
「そういうことだから、あなたの言葉を信じ切れないのです」
なんで?
木刀を振っていた時、俺はどんな風に振っていた?
木刀を打ち振るうのを止めたのは、たかだか一ヶ月だけだったんだけど、それでも忘れていることが多いような気がして、俺は夢中でモーターブレードを振っていた。
前に来た時は誰もいなかった練習場。だけど、今は俺以外にも何人か機械戦士がいて、練習に励んでいる。
ルーケンと戦った時に、刃の列が折れてしまったモーターブレード。アルフェミアに、修理をしてもらうついでに、前からお願いしていた改造を施してもらった。剣の柄を長くしてもらったんだ。おかげで、刀と同じように両手で持って振ることができる。
理由はよくわからないけど、やはり両手で振る方が自由に動かせるみたい。
両手で持つ分、振り回せる範囲が狭くなるんだから、そんなはずはないって、アルフェミアは言っていたけど。
「がんばるね、クロード。アルフェミアはどこかに出かけたの?」
いつの間にか近くに寄ってきたミュンザが話しかけてきたので、俺はモーターブレードを振るのを中断した。
「部屋で寝ているよ。徹夜で修理してくれたんだ」
「相変わらず、アルフェミアは、がんばり屋だよね」
「うん。とても感謝している」
そう言いながら、両手でモーターブレードを振り下ろす俺を、ミュンザは優しく微笑んで見守っている。
やっぱり、ミュンザって親切で優しいよなあ。なんで、ティガスは嫌うんだろうか。
「おい、ミュンザ。アルフェミアはいなかったのか?」
そう言いながら、ティガスも練習場に入ってきた。ミュンザの文句ばかり言っているわりには、なんだかんだいって、いつも一緒にいる。やっぱり、仲は悪くないんだろうな。
「あんたもクロードを見習って、少しは体を動かしなさいよ。疾風の騎士なんて大袈裟な二つ名がついているくせに、口ばっかりで大して強くないんだから」
「昨日、試合をしたばかりだぜ? 第一、ミュンザだって人のことを言えないだろう。整備が下手くそ過ぎて、俺以外にパートナー見つからなかったくせに」
「ちゃんと直るからいいじゃない。男が痛いぐらいでガタガタ言うもんじゃないわよ」
やっぱり、仲が悪いのかな?
そんなことを思いながら、俺が二人の口喧嘩をながめていると、練習の邪魔になると思ったのか、ミュンザは席を外してしまい、俺とティガスの二人になってしまった。
特に話すこともないので、俺はモーターブレードを振り続けた。
「いつ見ても変わった武器だな。振りにくくないのか?」
「アルフェミアが作ってくれたんだ。慣れてみると、使いやすい武器だぜ」
モーターブレードを振りながら、俺は答える。愛想が悪いと思ったけど、少しでも多く剣を振っていたい。
「そうかぁ。いいなあ、おまえのタルフォードって優しくて。うらやましいよ」
「優しくはないけど。一生懸命なのは確かだよ。ティガスの方こそ、美人のお姉さんがタルフォードじゃないか。そっちの方がうらやましいよ」
「馬鹿を言うなよ。ミュンザのどこが美人だってんだ」
「美人だと思うけどなあ」
胸が大きいし。
「ちがうって。それに、あいつの整備って物凄く乱暴なんだぜ? よく工具を壊して、おまえのところまで借りに行っているみたいだけどさ。工具がブチ壊れるような整備をされる俺の身になれよ」
「いいじゃん、我慢すれば」
不謹慎なことに、ミュンザお姉さんに修理してもらうところを想像してしまって、俺は変な気分になってしまった。ごめんね、吉乃さん。
「我慢できねえほど、ひどいんだっての。俺が機械戦士になった理由はさ、最高に美しいタルフォードを取っ替え引っ替えできるからなったわけで。ミュンザみたいなタルフォードにまとわりつかれるためじゃねえの」
こいつ、俺と同い年くらいなのかな。外見じゃわからないけど、話のレベルが、俺とあまり変わらない。
「もしかして、機械戦士になる前から、ミュンザと知り合いなのか?」
「近所にいた姉ちゃんだよ。昔っから、くだらないことで俺を小突き回すわ、悪戯はしまくるわ。とんでもない奴なんだぞ、あいつ」
幼なじみと言えば、俺と吉乃さんみたいな境遇だけど、ティガスとミュンザの関係の方がよっぽどハードだったみたいだ。
「だから、クロード。おまえも次のタルフォードを選ぶ時には、よく気をつけろよ。性格が第一条件だ。腕前はそのうち上がるから、あんまり気にするな。俺みたいになるなよ」
「次って言われてもなぁ」
優勝したら、俺は人間にもどって、吉乃さんと一緒に元の世界に帰るつもりだし。
「いいか、もちろん美人に越したことはないが、まず機械戦士のことを考えてくれる優しいタルフォードを選べ。俺みたいに、相手のことを犬コロぐらいにしか思っていない奴は……」
ゴワン。
いい音が響いた。
「こらっ、ティガス! クロードに変なことを吹きこむんじゃないよっ!」
前のめりに倒れたのは、機械戦士ティガス。その後ろに立っているのは、自分の身長ぐらいある大きな金槌を持ったミュンザ。あんなもんで頭をぶっ叩かれたら、普通は死ぬんじゃないか?
「おーい。俺のウォーハンマーを返してくれぇ」
遠くで、力士みたいな体型をした機械戦士が叫んでいた。
大変だなぁ、ティガス。
気絶したまま、ミュンザに引きずられていくティガスを見送りながら、俺はそんなことを思った。
練習を終え、通路を歩きながら部屋に帰る途中。
一体のホコリだらけの機械戦士が、床に座り込んで自分の手首をつかみ、何かうなっていた。
「おい、そこを道行く方。拙者を助けては下さらんか?」
変に時代かかった言葉。埃だらけの体はよく見ると傷だらけで、ろくに掃除も整備もしてもらっていないことがわかった。
「別にいいけど。もしかして、自分の手首を外したいの?」
人間のままだったら恐ろしい会話だけど、機械戦士が修理のために自分の体の一部を取り外すのは珍しいことじゃない。俺も連日の整備ですっかり慣れてしまって、何気なく、ボロボロの機械戦士の手首をつかんだ。
「引っ張るけど、いい? 無理に抜いたら壊れるかもしれないけど」
「承知した。思いっきり、やってくだされい」
俺は言った通り、力一杯、ボロボロの機械戦士の手首を引っ張った。
機械戦士の体って、整備が仕事のタルフォードたちだったら簡単に取り外したり、取り付けたりすることができるんだけど、どういう仕掛けになっているのか、機械戦士同士だと簡単にはいかない。きっと、戦っている最中に利用されないためなんだと思う。
手首からミシミシと嫌な音が鳴る。
「もう少し! もう少しでござるぞっ!」
でも、相手は平気そうなので、俺は全力で引っ張る。
スポンと気持ちのいい音がして、ついにボロボロの機械戦士の手首は抜けた。
「うーむ。やはり思った通り、ここの回線が駄目になっておる。取り替えれば、無事に動くようになるでござるな。感謝いたすぞ、若き機械戦士よ」
「なあ、あんた。そんなに苦労しなくても、タルフォードに頼んで直してもらえばいいじゃないか。もしかして、喧嘩してんの?」
何の気なしに尋ねた俺の言葉に一瞬、埃だらけの機械戦士の目が鋭く光ったような気がした。
「そのようなものでござる」
悪いことを聞いちゃったのかな。
そう思った俺は、それ以上は会話せずに、埃だらけでボロボロの機械戦士のそばから離れていった。
部屋にもどると、アルフェミアは目を覚ましていて、俺のベッドの横の簡易寝台に腰掛けて、退屈そうに脚をブラブラさせていた。
「おかえりなさい、クロード。今日の練習は有意義に過ごせましたか?」
「うん。やっぱり、両手で振った方が具合がいいみたいだ。ところで、こんなことがあったんだけど」
通路で会った変な機械戦士のことを話すと
「まずいことをしてしまいましたね、クロード」
アルフェミアはそんな言葉を返してきた。
「おそらく、あなたが修理を手伝った機械戦士が、次の対戦相手のアビセンナです」
「えっ、そうなの? すごく弱そうな人だったんだけど」
実際、手首をつかんだ時に握り返す力がすごく弱かったので、俺はそう思ってしまった。
「見かけではアビセンナの実力はわかりません。現実に、多くの機械戦士がそうやって油断して敗北してきました。クロードも同じ道を歩まないよう、十分に気をつけて下さい」
うーん、そうだよなあ。死んだ爺ちゃんも、外見は皮が貼り付いた骸骨みたいな人だったけど、誰もかなわなかったし。先代の当主だから遠慮しているっていう様子もなかったし。本当に強い人って、そういうものなのかもしれないなあ。
「でも、ろくに整備も修理も受けていない相手を倒すのって、気分が悪くないか?」
「アビセンナが万全の状態で試合に臨んだら、絶対に勝ち目がありません。いいですか、クロード。今度、アビセンナに頼まれても、絶対に修理を手伝わないように。本当に優勝する気があるのなら、私の言葉通りにしてください」
なんだか納得できないまま、俺は渋々とうなずくことになった。
あのアビセンナっていう機械戦士がどれだけ強いかはわからない。
もしかして、先代の当主、死んだ爺ちゃんみたいに強かったら、俺には絶対に勝ち目がない。
だけど、俺が学んできた武上一刀流よりも強い剣術ってあるんだろうか。
あるのなら、それをこの目で見てみたい。
両手で握ったモーターブレード。
日本刀とは全く違った姿をした異形の武器は、いにしえの技、武上流が伝えてきた日本刀そのままの動きを繰り返している。
「クロード様の動きは、本当に美しいですね」
練習場でモーターブレードを振っていた俺に、オートレイは花のような微笑みを浮かべて、話しかけてくる。
「美しいって言われてもなあ。子供の頃から習っているだけだから」
それでも悪い気はせず、俺は練習を続けながら、オートレイに言葉を返す。
「それほどまでに熱心に練習をされるということは、なにか志をお持ちなのですか?」
「志? とりあえず、この大会で優勝することかな。その後は考えてないよ」
機械戦士クロードの優勝。
俺以外、だれも本気にしない言葉。
連戦連勝を続けてきたとは言っても、どれもギリギリの差で勝ってきたものばかりだし、これからは高い順位相応の強敵ばかりが出てくると、アルフェミアは言っていた。
優勝するんだ、と言うと、アルフェミアは渋い顔をして、ミュンザは面白い冗談だと笑う。
「その努力が報われることを望んでいます、クロード様」
でも、オートレイは優しく微笑んだまま、俺の言葉を疑いもしなければ、笑いもしなかった。
「優勝された暁には、私がクロード様のパートナーになるのですね。その時はどうか、よろしくお願いします」
白いドレスのスカートの裾を持ち、優雅にお辞儀をするオートレイ。
オートレイが、俺のパートナー?
いや、俺にはもう、アルフェミアがいるし。
でも、優しく微笑むオートレイの言葉を否定するのも悪い気がした。
「こちらこそ。オートレイみたいな美人なら大歓迎さ」
優勝したら、俺は人間にもどり、吉乃さんと一緒に、元の世界に帰る。
だから、アルフェミアを裏切ってもいないし、オートレイをだましてもいない。
馬鹿な俺は、その時は、そう思っていた。
オートレイと仲良く話してしまった後の帰り道。
「そこの若い機械戦士。また功徳を積むつもりはござらぬか?」
埃だらけのボロボロの機械戦士アビセンナに話しかけられて、俺は頭を抱えた。
「今度は、どこの調子が悪いの?」
直すのを手伝ったら、アルフェミアが怒るだろうけど。放って逃げるのは卑怯者みたいで嫌だった。
「足首でござる。ここの柱につかまっておるから、思いっきり引っ張ってくだされい」
アビセンナは俺の顔なんか知らないのか、通路に立っている柱につかまって、呑気なことを言っている。
「遠慮なく引っ張るから、壊れても文句を言わないでくれよ」
「承知いたした」
力加減もなしに引っ張ると、またミシミシと音を立てて、アビセンナの足首が抜ける。
「あっ、飛んじまった?」
あんまり勢いよく引っ張ったので、俺が持っていた足首はアビセンナの脚から抜けると同時に、遠く離れたところに飛んでいった。
「ごめん、爺さん。すぐに取りに行くから」
「頼むぞ。それがなくなったら、拙者は歩けなくなってしまうのでな」
床に落ちたアビセンナの足首。
俺がかがんで、それを拾おうとすると、柔らかい手が俺の手に当たった。
紫のフードを深く被ったタルフォード。フードの奥に輝く瞳が怯えているようだった。
「それに触るでないっ!」
いきなり、俺の後ろでアビセンナが大声で叫んだ。
怒鳴られたのは俺ではなく、アビセンナの足首を拾おうとしたタルフォードだったのか。
フードの奥で泣きそうな瞳を見せると、彼女は背中を向けて逃げていってしまう。
「爺さん。もしかして、あの人が夫婦喧嘩の相手?」
「おぬしには関係のないことじゃ」
そう言うと、アビセンナはむっつりと黙ってしまったので、俺は足首を渡して、部屋に帰ることにした。
「お帰りなさい、クロード」
作業もしていないのに、なぜか背中を向けて、部屋に帰った俺を迎えるアルフェミア。
「疲れたよ。今日は早く寝たいから。アルフェミアもそうしてくれるか?」
手を差し出しながら俺は言ったんだけど、アルフェミアは振り向いてもくれない。
そのアズキ色のワンピースを着た背中は、無言で怒っていた。
「なあ、アルフェミア。なにを怒っているんだ?」
俺が聞くと、アルフェミアは背中を向けたまま、怒った声で答えた。
「先ほど、シモンが部屋に来て、礼を言って帰りました。修理を手伝ってくれてありがとう、と。ちなみに、シモンとは、砂漠の戦士アビセンナのタルフォードの名前です」
あのフードを被ったタルフォード、わざわざ礼を言いに来たのか。それで、アルフェミアは怒っているんだな。
「アルフェミア。俺のやっていることって間違っているのか?」
長々と話しても仕方がないので、俺は単刀直入に話を切り出した。
「間違ってはいません。しかし、私はクロードが勝利することを望んでいます」
「絶対に勝つよ。卑怯なことをしなければ勝てない。そんなことを俺は思わない」
アルフェミアの背中が、ピクリと震えた。
「クロード。それは、あなたが敗北や挫折を知らないからです。負けてしまえば、全てを失ってしまいます」
「知っているよ、負けることぐらい」
俺は大きな負けを知っている。
負けたせいで、俺は子供の頃から振り続けていた刀を失い、だれよりも大事な人を失った。
「間違っているのは、私の方なのですか、クロード」
アルフェミアが俺の方を振り向いた。その瞳に浮かぶのは、小さな涙。
「ごめん。俺って、おまえに心配ばかりさせているよな。だけど、信じてくれ。俺は勝つよ」
負ければ、それだけ吉乃さんから遠のく。俺は絶対に負けられない。
「私だって、あなたのことを信じたいのです。でも、データはそれを保証してくれない」
「現実で証明してみせる。だから、泣くなよ」
俺にそう言われて、アルフェミアは初めて自分が涙を浮かべていることに気づいたのか、あわてて涙をぬぐった。そして、静かに、俺に向かって手を差し出した。
「今の私は変です。もう寝てしまいましょう」
機嫌を直してくれたのかな。
俺も手を差し出し、アルフェミアと自分の手を神経束でつなぐ。
その日の夜は、アルフェミアの夢を見た。
牧草が生い茂る草原。薄暗い森の中。元気に走り回る、子供の頃のアルフェミア。
自分のことをタルフォード、機械だって、アルフェミアは言うけど。
そんなことはないって、俺は心から思った。
「クロード。準備はいいのですか?」
「ああ、大丈夫だ。カタパルトランスも悪くない」
「アビセンナの戦闘記録を見る限り、メタルソードのみで攻撃してくるようです。技量の差はないと信じていますが、できれば短期決戦で仕留めたい相手です」
待ちに待ったアビセンナとの試合。すっかり整備と準備を終えた俺は、アルフェミアの長い説明を聞きながら、全身に気力が充実しているのを感じていた。やはり、武上流の型を繰り返し練習したのがよかったみたいだ。
「それじゃ行ってくる、アルフェミア」
「御武運をお祈りしています」
意気揚々。威風堂々。
狭い通路を通りながら、俺は自分が勝利することを疑っていなかった。
ゲートを抜けて、闘技場に出る。
ワァー、ワァーと鳴り響く、観客席の歓声。
反対側のゲートから出てきたのは、メタルソードを構えたアビセンナ。
俺はいつものように駆け寄ることはせずに、堂々と正面から歩いていって、アビセンナと向き合った。
「なんと。相手はおぬしか。若き機械戦士よ」
今さら、相手が俺だと気づいたのか、傷だらけの兜の奥に光る四角い瞳が点滅して輝いた。
「修理を手伝ったからって、遠慮することはないんだぜ、爺さん」
気力が充実し過ぎて、気が高ぶっているのか、俺はえらそうなことを言ってしまう。
「最初から遠慮するつもりなどござらぬ。いざ尋常に勝負」
「応っ!」
互いが振った刃先が打ち合わされて、火花が散る。
ろくに整備も受けていないのに、アビセンナの動きは素早い。
盾を押し出すようにして、俺はアビセンナの前に割り込み、モーターブレードを叩きつける。
しかし、その高速で回転する刃はアビセンナの体を傷つけることはなく、手にしたメタルソードの上を滑って、闘技場の地面に大きな裂け目を作った。
「勢いはよし。なかなかやるな、若き機械戦士よ」
「爺さん、そうやって余裕かましているほど体力あるのかよ」
押している。
機械戦士クロードが、歴戦の勇士であるアビセンナを圧倒している。
観客席の連中も、俺も、そう思っていた。
バシュっという音と共に、後ろに向かって白い蒸気を出して、大盾に仕込んだカタパルトランスがアビセンナの胴体を貫こうとする。しかし、その重機械戦士の装甲さえも易々と貫くカタパルトランスの長槍は、アビセンナの体に触れることなく、簡単に受け流されてしまった。
音を立てて、長槍が盾の中に戻る。
俺はわずかに後ろに下がりながら、焦っていた。
攻め手がない。
正面から、斜めから、時には背後に回ってまで斬りつけているのに、アビセンナはなんでもない様子で受け流してしまう。プルクトと戦った時は複数の剣で弾かれていただけだったけど、今度は一本の剣。
「片手じゃ、やっぱり駄目なのか?」
俺は大盾を地面に投げ捨てた。
今度は、この盾で相手を殴ってやろうなんて下心はない。拾っている間に、致命的な一撃を食らってしまうのがわかっていた。
アルフェミアに頼んで、長くしてもらったモーターブレードの柄。
その柄はわずかに曲がっていて、俺の黒い金属の手にしっくりと馴染んでいた。
「本気になったようじゃな」
そう言うと、アビセンナはそれまでの構えになっていないような構えを止めて、上段構えで俺を迎え打つ準備をした。そして、その構えを見て、俺はわかってしまった。
俺は、アビセンナに勝てない。
調子に乗り過ぎていた。
アルフェミアにあれだけ注意されていたのに。
どこかで、埃だらけの体を馬鹿にしていたのかも知れない。
アビセンナの構えはそれだけ隙がなくて、研ぎ澄まされたものだった。
「強いんだな、爺さん」
「打ち込んでくる前から、わかりおるか」
満足げに光るアビセンナの瞳に、俺は戦慄を覚えた。
銀色の風が俺に向かって吹いてくる。
「ぐわあっ!」
受けるとか避けるとかの問題じゃなく。
何もできないまま、俺は袈裟切りに胸を斬り裂かれた。
ぱっくりと斜めに割れた胸当てが、俺の体から落ちていく。
痛い。ものすごく痛い。ダメージは確実に、内部まで届いている。
「ふむ。まだ戦う気があるとは。若いのに大したものじゃ」
前のめりに倒れそうになるのを踏ん張っていた俺に、追い打ちで攻撃を加えることもなく、アビセンナは距離を取ったまま、メタルソードを構えている。
強い。
きっと、亡くなった武上流の先代当主の爺さんも、こんな異質の強さを持っていたんだろう。
俺と兄貴が目指して、どちらもまだ、たどり着いてない境地。
負けてしまう。吉乃さんに会えなくなってしまう。
暗い絶望が、無力感となって俺の体を包んでいく。
その時、俺のために泣いてくれた少女の顔が、頭に浮かんだ。
「約束は破れないよな、アルフェミア」
アビセンナと同じように、モーターブレードを下段に構える。
一度もアビセンナの体に当たっていないので、刃の列は元気に回転していた。
「覚悟を決めよったか。若い頃に、貴様に会いたかったものよ」
勝つことも、負けることも、今は関係がない。
前に出て、剣を振り上げる。それだけしかない。
観客席が静かになった。
どちらが先に動くか、誰にもわからない。いや、俺もアビセンナも、同時に動いた。
「イャアアアアアアアア!!」
裂帛の気合い。
アビセンナが真横に胴を薙ぎ斬ろうとするが、それよりも速く、モーターブレードが振り上げられる。
埃だらけの機械戦士が、闘技場の宙を舞った。
ワァァァァァア!!
闘技場を鳴り響く歓声。
だけど、俺はモーターブレードを構えたまま、闘技場の土の上に横たわるアビセンナを待っていた。
「どうした? 立ってくれよ、爺さん」
試合はまだ終わっていなかった。どうやったのかはわからなかったんだけど、俺はアビセンナを斬ることはできなかった。その装甲を浅く切り裂いて、破片を宙に飛ばしただけ。モーターブレードの刃の列は、アビセンナの体に届いていない。
刃物というものは当たる角度が正しくないと、その切れ味を発揮することはできない。もしかしたら、アビセンナはとっさに体勢を変えて、俺の斬撃を防いだのかもしれない。
「おまえの勝ちじゃ。取っておけ、若き機械戦士よ」
倒れたままで、アビセンナはそんなことを言う。
「立ってくれよ。まだ戦えるだろう?」
「おぬしには勝たなければならない理由がある。拙者にはない。それだけのことよ」
完全に負けた。
立っているのは俺で、地面に這いつくばっているのはアビセンナの方だったけど、俺はそう思った。
観客たちが、クロード、クロードと名前を連呼する中で。
俺は惨めな思いで、ゲートをくぐった。
「おつかれさまでした、クロード。見事な勝利です」
アルフェミアは生真面目な顔で、通路から出た俺を迎えてくれた。
「終わったよ、アルフェミア」
勝った、とは、とても言えなかった。
アビセンナに、勝ちを譲ってもらったようなもんだ。
「奇襲ではなく、手にした剣を振るっての勝利でした。これで、あなたが卑怯者でないことを証明できたでしょう」
近くで何も言えずに口を引き結んでいるリーネに視線を送りながら、アルフェミアは満足げに言った。
「クロード。どうして、黙っているのですか? 勝ったのが嬉しくないとでも?」
首を横に振る俺。だけど、素直に勝利を喜ぶ気にはなれなかった。
俺はまだ、話にならないぐらい弱い。
「酷い傷。痛むでしょう。すぐに修理をしますから。部屋に急ぎましょう」
俺の胸に出来た大きな傷に気づくと、アルフェミアは青い顔をして、俺の手を引っ張り、部屋へ急いだ。
アビセンナにやられた胸の傷は相当に深かったのか。
アルフェミアは真剣な顔で、額に汗を流して、持っている全ての工具を駆使して、俺の修理に当たってくれた。
俺ができることと言ったら、寝台に寝転がっていることと、俺の上にまたがって作業をしている、アルフェミアの大きな尻をながめていることだけ。
男として、ものすごく格好悪い。
そして、刀を振る者としては最低の姿だった。
「なあ、アルフェミア」
「まだ痛むのですか、クロード? 痛覚は全て止めているはずですが」
応急処置が一通り終わったのか、アルフェミアはまたがったままで体勢を入れ替えて、俺の顔に自分の顔を近づけた。頬に当たるアルフェミアの吐息の熱さが、彼女が真剣に作業していることを教えてくれた。
「なんて言ったっけ。アビセンナのタルフォードの名前」
「シモンのことですか?」
俺の顔のすぐ近くにあるアルフェミアの顔。その細い眉が、俺が聞きたいことを察したのか、わずかに動いた。
「自分には、勝負に勝つ理由がないって、アビセンナは言っていたよ。それって、アビセンナがシモンに自分の修理をさせないことと関係があるのか?」
どうして勝ちを譲ってもらえたのか、そのことがずっと気になっていた。
「なぜ、そんなことを知りたいのですか?」
「わからねえ」
わからなかったけど、知らなくちゃいけないような気がした。
「一度はアビセンナと刃を交わしたのですから、あなたに知る権利はあると思います」
そう言うと、アルフェミアは俺に説明してくれた。
砂漠の国グロブナー。
アビセンナは、その国の機械戦士の一人だった。
竜に襲われた国を守るために戦うことができるのは、アビセンナたち機械戦士のみ。
戦いは一年に及び、必死の抵抗も空しく、最後の突撃を迎えることになった。
その時、突撃を前にして、アビセンナのタルフォードであるシモンは、ある行動を取った。
わざとアビセンナを故障させて、突撃に参加できなくさせてしまうこと。
その結果、グロブナーという国は竜によって滅ぼされ、アビセンナとシモンは生き延びた。
以来、アビセンナは決してシモンに自分の体を触らせることはしなくなった。
「どうして、シモンがそんなことをしたのか、理由はわかりません。そして、シモンがいまだにアビセンナの近くにいる理由も」
アルフェミアはそう言ったけど、俺にはフードを被ったタルフォード、シモンの気持ちがわかった。
きっと、シモンはアビセンナに死んで欲しくはなかったのだろう。
でも、結果として、機械戦士としてのアビセンナを殺してしまったんだ。
戦う理由がなくなってしまった戦士は、なんのために剣を振るうのだろうか。
俺には勝たなければいけない理由がある。
強くなろう。
そう、心に決めた。




