第九章『疾風の騎士』
夢を見ていた。
正座した俺の前に置かれているのは、真剣の日本刀。
斬りつければ、人を殺すことだってできる。
これに勝てば、俺が武上流の当主になって、広津の家の吉乃さんを嫁さんにに迎えることができる。
逆に、負けてしまえば、吉乃さんは目の前にいる兄貴のものになってしまう。
「時間だ」
親父が、いつもより厳しい声で、真剣勝負の時間が来たことを告げた。
兄貴は俺よりも強い。それは子供の頃から、身に染みていた。
だけど、勝たなくちゃいけない。何があっても。
鞘から刀を抜く。現れたのは、濡れたような輝きを持つ、白い刃。
「構え」
この世界に飛ばされた日から一ヶ月前のこと。
吉乃さんしか見えなかった頃。
俺は、次代の当主を決める真剣勝負で、兄貴に左腕を斬りつけられて負けてしまった。
待っていたのは、木刀も握れず、好きな人に好きだと言うことも許されない惨めな日々。
みんなが大切な何かを見つけている中、俺はふてくされて転がるだけで、何も見つけようとしない馬鹿だった。
「ヨシノとは、お姉さんではなかったのですか?」
起きたばっかりなのに、アルフェミアの声が厳しい。明らかに怒っている。
「夢で見ただろう。もう、兄貴の婚約者になっちゃっているんだって」
「あなたは、お兄さんの婚約者のために、今まで頑張ってきたと言うつもりですか?」
私に言った言葉は、全て嘘だったのか?
アルフェミアの怒った目の中に浮かぶ不安の色は、そんなことを語りかけてきた。
「そうだよ。大事な人で、好きだったけど。武上の家の掟は絶対なんだ。当主の息子である俺が、それを破るわけにはいかない。だから、アルフェミアが心配しているようなことにはならない」
「心配なんて、していません」
そう言うと、アルフェミアは怒って背中を向けたんだけど。そのヤキモチを妬いている姿がすごく可愛らしくて、俺はアルフェミアの体に腕を回してしまった。
「なあ、アルフェミア。優勝して、俺が人間にもどったら、一緒に俺の家に来るか?」
ずっと一緒にいれたら、きっと幸せだろう。
そんなつもりで、気軽に言っただけなんだけど。
抱きついていたアルフェミアの体から、フニャフニャと力が抜けてしまって、俺は倒れそうになってしまった。
「あの、クロード。そういうことは、もっと段階を置いて言って下さい」
頭を手で押さえて、体中を真っ赤にしたアルフェミアが、疲れたような声で言う。、
「だって、それなら、おまえと離れなくて済むだろ。いいアイデアだと思ったんだけど」
「自分の言っている言葉の意味を知らないのですか?」
いや、そのまんまの意味なんだけれども。
「家に来て欲しい。それには、もっと別の意味もあります」
うーむ、わからん。
「機械戦士は必ず男であり、タルフォードは必ず女である。その二つの存在が一つとなる場所が、家と呼ばれるのです」
アルフェミアは真面目に説明してくれたんだけど、俺はさっぱり理解できなかった。
美しく輝く宝石を散りばめた天球儀、サークルカウンター。
俺の順位を表す黒い宝石は、サークルカウンターの中心、優勝まで、わずかの距離にまで迫っている。その黒い宝石と対になるようにして輝いている宝石があった。
透き通った、それでいて、まぶしいばかりの輝きを放っている、大粒のダイアモンド。
「あれは光輝の騎士デュビュトレインを表す宝石。クロード、あなたが優勝決定戦に参加するためには、彼を打ち破る必要があります」
覚悟を決めたアルフェミアの横顔は、きれいだった。
黒い瞳は勇気で輝き、青と黒が入れ違いに輝く髪は誇りで光っていた。
周りに集まった機械戦士たちとタルフォードたちが注目する中で、俺ではなく、アルフェミアが手を挙げて、発言する。
「機械戦士クロードは、光輝の騎士デュビュトレインに挑戦します」
絶対に勝てないと恐れていた相手に、アルフェミア自身が挑戦の意志を示してくれた。
それは俺への信頼に他ならず、俺は彼女をパートナーにしていることを、とても誇らしく思った。
その言葉が響いてから、すぐに機械戦士とタルフォードの集団に空白の列ができて、その列から、真っ白な鎧を着た機械戦士が、舞台の花道を渡るようにして、大股で俺たちの方へ歩いてきた。その歩調は芝居がかっていたけど、そいつは細身で足が長く、スタイルが良くて、悔しいくらいに格好が良かった。
そんな優美な騎士の後ろを歩いているのは、くすんだオレンジ色のドレスを着たタルフォード。やっぱり、彼女も美人で、大人っぽい格好をしていた。
「私は光輝の騎士デュビュトレイン。あなたたちの挑戦を受けましょう」
俺の前に立つと、白い機械戦士は優雅に一礼をしてから、俺たちの挑戦を快諾してくれた。その態度は礼儀正しくて、俺とアルフェミアも感心してしまったんだけど。
「デュプレ。こんな者たちの挑戦など、受けることはないでしょうに」
横にいた、真珠色の髪をしたタルフォードの態度が最悪だった。
「聞き捨てなりません。こんな者たちとは、どういう意味ですか」
早速、アルフェミアが噛みつき始めたので、俺は彼女の前に立ち、喧嘩になるのを止めた。
「メイフォア。失礼なことを言うな。黒の狂戦士クロードと言えば、すさまじい戦績を叩き出した、この闘技大会でも屈指の強者。決して、油断していい相手ではないぞ」
うん、俺も一応、そのつもりなんだけど。
「でも、光学武器も使えないタルフォードが、パートナーなのでしょう。デュプレの敵ではありませんわ」
デュプレとは、白い機械戦士デュビュトレインの相性なのか。
余裕と軽べつの微笑みを浮かべるメイフォアの態度に、アルフェミアは顔を真っ赤にして怒っている。
「ひかえなさい。そもそも、あなたのような低い評価のタルフォードが、私のような名門の神殿出身のタルフォードと競えるだけでも名誉なことなのですよ」
そう言って、口に頬を当てて、お嬢様笑いをするメイフォア。対して、アルフェミアは怒り過ぎたらしく、目には殺気まで浮かんでいた。
「ごめん、デュビュトレイン。俺が抑えているから、とりあえず離れてくれないか?」
「承知した。パートナーの無礼については謝る。試合では、互いに全力を尽くそう」
そう言うと、機械戦士デュビュトレインは、まだアルフェミアを挑発しようとしているメイフォアを押すようにして、サークルカウンターの前から去っていった。
「あの、アルフェミアさん?」
部屋に帰っても、アルフェミアの怒りは収まらなかった。
俺に向けた背中は猛烈な怒気を発していて、怒りのオーラが湯気になって見えそうなくらいだ。
「そろそろ、次の試合の準備をしないと、まずいと思うんですが」
相変わらず、俺はアルフェミアに弱い。彼女が本気で怒ると、どうしても敬語になってしまう。
俺が困っていると、アルフェミアは急に俺の方を振り向いて、その黒い瞳に凶暴な光を浮かべて言った。
「勝ちますよ、クロード」
「はい。それはもちろんなんですが」
どうか、俺にとばっちりを飛ばさないでください。
「私は、愚かな勘違いをしていました。あのような高慢で、驕慢で、傲慢で、不遜な者を恐れていたなどと。自分で自分の愚かさに腹が立っていました。私はメイフォアを倒すために全力を尽くします。だから、クロード。あなたも全力を尽くして下さい」
試合をするのは、俺とデュビュトレインで、俺がメイフォアと戦うわけじゃないんだけれども。
「戦う意志というものを思い出しました。あの性格不細工女に思い知らせるために、私は死力を尽くします」
そう言って燃えているアルフェミアの姿に、昨夜のような抱きしめたくなる可憐さはなくて。
まあ、いいか。やる気になってくれているんだから。
俺は、かなり残念に思いながら、アルフェミアの言葉にうなずいた。
光輝の騎士デュビュトレイン。
性能は全て俺を凌駕し、光学武器と呼ばれる光の剣を使いこなす。
アルフェミアは、このままだと絶対に勝てないと思って、パートナーを変えるところまで思い詰めてくれたけれど、練習場に立った俺には、もっと怖い相手がいた。
「見ろよ、クロード。あそこのタルフォード、いい胸しているよなあ」
俺の横で馬鹿ヅラを下げて、馬鹿なことを言っている機械戦士、疾風の騎士ティガス。
昨日、データリングでデュビュトレインの試合と一緒に、ティガスの試合を見せてもらったんだけど、こいつは本当に強い。動きが速いだけじゃなく、打ち込みの強さも半端じゃなくて、自分の倍近く体重がありそうな重量級機械戦士をぶっ飛ばしていた。もしも、俺がデュビュトレインに勝利することができたなら、決勝戦で戦う相手は、間違いなく疾風の騎士ティガスだろう。
「おまえ、余裕あるよな。俺はさすがに緊張してきたっていうのに」
俺が弱気なことを言うと、ティガスは四角い黄色の目を細めて、笑ったようだった。
「さすがに十回も闘技大会に参加しているとな、経験の差っていうものが出てくるのよ。優勝決定戦に参加できたのは三回目。今度こそ優勝して、ミュンザとおさらばしてやるぜ」
「それ、よくわからないんだけど。闘技大会に十回も参加しているってことは、ミュンザとは長い付き合いだってことになるよな。しかも、機械戦士になる前、人間だった頃からも、子供の時から一緒にいたわけだろ? なんで、そこまで嫌うんだ?」
言わせっ放しだと、ミュンザが可哀想だと思ったので、俺は何度も繰り返した質問を、もう一度、口にした。
「何回も答えさせるなよ」
「納得していないんだから、何回も聞くさ」
ゆれるタルフォードの胸を目で追っていたティガスは、仕方がないという風に肩をすくめた。
「おまえ、歯医者に通うのって好きか?」
「はっ? いや、そりゃ大嫌いだけど」
昔、一度だけ虫歯になって、母さんに連れられて歯医者に行ったことがある。
迫り来るドリル、歯を削る破壊音、無機質な金属のヘラの光。
激痛と恐怖が混ざった、戦慄の拷問室。
あんなところに行くくらいなら、毎日、歯磨きをした方がよっぽどいいと悟った俺は、それ以来、一度も虫歯になったことがない。
「骨接ぎ医に通うのって好きか?」
「大嫌いだよ、もちろん」
昔、吉乃さんのために崖に生えた花を摘もうとして、崖から滑り落ちて、左腕の骨を負ったことがある。
その後、応急処置を受けてから骨接ぎ医に行ったんだけど、ものすごく痛かった。
骨を負った時よりも、折れた骨を接ぐ時の方がよっぽど痛くて、その時のことを思い出すと、今でも冷や汗が出てくる。
「言ってみれば、俺にとって試合で傷を負うってことは、後で歯医者と骨接ぎ医と拷問係が一緒に訪ねてくるのと同じ意味を持つんだよ。だから、俺はとにかく怪我しないように、相手の攻撃を避けまくってたんだ。だから、疾風の騎士なんて呼ばれるようになっちまった。すごい話だろ」
「ミュンザって、そんなにひどいのか?」
重々しく、ティガスはうなずいた。
「おまえにとっては、ただのムチムチプリンの姉ちゃんかも知れないけどな。だけど、俺にとっては、ミュンザは激痛と恐怖と災厄をもたらす邪神のような存在だ。それから一刻も早く離れたいって思うことの、なにが悪いってんだ?」
「うん。確かに、いくらムチムチプリンでも、それはかなわないな」
あやうく説得されそうになっていた。俺は正気に返ろうとして、首を強く横に振る。
「でも、それでもさ。ミュンザはいい人だ。だから、それぐらい我慢しないと駄目なんじゃないか?」
「わかっているよ、そんなことは。だけど、俺はあいつから離れなきゃ、いつまで経っても一人前なんかになれはしないんだ」
ティガスがほんの少しだけ、本音をもらしてくれた。
母親のような、姉のような存在。
ティガスにとってはミュンザであり、俺にとっては吉乃さん。
俺は離れたいなんて思わないんだけど、いつか吉乃さんと離れる時が来るのかもしれない。
それを思うと、俺は背筋が寒くなるような気持ちを覚えた。
アルフェミアが好きだと気づいたばかりなのに、俺はまだ、吉乃さんを欲しがってもいた。
あの人はもう、俺の手の届かないところに行ってしまったと知っているのに。
やっぱり、俺は馬鹿なのかもしれない。
部屋にもどると、アルフェミアが座ったまま、なにかの回路をいじっていて、オートレイがその横にしゃがみこんで、整備の様子を珍しそうに観察していた。俺がいない時は、アルフェミアがオートレイを追い払ってしまうので、とても珍しい光景だ。
「クロード様。今日の練習はいかがでしたか?」
「いつも通り。ここまで来たら、なにをしたって変わらないよ」
「私は、アルフェミアの仕事を拝見していました。参考になるかも知れませんから」
その言葉を聞いて、回路をいじっていたアルフェミアの手が止まった。
「なんの参考にするつもりですか?」
「クロード様の整備をする時のためですわ」
柔らかに微笑んでいる、オートレイ。
殺すぞ、コラ、という目つきで見ている、アルフェミア。
だから、二人とも、俺の目の前で喧嘩するのは止めて。怖いから。
「オートレイ。この際、はっきりと言っておきます。クロードが、あなたのパートナーになる可能性はありません」
「それは、クロード様は優勝できないということですか?」
優勝したら俺が自分を選んでくれる、という確信を持って、オートレイは微笑む。
「クロードは勝利します。ですが、あなたの希望と、そのことには関連性がありません」
そう言いながら、アルフェミアが横目で、俺のことを見た。
オートレイは向き直って、直接、俺の方を見ている。
どうなのですか、と、無言で、二人が俺に聞いているらしい。
「まだ、試合が残っているから。そっちに集中させてくれないかな」
うまく、ごまかしたつもりだったんだけど。
二人の視線は、なんだか冷たかった。
準決勝戦を迎えた。
この試合に俺が勝てば、次の試合で優勝戦に挑戦することができる。
優勝戦の相手が疾風の騎士ティガスなのか、雷の暴君ガミットなのか、それはわからない。
今、目前に迫った戦いに勝利することしか、俺の頭にはない。
狭苦しい通路の前に立つと、横に立っているアルフェミアの肩が震えているのが見えた。
「怖がらなくていい。いつもどおりさ」
その肩に、手を置いて、俺は落ち着いた声でアルフェミアをなだめた。
「信じています。あなたと一緒に戦ってきた日々が、その言葉は嘘ではないと言ってくれていますから」
光学武器は恐ろしい。その一撃は、容易に機械戦士の装甲を蒸発させてしまう。それに対抗する手段はいくつか存在するのだが、どれもアルフェミアには手が出せないものであることを、彼女は嘆いていた。
「その言葉だけで充分だ」
勇気を持って、通路へと踏み出す。
右手にはモーターブレード。左手にはカタパルトランス付大盾。
背中には、アルフェミアの声。
なにも怖くはなかった。
ゲートをくぐり抜け、闘技場の丸い広場に立つ。
黒の狂戦士を応援する声。光輝の騎士を応援する声。
観客席から聞こえる声は、怒号となって、闘技場の地面を揺らしている。
俺の漆黒の鎧とは正反対の、純白の鎧を着た機械戦士が入場して来た時、若い女たちの黄色い声が上がった。
「デュビュトレイン様っ! 頑張ってっ!」
ゆるやかに手を振り、その声援に応える機械戦士デュビュトレイン。
ちくしょう、いいなあ。あいつ、ハンサムだもんなあ。
同じロボットなのだが、いつの間にか、俺は機械戦士の顔の造形の違いがわかるようになっていた。
身も心も、この世界に染まりつつあるみたいだ。
デュビュトレインが手に持っていた筒状の機械から、光の刃が生み出される。
ビームセイバー。
食らえば、一撃で胴体を両断される恐れもあると聞かされた。
だけど、俺は怖くなかった。
デュビュトレインの姿は、真剣を持って俺の前に立つ、正人兄貴の姿に重なっていた。
足をかがめ、腰を溜めて、モーターブレードは後ろに引いて、デュビュトレインが打ってくるのを待つ。
俺のしたいことがわからないのか、デュビュトレインは無造作に、それでいて素早く、俺の方へと駆けてきた。
大上段に振り上げられたビームセイバー。
その光の刃はデュビュトレインの身長以上に伸びて、俺の肩口に向けて、振り下ろされてくる。
だけど、俺はそれを待っていた。
限界まで溜められた、駆動機のパワー。
弓の弦が限界まで引き絞られているように、鉄砲の火口が寸前まで火薬に近づいているように、俺の体の全ては、デュビュトレインが間合いに入ってくるのを待っていた。
ゴウっと、モーターブレードの鍔代わりのエンジンが、一声だけ吼える。
光の刃が俺の肩口に落ちてくるよりも速く、モーターブレードの黒い刃の列は、デュビュトレインの胴体を横薙ぎに斬り裂く。
必殺の、居合い抜きの一閃。
胴体に深刻なダメージを受けて、背中から闘技場の地面に倒れるデュビュトレイン。
土ボコリが舞う。
なにが起こったのか理解できない観客を置いて、俺は開いているゲートに向かった。
一瞬ほど遅れて、大歓声が俺の背中に響く。
ついに俺は、決勝戦に挑戦する権利を、その手につかんだ。
「素晴らしい、としか言えません」
俺の試合を何度もデータリングで見返しながら、アルフェミアは満足げに微笑んだ。
「嬉しそうだな」
「当然です。あれほど気持ちが晴れやかになった試合は、経験したことがありませんから」
試合の後に、俺たちに滅茶苦茶なことを言っていたメイフォアが悔しそうにしていた姿が、よほど痛快だったらしい。今日のアルフェミアは、いつもよりテンションが高い。
「次の相手は、ティガスなんだよな」
試合の後で、紅蓮の騎士エリフが教えてくれた。
相当な消耗戦になったが、ティガスは雷の武器を振るう相手に勝ったらしい。
「はい。性能的に差が開いているのは、いつものことです。実力的に言っても、決して、侮れる相手ではありません。深いダメージを受けたようですが、決勝戦当日までに、ミュンザは修理してしまうでしょう」
それでも、メタルソードを持ったティガスに、そこまで驚異を感じないのか、アルフェミアの顔は笑っていた。
俺としては、ティガスの方が、よっぽど怖い相手なんだけれども。
わからないよな、実際に剣を持って戦っているわけじゃないから。
俺が達観した気持ちでいると、データリングを観戦していたアルフェミアは、いつの間にか鏡を消して、俺の横に座っていた。その細い手は、俺の手を握っていて、互いの手首から白いコードが伸びてくる。
「パーシエ先輩から、色々と教わっています。もしも、あなたの夢がかなうのであれば、きっと役に立つはずですから。お姉さんの私に任せて下さい」
よくわからないことを言いながら、アルフェミアは、俺の口に当たる部分の頬当てに、自分の唇を重ねた。
その柔らかい一撃は、本当に電撃のようで、まだ高ぶっている俺の心を癒してくれた。
練習場に立って、モーターブレードを振る。
他に例を見ない戦績の俺にあやかろうというのか、最初の頃は、だれもいなかった練習場も、ずいぶんと人が増えてきた。いろんな種類の機械戦士たちが、それぞれの武器を振って、体を動かしている。
サークルカウンターの指名に立った時、同意してくれたのはミュンザだけだった。ティガスはまだ修理中ということで、特別に欠席が許されたらしく、姿を見せなかった。
あいつ、大丈夫かな。
あと数日経ったら、真剣で斬り合う相手のはずなのに、俺はティガスが心配だった。
アルフェミアとの仲をリーネが言い振り回してくれたおかげで、前のように、タルフォードたちにまとわりつかれて、うっとうしい思いをすることはない。
俺の練習姿を見ているのは、遠くで見ている機械戦士たちと、間近に立っているオートレイだけ。
「剣に迷いがなくなりましたね」
「そうか? 俺としては、かなり複雑な心境なんだけど」
馬鹿話をして、一緒に時間を過ごした相手と斬り合うというのは、なんとも複雑な気分だった。
それが、どちらかの死につながるという可能性は少ないのだろうけれど、それでも嫌な気持ちだった。
「本心では、強い相手と戦うことを楽しみにしている。そういう太刀筋です」
なにもかも見透かしているような、オートレイの青い瞳。
俺の赤い一つ目は、不思議そうに彼女の顔を見る。
「オートレイ。俺のどこが気に入ったんだ?」
アルフェミアがいるのに、吉乃さんが待っているのに、そんなことを聞いてしまう。
「あなたが強いから。その体も、剣も、心も。全てが強いからですわ」
オートレイの明快な答え。
本当に、そうなのかな?
彼女の姿が、だれかと重なって見えた。
練習場と部屋の往復。
強敵だろう疾風の騎士ティガスとの戦いを前にしても、俺のするべきことは変わらなかった。
毎日、オートレイが遊びに来て、アルフェミアはカンカンに怒っていたけれど。
いつものように練習場でモーターブレードを振っていると、ズシンという足音が響いてきた。
揺れる地面に驚きながら、俺が振り向くと、そこには無双の城壁ルーケンが、巨体をそびえ立たせながら、俺の顔を見下ろしていた。
「どうしたの、ルーケン。最近、調子が悪いみたいだけど?」
前の試合、ルーケンはいいところを見せられずに、あっさりと負けてしまっていた。
その槍さばきに、俺と戦っていた時のような精彩はなく、調子を崩していることがデータリングの映像からもわかっていた。
「クロード。折り入って、お願いしたいことがあるのだが」
丁寧なノイズ混じりの口調に、疲れを感じさせながら、ルーケンが俺に頭を下げてきた。
「君のパートナーのアルフェミアに、パーシエに変な質問をさせないでくれないか。このままでは、私は最後の試合を敗北で飾ってしまうことになる」
ルーケンがなにを言っているのか理解できず、俺は首を傾げた。
「パーシエって、アルフェミアの先輩だろ? 質問しに行くっていうのは、いいことなんじゃないか?」
「その質問の内容が問題なのだ」
俺の態度にいらだったのか、ルーケンの声に混ざるノイズの量が多くなった。
「いいか、クロード。私は機械戦士になってから、二十年になる。はっきり言って、若くはない。それなのに毎晩、アルフェミアに教えたことが本当かどうか確かめたいと、若いパーシエが言ってくるのだ。はっきり言って、このままでは体がもたない」
うーん、さっぱりわからん。
助けを求めて、周りにいる機械戦士たちやタルフォードたちを見たんだけど、みんな、変だった。
恥ずかしそうに顔を赤くして下を向く奴がいたり、指を差して笑っている奴がいたりして。
言葉が通じなかったことに脱力したのか、ルーケンは大木の幹みたいな太さの肩を落として、ズシンズシンと足音を立てて、闘技場から去っていく。
俺、なにか悪いことをしたのかな?
わけがわからずに頭を掻いていると、
「あいかわらず鈍いね、クロード」
久しぶりに、ミュンザが俺に話しかけてきてくれた。
「アルフェミアも一生懸命だよね。奥手だから、ああいうのは苦手なんだろうに」
面白そうに笑いながら、ミュンザが俺を冷やかしている。
「よくわからないから、教えてくれないか? ルーケンは、なにを言っていたんだ?」
「すぐにわかるって。今のアルフェミア、弦を引き絞った弓みたいなもんなんだから」
居合いのことだろうか? それにしてもわからん。
「それよりもいいのか? 俺と話していて。ティガスの決勝戦の相手って、俺なんだぜ?」
「変わりはしないよ。ティガスが優勝して、この闘技大会は終わる。それだけだよ」
ティガスは優勝したら、オートレイを新しいパートナーにすると言っていた。
アルフェミアと同じ深い信頼の眼差しが、かえって苦しかった。
「でも、俺が負けるっていうことは、ティガスと別れるっていうことを意味しないか?」
ミュンザは俺の質問に、ゆっくりと首を横に振った。
「いいよ。それで、ティガスが死んでしまうわけじゃないし。私はまた、パートナー探しで苦労しなくちゃいけないけどさ。あいつと一緒にいた時は楽しかったから。それでいいよ」
ティガスに勝ちたいと、初めて思った。
こんな悲しい微笑みで終わるのは、絶対に間違っていると思った。
ついに決勝戦の日を迎えた。
ゲートの前に立った俺は、まだ開いていないゲートの向こうから聞こえる大歓声に奮い立っていた。
頬当てには、アルフェミアのキスマーク。
あいつ、口紅をつけるようになったから、ちょっと格好悪い。
「印をつけているのですから、こすって消さないで下さい」
そう言われていた俺は、渋々、そのままで開いたゲートをくぐった。
黒の狂戦士クロードと疾風の騎士ティガスの名前を連呼する、満席の大観衆。ミストリエの街にいる人間全員が集まっちゃったんじゃないかと思われる人数だった。
俺から遅れて、ティガスもゲートから出てくる。
飛行機のような流線型の胴体。妙に細い手と、カモシカのように太い脚。
鮮やかな青の機械戦士は、軽い足取りで、俺の前に立った。
剣を振れば、すぐに当たってしまう距離。
そんな距離まで近づいて、俺とティガスは視線を合わせる。
「姿を見せないから心配したんだぜ、ティガス。まともに戦えるのかってな」
「ほざけよ、一つ目野郎。今日は、手加減しないからな」
決勝戦に立った興奮からか、互いの口からは挑発的な言葉が飛び出してきた。
モーターブレードとメタルブレードの刀身を合わせて、俺とティガスは、真剣勝負を開始した。
ガツンという衝撃と共に、左手に持った大盾がへこむ。
大盾に食いこんだメタルソードを引っかけるようにして、俺は左肘を回しながら引きこみ、ティガスの体勢を崩そうとしたんだけれど、
相手も俺のやりたいことはわかっているのか、地面を蹴って、わずかに離れてしまう。
モーターブレードの剣先を突きこみながら、俺は斜めに体を入れこむ。左手にあるのは、発射準備が整った蒸気で射出する長槍、カタパルトランス。狙っているのは、ティガスの飛行機みたいな胴体。
バスンという音が鳴り響き、猛烈な勢いで大盾の上に掘られた排気口から、蒸気が飛び出す。
だが、ティガスは素早く左に飛ぶと、地を滑るようにして、俺に飛びかかってきた。モーターブレードを持ち上げて、その上段斬りを受け止めた。
ガチンと音を立てて、刃の列と刃が噛み合い、火花が散る。
「やっぱり、まぐれじゃなかったか。やるじゃないか、クロード」
「おまえこそ、大した力だ。ミュンザのおかげかな?」
「おい。こんな時まで、あいつの名前を出すなよ」
しばし言葉を交わして、笑い合い、再び体を離す。
地面を走るのでもない、跳ぶのでもない、滑るような足取り。豪腕の闘士オスグットが戦いで見せたフットワークよりも速い、地面の上ギリギリを飛行しているような動き。
再び、ティガスの振るうメタルソードが、俺に向かって迫ってきた。
左に回りこみながらの斬り上げ。
大盾で受け止めれば、盾ごと持ち上げられて、その直後に、突きを食らうだろう。
左足を持ち上げ、後ろに倒れるようにして、ティガスの斬り上げを寸前で回避する。
そのまま、右膝を落とし、立ち直る勢いを利用して、勢いをつけた上段斬りを振るう。
浅く、ティガスの左肩を斬った。
やった、と思った瞬間、胴体に痺れるような痛みが走る。
回避したと思ったティガスの斬り上げは、俺の胴体に、浅い縦の傷を作っていた。
「洒落にならないな。おまえ、本気で俺を殺すつもりだろう」
「そんなのお互い様だ」
愉快だった。
試合の前は、ティガスと戦うことに気が進まなかったんだけど、今は、とても楽しい。
剣を横に払い、ティガスの脚を狙う。
鋭い勢いで繰り出した刃の列を軽く飛んで避けられ、メタルソードが俺の頭を狙って飛んで来た。
だけど、その前に、カタパルトランスは発射準備を終えている。
斜め先に飛び出る、白い長槍。
どうやっているのか、ティガスは空中で体勢を立て直して槍先を避けると、そのまま地面に着地する。
「アルフェミアといちゃついているわりには、ずいぶんと剣の腕を磨いたもんだ。おまえ、鏡で自分の顔を見てきたのか?」
「ああ、キスマークだろ。消すと、アルフェミアが怒るんだ。おまえもミュンザにつけてもらえよ。ご利益があるぜ」
「恐ろしいことを言うな、色ボケ野郎」
多分、アルフェミアとミュンザが聞いていたら、二人とも怒り出すだろう。俺とティガスは、そんなことを想像して、真剣勝負の最中だと言うのに、笑い合ってしまった。
お互いの実力が切迫しているのか、いくら斬り合っても、鎧に浅い傷を作るばかりで、なかなか勝負はつかない。
考えて見れば、兄貴や道場の仲間と戦っていた時も、こんな気持ちだったかもしれない。
剣を合わせたら、常に後がないと思え。
そう言われていたんだけど、気が許せる相手と共に時間を過ごすのは、たとえ刃を打ち合わせる間だって楽しい。
愉快だった。
だけど、ティガスの方から、そんな時間は終りにしようと言ってきた。
「首元はかばっておけ。下手に避けようとすると、まずいことになるかもしれないからな」
いきなり、そんなことを言うと、ティガスは俺から距離を取った。遠く、闘技場の広場の半分くらいの距離。
追いつこう思って、キャタピラを回そうとした瞬間、ティガスの姿が、青い弾丸になった。
大砲の弾に撃たれたら、こんな感じになるのか?
猛烈極まりない体当たり。
とっさに構えた大盾を持ったまま、俺の体は宙を飛び、四回ほどバウンドして、闘技場の地面に転がる。
「なんだ、ありゃ?」
よろめきながら立ちあがると、またティガスが突っこんでくる。
速過ぎて、回避する時間は残されていない。大盾を構えて、また弾き飛ばされるのを待つしかなく、何回か弾き飛ばされて、ボールのように地面を跳ね回ることになった。
「俺の隠し技だ。悪いな、クロード。おまえの遅さじゃ、俺の速さには追いつけないだろう」
ティガスが遠くで、そんなことを言っている。
なるほど、これが疾風の騎士と呼ばれている、本当の理由か。
盾を落として、両手持ちで迎え撃とうかと思ったけど、目にも止まらないティガスの速さに追いつくのは無理そうだった。
腰溜めに大盾を構えて、ティガスが突っこんで来るのを待つ。
「オートレイは、あきらめたのか?」
「おまえが勝っても、ふられるだけだって。おまえこそ、あきらめろよ」
ティガスの目は笑っている。俺の赤い一つ目も、きっと笑っていた。
この一撃で決着。
どちらかが優勝することになる。
風が舞い、青い疾風となって、ティガスが突撃してくる。
俺は、大盾の先端を地面に向けると、カタパルトランスを発射した。
ティガスに対してではなく、地面に向かって。
ギャボンと、金属同士が噛み合い、食い千切り合う、奇妙な音が闘技場に響いた。
重機械戦士の装甲も易々と貫くカタパルトランスは、地面に突き刺さっている。ティガスに激突されて、深い溝を掘ったけれど、その白い槍が曲がることはない。へこんだのは、大盾のみ。対して、正面から障害物に激突したティガスの胴体は、グシャリと変形し、突き出したメタルソードも、真っ二つに折れていた。
モーターブレードの剣先で、ティガスの体を押す。
刃が飛び出ていない機械仕掛けの刀に押されて、疾風の騎士は地面に倒れた。
右手を上げ、自分が勝利したことを観客たちに知らせる。
聞いたこともない大歓声が、俺を包む。
クロード、クロードと、俺の名前を熱狂的に連呼する観客たち。
最高の気分だった。
通路の外では、アルフェミアが、生真面目に手をそろえて、俺を待っていてくれた。
「アルフェミア、優勝したぜ。俺の言っていたこと、嘘じゃなかっただろう?」
砂だらけになった体を引きずりながら、両手を上げて、ガッツポーズを取った。
あれ?
大喜びしてくれるのかと思ったけど、なんだか反応がない。
なんで、肩をプルプル震わせているんだろうか。
そう思って、近寄ったら。
「クロードっ!」
間合いに入った瞬間、顔一杯に歓喜の笑みを浮かべて、アルフェミアが俺に抱きついてきた。
その動きは俊敏で、
チュ!
不覚にも、
チュ!
全然、
チュ!
反応することが、
チュ!
できなかった。
チュ!
「あの、アルフェミア。顔が口紅だらけになっちまうよ」
チュ!
顔一杯にキスを浴びせるアルフェミアは、すごく喜んでくれて、いつもの真面目な顔はどこにいったのかと思うくらいで、俺の話なんか聞いていなかった。
「あー、くそ。やられちまった」
「あんな大技を連発していたら、反撃を食らうのは当たり前じゃない。最後の最後までドジだね、ティガス」
ミュンザに肩を支えられながら、ティガスが悔しそうに、それでも苦笑いだけを浮かべて、俺とアルフェミアの前までやって来てくれたんだけど。
「なんだ、ありゃ。クロードの顔がキスマークだらけになっているぞ」
「邪魔しちゃ悪いよね。とりあえず、ティガス。部屋にもどって、修理をしようよ」
「嫌だ。断固、拒否する」
「うっさいなあ。いい加減、慣れなさいよ」
「慣れるかっ! 待て、手を引っ張るなっ! いやだ、やめてくれ、ミュンザ姉ちゃんっ! 修理はいやだーっ!」
駄々をこねながら、ミュンザに手を引っ張られて消えていくティガスの姿は、歯医者に通わされていた頃の俺そっくりだった。
チュ!
アルフェミアの興奮が収まらないので、仕方なく、俺は彼女を抱き上げて、部屋にもどることにした。
「いいなあ、お姫様抱っこ」
「そうだな。私たちが優勝したら、同じように凱旋しよう」
リーネがエリフの腕をつかんで、うらやましそうに、俺たちの姿をながめている。
よくないぞ。少なくとも、俺はすごく恥ずかしい。
「おめでとう、黒の狂戦士」
「サイカ。武闘大会も終わったことだし、そろそろ顔を修理して欲しいのですが」
「優勝するまでは駄目」
拍手をしている二本の手と、六本の手。サイカとプルクトも、俺のことを祝ってくれていた。
「失敗したと思っているんじゃないか? あいつ、優勝しちまったぜ?」
「いいのです。それよりも、オスグットさん。刀の練習をしてくださるという言葉に、嘘はありませんよね?」
「嘘じゃねえけど。俺、武器の類は苦手なんだよなあ。あまり、期待してくれるなよ」
オスグットとイツキは仲直りしたようだ。
「アルフェミア。今夜は精一杯、頑張るのですよ。タルフォードの義務を果たしなさい。私もまた、努力しますから」
「勘弁しろ。私は若くない」
嬉しそうに笑っているパーシエと、ノイズ混じりの声で悲鳴を上げているルーケン。
やっぱり、なんの話をしているのか、わからなかった。
「見事なり。まことに見事なり」
俺に勝ちをゆずってくれたアビセンナ。彼の修理を手伝って以来、廊下ですれ違う度、必ず頭を下げてくれるシモン。その二人も、喜んでくれていた。
チュ!
本当に、最高の気分だった。
その日の夜は、俺もアルフェミアも、早く寝ついてしまった。
きっと、喜びで興奮し過ぎたのかもしれない。
「残念なことをしました」
起きた時、アルフェミアがそう言ったんだけど。
俺の顔は口紅で埋まっていて、赤い一つ目のレンズまで覆っていたので、アルフェミアの表情はよく見えなかったんだ。




