第四話:ぎこちない二人
慧大が好きだと自覚してから香苗は慧大を直視できなくなっていた。目が合ってしまえば好きという気持ちが溢れてくるためだ。だが、相手が依頼人なのでずっと避けるわけにもいかず、話すことはあっても目を極力合わさないようにしていた。
そんな彼女の変化に慧大は気付かないわけがなく、悩んでいた。
彼女に何かしてしまったのだろうか。
記憶を辿るが、嫌がられることをした覚えはない。トーコに相談しても、トーコの前だといつも通りらしい。どうやら、自分の前だけ避けられているらしかった。
(いったい何があったんだ……?)
このままでは埒があかないので、何かきっかけを探して聞き出そうと思う。
休み時間になり、香苗は教室を出て行くのを見た。どこか遠くを見ているような、そんな表情で一人出て行った。彼女が気になり、遠くから追いかけることにした。もしかしたら、話しかける瞬間がやってくるかもしれない。
香苗が向かったところは校庭だった。誰もいないベンチに座って景色を眺めていた。
「草壁」
「あ……長倉さん」
声をかけると手を上げて手を振ろうとしたのを止め、視線を背けた。
「何でしょうか?」
「何かあったのか? 最近余所余所しいが」
「いえ。気のせいじゃないですか」
何でも無いですよ、と手を振って見せる。だが表情はどこかぎこちない。むしろ何かを気にしていると顔に書いていると言ってもいい。慧大は隣に座り、話した。
「何か悩み事でもあるのか?」
「え? 別に悩みなんて――」
「俺でよかったら話してみないか?」
自分のようなよそ者に話しても解決しないかもしれない。だが、悩んでいる顔でずっといるよりはずっとマシだと思う。その悩みが女子だけの悩みならば相談はできないが、力になれることがあれば力になってあげたいと思う。
香苗は話そうか迷った。彼の気遣いは大変有り難いのだが、悩みの種はあなただとは口を裂けても言えない。そして、これが占い師になれるかなれないかの瀬戸際を歩いていることも。
「地元の友達から連絡が来て、悩んでるみたいなんです。気になる人ができたらしくて」
「その人のことで悩んでいたのか?」
「そんな感じです。その子、気になったらどんどんその人のこと気にしすぎてどうしたらいいのか分からないみたいで」
ここは生まれ育ったところの友達をネタに相談することにした。占い師の掟は占い師だけの秘密であり、告げるわけにはいかない。だからあくまで、友人の相談として話すことにした。
「そうしたら話もできなくなっちゃったみたいでどうしたらいいんだろうって言われて……私今までそんな経験したことないからどう返したらいいのか分からなくて」
「……そうだな」
慧大も首をひねって考える。横目で彼を見る。信じてくれるのか、こんな嘘のような話を。そして、占い師になるためとはいえ、好きな人に嘘をつかないといけない現実が辛かった。
「素直に接してみたらどうだろうか。まずは話してみないとどうしようもない」
「なるほど……」
「あと、不安があるだろうが勇気を持ってその人と話をするんだ。どんな話でもいい。友達を連れてきてもいい。とにかく、沢山話をしてその人と一緒にいるのを慣らしてしまえばいいと思う」
上手く言えないが、と慧大は零す。一生懸命考えてくれたのだろうその答えに香苗は圧倒されるばかりだ。
まるで後ろから後押しされたような気分だった。これが、正直な言葉で悩みを打ち明けられたらどんなにいいだろうか。
「……俺とは違って、その子は“自由”なんだからな」
「え?」
「羨ましいよ、俺は」
「どういう、ことですか?」
首をかしげて彼を見る。目を合わせてしまったが、それよりも彼の言葉が気になって仕方ない。
彼は苦笑しながら話し出す。
「俺は元々、定められた“運命”の中で生きている。俺から見れば、トーコや草壁、その友達が羨ましいよ」
「ながくらさ、ん」
その表情はどこか哀しみを持っているように思えた。その表情にズキンと胸が痛む。
(ああ、長倉さんも辛いことを持っているんだ。私だけじゃない。何かしら辛いものを抱えているんだ)
一人で黄昏れていた。でも慧大やトーコと比べれば自分の悩みはうんと小さなことなんだろう。
「俺が君に依頼した理由、言ってなかったな」
「あ。はい」
そういえば、何故自分に未来予測を依頼してきたのか聞いたことがなかった。
「俺はその“運命”から断ち切りたいと思っててね。そのためには自分でその未来を知ることが先決だと思った。本当ならトーコに視てもらうつもりでここに来たんだが、トーコが自慢する弟子がいると聞いたから、俺は君に占いを頼んだんだ」
「で、でも私――まだ成功してないし」
このままでは試練は失敗と言ってもいい。慧大も本当なら占い師を変える権利を持っているはずだ。だがそれを執行しないのは何故なのか。
「俺は草壁に視てもらいたい。だから、諦めないでほしい。だからこうして他の誰にも頼らず、君に頼んでいるんだ」
慧大は真面目な表情でハッキリとそう告げた。嘘偽りはないと目で訴えていた。その目に思わず吸い込まれそうになる。青い瞳が香苗の姿をとらえる。
まさかそこまで考えてくれていたとは思っていなかった。誰よりも自分の成功を願っているのは彼なのだ。未熟な自分だが、成功する時を待っているのだ。
だが、好きだという気持ちを知った今では、それは嬉しくも悲しくもあった。好きという気持ちを知らなかったら嬉しい気持ちでいられただろう。とても喜んだだろう。だが今は――。
「だ、だから――その友達には自分でどうしたいのかよく考えてみてはどうだろうか。このまま見ているだけでいいのか、それとも積極的にその人に声をかけていくか」
己の話している話が恥ずかしくなってきたのか、香苗から視線を外して景色を見ていた。
「ありがとう、ございます」
「これはあくまで俺の意見だからな」
男と女とでは考え方が違うだろうから、としどろもどろに答えるが、香苗は首を横に振って微笑んだ。その笑みは久々に見た心からの微笑みだった。
「友達に、そう伝えてみます。ありがとうございました」
「あ、ああ。どう、いたしまして」
友人の弟子の友人というほぼ他人のためにどうしてこうも悩みを解決してあげないといけないんだろうか。今更ながら疑問ばかり浮かんで仕方ない。だが、そのおかげで久々に見る香苗の元気な笑顔が見れたのでよかったと思う。
自分が原因で気を悪くしていたと思っていただけに、思い違いだったらしい。ほっと胸をなで下ろした。
二人は気まずい雰囲気がなくなり、世間話をするようになった。
やっぱり一緒に話していると楽しい。香苗は彼の話にクスリと笑いながらそう思った。
(私がどうしたいのか――何となく、見えてきたような気がする)
心の迷いが少しずつだが消えていくような気がした。これも彼の助言のおかげだ。彼にはどれだけ助けられただろうか。
今は占い師になれるように頑張ろう。
そう香苗は決意した。
* * *
夜。香苗はなかなか寝付けられず、ベッドから起き上がった。
(外の空気でも吸ってこよう)
外は深夜だ。夜に外を出歩くことは許可していない。だが、バレなければ大丈夫なはずだ。少しだけだ。すぐに戻ってくればいい。寝間着に上着を羽織り、寮を出た。
少し歩くと大樹がある。そこから見える景色が香苗は好きだった。夜になると隣町の輝く電気が星のように輝いて見えるのだ。
「綺麗」
思わず呟いた。空気はとてもおいしい。だが車が走るところでもあるので少々煙のにおいが薄く滲んでいるように思う。だが空気を入れ換えるには十分だ。
景色を見ていると、後ろから何か音が聞こえた。思わず体を奮わせ、動きを止めた。
管理人さんだろうか。寮の管理人は夜出歩いていないかしばしば周辺を巡回するようになっていた。
樹の影に隠れよう。そう決めると隣町の風景を背に向け、樹に隠れた。だが、人が訪れる様子はない。むしろ、草の音が聞こえていた。森の方から草の音が聞こえた。
「何だろう?」
不安になりながら音の元を辿ってみる。
静かに森の方へと向かうと、人影が二つ見えた。
「……っ?!」
その人影を見てあげそうになった声をぐっと押し黙った。思わず手で口を覆った。
そこには慧大とトーコだった。
トーコが慧大に抱きついているのだ。その姿に香苗は目を見開いた。
(そんな……まさか、先生と長倉さんって)
紹介された時は小さい頃の知り合いだと言っていたが、密かに二人は付き合ってたりとかしているんじゃないかと疑ったことがあった。もちろんトーコに聞いても、そんなことないない、と否定されたが。
だがその言葉を断ち切るほどの光景が目の前で行われている。
胸がズキンと傷む。胸が苦しい。
(長倉さんほどの格好いい人が先生が黙ってるわけないよ……先生、美人だし)
口調は男口調を混じっているが、それも含めてクールな女性に見える人だ。そんな彼女を彼が放っておくことはしないだろう。
「……やっぱり、私だけ、だったのかな」
一緒に買い物に出かけた時。男子に押されて線路に落ちそうになったのを助けてくれたこと。彼にとっては他愛の無い行動だったのかもしれないけど、自分にとって大きな出来事だった。そして恋と好きという気持ちを自覚したエピソードだ。
やはり、自分のような子供よりもトーコのような女性の方が釣り合うのかもしれない。いや、釣り合うのだ。
(……いいじゃない。これで、占い師になれるじゃない。心置きなく――)
でも何でだろう。悔しい気持ちが溢れてくる。その場にいてもたってられなくて、その場から走って行った。
後ろから何か聞こえたような気がしたが、そんなの気にしている場合じゃ無かった。それほどまでに、心が傷ついたのだから。
香苗は寮を通り過ぎて、奥の森の中へ入っていった。
普段の服装とは違い、寝間着のままなので少し肌寒いし、時々あたる木々の枝に躓きながらも遠くへと走っていた。
そして、地の足を置いた途端、心臓が宙に浮いたような気がした。
「きゃっーー!!」
香苗は下に落ちていく。それはまるで落とし穴のような場所に落ちるように。
やがて下に着いたところで、足は体を支えきれずそのまま倒れてしまう。
「いったぁ……」
着いた泥を落とし、立ち上がろうとするが足首が捻って動けなかった。
周りを見渡す。周りは暗く、上を見れば、月明かりが見えるだけだった。どうやら上から落ちたらしい。周りは暗くてよく分からないが、崖なのか、それとも落とし穴なのか、そんなところに自分はいるらしい。
朝になるまでこのままかもしれない。
こうなった自分が悔しくて涙を零した。
どうして自分だけこんな目に遭わないといけないんだ。自分が何をしたんだ、と神を恨みたくなった。
「お、おお……いいもんが引っかかったぞ……!」
「…っ!」
奥から低い男性の声が聞こえてきた。思わず肩を震わせた。振り返ると、図体の大きい男が獲物を捕らえたかのように手には斧を持ち、のっしりのっしりとこちらにやってくる。
香苗は怖くなり、後ろに後ずさる。
(誰か! 誰か助けて――!)




