第三話:はじめて分かった感情
(はぁ……今日も進展なしだった)
今日の授業が終わり、学校を出た。とぼとぼと疲れた体を引きずるように歩いて行く姿は成果が出なかったのだと悟られる。
結局今日も占いが成功することはなかった。何度目か分からないため息をついた。
「長倉さんに申し訳ないな」
今日も帰る日を延ばしてもらっているが、あれは元場と言えば自分がそういう態度をしてたのだろうなと一日を振り返ってみる。今日は彼の前で先生と喧嘩をしてしまった。よりにもよって、気になる彼の前で。実に見苦しいところを見せてしまっただろう。
あの後謝り、先生は気にしていないようだったが、慧大に見せてしまったことがショックで拭えない。
寮に帰ったらまた占い演習しないと。
これまで慧大の占いを一度も成功していない。少しでも実力をあげなくては。
「草壁!」
「長倉さん」
後ろから声が聞こえ、振り返ると慧大が走ってやってきた。結構走っていたのか、近くにやってくるとぜぇはぁ、と息を整えている。
「ここにいたのか。探したぞ」
「ごめんなさい、学校の掃除をしてたので」
占い師の養成学校とは言っても授業の内容以外は普通の学校と変わらない。授業が終われば掃除をし、寮に帰ることになっている。ある人は部活に行く人もいるが香苗は一日でも早く占い師になるために勉強第一に考え、部活は入らないことにしていた。
「時間が空いていればなんだが、買い物に付き合ってくれないか?」
「え?」
「ここはスーパーもコンビニもないとトーコから聞いてな。隣町まで行かないとないと言われたんだが、どうやって行けばいいのか分からないんだ」
(長倉さんからの誘い……?!)
まさか、気になる人から誘いがくるとは思わなかった。今、ものすごく嬉しい顔をしていると思う。嬉しくてスキップしてしまいそうになる。
(でも、どうしよう……まだ占いできない状態だし。あの様子を見られた後はどこか気まずい)
先ほどの口喧嘩を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。あの後だとどこかぎこちない。なおさら先生と喧嘩するんじゃなかったと後悔する。
(でも、ずっと学校と寮を行き来するだけだったし、息抜きと思って隣町に出かけるのも悪くないかも)
彼の未来が見えない時から、ずっと森の中しかいなかった。だからどこか空気が苦しいような気がしていた。隣町に出かけて新しい空気を吸うのもいいかもしれない。もしかしたらそれが手がかりに占いができるかもしれない。
香苗はこくりと頷いた。
「はい。是非一緒に行きたいです!」
「ああ、よかった。道案内頼めるか?」
「はい。占いはまだ未熟ですけど道案内はできます!」
悲しい現実だが、これが現実だ。心の中で苦笑するが、慧大はそんなに思いつめるな、と軽く肩を叩いた。
「あまり気にするな。誰だってスランプはある。きっとできるようになる」
「長倉さんにそう言ってもらえると助かります」
彼の慰めも嬉しいが、少し心が傷つく。だがその気遣いも嬉しい自分もいて。自然と心が温かくなっていくのが分かる。
隣町のスーパーへ買い物に向かった。夕方の隣町は少し人が少なかった。夕方でも五時頃は特売で主婦が賑わうのだが、その時間は過ぎているためか数人だけしかいなかった。
「隣町でも田舎なんだな」
「長倉さんって都会から来たんでしたっけ?」
「ああ。田舎だとは知ってたが、まさかあんなに変相なところだとは思わなかった」
香苗が生まれ育ったところもどちらかというと都会に近いが、少し田舎めいたところもある。以前話をしたことがあり、聞いたところだとビルが沢山あり、電車もすぐ次がやってくるほどの大きい街なんだそうだ。実に近未来のようだった。
「買う物はこれで全部だ。助かった」
「いえ。少しでも役に立てたならなによりです」
スーパーから出ると、袋を両手で持った慧大がお礼を言った。荷物が多いため、軽い物だが香苗も袋を持っている。
スーパーから数分歩いたところに駅があり、改札口を通る。電車は五分後に来るようだったのでホームで待つことにした。
途中、上から中高生ほどの男子の集団が階段を降りていた。そして、彼らの後ろに並ぶ。一人の男子が香苗の背中を軽く押してしまった。その衝動に逆らうことができずに前屈みになる。
「わわっ!」
驚いて声を上げた。前は線路が一面に見えている。このままだと線路に出てしまう。衝撃に備え、目を深く閉じる。だが、衝撃はなかなかやってこない。
「大丈夫か? 草壁」
上から聞こえ、ゆっくり目を開くと目の前には暗くて何も見えなかった。ただ、目元に温かいものを感じた。
なんだろうと思い一歩後ろに下がるとやがて慧大の顔が見えた。
どうやら慧大が体を張って倒れるのを防いでくれたらしい。体を受け止めたのは彼の胸板だったようだ。
「あっ! あ、あの! ありがとうございます!」
思わず声を上ずりながらお礼を言う。まさかこんな形で彼に近付くことができるとは思っていなかった。あの感触は彼の胸板だと思うと更に顔を赤くしてしまう。
「いや、こんな形ですまない」
手が塞いでなければ別の方法で助けるつもりだったんだが、ともごもごと話す。それでも、線路に落ちるよりはマシだったので、彼の助けが有り難がった。
「あっ、すんません」
「あ、大丈夫です」
後ろから当たったと思われる男子が軽く頭を下げた。話しながらの行動だったらしく当たったのを知らなかったようだ。わざとじゃなかったようなので、香苗は大丈夫だと会釈した。
(ちょっとだけ、得したかも)
線路に落ちるんじゃないかと冷や冷やしたものだが、それが彼に近付くことができたという嬉しい気持ちが香苗の心が高鳴る。
ドキドキが止まらない。落ち着けと脳内で呟くが、胸の高鳴りは治まることを知らない。
この感じ、どこかで覚えがある。
いつだっただろうか。生まれ育った場所での友達が貸してくれた少女漫画。
確か、パンをかじって慌てて登校していた女の子が男の人とぶつかった。その人が格好いい人で、一目惚れしたというよくある話だ。
(あ……似てる、かも)
よくありがちなネタだが、何故かその先を期待して読み進んでしまう。最後は付き合ってハッピーエンドだったと思う。その間にハラハラ、ドキドキ感じながらページをめくっていたと思う。その感じと今とが、似ていた。
これはもしかしなくても。
これは所謂“恋”というものなんだろうか。確かに慧大に会う度に胸がドキドキする。会えると嬉しい自分がいて、近くにいない時はどこにいるのか、何をしているのか気になったこともある。
(そっか。これが“恋”なんだ――)
今までこの感情はなんだったのか疑問に思わなかったことはない。だが、この感情が“恋”で“好き”という感情なら自然と受け入れられた。もやもやしていたものが、やっと分かり、心のどこかで清々しく思えた。
「? どうかしたか?」
じっと見つめていたのが気になったのか、慧大は首をかしげながら尋ねた。香苗は何でもありません、と首を小さく振った。
やがて、電車がやってきた。電車の中は人が少なかった。
電車の中は静かだった。誰一人、話す人はいない。その中でごとんごとん、という線路を走る音を聞きながら隣に座る彼を気にかけた。
彼は自分をどう思っているのだろうか。そう思うと気になって仕方がなかった。気になればとことん気になる。
(やっぱり、“トーコ(先生)の弟子”としか見てないんだろうなぁ)
時々会話することはあっても、気にかけてくれるような節は思い出せない。思い出せないと言うことは特に気にかけているというわけではないと思う。
ただ、トーコの弟子と依頼人。彼らはそれだけで繋がっている。そして、気付いたこの想いはおそらく……いや、確実に一方通行の片思いだろう。
(少しでも想ってくれたら嬉しいんだけど……)
向こうに見える風景を見る。早く過ぎていくそれを何となく見る。それが、肯定を告げられているかのように思えて俯く。
――四つ目、異性と恋沙汰をしてはいけません。……そして最後、感情は全て捨てること。
何となく、入学したばかりの頃を思い出した。その時にハッと気がついた。
占い師になるためには、掟を守らなくてはならない。
(あっ――わた、し)
息を飲んだ。肝心なことを忘れていた。
占い師になるためには異性との恋沙汰はいけない、そして感情を全て捨てろと先生は言っていた。
小さく体を震わせる。気付いてしまった。気付いてしまわない方が幸せだった。
なんてことだ。なんという残酷なことなんだ――。
これも占い師になるためなのか。そう想うと心がすごく傷んだ。
「草壁? 出るぞ」
「え?」
「もう着いたぞ」
上から聞こえ、見上げると整った彼の顔がこちらを見ていた。こくりと頷いてその場から立ち上がる。
気がつけば最寄り駅に着いたらしい。電車から降りて改札口をくぐる。するとすぐに森が見えてくる。
また孤立した森の中に帰る。
前を歩く彼の背中を見て、薄暗くなった道を歩いて行く。
こんなことを考えているなんて彼は想像もしていないだろう。恋をしているなど、好きなんだということも彼には全く気付いていないだろう。
「…っ」
声を殺した。泣きたい気分だったが、彼に気付かれないように俯いたまま、心の中で泣いた。
その悲しみは、スーパーの袋が重く感じるように辛かった。
この日、草壁香苗は“恋”を知った。そして、“恋”をしたことで、“占い師”になるための切符をなくしてしまったことを自覚したのだった。
香苗は気付かれないように、そっと心の中にしまった。
この想いは隠し通さなくてはいけない。
だから、忘れよう。この想いを。




