SS①
「ところであの子、どーなんだよ?」
「あの子?」
「お前が今遊んでる子だよ」
「あーあいつ?あいつ、マジで楽勝。優しくしたらすぐ懐いてきたよ」
「女泣かせだなー」
昼休みに偶然あの人の言葉を聞いてしまった時、今まで心の奥底で燻っていた疑念が全て消え去ったのを感じた。
社内でもイケメンで有能で人当たりの良いあの人が、地味で人見知りで抜けてる私のような女に声をかけてくる意味が分からなかったけれど、漸く分かった。
やはり何の見返りもなしに人に親切にする人間などいないのだ。
幾度もかけられた優しい言葉や、どきどきさせられて抱きかけていた恋心が、心の奥底に沈んでいった。
二度と浮かび上がらないほどに深く。
もう誰にも期待なんてしない。
私は静かに、人と深く関わらずに生きていく。
もう二度と、私の平穏を乱されたりはしない。
私は固く心に誓った。
それから、私は徹底的に行動し始めた。
出勤時はあの人と被っていたから、以前より家を早く出た。
あの人と会う確率の高いところはすべて避けて通った。
あの人のいる場所の近くを通る時は、見つからないように素早く通り抜けた。
そうして避けて避けて避けまくった。
そうして1週間ほど経っただろうか。
仕事を終え、会社を出て少しばかり歩いた所で、あの人が壁に凭れて立っているのに気付いた。
今の遊び相手でも待っているのだろうか。
それにしても、どうして私の帰り道にいるの?
私に声をかけてきたりはしないだろうが、あの人の顔を見るのは嫌だった。
逡巡し、違うルートで帰ろうと踵を返した。
けれど数歩も進まないうちにそれは阻まれた。
「待てよ」
後ろからあの人に腕を掴まれた。痛いくらいの力だ。
「放してください」
掴まれた腕を振りほどこうと足掻くが、あの人の手はどうともならなかった。
「話がしたい」
「貴方と話すことは何もありません」
足掻くのに疲れ、あの人から目を逸らす。
どうして話しかけてくるのか、全く分からなかった。
するとあの人が苛立たしげに舌打ちしたのが聞こえた。
何でか分からないけれど、すごく怒っているようで怖い。
「おい」
低い声で凄まれて、顎を掴まれた。無理やり目線を合わされる。
何にもしてないのに、どうして私に怒ってるの? 酷いことをしたのはそっちなのに。遊びのくせに。…………何で、何で何で。もうやだ。
かつて見たことのないその表情と今の状況に、私の感情は限界を迎えた。
その途端、あの人は困ったような顔をした。
「何で泣くんだ」
言われて初めて、自分がぽろぽろと泣いていることに気が付いた。
「泣くなよ……」
あの人の手が、私の両頬を包み、親指で涙を拭った。
「君に泣かれると困る」
本当に困ったような顔で、私に優しく接し続けるあの人の手を振り払った。
「………ッ」
「何で?何で優しくするの? 私みたいなのをからかって楽しい? どれ位で落とせるか賭けてるの?」
声も、視界も、手も、何もかもが震えた。
あの人が手を伸ばしてくるから、届かないように少しずつ後ろに下がる。
「私で遊ばなくてももっと綺麗な人がいっぱいいるでしょ?……お願いだから、もう私に関わらないで!」
そう叫び、あの人に背を向けて走り出す。
優しくしてもらえて嬉しかった。
何度も声を掛けてくれたのが嬉しかった。
時々、女性として見て貰えているようで、どきどきした。
もしかして――――――と何度か考えては、ありえないと打ち消した。
せめて、「仲の良い同僚」になれたらと、期待した。
だから、あの人の言葉に深く傷ついた。
こんなにも好きだったのかと、思ったほどだ。
だからこそ、「同じ職場に勤める人」と思えるようになるまでは関わらないつもりだったのに。
「待って!!」
追いかけてこないと思っていたあの人に腕を掴まれ、その手を強くひかれた。
気づけばあの人にぎゅっと抱き締められていた。
「っ、離して」
「嫌だ。俺の話を聞いて」
もがいてみるけどあの人の腕の力は強くて抜け出せない。
動くのをやめると、あの人は私の肩に顔を埋めた。
「優しくするのも泣かれて困るのも全部、君が好きだから」
「うそ……」
「嘘じゃない。俺は最初から君が好きだったから、出社時間を合わせたり、社内でも君のよく居るところを通るようにした」
「………」
「頼むから、俺を避けたり、無視したりしないでくれ。本当に君が好きなんだ。君にそんなことをされると、俺は何も手につかない」
弱弱しい声で懇願されて、私は思わずあの人を抱きしめ返した。
*********
「なんで俺に遊ばれてるって思ったんだ?」
「あなたは恰好いいし、仕事もできて、人気あるから、私みたいな地味な女を好きになるはずないと思ってたの。それに……」
言いづらかったが、社内で聞いたことを話すと、彼は「あいつと話してたのを聞いたのか……」と呟いた。
「じゃあ、今から俺の家においで」
何が「じゃあ」だ。私の返事も聞かずに、彼は手を引いて歩き出す。
そして連れてこられた彼の家。
そこには「みゃあ」と鳴く子猫の姿が。
「かわい~~」
「最近預かったばっかりだけど、構いまくってやったらすぐ懐いたんだ」と彼は言う。
私が勘違いしたあの会話は子猫のことを言っていたらしい。
なんだそれ。
というか、なんかいつの間にか子猫ちゃんを奪われて、子猫ちゃんはケージに入れられて。
思いが通じ合ったばかりの彼は、私の体をいやらしく撫でまわしている。
「何してるの」
次は首元に顔を埋めてきた。
「いい匂いする」
いやいや、何してるのか聞いたんだけど。
「……ッん」
首に吸い付かれて、思わぬ刺激に小さく声が出てしまう。
「かわいい……ねぇ、食べちゃっていいかな?いいよな?俺溜まりすぎて…」
思わず彼の口を両手で塞ぐ。
「何言ってるのーーーー!」
すると、彼はにっと笑んで。
ぺろ、と私の手の平を舐めた。
「……っっぎゃああああ!!?」
「かわいいなぁ。もう食べるからな?」
彼の言葉に答える間もなく、キスで言葉を封じられたのだった。
End.
何が言いたいかって?
好きな女性に逃げられて絶望した男性に萌える……////