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星の本

「ねえ、おばあちゃん。『星の本』は手に入る?」

 朝っぱらかやってきた面倒な客は、開口一番そう言った。思わず眉間の皺を深くして客の顔をカウンターから見上げる。

 数日ぶりの晴れの日で、店主の機嫌も数日ぶりに上向いている本日、朝一番で来店したのがこの客だ。

「ちゃんと代金は払うわよ?」

「そんなのは当たり前だよ」

「じゃあなんでそんな渋い顔をしてるのよ」

 お前からの依頼を受けたくないからだ、とはさすがに言えず、店主は黙ったまま手元に視線を戻した。

 言ってもいいのだが、後でぐちぐちと文句を言われ続けるかと思うと、口は災いの元という言葉が頭をよぎる。

 こんな事をパン屋の親父が見たら、驚きのあまりしばらく彫像のように突っ立ったままになるのではなかろうか。それはそれで腹立たしいので、今は来るなと心で念じておく。

「ねーねー、ダメー?」

 カウンターにべったり懐きながら客がそう言った。もういい年なのに、何を子供みたいな事をしているのか。

「こんなのが魔導師長とはね……」

「お仕事はちゃんとしてるわよーだ」

「そんなのは当たり前だよ」

 溜息交じりに店主は再びそう言うと、店内の本棚にちらりと目をやった。相変わらず小さく狭い店内には所狭しと本棚が置いてあり、ぎっしりと本が詰まっている。

 ここに置いてある本はどれも普通の本ではない。全てが魔導書であり、しかも曰く有りの物ばかりである。

 一カ所にこれだけの魔導書が集まると、普通ならば不可思議な事が起こってもおかしくはないのだが、店の中でも周囲でもおかしな事が起こった事は一度もない。

 客であるこの国の魔導師長は、店主の視線を追って店内を見回した。

「何何? もしかしてもうあるとか?」

「その前に、あんた、どうしてあの本が欲しいんだい?」

 珍しく店主は本の使い道を訪ねた。この店に来る客は千差万別ではあるが、店主は今まで買い求めた本の使い道を問題にした事はない。

 望む本を手に入れる資格があるかないかは、店主が決めていた。大抵は能力の過不足がないか、が中心だ。

 資格なしと判断すれば、どんな相手であろうとも本を売ったりはしない。騒動が起こるのは目に見えているし、それに関わらざるを得なくなる場合も多いので売らないのだ。

 今日の客は、資格という面でいけば大抵の本は買える。金額的にも問題はないだろう。代金を踏み倒される可能性が一番少ない相手だ。

 客の方もそれは知っているのか、驚きに目を丸くしている。

「珍しいね、おばあちゃんがそんな事聞くなんて」

「いいから理由を言いな」

「言いたくないって言ったら?」

「売らないし探しもしないよ」

 そうきっぱり言い切られて、魔導師長は唇をとがらせた。子供のようなその様子に店主は、

「何子供みたいな事をしてるんだい」

 と呆れたように言ってしまった。血が繋がっていて、幼い頃から知っている相手だが、子供の頃の方が大人ぶっていた記憶がある。子供の頃にやらなかったからいい年になって子供じみた仕草をするのだろうか。

 だとしたらいい迷惑だからやめろと言いたい。こんなのが長を務める王宮の魔導師達は苦労が絶えないだろう、と少しだけ同情してしまう。普段の店主ではあり得ない事だ。

「星の本を欲しがるって、理由は一つだけじゃない」

「あの本には使い道が多いのは知ってんだろ? どんな使い方をするのかを聞いているんだよ」

 星の本は強力な魔導書の一冊で、使い方は幅が広い。小さい所では夜空の星の読み方が記されているし、大きい所では星の力を使って広範囲の人捜しをする事も出来る。

 前者は別にこの本でなくとも構わないし、後者は戦争時に使われる事が多い。索敵に使われるのだ。だが今近隣で戦争状態になっている国はない。この国も平和そのものだ。

 では一体何に使うというのか。

「やっぱりおばあちゃんは一筋縄じゃいかないなあ」

「あたしをだまくらかそうなんて百年早いんだよ」

「え? 百年できくの?」

 そう言った魔導師長の頭を手近にあった小冊子でぱしんと叩いた。痛いと言って泣き真似をする魔導師長を醒めた目で見ながら、店主は低い声で聞いた。

「まさかと思うが、星の配列を変えようっていうんじゃないだろうね?」

 先程まで泣き真似していた魔導師長の動きがぴたりと止まった。誤魔化そうとしない辺りは褒めるが、そうしたのは何も正直者だからではないというのもわかっていた。

 一度でも店主を騙した人間は、それ以降店への出入りが出来なくなる。本当に店内に「入れなくなる」のだ。それは目の前の彼女も知っている。幾人かそうした元客を見ているからだ。

 まだこの店は利用価値がある。そう計算しているのだ。決して身内だからなどという甘い感情からではない。この娘の性格なら、むしろ身内の方が無理を通せると何でも言ってくる方だ。

 さすがに店主にはそれは通じない。それを知っているからこそ誤魔化さなかったのだ。

「……わかっているのなら、聞かないでほしいんだけど?」

「本を売るか売らないかを決めるのはあたしだよ」

 だからこそきっちり用途を話せと言っているのだ。魔導師長は観念したように軽い溜息を吐く。

「他言無用ね」

「杞憂だね」

 店の中で話した事は、決して店外に漏れる事はない。決してだ。

「第三王子が病で伏せっているの」

 魔導師長の話は唐突だったが、それだけで店主には通じた。王子の病は重く、医師にも魔導師達にも手の施しようがないのだろう。

 第三王子は王妃の産んだ一番下の子だ。そのせいか王妃が目の中に入れても痛くない程可愛がっていると聞く。おそらくは今回の星の本も、依頼したのは王妃の方だ。

 国王にとっても可愛い我が子だろうが、正直第三王子では危険を冒してまで救わなければならない理由がない。

 国王には他にも愛人に生ませた子がいるし、王子でも第三となれば継承権は三位ないし四位程度だ。

 これが王太子が倒れたのであれば、国王からの勅命が下っていただろう。そうなればこの国に生きる以上、店主といえども逆らう事は難しい。

「……贄はどうするつもりだい?」

「それはおばあちゃんが相手でも言えないなあ」

 星の本を使う最大の術は、人の寿命を書き換えるものだ。それが必要という事は、第三王子の命数は尽きている。

 星の本に贄を与えると、その贄の命数と術を施す相手の命数とを入れ替える事が出来る。術者にも多大な負担を掛ける事になるが。

 また贄は同じ種族と決められている。人間に術を施す場合は人間を贄に捧げなくてはならないのだ。当然命数の尽きている人間と入れ替えられた贄はその後すぐに死んでしまう。

 星の本で書き換えが可能な命数は上限が決まっている。何故か九十九なのだ。これ以上の年齢の者には使えないし、九十八の人間が命数残り十の人間を贄に捧げても九十九で頭打ちになるのだ。

 第三王子は今年六歳。普通に考えれば贄は同じ年頃の子供になる。王子を助ける代わりにどこだかの子供を殺すという訳だ。

「宮仕えは世知辛いね」

 例え高給取りだとしても、こうして意に染まぬ事もしなくてはならない。店主の言葉に魔導師長は苦笑を返すしかなかった。

「それで? あるの? ないの? 手に入れられるの? 入れられないの?」

 今ここでこの娘を追い返すのはたやすい。だが次には王妃の命令を持った役人がここに来るだろう。下手をすれば周囲の店を巻き込む事になる。

 店主はこれでも三日月通りが好きだ。どのみち店主が星の本を売らなくても、どこだかから手に入れて望みを叶えようとするだろう。

 魔導師長がここに来たのは手始めだ。王子の容態は悪いんだろうが、まだ少しは余裕があると見える。ここがダメなら余所の国の伝手を頼るつもりなのだろう。魔導書は一冊とは限らない。現に店主はこれまでまったく違う星の本を三冊は見た事がある。

 やれやれ、と小声で呟きながら、店主はカウンターの椅子から腰を上げた。店内の本棚の一角、その片隅から一冊の大きな本を取り出した。

「ほら」

「これが……星の本……」

 感慨深げに差し出された本の表紙をなぞる魔導師長の様子に、店主ははて、と首を傾げた。

「見るのは初めてかい?」

「うん。使い方は知ってるんだけど、本物を見るのは初めてなの。星に関する記述だけなら、他の本で事足りるし」

 それはそうだろう。星の読み方などは魔導師の基礎中の基礎だ。星の本の最大の特徴は先程の命数の入れ替えにある。これだけは他の本にない。

「値段はあんたの年収の五倍だよ」

「相変わらずふっかけるねえ」

 星の本を手に取りながら、魔導師長はぼやいた。教えてはいないが、つい先日収入が上がった事も、店主なら知っているのだろう。さしずめ、

「あんたがあたしに教えられる事があると思うなんて、おこがましいにも程があるよ」

 とでも言うのではないか。

「じゃあ、もらっていくね。代金はいつもの通りに」

「ああ」

 魔導師長は来た時同様マントのフードを被って店を後にした。


 数ヶ月後、第三王子の訃報が国中に報された。乗馬の練習中に落馬したのが原因だった。


 魔導師長が店に表れたのは、それからさらに一月程経ってからだった。

「あんたが失敗するとは珍しい」

 顔を見た途端、店主はそう告げた。大方星の本の使い方を間違えたのだろうと思ったのだ。そうでなければ、あの結果はおかしい。

 だが、魔導師長はからからと笑って否定する。

「やだなあ、おばあちゃん。私が間違うはずないじゃない」

 以前来た時とは違い、どこかすっきりした顔の魔導師長は、そう言うとカウンターにもたれかかった。

「じゃあどうして」

 第三王子は死んだのか。命数の入れ替えが出来たのなら、生きているはずではないか。

 そこで一つの仮説を思いついた。まさか。

「今なら言ってもいいだろう。贄は誰だったんだい?」

「貧民街の子」

 個人の名前は明かさなかったが、その子を示すわかりやすい言葉を魔導師長は選んだ。実際王宮では名前では呼ばれず「貧民の子」とだけ呼ばれていた。

 本人は潔かった。これから自分が死ぬとわかっているのに、家族がこの先金に困らないのなら、と笑いさえした。

「お前なら贄の命数も読めただろうに。……わざとか」

 最後の一言に、魔導師長は唇の端を吊り上げて笑った。相変わらず嫌な笑い方だ。

「命数を読んだのは別の人だから、私の責任にはならない。私は言われた通り星の本を手に入れて入れ替えを行っただけだもの」

 命数はひどく読みにくい。おそらく担当の者は表面的な命数しか見なかったのだ。そのあり方の根本を知らなかったと見える。

 人の命数とは幾重にも重なったパイのようなもの。表向きはこんがり焼けていても、中はどうなっているかわからない。

 魔導師長は見えないようにパイにナイフを入れて中を確かめる事が出来る。星の本を使う時にも確かめたはずだ。なのに周囲に何も言わず贄として使った。故意である。

「何だってまた、そんな事を」

「……何となくね、理不尽だなあって」

 方や金を惜しみなく使って命を延ばそうとする者、方や金の為に命を差し出そうとする者。家族の為にその身を捧げようとする彼は、とても崇高に見えたのだ。

 彼を候補から外した所で、また別の候補が選ばれるだけだ。それも、金でどうとでも出来る貧民から。そう思ったら本当の命数を教える気にはなれなかった。

 魔導師長は王宮に仕えてはいるが、王子や王女、まして王妃には何の思い入れもない。国王にもだ。

 王太子は世継ぎとしての厳しい教育を施されているからまだましだが、第二第三王子などは甘やかされて手に負えなくなっている。思い入れ所の騒ぎではない。だからと言って積極的にどうこうしようというつもりはなかった。

 たまたま第三王子が病気になり、たまたま用意された星の本の贄の命数が残り数ヶ月だったというだけだ。

 店主は悪びれない魔導師長を眺めて、軽い溜息をついた。

「まあいい。こっちも商売だからね。金さえ払ってもらえれば文句は言わないよ」

 心にもない事を言う店主を見て、魔導師長は苦笑をもらした。困ったようなその顔の方が、先程の口の端を吊り上げる笑い方よりずっといい。店主はそう思っている。

「さて、そろそろ戻らないと。一応責任の一端は私にあるっていうので、ここしばらく謹慎食らってたんだよね」

「だったら自室でおとなしくしてな。まったく」

「そうする。じゃあね」

 そう言い残すと、魔導師長は店から出て行った。三日月通りは今日も静かだ。その通りを歩きながら、つい数ヶ月前の光景を思い出す。

 自分がこれから死ぬのだとわかっていて、彼は綺麗な笑顔を見せた。

『お城からもらったお金で、家族がお腹いっぱい食べる事が出来ました。ありがとうございます。家も用意してもらって、父さんと母さん、弟達も喜んでました。父さんの仕事も探してもらったって、さっき会った時に教えてくれました』

『怖くないの? 恨まないの?』

 つい、そんな事を聞いてしまった。怖い、恨んでると言われても、魔導師長には何も出来ないのに。

 だが彼はきょとんとした後、首を横に振った。

『いいえ。あ、ちょっと怖いかなって思うけど、痛くはないって聞いたから。家族に会えなくなるのは寂しいけど、あのままあそこで暮らしていても、多分僕たちは生き残れないから。僕一人の命で、家族みんなが助かるなら、それでいいんです』

 穢れなき魂。それはこういうものをいうのだろう。なのに哀しいかな、彼の命数はその底の方から尽きてきている。今はまだ表まで出ていないが、もって数ヶ月という所だ。

 彼が贄でなくなれば、与えられた金も家も父親の仕事も、全て取り上げられるだろう。

 だから魔導師長は沈黙を選んだ。これは賭けだ。自分以外の誰かがこれに気づいたのなら、自分と彼の負け。気づかなかったら勝ち。

 そして、誰も気づかなかった。結果は、自分達の勝ち。

 空を仰ぎ見れば、青い空には眩しい太陽が照っている。今日もいい天気だ。それでか。

「おばあちゃん、機嫌が良かったな」

 魔導師長はフードを被り、足早に三日月通りを去って行った。

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