Chapter2.begin hide
ウチと比べたら随分と清潔感に溢れる会社だな……。裏に何も無かったら、だが。
小さく鼻で笑いながら、オドラータ・グラッドストーンは見慣れない社内を歩く。
磨き上げられた床のタイルは鏡にでも使えそうだ。全体的に水色がかっている内装は見ているだけで落ち着く。
オズの前方を歩いていた案内役の社員が立ちどまり、横の扉を示した。
「こちらでございます、ユアン・ラセッティさん」
ちらりとその扉を確認すると、社長室と書かれた金プレートが取り付けられていた。
「あぁ、ありがとうございます。私の下調べが不十分だったためにご迷惑をかけまして、申し訳ありません。何せ視察というものが初めてですので」
「いえいいんです、帰りは大丈夫ですか?」
案内してくれた男性は、柔和な微笑を浮かべて応える。
「はい、同僚のミシェーラと敷地内を回る予定ですので」
対するオズも、普段は決して振りまかない愛想をこれでもかと言うぐらい撒いて答えた。
「確か、もう一人の視察官の方ですよね。頑張って下さい。……あ、一つアドバイスを。社長は細かいことや身だしなみにうるさい方ですので、あちらの鏡を入室前にお使いになると好感を持たれますよ」
男性は社長室の右手にある鏡を手で示して、それではと、白衣を翻して去っていった。
一人になったところで、オズ——ここ、マネリアン・ケミカルカンパニーではユアン・ラセッティとして通しているが、オズは助言通り鏡の前に立った。マネリアンに好感を持たれようが持たれまいが、オズにとってはこの上なくどうでもいいことだ。だが暫くはここに通う訳なので、始めから敵視されるのはよろしくないのも分かっている。
束ねた長い髪やネクタイが乱れていないかチェックし、眼鏡のつるを押し上げる。あまりにも目立つオッドアイを隠すために左目に青のカラーコンタクトを入れてはいるが、長髪は切っていない。その髪のせいで不良みたいに見えるのだからせめてエリートらしく眼鏡をかけなさい、とリズエルに渡されたものである。もちろん伊達眼鏡だ。周りの感想など知ったことではないが、その眼鏡のせいあってか研究熱心な人に見えなくもない。
もう一度身だしなみをチェックして、その行動が女々しいなどと舌打ちし、オズは社長室の扉を控えめにノックした。
「どうぞ」
返答があったところで、オズは扉を静かに開けて入室する。
ワークデスクの向かい側の中年男性に向かって礼儀正しく挨拶をした。
「こんにちは、初めまして、マネリアン社長。このたびの交換視察官としてスターズ薬品開発センターより参りました、ユアン・ラセッティと申します」
オズが心の中でどれだけの暴言を唱えているか知るよしのない中年男性、ジェレミー・マネリアンはその言葉に応えて、穏やかに微笑んだ。
「よく来てくれた。私からも、社員皆からも歓迎するよ。立ったままでは話しづらいから、そこのソファにでも座ってくれ。何か飲み物を持ってこさせよう。コーヒーは嫌いかね?」
勧められるままオズはソファにつき、謝辞を述べた。
「いえ、大丈夫です。お気遣い感謝します」
その返答を聞くとマネリアンは嬉しそうな表情になり、デスク上の電話のボタンを一つ押してから、コーヒーを二つ頼むと受話器に向かって旨を伝えた。
その間にオズは全神経を使い、さりげない動作で室内を見回した。ワークデスクのバックは一面のガラス張り、本棚を含む収納スペースが多い。ということは何でも隠せるということだろう。『裏』の仕事に手を出して、しかもマフィアとつながりがあるのだから盗撮機や盗聴器の一つや二つがあってもおかしくない。
残念なことにそういうものを見つける目に長けていないオズは、どこに何が仕組まれているのか判断できない。そういう仕事はオズの後にマネリアンと話すイヴァリースにしてもらう。つまりオズは、怪しまれないように喋ればいいだけだ。
「本当に来てくれてありがとう。送られてきた君の会社の経歴を見たよ。実に優秀な所だね」
「恐縮です」
「ハハッ、そんなにかしこまらくて良い。しかし、あまり市場で見ない名だな、スターズ薬品開発センターなんて」
見る訳が無い。むしろ見たことあるという方がおかしい。何故なら、そんな施設も会社も、この世に存在していないのだから。全てはリベルタ・ファミリアが造り上げた偽造だ。ちなみにマネリアンの会社からの視察員は、別のケミカルセンターに送り込んでおいた。……リベルタ・ファミリアと仲が良い所に。
「あくまで研究施設ですので」
オズは爽やかな笑みを崩さずに答える。もちろん内心では嗤っていた。
「そうか。我が社にも研究施設があるぞ。ほら、工場の横に見えるのがそれだ。いやぁ、薬というのは知れば知る程奥が深くなって面白い。君も――、ラセッティ君もそう思わないか?」
マネリアンは窓の向こうに見える、二つ並んだ広大な建物を指しながら聞いてきた。
「はい、私もそう思います。……今回の目的は視察ですので、後で見て回ってもよろしいでしょうか? これ程大きな会社ですから、どのような設備があるのか大変気になります」
違法な薬物が開発されているのは、おそらく工場かその研究施設かだろう。オズは一応他社からの視察官なので、どこまでこの会社のルールが適用されるか曖昧でよく分からない。立ち入り禁止区域に入って後々トラブルになるのは何としても避けたい。今のうちに許可を取っておくのが得策だろう。
「あぁ、もちろんだとも。我が社の素晴らしい設備を思う存分見ていってくれ。どこへでも出入りは許可しよう」
自らの手で産み出した薬物が見つかる可能性もあるだろうに、マネリアンは上機嫌でそう言った。
「お取り計らい感謝致します」
今回の視察について一通り両者の認識が正しいものかを、マネリアンが頼んだコーヒーを片手に確認し合ったところで、オズは切り上げることにした。
後はイヴァリースがやってくれるだろう。さぁ……コイツは、イヴァの口調に何分耐えられるか——見物だな。
心の中でそう嘲って、中の液体を飲み干してカップを机に戻し、オズは立ち上がった。
「では、マネリアン社長。今日から十二日間よろしくお願い致します」
「あぁ、こちらこそ」
最後まで互いに笑みを崩さず、オズは社長室から出た。
扉が閉まった瞬間にその表情を一転させ、いつもの仏頂面に戻す。ああいう場面で出す作り笑いが一番辛い。
「あら、ユアン。もう面談は終わったの?」
聞き慣れた作り笑いがした。そちらに顔を向けると、二十五歳くらいに見える茶髪の女性が廊下の端から歩いてくるところだった。
巻いた茶色の髪に、同色の目。薄化粧なのに相手に強いインパクトを与えるメイク。
よく一人で変装できたものだと、オズは感嘆の溜息を吐いた。
「やぁ、ミシェーラ」
片手を挙げて挨拶すると、女性は温厚な笑みを口元に貼りつけた。
ミシェーラ・アーミテージ。スターズ薬品開発センターのユアン・ラセッティの同僚で、今回の視察官の一人でもある——。と、ここでは通しているが、正体はその実イヴァリースだ。
軽いメイクだけで見た目の年齢偽造ができるのは、『裏』社会での生活が長いプロだからだろう。
「じゃあ、今マネリアン社長は暇かしら? 入っていっても問題ないと思う? ユアン」
「いいんじゃないのか? オレはさっき終わらせた」
「そう、じゃあ私も早く挨拶しないとね」
「待っとくよ。その後で工場とかを回ろう」
「そうね、頼んだわ」
イヴァリースはすれ違い様に小さくウインクして、社長室の扉をノックした。
こういう仕事のときだけの、イヴァリースの偽りの口調と声。普段の幼さは何処に行ったのか、大人しそうでどこか艶かしい成人女性を装った声。十七歳から八年分老いているように、社会人に見せるためにはどうしても必要なことだ。それでもそのウインクが妙に彼女らしく、オズは苦笑してしまった。
通りすがるマネリアン社員に挨拶しながら待つこと五分。
オズとジェレミー・マネリアンとの面談のおよそ二分の一の短時間で、満足そうな顔をしたイヴァリースが出てきた。
「……早かったな」
「でしょう? 社長はどうやら何か急用があるみたいでね、私が喋る度に冷や汗をかいていくのよ。よっぽど急ぎの用だったのかしら」
含み笑いを漏らしつつ、年齢詐称の少女はそう語る。
「………………、そうか。どれぐらいだった?」
「ちゃんと計らなかったから、そうね……、二分」
つまりマネリアンは、イヴァリースの口調に二分しか耐えられなかったということらしい。
引きつった笑いしか出てこない。
オズは慣れたからいいものの、イヴァリースのへりくだった敬語は毒だ。丁寧で、やや遠回しの言い方をするが別に言葉が変な訳ではない。何というか……、インスタントコーヒーの粉をそのまま飲み込んだようなザラリとした不快感が、聞き手の耳と脳を撫でてくる、そんな敬語を喋ってくるのだ。
聞き手の顔をだんだんと青ざめていくのを見るのは愉快だが、同時に同情してしまう。
二分でギブアップか……。どんなことを言ったんだイヴァ…………。
気にはなったが、知らぬが仏という言葉が脳裏に浮かんだので、オズは口をつぐんだ。
「そ、それじゃあ行こうか。早いところ回った方がいい。明日になったらきっと実技だ」
「視察以外も出来るのね、マネリアン社はサービスがいいわ。さすが大企業ってだけあるわね」
瞳に思い切り馬鹿にした光を浮かべ、イヴァリースが同意した。
ただ広い敷地内を二人で歩く。ジェレミー・マネリアンの趣味か偽善なのか、「自然と調和し環境をより良くするために……」などと書かれた立て札を刺された芝生が広がっている。
時刻は正午過ぎあたりだ。食堂にでも言っているのか、周囲に社員の人影は見えない。
好都合だ、とオズは低く呟いた。
「ミシェーラ、この辺りは大丈夫か?」
「問題ない。何もないよ」
植えられた木々の隙間に素早く視線を走らせ、イヴァリースは答えた。
「じゃあ、社長のところは?」
「見るのが三個、聞くのが二個。植木鉢の裏に両方ね。天井の蛍光灯の横にあるのは盗撮機。スイッチかと思ったけれど。後は、本棚から客用のソファに向けたものが一つ、ね。どれもこれもプロがやったものだった。『裏』方がしたんだと思うわ。……質が悪い」
イヴァリースは最後に舌打ちした。殺意のこもった仕草にオズはぞっとする。
今日他社から派遣された視察官、ユアン・ラセッティ、そしてその相方のミシェーラ・アーミテージ――オズとイヴァリースはちょうど無駄に広い工場の中をざっと見回ったところだ。
それらしく“視察官”のフリをするついでに、あちこちに仕掛けられた盗聴器や盗撮機の場所を確認している最中である。
「そうか……。研究所も回るか?」
「ううん。あたしに考えがある。今日はもう帰ろうよ。一日目だし視察官だから、昼過ぎに帰ってもおかしくないし」
人がいないのをいいことに、イヴァリースの口調は元に戻っている。疲れるのだろう、大人のフリをするのは。正直なところ彼女の精神年齢は低いのだから尚更だ。
ここに合法的に潜入できるのは残り十一日だ。命じられたことを完遂するには充分で、むしろ余裕なくらいだ。それにゆっくりと慎重にした方がいい。
なら、いいか、とオズは頷いた。
イヴァリースの『裏』での活動歴はオズより長い。生まれたときからもうすでに『裏』にいるようなものなのだ。当然オズよりも仕事に関する勘も考えも良い。従った方が良いことが多いのは事実だ。
「じゃあ一階社長に挨拶しに行かないとな。礼儀正しくないと変な目付けられる」
「あたしが行ったら逃げちゃうよ?」
「……もう既に目付けられてるな、おい」
*** *** ***
エレベーターに乗り込んで、オズはイヴァリースを振り返った。
むさ苦しいし暑いと言って、もう既に巻いた茶髪の鬘は外しており、肩を過ぎた銀色の髪がクーラーから吐き出される冷気に揺れている。
さっさとカラーコンタクトも外して欲しい。赤目を見慣れているオズにとっては、爬虫類の目よりもイヴァリースが茶色の目をしていることの方が薄気味悪い。
「じゃあ、お前は、コールスターが死んだことがニュースになってから研究所に入った方が良いって思ってるんだな?」
オズの問いに、ボタンを押していたイヴァリースが頷く。
「マネリアンはマフィアと関係があるでしょ? ヨーロッパ系マフィア——諜報部全部動かしているけど、まだどのファミリーか掴めてないんだよね……。上は可能性があるってぼかしているけど、繋がってるのは間違いないと思うんだよね。それで、マフィアが危険な薬物の開発を頼んで、モルモットも提供している。けどマネリアンは、もっと手軽な内臓を求めてウォルタ・コールスターと組んだ。その勝手な行動にマフィア側が切れて、早く作ってくれたら良いってことにしてやるって、手は出さないでいるみたいでね。でもほら、昨日オズがコールスター殺しちゃったから、マネリアンはマフィアを説得するための策を考えると思うんだ。それには時間が必要で、だから、たぶんだけどね、そのマフィアがこっちに来るのは、ニュースになってからだと思うの。だから」
「なるほどな…………」
マフィアとのつながりを切るようなことをしたマネリアン。相方を殺されたことの説明を組み立てる必要があるのだから、わざわざ自分から早めにマフィアに連絡を入れるような馬鹿な真似はしないだろう。彼だって進んで火の粉を浴びたくないはずだ。
「確証の程は?」
「90パーセントかな。昨日コールスターの死体のところに来たマネリアンがそう指示してたから。……というかオズ、何でそんなこと聞くの? 後でまたシェイディアさん達に話すの、あたしめんどくさいんだけど」
二人の乗っているエレベーターが止まり、扉が開く。いつも通り先の廊下に人気はない。
早く降りろとイヴァリースを促しながら、オズは答える。
「さっさとその化粧を落として欲しいからだよ。イヴァが変装する度に……というか、目の色を変えるのが、な。赤い眼より不吉な感じがするし」
「何か失礼だよ、オズ。じゃあ、報告はオズに頼んでいいの?」
「あぁ。だからさっさと行ってこい」
「ありがとう」
イヴァリースはそういって、廊下の脇の洗面所へと駆け込んだ。彼女自身も早く化粧を落としたかったのだろう。オズの知る彼女の性格からそう予想をたてる。それに普段から化粧だとか、そういうことにイヴァリースは興味を示さない。
オレも後で左目のコンタクト外さないとな…………。
そう思いながら、オズはシェイディアとリズエルの待つ部屋へ向かう。
いつも通りノックしてから入る。
「只今戻りました」
オズがそういうと、タイピングしていたシェイディアが顔を上げた。リズエルは扉が開いた瞬間からこちらを見ていた。
「おかえりなさい、オズ。イヴァリースはどうしたんですか?」
手早くお茶の準備を始めるリズエルに、オズは手洗いに、とだけ答えた。
「そうですか。良かった、貴方一人だけが還ってきたのかと思いましたよ。今社内でも部外でも、彼女に喧嘩されるとちょっと困るので」
リズエルがそう言ってシェイディアに目配せした。
言葉の意味が分からず、オズもシェイディアに視線を移す。確かに大事な任務——しかも政府の人から頼まれた仕事の最中に、目立つようなことをするのは如何かと思う。だがそれ以外にも何か理由があるようにオズには感じられたのだ。
二人の視線を受けて、シェイディアは目を伏せた。数秒黙ってから、言い辛そうに口を開く。
「その…………、今日マネリアンと関係のあるマフィア……まだ絶対とは言いきれないけれど、どうやらね、欧州マフィアのトップ関連みたいだ、と言えば、分かるよね」
その瞬間、オズの身体が硬直する。
幾多のヨーロピアンマフィアの中で、最も強力で残酷なファミリー。
「何…………だって? それならっ、イヴァを、アイツを! 今すぐこの任務から退かせてくれ! 病気か何かだと偽ればいい。接触させる方がずっと危険だとシェイディアさんも頭領も分かってるでしょう!?」
何時もの冷静さはどこへいったのやら、オズは取り乱して怒鳴った。
「落ち着いて下さいオズ。まだそうだと決まった訳ではありませんよ」
「ですけどっ……」
「いいから座ってコーヒーでも飲んで下さい、頼みますから。私もシェイディアさんも頭が痛いんですよ。よりによってこういう事態になるなんて」
淡々とした口調と裏腹に、疲弊した表情を浮かべたリズエルが無理やりオズをソファに座らせる。そして目の前にコーヒーを入れたカップを置いた。
額に手を当てて俯く。頭が痛いのはオズも同じだ。
「いいか、オズ」
聞いていることを示す為に、シェイディアの言葉に軽く首を振った。言葉を返す気力は先程の一言で全部消え失せた。
「まだ決まったんじゃない。私は——私は、違ってることを祈りたいけど。どっちだって明日、明後日ぐらいには分かることなんだ。先にイヴァリースに言うか言わないかはオズが決めて。大人の貴方が落ち着いてなくてどうするんだ、オドラータ。アンタがしっかりしてないと駄目だ。もしもそのマフィアが、予想通りだったのなら全員抹殺すればいい。そうでしょう? それに、あっちの今のボスはイヴァのことを知らないんだよ」
つまるところ、仮にマフィアの一員とイヴァリースが接触したとしても、上に知られなければいいだけのことだ、とシェイディアは言いたいらしい。
随分と簡単に言うんだなと毒づきそうになったが、確かにそう、それだけのことだ。
いつも通りに任務をこなせば、最悪な形となって戦闘になっても大丈夫だ。敵を全滅させればいい。
そこまで何とか理解して、オズは深く溜息を吐いた。いともたやすく取り乱したことが少しはずかしかった。
「…………はい」
「落ち着いてくれて良かったよ。こっちの報告は以上だ。次はそっちを頼むよ。ついでに何故こんなに早く戻ってきたのかも教えてくれるとありがたいよ」
一瞬だけ破顔して見せ、シェイディアがそう言った。
脳内を整理するために一息吐いて、コーヒーを一口飲み込んだ。やはりここのコーヒーは美味しい。マネリアンの所で出されたものよりずっとだ。
話す順番を一瞬で組み上げ、オズはイヴァリースが話してくれたことと同じ内容のことを二人に話した。
簡潔にオズが伝えると、シェイディアはあっさりと納得した。その方が確かな証拠が掴めると同意したのだ。
「……じゃあ、尻尾を掴むのはまかせたよ。こっちも努力するから」
「はい、分かっています」
そこでシェイディアは口をつぐみ、改めてオズの顔をまじまじと見た。そして今更気付いたらしく、
「それで、……オズ。その……何で眼鏡をかけているの? 左目が青いのは分かるけど、何で眼鏡っていうチョイス?」
と聞いてきた。
オズが答える前に、件の眼鏡を提案した張本人であるリズエルが横から口を挟んだ。
「オズは髪が長過ぎるからですよ。眼鏡をかけると少しは不良らしさが無くなると思いまして」
その言葉にシェイディアが爆笑した。
「っは! あははっ! なるほどね! フフッ、もう女性として入れば良かったね! アハハッ、そしたら全然不良じゃないから。ヒッ、ハハハ! むしろ美人ときたっ」
カップを持つオズの手が震える。もう少し力を込めたら陶器の取手が外れそうだ。
ぬるくなったコーヒーを一気に呷り、まだ笑い続けるシェイディアに怒気を含んだ冷たい視線を投げかけて、オズは立ち上がった。
「イヴァリース迎えに行く」
低くボソッと呟いて、笑い声しか響いていない部屋をあとにする。
結んだ髪を乱暴にほどいて、苛々と舌打ちしながら人気のない廊下を歩く。
エレベーター付近のトイレの前まで来ると、イヴァリースの方から出てきた。
茶色のカラーコンタクトは外しており、化粧を落としたばかりの髪と前髪はまだ濡れていた。幼さの残る顔とスカートスーツが不釣り合いだ。ついでに吐いていたヒールも脱いでいる。7センチヒールというのはかなり歩きにくいらしい。
「あれ、もう報告終わったの?」
「お前が遅いんだ」
「全然落ちなかったんだよ。化粧って嫌だね。若作りのおばさん、落とすのに何時間かかるのかなー」
ハァと溜息を吐き出して、オズは掌でイヴァリースの頬を拭った。その後で少女の銀髪を無造作に撫でる。
「次から早くしろよ。報告がてらにオレ、シェイディアさん達に笑われたんだから」
スキンシップ多様なイヴァリースが何時ものようにオズに抱きついて、したから目を覗き込んできた。出会った時には殺人に対する愉悦しか浮かんでいなかったが、その爬虫類の瞳は、今は無邪気な光を宿している。
「何でー? 眼鏡? 似合ってるよ」
「いや、髪」
「あー、髪ね。どうせまた女性だとか美人だとかお姉さんだとかってからかわれたんでしょ」
「あぁ」
「何時ものことだよね。うん、そう言いたくなる気持ちは分かるよ、面白そうだよね」
その言葉が軽く心に刺さるのだが、イヴァリースは容赦がない。
イヴァリースにまでそんなことを言われ、アイデンティティを否定されたような気がして疲れたオズは俯く。
「でもね、オズ」
頼りなく細い腕がすっと伸ばされ、オズの頬に添えられる。
「その目も、長い髪も、それがオズだから、あたしは好きだよ」
オズは一瞬言葉につまり、淡く微笑むイヴァリースを見返す。
幼い時にそんな言葉をかけてもらったことがないからこそ、彼女が時々唐突に発すそういう類の言葉にはまだ反応に困ってしまう。
「………………あぁ、分かってる」
短く答えて、オズはイヴァリースを抱きしめた。
リベルタ・ファミリア 諜報部
ジェレミー・マネリアンと関わりがあると思われる欧州マフィアの第一候補は、EBEファミリー及びその下のマフィアだということが判明したのでお伝えする。
ルージュ・ヘゥシャオマオ
6月18日 アメリカ全州新聞 朝刊
一昨日、“救世主”と名高い——州の総合病院院長である、ウォルタ・コールスター(54)が自宅で殺害されているのが発見された。コールスター氏は心臓をナイフで貫かれており、死亡推定時刻は同月16日の午前八時頃だと思われる。コールスター氏は素晴らしい慈善家であり、生前は重い病にかかっていながらも経済的理由で通院できない人々に無償で治療を施していた。彼に助けられたD氏は、「何故あれ程立派で親切なお方が殺されないといけないのか、多くの人の命の恩人なのに」と泣きながら語る。多くの人々がコールスター氏の死を嘆き、警視庁は——…………。