第8話 僕は君のことがむしろ好きなんだよ
確かにキスをした。しかも古川から。
からかってる? いやそんな素振りはない……気がする。俯いて気まずそうだった。……いやいや何期待してんだ。なんで彼女が僕のことを好きになるんだ。どうして古川愛莉が成瀬充のことを好きになるっていうんだ。どう見繕ったっておかしいだろ。
じゃあなぜ?
やっぱり僕のことをからかってる、そうなのか?
もしくは何か僕をはめようとしている?
うう……考えたくない。
胸に焼き付いたキスのあとの顔。
下を向いた古川。
あの生々しいくちゅっていう音。
ああ苦しい。好きが増している。でもそのぶんだけ自分への罪悪感が増幅している。僕はやっぱり、彼女のことは忘れなくちゃいけないのだ。
******
「一緒に帰ろ」
ホームルームが終わるや否や、陽子に声を掛けられた。正直、今日はひとりになりたかった。
「今日はいいや」
「ぶー」
「なんだよその反応」
陽子は顔を怒った犬のように歪ませているが、無視をして帰ろうとした。
「待ってなのだ」
「なんだよ」
「じゃあ、駅でマックいこ。ちょびっと」
「ちょびっとでいいの」
うん、と大きく首を縦に振る陽子。僕は「じゃあ2分だけなら」といって先に歩いた。うしろから「さすがに短いよお」と文句が聞こえたが聞こえない。
帰り道何度かうしろを振り向いていると常にそこに陽子が居た。彼女は意外と気を遣っているのか、すぐ前を歩く僕に話しかけることなく、ひとりの下校のように淡々と歩いていた。本当にマックに行くんだろうか? って思うぐらいに。
「あのさ」
「ふぇ?」
抜けた顔をする陽子。
「本当にマック行くの?」
「行くってさっき言ったのだ」
「……了解」
そのまま微妙な空気のまま結局僕たちは肩を並べて歩いた。離れるタイミングを失った。それになんだか、僕ごときが人様に対して“話しかけるな”オーラを出していることが、なかなかに気持ち悪いなって思いはじめていた。
信号待ちで陽子はいった。
「マックに行ったらきゃらめるふらぺちーのってやつを頼むのだ」
「2分で飲むのか」
「もちろんなのだっ」
胸を張って笑う陽子がちょっとだけ可笑しくって僕も笑った。
ちなみに、マックにきゃらめるふらぺちーのなんてものは売っていなかった。
「ざんねえん飲みたかったのにい」
席に着くなり陽子は彼女はアイスキャラメルラテをストローで吸い上げながら嘆く。
「どんなやつなの、そのなんとかぺちーのって」
「たぶんキャラメルの味がするのだよ」
「それは知ってる」
一体何がよくてきゃらめるふらぺちーのに執着しているのか理解に苦しむ。
それでも彼女は代わりに頼んだラテを美味しそう飲んでいる。ストローを咥えて味を嗜んでいるそのさまはまるで吸血している蚊みたいで、本能丸出しな姿がちょっとだけ愛らしかった。
夕方前のマックは大半のスペースををワイシャツを着た学生が占拠してしまっていて、その中には僕たちと同じ制服を着ている人もいる。
「古川愛莉ちゃん?」
「えっ?」
心臓が軽くジャンプした。
彼女の口からその名前が出ることが信じられなかった。
「付き合ってるの?」
「誰が」
「成瀬くん」
僕は激し目に手を振る。
「いやいやいや。バカじゃないの? 僕があんな人と付き合ってるわけない」
「あんな人? 古川ちゃんってそんな恥ずかしい人なの?」
「逆だよ何言ってんだ。僕なんかが付き合えるわけないって言ってんの」
「ふうん成瀬くんの感覚はよく分からないのだ」
こっちのセリフだってんだ。
きっと階段で古川と別れたところをちょうど見られていたとか、そんなところだろう。たまたま男女がふたりきりで歩いていただけで付き合ってるのかどうか聞くなんて、少なくとも陽子はそんなくだらないことを言うタイプじゃないと思っていたのだが。
「やっぱり男子はみんな愛莉ちゃんを好きになるんだよね」
「だから付き合ってないって」
「でも顔に好きって書いてあったよお。もうバレバレ」
「……それ……本当?」
「ほんと」
客観的にそう聞くと、途端に自分という人間が気持ち悪くなった。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな。別に僕、身の程分かってるし」
「嬉しそうじゃないの、ヘンなのだよ」
「好きになるイコール嬉しいっていうのも変だろ」
むむむ、とこめかみに指を置いて難しい顔をする陽子。
「分かんないのだ」
「何が分かんないんだよ」
「だって嬉しくないなんてヘンだよ。恋するって素敵なことじゃないの?」
「……陽子は人を好きになったことあるのか?」
「ある」
思っていたよりずっと早い即答に、ほんの少し押された。
「あるけど、私は楽しいよ」
「……その恋、実ったの?」
陽子は気持ちの良いマッサージでも受けているような表情で首を横に振った。
実らない恋に楽しい要素なんてどこにあるんだろうか。僕は中学時代のユイを思い出す。図書室で本をお勧めしてもらってるとき、それから感想を聞いてもらっているとき、それから彼女の見てる前で殴られているとき。
結局実らない恋なんて、ただ自分自身を盲目にさせ、苦しめて、挙句迷子になって正しい道に帰れなくさせるだけだ。
「僕は好きになるとか邪魔なだけだと思ってる」
「なんか寂しいよ成瀬くん」
「みんながそうだって言ってるわけじゃないよ」
「うん。私は違う」
「陽子に好きになられた人は幸せなんじゃないか?」
音を立てずに、ため息の代わりに深い息を吐く。なんだか疲れた。でも陽子が悪いわけじゃない。人付き合いの耐性がまったくない僕のような人間が恋なんかするからこうなる。前から思っていたけど、人と話すと自分の異常さがより際立って分かるのだ。
「もう2分経った。帰ろう」
「早っ、2秒の間違いじゃない?」
「もうとっくに経ったよ。じゃあね」
トレイを持って席を離れると、陽子は慌ててキャラメルラテを飲み干してついてきた。ったく……なんで付いてくる。
ロータリーはまだまだ高校生でいっぱい。時どきサラリーマンが電話をしたり、カバンを片手に急ぎ足で歩いていたりする。僕もそれをみて思い付きの急ぎ足で改札を抜ける。
「ねえ待ってよ」
「なっ、何だよ」
陽子は僕の手首を掴んでいた。
柔らかくて、小さくて、思っていたよりずっと女の子の手。なんで女の子の手ってこんなにか細いのにあたたかくて心まで掴まれたような気になるんだろう。顔に向かって血液がぶわぁって昇っていくのが分かった。
改めて思う。僕は、この女子のことも好きになってしまっているのだ。
「離してくれ」
「今日バイトなのだ」
「だから?」
「途中まで来てくれなのだ」
陽子はごはんを待っている子犬みたいな顔でこちらを見上げている。脈拍のリズムが伝わってくるのが嫌だった。
「なんで僕なんだよ」
「迷惑?」
逆だ。迷惑の正反対なんだ。ついさっきまで僕は古川のことで頭を悩ませていたのに、もう今は陽子のことで頭がいっぱいだし胸の中はどきどきどきどきうるさいくらいに高鳴っている。ちょっとでも油断をすれば、いとも簡単に僕の身体は彼女の元へ陥落してしまうだろう。
だからだ。だから僕はこれ以上、彼女に近付くわけにはいけない。
「迷惑じゃないけど一緒に居たくない」
「ひどい」
「違くって、僕はむしろ好きなんだよ」
「……へ?」
「陽子のことが」
狐につままれたような顔のまま静止画のようになる陽子。その表情のなかに潜んでいる感情など察する余裕なんて僕には無かった。
「恋ぐすりセットって知ってるか? 人を好きになる薬と、好意を忘れる薬が入ってる。僕は最初、忘れ薬を飲むためにこの薬を買った。古川への思いを消そうとしたんだ。でもバカだから飲み間違えたんだ。そしたら陽子のことを好きになってた」
「それって、え? 私のことを薬で……?」
「ただそれだけだ。だから面倒ごとを増やしたくない」
陽子の目は僕の第三ボタンぐらいで止まっている。そこに顔でもあるみたいに。
「恋とか、そういうのはマジでいいんだ。だから時どき僕が変になると思うけどそれは薬のせいだから気にしないで無視してくれ」
そうやって吐き捨てるように言った瞬間、陽子は第三ボタンに向かって笑った。
「はははっ」
渇いた瞳と、口元だけがつり上がった、見たことのない冷たい笑顔だった。それからひんやりとした手首が、そこにもう彼女の手がないことを知らせてくれた。
彼女は踵を返し、足を引きずるようにして向こうの階段を下っていく。あれだけ引き留めていた陽子の顔が一瞬で見えなくなった。そして彼女の頭が階段の下へと見切れていくまでに、こちらを振り向くことは無かった。
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