最終話 最後の答え合わせ
学校の近くにある例の公園は、今日もマンションに囲まれて闇に飲み込まれそうだった。
古川は僕の姿を確認するとベンチから立ち上がって、綺麗に笑顔をつくった。丁寧に作られた人工的で不自然な笑顔だった。相変わらずリッチミルクの色をした髪が暗がりのなかで輝いていた。
「おつかれ」
「時間つくってくれてありがとう」
「ううん」
僕たちは軽くあいさつ程度の言葉を交わして、それから隣同士にゆっくり腰を掛けた。
夜になっても依然として蒸し暑く、ここにたどり着くまでの間にシャツは汗で濡れてしまっていた。長時間地上に放射され続けた太陽の熱は、夜になったところでそう簡単には抜けていかないのだろう。
遠くで車が走っている。ぎっ……ぎっ……と声の通り道を塞がれたような蝉の声と、不規則な羽音が聞こえる。
この場所もこの前来たときはただ蒸し暑かっただけだったのに、すっかり夏の夜らしい空間が出来上がっていた。
「夏休み……始まったね」
どうやって話しはじめたらいいんだろうと考えていたら、古川に先を越されてしまう。
夏休みが始まったという事実を、まるで他人事のような顔でいう古川を見て、彼女がまだ絶交の約束を守ろうとしていることを悟った。
「古川」
「ん?」
「正直に言うよ。もう絶交とか、僕はいいんじゃないかなって思ってる」
彼女は一瞬だけ僕の顔を窺って、でもまたすぐに俯いて小さな声で言った。
「ダメだよ。成瀬とは今日で終わりなの」
なんとなく予想はしていたけど、やっぱり実際に“君との未来は考えてない”って言われると胸が締め付けられた。
「なんでだよ」
「だってそういう約束でしょ。嘘はよくないんじゃない」
「……別に嘘ってほどのことじゃない」と反論する僕に「約束破りは嘘じゃん」と軽く笑い飛ばす古川。正直、どうして古川が絶交という約束をこれほどまでに厳しく守ろうとしているのかは分からない。
でも「嘘はよくない」という理由はさすがに無理があるだろう。僕は正義を盾にして逃げ切ろうとする古川に、矛を突きつける。
「嘘つきの古川に、嘘を咎める資格はないよ」
「え?」
僕ははっきりと彼女の目を見て言った。
「だって、好き薬の本当の期限はいつだったんだ?」
少しの間、時が止まった。
「……どういう意味」
「古川が期限を誤魔化していたという意味だよ」首を振って否定する古川に僕は続けた。「本当はとっくのとうに期限を迎えてたんじゃないのか」
「……気付いてたの?」
「いいや、昨日気付いたんだ。古川が言ってたことを思い出した。最初から“僕”と決めたうえで、僕の写真まで撮って正確に好きになったんだと。そしたら案の定薬の効果が出てきて、だんだん選択授業だけじゃ足りなくなってきて、休み時間に誘うようになった……そう言ってたよね」
「言った、と思う」
「僕が薬を飲んで陽子を好きになった時、既に古川と休み時間に会っていたはずだ。だから僕の陽子に対する好き薬と期限が同じなはずがないんだ」
僕が恐れていた期限後の古川は、実はとっくに訪れていたということなのだ。
そして恐らく、薬の効果が切れたうえで、彼女は陽子を取り戻すために行動を共にしてくれていた。
「……はははは。私ってこんなにバカだったんだ」古川は笑った。「バレバレの嘘ついてバカみたい」
「一体いつ、期限が切れたんだ?」
「陽子がグループラインを外れた日だよ。タイミング最悪でしょ? これからだって時にさ」
なるほど。
じゃあやっぱり、陽子を助けに行こうと誘ってくれたのも、期限が切れたら絶交だって約束してくれたのも、薬によるまやかしは一切なく、すべて素の彼女が決めたことだったのか。
「でも、どうして」
「ひとりだけ薬が切れるなんて嫌じゃん。成瀬と陽子に置いていかれちゃう気がしたから」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
僕は咳ばらいをひとつして、言いなおした。
「なんで期限が切れたのに一緒に居てくれたんだ」
彼女はきょとんとした顔で僕を見て、それから小さく吹き出すように笑ってこういった。
「陽子を取り戻すために決まってるじゃん。そんな薄情に見えるの?」
「ああ、そうか」
「……って言いきりたいけどでもそれだけじゃないかもね」古川は力なく笑った。「期限が来て恋心が消えても、結局成瀬のことが好きだったんだと思うよ。……まあでもさすがに陽子を見捨てた瞬間は引いたけどね」
「ごめん……でも、行動できたのは全部古川のおかげだよ」
「そんなことないよ」古川は突き放すように言う。
「もしも古川が、あのまますんなり僕の頼みを聞いてくれていたら、僕はきっと未来を恐れたままで未だに古川とも陽子とも素の自分で接することができなかったと思う。だから、そんな状態じゃ陽子を救うことも、もしかしたら出来なかったかもしれない……未来を断ち切ってしまうことで、もう今しかない状況の中で僕はようやく自分に正直になれた」
「正直、私もあそこまで上手くいくとは思わなかったよ。あれは殆ど賭けみたいなものだから」
「僕は単純だからな」
僕は自虐を言って笑った。
「単純というよりはクソ真面目だよ成瀬は」
古川も僕の誘いに乗って笑ってくれた。
もう聞きたいことも伝えたいことも大体言えたんじゃないかと思った。
だからもうそろそろ、言わなくちゃいけない。
自分の思いに正直に従って、嘘偽りのない真っすぐな気持ちを。
僕がずっと憧れていた“正直な自分”に今だったらなれるのだ。今日ここで、そして古川に対して言わなくちゃ、きっともう一生誰にも言えない気がするから。
「じゃあ私はこのへんで帰るから――」
「古川、待って」
「……何度も言うけどそういう約束でしょ。私と成瀬はもう会わない」
古川は立ち上がって歩き出す手前そういった。その姿を見るからに意志はもう固いのかもしれない。
でも最早そんなことは関係ないのだ。僕は同じように背筋を伸ばして、古川を真っすぐ見つめて言った。
「僕は古川が好きなんだ」
声が震えていた。少し驚いたように目を大きくした古川に、その震えたままの声で言った。
「古川が好き。だからこれで絶交なんて……絶対に嫌だ」
「……え」
彼女は困惑したような表情を浮かべて、あちこちに視線を動かしている。何か一生懸命になって真意を探っているかのようで、また、僕の言うことをまだ受け入れていないようにも見えた。
「もう正直に言う。もし良かったら、僕とこれからも付き合ってほしい……その……」
「それって、つまり……?」
「……うん」
彼女は唖然とした顔で言った。
「……陽子のことが好きだったんだじゃなかったの?」
「もちろん好きだ。いつも真っすぐで曲がったことが嫌いで、不器用極まりなくて、だからこそ時には敵を作ったりするんだけど、それでも自分を見失わないそんな強さを持った陽子が好きだ」
自分と似ていて、嘘がつけなくて生きづらく感じている人だと思っていた。
でも陽子は“僕みたい”に嘘をついてまで自分を守ろうとしない強い人だった。だから僕はそんな自分にない強さを持っている陽子を尊敬している。
「でも、僕は古川のことが、言葉では言い表せないぐらい好きなんだよ。古川は……僕が嫌いな、僕自身の性格を、初めて受け入れてくれた」
陽子を取り戻そうと行動を始めた日、自分が嘘つきだと気付いて震えてしまった僕の手を、彼女はずっと握ってくれていた。
「相沢の家で僕が暴力を受けているときも、古川は自分を犠牲にしてまで助けてくれようとした」
殴られている僕と、憐憫の眼差しを向けているユイ。胸に刻まれていたその記憶から、いつの間にか痛みがなくなっていた。そして記憶の引き出しにすら入らず、すぐのところで、必死になって一緒に戦ってくれた古川の姿がある。
「いつも古川は僕のことを救ってくれたし、一緒に居てくれた。こっちが右往左往してしまっても同じ場所から向き合ってくれていた。だから……今度は僕が、烏滸がましいけど、僕が古川の力になりたい」
「成瀬……」
「改めて言うよ。古川のことが好き。だからもし、万が一でも、好きでいてくれてたら……僕と付き合ってほしい」
「……万が一なんかじゃないよ」
ふらっと古川が間合いを詰めて、こつんと額が僕の肩に触れた。
ほんのりと甘い、砂糖菓子の香りが鼻を抜ける。
僕は手を回して、古川のことを抱きしめる。激しく波を打つ鼓動が彼女に伝わるかもしれないことが恥ずかしかった。
「成瀬?」
彼女はこもった声で言った。
「私も……好きだよ」
湧きおこる喜びの物質が、ひとりぼっちで生きてきた心の容量では抱えきれず全身に溢れかえっていた。
きっと冷静に返った時、まだまだ解決しなくちゃいけないことが沢山あることに僕たちは気付くのだろう。良いことだけじゃなくて、嫌なことや傷つくことだってこれから先あるのだ。
この世の中は嘘で溢れているし、その嘘にあらがえない瞬間だって腐るほどあるだろう。
でも――。
古川が僕の胸に手を置いて、距離をとる。
それから背伸びをして……唇が重なった。
「もう、期限前じゃないから」
照れくさそうに彼女はそう言った。
僕が古川のことを好きでいる。
古川も僕のことを好きでいる。
今のところ僕たちにはそれしかないけど、でもそれだけで十分な気がした。
真実なんていっこあれば十分だよ――。
いつか聞いたその言葉の通り、たったひとつの真実が僕のなかで真珠のように輝いている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
読者様の存在が何よりも励みで……最後まで書き切ることができました。
これからも良い話が書けるように頑張ります!
最後に、
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最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




