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第4話 忘れ薬を飲んだ翌日



******



 金曜日の朝、僕は泥水をかき混ぜたような気分で学校に向かっていた。


 薬を飲んだあとの恐ろしい後悔を乗り越えて朝を迎えた。しかし、目を覚ました僕が真っ先に思い浮かべた姿は古川愛莉だった。例の最上階の教室でこちらに笑いかける古川が居て、空想を打ち破るように『薬は効いたのか?』と自分が自問してきた。


 明け方に目が覚めたおかげで、考える時間はたっぷりあった。シャワーを浴びながら、再び寝っ転がりながら、サンダルをつっかけて外に出て歩きながら、古川のことをまだ好きでいるのか? と自分に問いつづけた。


 だけど忘れて欲しい自分と、ほんのわずかに好きでいてくれて欲しい自分が、交互にジャッジを邪魔してくるから、結局答えらしい答えが出なかった。好きじゃなかったらこんなに彼女のことを考えないという意見に納得したり、薬が効いたかどうか悩むことに恋心の有無は関係ないと反論したり。結局思考は循環に陥ってどんどん客観性が失われていった。


 でも彼女の姿を一目見れば、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しいぐらいあっさりと答えが出るのだろう。そう考えると本当言葉通りで馬鹿馬鹿しいことをしているのだが、それでも考えることを止められるほど、僕は強くない。


 金曜日は昼食後の5時間目に選択授業がある。週に1回だけある選択授業の世界史特講。それがこの学校においてクラスもカーストも異なる古川と僕が、唯一交わる場所であった。この不釣り合いな交友も選択授業をキッカケに始まったのだ。


 まだ好きなんじゃないか? いやもう好きじゃないだろ? 何百回と自問自答を繰り返しているとあっという間に昼休みは訪れ、そしてその昼休みも瞬く間に終わって恐れいた時間が訪れた。


 敢えて遅刻して教室に入った。理由は自分でも分からなかった。

 遅いぞ、と注意をする先生に平謝りをして教室の最後部、窓際から2番目の席に座る。チョークの擦れる音が響くなか慌しく教書とノートを開いていると、隣りの席から囁くような声がした。


「おつかれ」


 どきん、と確かに心臓は鳴った。


「……おつか、れ」


 古川は僕の力ない返答に微笑むと、前を向きなおして板書をノートに書き写す。さっきまでの微笑は影を潜めて凛とすました綺麗な瞳がノートと黒板を行き来する。薄い唇はほんの僅かに動いていて、書いている文字を復唱しているようだった。


 彼女は何も変わってない。


 ――違う。

 僕が、僕が変わってないんだ。


 心臓が今日1番どきどきと高鳴っている。

 もう認めざるを得ない。

 間違いなく、僕は古川のことが変わらなく好きだ。


 薬の効果なんてどこにも無かったんだ。

 僕は筋肉が抜け落ちたみたいに力が抜けて、机に顔を押し付けていた。

 詐欺だ。悪徳業者め。訴えてやる。

 行き場のない落胆を業者にぶつけている間に授業は終わった。


「頭なんか抱えてどうしたの?」


 君のせいだ。と言いたい。


「……どうもしないよ」


 机に突っ伏したまま僕は返事をした。

 今はなるべく、彼女の顔を見たくない。


「ねえ、いつまでそうしてるつもり?」


「地球が終わるまで」


「成瀬本当変、こないだから」


「変じゃない」


 変だよ、と言えばよかった。

 まだ、頭上からの声は止まない。


「あのさ、こないだ話した漫画の件」


「うん」


「持ってきたから読んで」


「読まない」


 一瞬、古川の動きが止まったことは、顔を見なくてもよく分かった。罪悪感がちょっぴり胸を掠める。


「ふうん。変なの。じゃあ私行くからね」


 僕は右手だけあげて力なく手を振った。

 ため息とともに足音が遠ざかっていき、扉の閉まる音が聞こえた。油断は禁物、としばらく顔をあげず、幾らか時が経ったのちにようやく顔を上げる。視界がモザイクのように波を打っていて、ゆっくり時間をかけながら現実と同化していく。教室はがらんとしていてもう誰も居なかった。


「はあ」


 僕はひとり席を立ち、無感情に荷物をまとめて教室を出た。


 

******



 なんとなく帰る気になれず、ホームルームが終わってからもずっと教室に残っていた。

 何もすることなくぼんやりと頬杖を突いているだけの僕は、傍から見れば頭のおかしい人間か、心を病んだ人間かのどちらかだろう。多分自分で思うに、ハーフ&ハーフが妥当といったところだろうか。


 グラウンドから聞こえる野球部の練習の様子は、勇ましい掛け声のランニングから、淡々と投げ合うキャッチボールに変わり、今さっきやっと金属バットの音が聞こえだしたところだ。逆のほうに耳を澄ますと吹奏楽がとうとう全体練習を始めていた。僕も何かしら部活をやっていればよかった。そうすれば少しは気も紛れたかも分からないのに。


「ふは」


 都合の良い自分が可笑しくなった。今まで1度も思ったことないくせに。

 はああ――風船みたいに体じゅうの空気を抜いて机にもたれかかる。僕は一体、いつになったら帰れるんだろうか。最早悩むことすら億劫になってきて、目を瞑り、どこか知らない世界にワープしてしまう事を願う。


「やっほう!」


 跳びあがって椅子から転げ落ちた。


「だ、大丈夫う?」


 一瞬、古川かと思ったけど、そんな訳がなかった。


「よ、陽子……」


「ごめんなのだよ、驚かして」


「別に……」差し出された手を退けて僕は椅子に座りなおした。「何してんの……こんな時間に」何気なく聞くと陽子はにんまり笑っていった。


「忘れものなのだよ」


「あっそう」


「成瀬くんは?」


 僕は頬杖を突いて窓の外を見た。

 ため息交じりに言う。


「部活」


「はあ? 部活やってないでしょう」


「帰宅部の立派な活動だよ」


 陽子は一旦間をつくったのち、派手に声を出して笑いはじめた。顔を見ると目が線になって大口が開いていて、お世辞にも可愛らしいとは言えない、例えば古川が絶対にしないような笑い方だった。


「成瀬くんって、ほんと、おかしいよね」


「陽子には言われたくないよ」


 そう。陽子は他人に対して変わってるなんて言う資格はない。独特の喋り口調に破滅的な空気の読めなさ具合、それからお洒落とは無縁の野暮ったい外見に無駄に強い正義感。彼女はこのクラスのみならず、この学校でもっとも変わっている女子のひとりだった。


 重たい黒髪のショートヘアに嘘みたいに大きくて丸い眼鏡は、むしろ“ダサい”を利用して自己をブランディングしているようにすら見える。しかし陽子に限って狙うなんてことはしていない。完全に地で、ダサい街道を突っ走っているのだ。


「ねえ、帰ろうよ」


「え?」


「今日、ごじから雨予報だっていってたよ」


 時計を見る。5時を少し回ったところだった。

 空はどうだろうか……うん、まだ降る気配はないけれど、空一面を覆った雲はがところどころ灰色に染まっていて雨水を着々と蓄えている様子だった。


「うん。帰る」


「一緒にね?」


 無邪気に首を傾げた彼女を僕は無視した。

 昇降口から外に出ると、意外にもさらっとした涼しい風が頬を撫でる。これは雨に濡れたら結構寒いかもしれない。急いだほうがいいと思いつつ、面倒くさくて無感情に足を進める。学校から最寄りの駅まで大体20分間。ふと隣りを見ると陽子と目が合って、彼女は「あははぁ」にんまりと笑った。一体何を考えてるのかは分からないけど嬉しそうな笑顔だった。僕はそっぽを向いた。


「ね、成瀬くん」


「なに」


「最近いいことあったあ?」


 いいことも何も。


「ちょうど今日、嫌なことがあったばかりだよ」


「教えてなの」


「……ひとりで帰る予定が崩れたこと」


「ええええっ」


 分かりやすくショックを受ける陽子に思わず吹き出してしまう。


「はは、嘘だよ」


「もうっ」


 陽子は頬を膨らまして、僕の脇を小突いた。


「いいことなんてないし嫌なこともない」


「ふーん、なんだかつまんないねえ」


「かもね」


 会話が途絶えた。急にバス通りの喧騒が帰ってくる。車やバイクが行き交って、自転車が僕たちを追い抜いていく。学校が終わった子供たちが前から走ってきてすれ違う。信号が赤に変わって、まるで栓をしたように車両が交差点に詰まっていく。


「ふう……」ため息がちょっぴり軽くなった気がする。


 気が紛れている自分に気がついて、僕は静かに陽子へ礼をいった。

 あのままひとりだったら、警備員に追い出されるまで学校にいたかもしれない。それから家に帰ったんじゃあ、あっという間に夜中が訪れて、きっと僕はもっと項垂れ、答えのない悩みに頭を抱え眠れなくなっていたていたことだろう。


「陽子」


「ふぇ?」


「なんだその返事」続けて言う。「好きでもない人間に適当にあしらわれたらどんな気分になる?」


 陽子は難しい顔をした。


「意味ぷー」


「好きでもない人間に雑な扱いを受けたらどう思うか」


「それ、質問間違ってなあい? 普通、好きな人間にこうされたら嫌? とか聞くでしょ」


「いいや、好きでもない人間で答えてくれ」


 陽子の言っていることは一理ある気がしなくもなかった。


「ええ、うん、でも好きじゃなくても好きでも雑な扱いはやだよ」


「へえ?」


「うん」


 失礼な話、意外だった。

 僕なんかには言われたくないだろうが陽子は変わり者だから。


 しかもいい意味での変わり者ではなく、人を不快にさせる変わり者。つまはじき者と言ったほうが近いかもしれない。中学生の頃は総スカンをくらってたという噂だってある。

 そんな彼女が人並みに雑な扱いを嫌がっているという事実が僕にはちょっぴり意外だった。


「なになに成瀬くん、好きな子でもいるのかな」


「陽子はいるのか」


「ええええ私いいい?」


「うるさいな」


 ねえ聞きたい? 聞きたい? と陽子はやかましくなった。


「そんなには興味がないかな」


「ぶー」


 一応ソフトに返したつもりだ。


「じゃあ成瀬くんは?」


「別に興味ないでしょ。言わないよ」


「興味なくなんかないよ」


「嘘だ」


「嘘じゃなあい」


「答える義務はない」


「あるう」


 僕の好きな人が分かったところで一体何になるというんだ。


「興味ないでしょ。なんだよその気遣い」


「気遣いじゃないよ本当だよ」僕が面倒くさくなって黙っていると彼女は続きを話す。「成瀬くんはあ、自分のこと過小評価してるよ」


「……過小評価?」


 うん、と陽子は子どもみたいに大きく頷いた。


「なんでみんなと仲良くしないのかは分からないけど、成瀬くんがちゃんとお話しするようになったらみんな良さに気がつくと思うよお」


「気がつくも何も僕は別に」


「成瀬くんみたいに真っすぐな人って素敵だよ」


「……」


 陽子の褒め言葉は遅れてじわじわと胸の内に浸透していく。そして恥ずかしいことに何も言い返せなくなってしまった。


「成瀬くん?」


「うん」


「どうしたの?」


 僕は前方を指さす。


「駅だよ」


「うん知ってるよ」


 あと交差点をひとつ渡ればバスのロータリーだ。日が暮れる前の駅前にはまだまだ数えきれないぐらいの人が行き交っている。


「知ってたか」


「ちょっとマジでどうしたのお?」


「どうもしないよ」


 陽子は僕の顔を見上げてから、


「ヘンなのお」


 と柔らかい口調で吐き捨てた。

 変なのは陽子のほうだといい返したくなったが、多分いまは僕のほうが変な気がしたから言い返すのをやめておいた


 改札についたタイミングで僕は右手を上げて帰ろうとしたのだが、カバンの紐を掴まれてうしろに倒れそうになる。


「なんだよ」


 僕は若干キレた口調でいった。


「成瀬くんに聞きたいことあった」


「聞きたいこと?」


 陽子は丈が長めなスカートのポッケからスマホを取りだして、こちらに向ける。


「電話番号、おしえてなのだ」


「陽子さあ」


 今どき電話番号を交換する女子高生がいるんだろうか。


「普通ラインとかじゃないの」


「ラインね、よく聞くのだけどやったことないのだ」


「僕ですらやってるよ」


 親と古川しか連絡先は知らないんだけど。

 いいからはやくと陽子に急かされ、僕は仕方なく電話番号を言った。彼女はそれを器用とは言えない手つきで入力して、打ち終えるとにんまりと笑った顔でこちらを見た。


「ありがとお。今度かけるねえ」


「かけなくていいから……じゃあな」


 僕は今度こそ踵を返し改札を抜ける。


「なんなら今夜かけちゃうからね」


 振り返って言い返したい気持ちをぐっと堪えて、僕はホームへと下る階段を駆け下りていった。そのまま奥に向かって歩いて先頭車両の乗り口までたどり着いたところで振り返ってみる。陽子の姿はない。肩の力が抜け、なんだか一気に疲れが襲ってきた。陽子は、あんなにこっちのペースを乱してくるヤツだっただろうか。


 ――成瀬くんみたいに真っすぐな人って素敵だよ。


 なんだよそれ。

 口から出まかせ言いやがって。


 ポケットからスマホを出して時間を確認した。電車が来るまであと5分。さっき陽子は、今夜電話をかけるとも言っていた。万が一かかってきた時の為に、逆に陽子の番号を聞いておかなかったことを少しだけ後悔した。


「はあ」


 疲れた。日常ってなんでこんなに疲れんだろう。こんな日が明日も明後日も続いていくと考えると憂鬱すぎて、どっか知らない異国の大地にでも飛んで行ってしまいたい気分だった。







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