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第36話 絶交のお約束




 古川の家の最寄り駅で待っていると、彼女は怠そうな足取りで小さな横断歩道の向こうから歩いてきた。


 ショートパンツに大き目のTシャツを着て、しょうがなく家から出てきたような格好。その見てくれは可愛いかと聞かれれば可愛いと答えるのだけれど、覇気がなくてどこか不健康的で美しいとはいえなかった。


「なんか用?」


 開口一番、古川は冷たくそう言い放った。胸にぐさりとくる言いようだったけど彼女にとって僕は最低な人間だから仕方がない。


「話がしたい」


「なんの?」


「ここじゃあれだから、どこか入らないか?」


 彼女は面倒そうにうなじのあたりを掻いて歩き出した。僕はそんな怠そうな背中について歩く。駅舎沿いにぐるりと周って小さな噴水のある広場を通り抜け、駅の裏手に出るとそこそこの繁華街が現れて、彼女はその通りにある喫茶店に入った。


 カウンターでコーヒーを注文をして、彼女に続いて窓際の席に腰を掛けた。


「初めて、この駅で降りたかも」


「用件があるんでしょ。雑談はいらないから早くいって」


 胸が張り裂けるように痛んだ。ついさっきまで見せていた綺麗な微笑みはもう一切の面影が無い。


「……力を貸してほしいんだ」


「力?」


「僕が陽子に電話してもたぶん、出ないから。それにどうせ相沢が好きって言って取り合ってもくれない」


 古川は真剣な面持ちで僕をというよりは前を見ていた。


「ごめん、どういうこと?」


「どういうことって、言ったまんまだけど」


「陽子に電話をして、何をしようとしてるの? いきなり力を貸してほしいって言われても分からないよ」


 古川はグラスを手に持ってストローを咥える。僕はすぐ質問に返そうと思ったけれど、思考は巡らずにストップしてしまった。


「いや……僕も、正直何がしたいのかは分からない」


「……さっきはもう自分は関わらない的なこと言ってたじゃん」


「……」


 首を傾げて彼女は続ける。


「ほっといてくれって言ってたし」


「それは……」


「あのさ、正直私、さっきので成瀬の気持ちがよく分からなくなっちゃったの。だから分からないんだよ、成瀬のしたいこととか考えていることが」


「……正直僕も分からない」


 さらに首を傾げる古川。だけど、さっきまでの睨みつけるような強いまなざしはない。


「僕も、どうしてこんなことになったのか分からないし、どうして人に不快な思いをさせたり、傷つけたりしちゃうのかが分からない。どうして陽子と普通に関わることができなかったのも分からないし、その……古川が好きだって、言ってくれたあとに、どうしてこんな風になっちゃったのかも分からない」


「うん」


「だから、今こうやって古川を呼び出してる自分のこともよく分からない」


 息を吸って、吐いてみる。今一度頭の整理を試みて、それから続きを話しだす。駅前の喫茶店にいるはずなのに、いつの間にか世界は僕と古川だけになっていた。


「全部が分からないけど、このままじゃいけないと思った。きっと僕は期限が来たら陽子を好きな思いが消える。そしたら薬を飲む前の生活に戻って、彼女のことを気にも留めずに学校生活を送ることになる」


「うん」


「でも陽子は、僕の期限なんか関係なしに、いつまでかは分からないけど相沢との関係が続いていく。いくら彼女のことを忘れていても関係ない。僕の見ていないところでもしかしたら彼女は利用され続けていくのかもしれないと思うと……しかもそれが実際に、あと5日もすれば訪れるかもしれないのが、やっぱり怖くて……それでなんというか、何ができるか分からないけど何とかしたいと思った」


 自分で話していて、なんて烏滸がましいんだろうと思った。自分が何様になったのだろうと、どの立場から陽子のことを“救ってあげよう”となんて思い出したんだろうと、僕はそう自分自身を非難した。


「きっと何もできないとは思うけど」


「……私、陽子を取り戻したいと思ってるよ」彼女は小さい声でそう呟いてから、次のように続けた。「だから今日も、夜になったらあのラーメン屋に行こうと思ってた。たとえ成瀬のいう通りで陽子が本当にあいつのことを好きだったとしても」


「悪いんだが、僕も連れてってくれないか」


「嫌だよ」


 古川は僕を睨みつけてそう言った。


 なんで断られるのか、なんで睨まれてしまうのかが正直分からなかった。


「成瀬は自分が罪悪感から逃れたいだけなの?」


「違うよ」


「彼女を助けない自分を見たくないだけなの?」


「違う。そんなんじゃない」


「ふうん……」


 古川は僕から視線を外さずにストローを咥えた。グラス自体が溶けだしたかのように水滴がテーブルにぼたぼた滴り落ちている。彼女はひと口コーヒーを飲み込んでこういった。


「陽子のことは、好き?」


「……分からない。でも、正直やっぱり好きなんだと思う。これから先のことは分からないけど」


「好きでも、薬が切れたあとはやっぱり他人に戻っちゃうんだね、成瀬の場合」


「だってそれは……僕がこれまで避けてきたわけだし」


「分かったよ」


 何が“分かった”のだろう。続けて出てくる彼女の言葉に期待をした。


「……成瀬は未来の自分がどうしても信じられないんだね」


「それは、そうかもしれない」


「そしたら未来なんか捨てちゃえばいい」


 ん、と自分の耳を疑った。何を言っているのか理解ができなかった。そして古川は、ここにきてようやく表情に笑みを浮かべた。


「成瀬」


「え?」


「私たちの仲はあと5日です。オーケー?」


 オーケー! と威勢のいい返事は出てこない。言ってる意味が分からないから。僕が思考を巡らせていると、彼女はできの悪い生徒に教えるように言う。


「つまり、今週の日曜日が終わったら、君は私たちと絶交するの。いっとくけど冗談じゃないから」


「薬が切れたと同時に、ってことか?」


「うん。だって、薬が切れたあとの未来は信じられないんでしょ? だったら要らないじゃん」


 冷たい口調なのに表情は穏やかでいつもの古川だった。


「要らない未来に振り回されるぐらいなら割り切って5日限りの関係にしようよ。そっちのほうが分かりやすくていい」


「ん、と……」


「それが条件。飲めないから私は協力しない」


 なるほど、ただでは協力しないということか。やっぱり古川はどこかで僕に失望して、怒ってしまったんだろう。私たちとの絶交を条件に陽子を救いに行こう、なんてついさっき電車で会った時の古川が言ってくるわけがない。


 でも不思議と胸に痛みは襲ってこなかった。むしろ、彼女の突きつけた条件はとてつもなく合理的で、感心すらこみ上がってきていた。


「分かった。ちゃんと期限が切れたら古川と陽子の前から消えることにするよ」


「絶対だよ」


「ああ」


 こうして僕たちは、これまでとは違った関係性で残り僅かの期間をともに過ごすことになった。


 ほっと溜息をついて、水滴でびしょびしょになったグラスを持ち上げてコーヒーを飲む。ずいぶん氷が溶けだしてしまって水っぽいコーヒーになってしまっていた。


「陽子がバイト終わるまで、まだ3時間以上あるね」


 古川は笑いかけるようにそう言う。


「たしかにな」


「あのさ、図書館いかない?」


「え?」


 そして僕たちは残ったコーヒーを飲み干して、学校の最寄り駅近くにあるコミュニティハウスに行った。古川に好き薬のカミングアウトをされたばかりの頃、陽子と三人で遊びにいった、苦い記憶のなかにある図書室だ。



******



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