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第34話 誰でもできる普通のこと



 ふん、と鼻が鳴る。どんどん自分の性格が悪くなっていくのを感じていた。


「なんでそんなことが言い切れるんだよ」


「だって分かるもん。陽子を見てたら」


「それじゃあ答えになってないぞ」


「私、女の子だから分かるもん。陽子がしっかり成瀬のことを好きだって」


「……気のせいだよ」


 隙をついて手を振りほどこうとしたが、古川はこちらの動きを予測していたかのように僕の手首をしっかり握っていた。


「ねえ、そんなに()()()()()()()()()()?」


 妙なアクセントがついていた。僕はまだ彼女の言ったことの真意を汲み取れていなかった。彼女は言葉を重ねていく。


「嘘が真実を塗り替えるから、だからひとりきりで生きているんだって、成瀬まえにそう言ってたよね。陽子が相沢のことを好きになったフリをしたのがそんなにいけないの?」


「……そんなことまで話してたか」


 過去の自分を恨んだ。


「逆に成瀬はそんなに簡単に人のこと見限れるもんなの? それこそ陽子への裏切りみたいなものじゃないの?」


「違う。これは僕個人の問題だ」


「それ前も言ってたけどさぁ……」


 古川の声がしぼんでいく。


 あの日、選択授業が終わったあとの誰もいない教室で、僕たちはちょっとした言い合いになった。なんで私が近くにいくとそんなに嫌がるんだって怒られ、僕は必死にそうじゃないんだとと弁明をしていた。


 私は成瀬が好きだよ――そう彼女ははっきり言ってくれた。いつも人を遠ざけてしょうもないことで悩んでいる僕を、そしてそんな自分自身を嫌っている僕のことを、好きになったんだとはっきり言ってくれた。


 指を互い違いに絡めあって、ほんの僅かに寄ったなら唇が触れ合ってしまうぐらい顔を近づかせて、心臓が跳び出すんじゃないかと思うぐらいドキドキしていた。


 あの日から、どうして僕はこんな風にしかなれなかったんだろう。


 闇が瞬く間に広がっていく。あんなにもはっきりと好きといってくれたのに。たとえ薬のおかげとはいえ、僕のことを好きと真正面に立って言ってくれた人なのに。きっと最も僕のことを理解してくれた人だったのに。


「……ねえ成瀬」


 古川の顔を見る。


「ごめん。成瀬のこと最低って思うかも」


 ぐっと震えた爪が手首に食い込んでいる。彼女の握力には感情がこもっていた。


「最低」というワードに僕は気が滅入った。


「ひどいこというんだな」そして無気力に笑った。


「だって最低だもん成瀬」


 軽蔑の意思を瞳に宿して彼女は続けた。


「勝手に薬のんで好きになって陽子のこと傷つけて、それで自分の都合が悪くなったらポイするんでしょ。最低でも足りないぐらいじゃん」


「いくらなんでも飛躍しすぎだよ」


「だって現にそうじゃん」


「何度も言ってるけど陽子は自分から――」


「相沢が利用しようとしてるの分かってるんでしょ?」


 古川の言葉が、重い石のようにズドンと腹の底へ落ちた。


「それでほっとくんだね」


 ついでに頭までガーンと叩かれた気分になった。


 つまり古川は……陽子が相沢を好きだと言ってるんだから、いくら利用されても関係ないし放っておけよと、僕が言っていると思っている。そう考えてみると彼女のいう通りでだいぶ最低なやつかもしれない。


 確かに、相沢は陽子のことが好きなわけではない。

 陽子はもしかしたら利用されるかもしれない。

 相沢の暇つぶしの玩具になる可能性だってあるかもしれない。


「……何か言ってみなよ」


「でも僕には、資格がない」


「ほら、逃げてる」


「……ちがう」


 ふと、僕たちの前を横切ろうとする高校生の女の子と視線が合った。女の子は何かマズいものでも見たかのように慌てて視線を落として通り過ぎていった。


 ほどほどに化粧をして、髪を整えて、スカートの丈を短くした、どこにでもいそうなごくごく普通の女子高生。そのうしろ姿が壁の向こう側へと見切れていく。


 頬を伝って来た汗を拭う。


 どうして普通になれないんだろう。


 普通に人と接して、普通に本音と建て前を使い分けて、普通に人を好きになったり嫌いになったりして、普通に自分の感情に従って、普通に笑って普通に喋って普通に遊んで……誰でもできる普通のことがなんでできないんだろう。


「もう1度言うね。最低」


「お前に何が分かるんだよ」


「分かりたくないよ」古川は若干怯えた表情でいった。


「そもそも……古川だって自分の行動に責任とれるのかよ。今、薬のおかげで僕と関っているだけじゃないか。偉そうなこと言って」


「別に責任とれるもん」


「嘘つけよ」


 彼女の子供みたいな返答に吹き出した。


 偉そうなことをいくら言っても、古川は薬を飲んでいる。恋の魔法がかかった状態でいう彼女のあれこれをどうやって信じろって言うんだふざけるな。


「君だって好き薬が切れたらもう用が済むだろう。そしたらも僕なんかとは関わらなくなる。それなのに責任とれるって断言しちゃうほうが余程相手に失礼だ」


「なんで決めつけるの? 私責任とれるって言ってるじゃん。私は期限が来ても絶対に変わらないもん」


「だからなんで自信満々なんだよ。出まかせ言うなよ」


「出まかせじゃないもん。だって……」


「もうほっといてくれよ」


 ぱっと腕を引くと、油断していたのか今度こそ彼女の手が外れた。もう僕のほうは見ておらず、地面のタイルを睨みつけているようだった。いよいよ僕のことを諦め……いや見限ってくれたのかもしれない。


「じゃあな」


「……じゃあもくそもないよ。もうこれっきり」


 急な突き放すような言葉に、返そうとしていた踵が止まる。


「いつもそうやって人のこと遠ざけてさ、一生そうしてればいいじゃん腰抜けやろう」


「……」


「私ひとりで陽子のところに行くからもういい」


 古川はそう吐き捨てて、ついさっきまで僕の腕を掴んでいたことが嘘だったかのように、風のように駅の構内を突っ切っていき改札を抜けた。凛々しいとすら感じるうしろ姿は赤の他人のようで、彼女と出会ってから最も彼女が遠くに行ってしまったような気がした。







いつも読んで頂きありがとうございます。


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