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第33話 つくづく自分がクズだって感じてくる



 改札を出てすぐ、広告が張りつけられた柱の陰で僕らは向かい合っていた。


 どこかカフェにでもへ入ろうという彼女の誘いを断ったのは強い意思だ。屋根があるぶん日差しは受けていないけれども暑い。店に入ったほうが快適に決まっていた。


「用件はなに?」僕は力なく聞いた。もう早く帰りたい。


「昼休みのライン、敢えてシカとしてたでしょ」


「……そうじゃないよ」


 古川は爽やかに優しさを織り交ぜたような、小さな笑みを浮かべていた。額に汗をかいてくっそ暑いんだろうに、ここ数日の古川の自然過ぎて不自然な微笑みが、傍目で見たら可愛いのに少しばかり気持ち悪い。


 彼女が笑みを浮かべれば浮かべるほど、心の壁は高くなっていく気がしていた。


「私あれから気が気じゃなくって、相沢に連絡したの。でもダメ。こっちが必要な時に限って電話には出ないしラインも返さない」


「そうなんだ」


「あのさ、陽子と学校で喋った?」


「いや」


「私何度連絡してもダメでやっぱりブロックされてるかもしれないの」


「そっか」


 古川の表情にすっとひとすじの影が入った。上目遣いの彼女から視線を逸らすと、彼女は静かにこう聞いてきた。


「成瀬、今日喋ったかな? 陽子と」


「たいして喋ってないよ。おはよう、とか。それぐらい」


「うん……それで?」


 それで? ってなんだろう。


 古川を見る。ふたすじ目の影が入ったような顔をしている。


「それだけだよ」


「陽子の様子がそれだけってことなの?」


「ん? 何が言いたいんだよ」


「陽子は、いつもと比べてどんな感じで過ごしてるの。その……静かだとか落ち込んでるとか変わらないとか……あるじゃん。私連絡とってないから心配なの」


「ああ。たぶん、いつもと変わらないよ。心配いらないと思う」


「そう……」


 古川が俯いて地面を睨みつけた。なんとなくだけど、帰るなら今だ――と思った。


「じゃあ帰るね――」


 歩き出したところ、僕の腕はがっしり彼女に掴まれてしまう。振り返ると、古川が眉間にしわを寄せて下から睨みつけていた。


「……見捨てるの」


「は?」


「陽子のこと……見捨てるつもりなの」


 まるでお腹の調子が悪いような、そんな苦しい表情が、僕のことを突き刺すように見ている。


「見捨てるなんて、人聞きの悪いこというなよ」


「だってそうじゃん。陽子のこと見捨てようとしてるじゃん」


「違う。僕が見捨てるんじゃない。陽子が自分から――」


「はあ!?」


 唖然とした僕に彼女は勢いのまま続ける。


「挙句の果てには陽子が自分から行ったんだって言うわけ?」


「だってそうだから」


「あんたそれ、マジで言ってる?」


 いつの間にか心拍数が上がっていて、息がしづらくて、肩にもずいぶんと力が入っていた。でも自分で力を抜くことができなくて、僕はそのままがちがちに緊張した体で、敵意剥き出しの古川に落ち着いた口調で返した。


「マジ。今日、陽子は相沢が好きって言ったんだよ」


「それ……マジで信じてんの?」


「だって僕だってこれまで、遠ざけてきたし、普通のことだと思う」


「呆れた。鈍感もここまできたら罪だわ」


 なんで、古川はこんなに怒っているんだろう。


「あのさ、こないだも言ったけど、陽子は私たちのことを気にかけて、それで相沢との関係を聞いてきたんだよ? それがなんで急に相沢を好きになるわけ」


「確かにそういわれたらそうだけど……でも陽子が相沢のことを嫌いな根拠もないよ」


「どういう意味よ、それ」


「僕たちのことをくっつけることと相沢を好きになることは両立可能だってこと。陽子がこっちに戻りたいって思ってるかどうかなんて分からないよ」


 古川はなにかを言おうとして口を開きかけ、やっぱり閉じた。顔つきは、僕のことを罵る準備でもしているかのように攻撃的だ。しょうがないじゃないか。事実として陽子は僕たちから離れた。そして相沢のことを好意的に思ってる。こうなってしまった以上、陽子のことはコントロールできないし、ましてはこれまで散々距離を取ってきた僕にできることなんてそもそもないのだ。


 それに、もっともらしいことを言ってるようで古川だって薬を飲んでる。あと数日したら今の熱量なんて消えていくだろう。


 こういっては元も子もないけど、薬を飲んでる古川にあれこれ言われる筋合いなんてない。そもそも好き薬さえなかったら僕らなんて、何ひとつ噛み合わずとっくに終わっている関係性だろう。


 何せ僕は、彼女や相沢と違って“普通に気持ち悪い人間”なのだ。


「じゃあ私に、相沢との関係をあれこれ聞いてきた陽子が、その次の日にはもう相沢のことが好きになってるなんて無茶苦茶なことが本当に信じられるワケ?」


「……信じれる」


「言っとくけど陽子は最初泣いてたんだよ。成瀬から薬のカミングアウトされた日に」


「泣いてた? 陽子が?」


 まさか。古川の言っていることが、よく理解できなかった。


「帰りの電車で、陽子が泣いてたんだよ。一瞬で成瀬とよくいる子だって分かった。それで私、何で泣いてるのって声掛けたんだよ」


「……それで」


「好きなのは薬を飲んでるからだって成瀬くんに言われた。陽子はそういって泣いてたんだよ。でもね、私に対してこうも言ってた」古川は続けていった。「君は本心で好かれてるから大丈夫だよって」


 薬で好きになったと伝えた時に陽子が見せた、渇いた瞳をした冷たい笑顔が蘇った。


 それから線路を跨いだ反対のホームにいる古川と陽子。花火をしている時に盛り上がっている古川と陽子。それらは次々と蓋を開けた炭酸のように脳内に浮かび上がってきた。普通なら混ざり合うことのない不思議な関係は、僕の失態によって繋がっていたということか。


 でも……それよりも今は“泣いている陽子”の衝撃が強過ぎて、ふたりの仲の真相なんて最早どうでもよくなった。あの時、陽子は確かに傷ついた顔をした。引き攣った作り笑顔は僕の頭に焼き付いたし、心から申し訳ないと思った。


 しかし、あの天真爛漫な陽子が泣いていたなんて、どうも受け入れられないし想像つかないのだ。


「びっくりしたよ。まさか私以外に好き薬を飲んでいる人がいたなんて……しかもそれが成瀬だったなんて」


「……僕だって飲みたくて飲んだわけじゃない。陽子を傷つけたのは、申し訳ないけど」


 この期に及んで、罪悪感がぶり返して積み重なっていく。


「なんで飲んだのかは気になるところだけど今はスルーするね。それで、陽子はきっと成瀬のことを諦めた。でもその代わりに、そんな彼のために、彼が本心から好きになった古川愛莉との恋の架け橋になることに決めた」


 そして古川と僕を同じ教室に呼び出すという策が練りだされたと、いう訳なんだろうか。でもそんな彼女の思いを、少なくとも僕自身は鬱陶しく思っていた。


 今回の相沢の件だってもし本当に本心から恋を成就させようと思って行動しているのなら、正直何をしてくれてんだって思う。というか思ってた。


 つくづく、自分がクズだって感じる。


「でも、陽子はまだ成瀬のことが好きだったんだよ」


「……好きだったって、それは、陽子がそう言ってたのか?」


 古川は小さく首を振った。


「古川がそう思ってるだけじゃないか」


「ちがうよ」


「古川と僕の恋を応援することにした? 僕のことが好きなのに? そんなことできる訳がないだろ」


「できるよ」


「できないだろ」


「陽子ならできるんだよ」




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