第31話 普通にお前気持ち悪いな
普通にお前気持ち悪いな。
普通にお前気持ち悪いな?
普通にお前気持ち悪いな……。
古川と相沢が付き合っていたというカミングアウトはかなりしっかりと僕をへこませた。変えようのない事実なんだと何度言い聞かせても、まるで毒素が侵入してきたかのように体に馴染むことは無い。胸は引き裂かれるように痛んで、悲しさと悔しさで顔じゅうが歪み、拒否反応なのかじたばた足をばたつかせていた。
何十回目かの寝返りを打って、何百回目かのため息を吐く。
冷え切った暗闇のなかで、エアコンの波を打つような送風音だけが響いていた。
普通にお前気持ち悪いな……。また彼の声が聞こえてくる。
そうなんだ。僕は彼らから見たら、ただの普通に気持ち悪い人間。当然学年いちの美女古川となんか釣り合う訳がない。いくら彼女にそんなことないよと言われたとしても、現に古川は相沢と付き合っていた。これが何よりの証拠だ。
小さくなって布団の中で足掻いた。キュ、キュ、キュと爪が掛けふとんに擦れる感触が気持ち悪くてぞっとする。もういい加減寝よう、とふたたび寝返りを逆に売って深呼吸を試みるのだが、すぐに切り替えられる訳もなく、僕はいつの間にかまた今日の出来事を追いはじめ、変わることのない自問自答を始めてしまっている。
こういった具合で、結局僕は眠らないまま朝を迎えた。絵具で塗りつぶしたような快晴とは対照的に、人生ワースト1~3位くらいには入る最悪な気分の朝だった。
軽くシャワーを浴びて、制服に着替え、最低限の支度を済ませて家を出る。太陽は上がってから数時間だというのに、もう1日のピークのような強烈な光を放っていた。もうさすがにそろそろ蝉が鳴きはじめる頃だろう。
夏休みが始まる頃までには……そう。夏休みが始まる頃までには。
学校へ着くころには前髪ともみあげが汗でびっしょりと濡れ、ワイシャツの下のインナーも濡れ雑巾のように汗が染み込んでいた。寝不足の軋んだ体に暑さは容赦なく襲い掛かり、もう僕の身体の調子は1日の終わりといった具合だった。
でも、それぐらいで良い。じゃないとあれこれまた考え始めるから。
ホームルームの途中で、陽子が遅れて教室へ入ってきた。目が合って、はっとした僕が視線を逸らすよりも先に、彼女は俯いてそそくさと自席に座った。いつものように先生は怒っていたしクラスメイトは冷ややかな視線を送っていた。この教室にはいつもと何ら変わりない日常が繰り広げられていたのだが、きっと僕だけが見たことのない彼女の所作に対して日常を失った気分になっていた。
――陽子は純粋だよ。
僕が思ってるよりもずっと純粋だと古川は言っていた。
でも正直、だからなんだよって思ってる自分がいる。勝手に人のことをくっつけようとして、勝手に遠ざけて、勝手に好きでもない人に頭を撫でられて……。まあ、全部陽子の勝手なんだけど。
授業が終わってすぐ、陽子の背中に話しかけた。
「おはよう」
「うわあああっ」
陽子は蛇にでも噛まれたかのように奇声をあげながら椅子から崩れ落ちた。嫌な視線が僕たちに集まった。
「驚きすぎだろ」
「い、いきなり、声かけないでなのだよ」
「……悪い」
陽子がはっとしたように表情を切り替えて、僕のことを睨みつけた。彼女はもしかしたら、僕よりもずっと不器用なやつかもしれない。
「それで、なんの用なのだ」
「いや、用はとくにないけど」
「用がないなら声かけないで欲しいのだ」
ぷんすか怒りながら陽子は乱雑に椅子に座りなおし、僕から遠ざかるように机に身を引き寄せる。背中には“もう話し掛けないでよね”と書いてあるような気がした。ちょっと僕は苛立ってきたのかもしれない。
「学校休んでるのにバイト行くなよ」
「関係ないのだ」
「悪いやつと付き合ってんじゃんかよ。電車に一緒に乗ってるの見たぞ」
「それも、関係ないのだ」
断固としてこちらを振り返らない陽子。絶対に僕のほうを向かないんだという強い意志を感じた。
「迷惑なんだよ勝手に抜けてふたりきりにされても。僕らをくっつけるとかそういうのマジでいらないから」
「なんのことなのだ。そっちはそっちで仲良くしたらいいのだ」
「仲良くしないよ」
「はあ?」
「できるわけないじゃん」
少し間ができる。陽子のうしろ姿が若干、こちらに開きそうになる。
「なんでなのだ?」
「……そもそも、僕とは種類が違う人間だ」教室のなかだから直接的な言葉は避けた。「それにそもそも期限があるじゃないか」
「期限なんて関係ないもんだ」
「あるだろ。期限が来たら終わりだ」
むしろ期限なんか待たずにもう飲んでやろうって思ってる。
「ないもん」
「あるだろ」
「ない」
「ある」
「ないっていったらない!」
怒りに任せたように振り向いた陽子の顔は、悔しさを堪えるように歪んで震えていた。「期限の問題じゃないって教えてくれたの成瀬くんじゃんか」
「え?」
果たして。
陽子はぷいっと前を向きなおして吐き捨てるように言う。
「とにかくわたしのことはもういいのだ」
「……」
ため息が漏れる。もうなんだか、訳が分からなくなってきた。
「あいつのこと、本当に好きなのか」
「……そうなのだ」
「好き、なのか?」
「好きなのだ。意外といい人なのだよ」
陽子は穏やかな口調でそう言った。
「そうか」
僕はそこから立ち去らざるを得なく、教室を抜けだした。陽子のいう“好きなのだ”が純度100パーセントの好きでないことは分かっていても、それでも彼女の口から好きという言葉が出たことが、僕にとってはそれなりに受け入れ難いというか、それなりに聞き入れ難かった。
そして“意外にいい人”だと彼女は言った。それもまんざらでもない声色で。
前提として古川と僕の関係発展のためという目的があり、そのために嫌々関わっているのだと僕は思っていた。だから好きでもない相沢に頭だって撫でられるし幸せそうな笑顔だって見せる。相沢という人間に利用されるふりをして実は彼女は己の目的を遂行しているだけだと。
しかし考えてみれば、陽子はそんな器用な真似ができる人間だろうか――。
頭がくらくらして倒れそうになった。
彼女ははっきりと嬉しそうな口調で「意外といい人なのだよ」と言ったのだ。
じゃあその言葉を本心じゃないと決めつけられる根拠が、一体どこに存在するというんだろう。たとえ古川と僕をくっつける目的はあったとしても、彼に対する好意的な感情は陽子の本心からくるものじゃないだろうか。
「はあ……」
――余計なこと愛莉にしたら殺すからな。
極限まで色を抜いたような尖った金髪に捕食者のような鋭い目つき。大きな体でこちらに詰め寄って、大きな手のひらで僕のあごを鷲摑みにした。悔しかったけど怖かった。絶対に相手にしちゃいけない部類のタイプだと思った。
――意外といい人なのだよ。
どこがいい人なんだよ陽子。教えてくれ。便器にもたれかかるように座って天を仰ぐ。立ち上がる気力がもうどこからも沸いてくる気がしない。僕という人間は本当どこまで馬鹿なら気が済むんだろう。自分から聞いたくせに勝手に落ち込んで、ひとり漫画みたいにオチを作って本当馬鹿みたいだ。
はやく、学校よ終わってくれ。そうやって僕はトイレの個室の中で呟いたが、そうやって願えば願うほどその通りにはならない。学校にいる時間はより長く感じる一方だし、穏やかには過ぎ去ってくれないのだ。




