第29話 三人の仲はもう終わり
急ぎ足で駅に向かっている間、一体どうして僕はこんなにもアクティブに陽子のことを追いかけられているんだろうかと疑問に思った。だって、これまで古川だけでなくもちろん陽子とも、親密になることはできるだけ避けてきたはずだ。
自分から追いかけたり信じたりした結果裏切られてしまうことが恐ろしくて、だからこそ一線を引いてきたつもりだし苦しい思いだってしてきたのだ。
それなのに僕はいま、僕のことを拒絶した相手のことを追いかけてバイト先にまで行こうとしている。
客観的に見て、自分の行動が理解不能だった。
冷たくあしらわれるのは嫌だけど、不思議と怖いという感情はなかった。むしろこの胸の中に溜まり続けるモヤモヤをそのままにしておくことのほうが今の僕には耐えられなかったのかもしれない。
駅ビルを出ると、むわっと熱帯雨林のような暑苦しさを全身に襲い掛かる。改札を抜けて地下のホームへと下る。適当な乗車位置に並ぶ頃には、冷たかった滴は魔法が解かれたかのようにただのじっとりした生ぬるい汗に戻ってしまった。それからホームに滑り込んできた電車に乗って、端っこの席に座って、やがて僕の家の最寄り駅も通り過ぎていった。
途中、急行との待ち合わせ駅で人がごっそりと降りていった。たちまち人がまばらとなった車内で、何気なく僕は“その”方向を見た。
立っている乗客が居なくなったせいもあり、連結部を挟んだ隣りの車両まで非常によく見渡せた。
そして、僕は残酷なその光景を目にしてしまったのだ。
制服姿の陽子と、相沢。隣同士に座って笑顔で言葉を交わすふたり。
すべての神経が引き裂かれながら、強烈な磁石によって引き寄せられたかのように、そこで止まってしまった。
ふたりの距離は近い。下手したらおしりとおしりがくっついているくらいに。陽子が歯を見せた笑みでなにかを喋って、相沢は手を叩いて笑う。それから彼は陽子の肩に手を回して、その手で頭を撫で――。
弾かれたように僕は反対側の車両を見た。
心拍数がどっと上がって、手足がガクガクと震えはじめていた。次の駅で転げ落ちるように電車を降り、ベンチへ崩れ落ちるように座り込んだ。
回された太めの腕と頭を撫でる大きな手、砕けた表情で彼を見つめる陽子に、それを見下ろすどこか切れ味の鋭い微笑。夢か嘘かのどっちかを疑ってみたけどそんな訳がない。思考はすぐに現実と認識して僕はもっと深く胸を抉られた。
嘘だろ、陽子。
何で相沢なんだよ。
――普通にお前気持ちわりいな。
うるせえよ馬鹿。クソやろう。なんでいっつもお前が居るんだよ。
陽子は本気で相沢のことが好きになったのだろうか。本当に? どうして1日で? それとも前から?
僕はベンチにもたれかかりながら、蒸し暑さも喉の渇きも忘れて、ただただ呆然としながら数えきれないほどの電車を見送った。その間、何度も頭のなかに相沢に手を回される陽子が浮かんできて、その都度僕はふるい落とした。
考えたくもないのに気付けば脳は勝手に謎解きゲームを始めている。いくら考えたところで相沢に頭を撫でられて笑顔を浮かべていた事実は変わらないのに。
駅員が怪訝そうな目をこちらに向け、何度か僕の前を通り過ぎる。さすがに長居しすぎたのかもしれない。僕は重たい腰を上げ、帰路についた。駅の外はもう夜が訪れていて、ホームには薄明るい電気が灯っていた。
そもそも、なんで僕はこんな執拗に陽子のことを追いかけていたのだろうか。この歪んだ対人感情を抱えた僕が、一体何を根拠に、何を心の支えにして、カウンターを恐れずに彼女のことを追いかけられたというのだ。
きっとそこには明確な理由があるはずだし、それを知ることさえできれば僕は自分の行動に納得することができるんだと思う。だが、もう思い出せないのだ。古川との電話を終えて急ぎ足で陽子のバイト先に向かった時の自分が、まるで他人の行動を回想しているような感覚でしかない。
でも、それでいいと思った。
どんな理由であれ、正直、相沢と親密になってしまった陽子のことを好きになれる気はしない。考えてみればあと1週間なんだ。あと1週間経てば僕は彼女への恋心など遥か彼方に忘れ、これまでと何ら変わらない退屈で安定した人生が待っている。
そういえば、まだ忘れ薬を飲んでいない。閃いた頭のなかに光が差しこんだ。忘れ薬を飲んだらいいじゃないか。もともと好き薬の飲み間違いで始まった恋。この思いに真摯に向き合う必要などそもそも初めから無かったのだ。
それでついでに古川のラインもブロックして1週間ほど学校を休もう。そうすれば古川のこちらに対する恋心も綺麗さっぱり消えるから、いよいよ僕はこれまでの居心地が良い場所に帰ることができる。こんなことなら最初からそうやればよかったんだ。
最寄り駅について、僕は時折走りながら自宅までの道を急いだ。夜空は高度が下がるにつれて濃紺に色を変え、昼の面影を薄っすらと感じさせた。そのせいか緩やかに吹いている風も生ぬるいままで、むしろ強烈な日差しがなくなったぶん不快な感触だけが残っていた。
しかし気分が良い。ようやく煩わしさから解放されるのかと思うと、スキップでもしてやりたい気分だ。さて、まずはラインのブロックからやろう。ふたりのラインをブロックしてもう一切連絡を取れないようにしてしまおう。
それが済んでから落ち着いて忘れ薬を飲むのだ。あとはしばらく休んでほとぼりが冷めた頃に学校へ顔を出せばいい。もうその頃には僕を気にかける人間はひとりも居ないのだから。
何て最高なシナリオ。久しぶりにテンションが上がる。やっぱり人間、慣れ親しんだ場所が最も良いに決まってるのだ。
家に着いた僕は、手も洗わずに自分の部屋へ急いで、学習机の引き出しから忘れ薬の入った包装ケースを取りだした。飲み間違えてしまったせいで右側の『PEA045』という忘れ薬の印字は綺麗に残っている。その印字を押し潰しそうとした瞬間、その包装が破けるより先に僕は思い出した。
まずはラインのブロックからだった。
≪ライン≫と打ってスペースを開けると予測変換に≪ライン ブロック≫と出てきた。なんとなく納得してしまう。そりゃあ皆、ひとりやふたりくらい連絡を遮断したい相手ぐらいいる。僕のように“友だち”の全てではないにしても。
とりあえずひとつ目に表示されたサイトでブロックを仕方を確認する。やり方は思っていたよりずっとシンプルだった。
タブを閉じて、ラインを開く。まずは古川からいこう。調べた通りに彼女のアイコンを選択してさらにもう1度タップ、するとブロックの文字が見えた。
これで終わりだ。
古川、ありがとう。ごめん。
私は成瀬が好きだよ――据わった目でそう言った彼女。
仄かに香ったシャンプーの匂いに、鼻先まで迫った古川から感じる体温。意思を持ったようにぎゅっと絡みついていた、柔らかくてほんのり冷たい指……。
胸が引き裂かれるような思いだった。
僕が僕でなければ、素晴らしい青春になるはずだった。
ひとつ深呼吸を入れて、僕はその文字へ指を当てる。
「うわあっ!」その瞬間、着信を知らせるメロディが鳴った。
……しかも古川からだった。
スマホは手指のうえで横たわりながら、早く出ろよと言わんばかりに小刻みな振動を続けている。
「……もしもし」
「成瀬?」
僕が無言で続きを待っていると、彼女は端的に用件を言った。
「今から会って話したい……言ってなかったことがあるから」
「……分かった」
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