第26話 電話を待つあいだ
月曜日の朝、体温は平熱に戻ったが気怠いままだったので学校は休んだ。
エアコンは三日三晩つけっぱなしだ。今日も窓の向こうには抜けるような青い空と目が焼けるほどの強い太陽がみえる。ひょっとしたら今、外はとんでもないぐらい暑くなっているんじゃないだろうか。
≪ねえ風邪なのだ? 大丈夫?≫
時間的にちょうど1時間目が始まったあたりだった。
ちゃんと授業受けろよ、と小さくつぶやいた。返信はしないでスマホをベッドに放り投げる。そして僕は2日ぶりのシャワーを浴びて、もう何週間かぶりの読書をする。本の手触りと活字を追う感覚が懐かしい。
これでようやく、今日こそは呪縛から解放されるような気がした。
しかし間が悪い。
陽子から追撃のラインが入る。
≪もしかして大丈夫じゃないのか?≫
無視する。再び机に戻って本を開く。
ところがまた通知が鳴る。
≪今からポカリ買って持っていくのだ!≫
僕は大慌てで返信をした。
≪こないで≫連投する。≪平気だから≫
≪生きてたのか!≫
スマホを再びベッドに放り投げて、僕自身もベッドに寝っ転がった。もう本を読む気がなくなった。陽子のせいだ。現実逃避すらできないなんて、まったくどこまであほなんだお前。
ああ、明日も学校に行きたくない!
ああ、古川にも陽子にももう会いたくない!
しかし一体いつまで僕はこんなことを続けていくんだろう。先のことは分からないけれどきっとまだまだ人生は続いていく。そのなかで人を好きになったり親密になったりする機会はきっと訪れるだろう。
そしたら、また僕はこうやって逃げて、何をする訳でもなくただただ状況を嘆くことしかしないのか。
きっと、好き薬だけのせいじゃない。古川が僕のことを薬とか関係なしに好いていたとしても、同じようなことになっていたと思う。勝手に相手に期待して、勝手に裏切られることを想像して、勝手に敵に泣かされて、僕に彼女は合わないんだって勝手にフェードアウトしてしまって……そして現実を悲観するんだ。
もう僕も17歳だ。劇的な変化なんて訪れないことは良く分かっている。それが人の内面に関することならば尚更だ。
「はあ……」
じゃあ、どうすれば――。
思考は巡っていかずにすぐ止まった。
ははっ。馬鹿みたいだ。ほんとにもう呆れるわ。今さらになって自分に問いたところで答えなんて出てくるはずがないだろうに。算数の計算問題じゃないんだ。ちょっと考えて分かることなら何でこれまで解決しなかったんだ。
僕は身支度を整えてから炎天のなか散歩に出かけた。答えが出ないことを分かってるのに考えることを止められない。だったら疲れ果てて忘れさせるしかない。こんな強硬策しか頭が弱い僕には考えつかないのだ。
しかし日差しは、想像よりもずっと暴力的だった。やっぱりここ数日で暑さは一層増したかもしれない。それでもこれ以上ベッドの上で答えのない悩みに嘆いているよりかはずっとずっとマシだ。僕は敢えて日陰を避けて、脳天に日差しを浴びながら汗を垂れ流して歩き続けた。
ずっと歩いていたい。なんなら足が動かなくなるまで歩いていたい。嘘ですやっぱりもう歩きたくないですって言えるぐらいうんざりするまで歩きたい。もうエアコンの効いた室内のベッドなんてこりごりだ。
そして結局僕が家に帰ってきたのは3時間以上たった頃だった。隣りの隣りの駅から知らない住宅地を巡って家に戻って来た。別に歩くのが嫌になったわけではない。途中で汗の出が悪くなってきて、財布を持ってきていない僕はちょっと命の危機を感じはじめたからだ。
台所で水道水を2杯、3杯と飲んで部屋に戻ると、キンキンに冷えた部屋が僕を出迎えた。大の字になってダイブすると、想像以上に冷たい布団にびっくりした。まさにカチンコチン。僕は冷えた薄い掛布団を抱きしめて、愛犬とじゃれるように冷たい布団をかわいがった。絵面はだいぶ気持ちが悪いかもしれない。
しかしせっかくの冷やし布団も、少しの間寝そべっていると段々寝心地が悪くなってくるのだ。36度の巨大湯たんぽを置いているようなものだから、ぬるくなってしまうのも仕方ないのか。
でもさすがに強烈な炎天下での散歩(3時間)はこの貧弱な体に相当効いたようで、ふっと風が連れてきたかのように眠気が瞼にのしかかった。布団が沈んでいって、頭のなか半分が夢の世界にを浸かった。その時、スマホの通知音が僕を現実に連れ戻した。
ラインの送り主はまたもや陽子だった。いい加減にしてくれ。
≪生きてたのか!≫に続いて≪成瀬くん、ちょっといいのだ?≫と連なっている。無視しようかとも思ったけど、また連投されるような気がして渋々返した。
≪なんだよ≫
≪風邪ひいてるとこごめんなのだけど、今日電話したいのだ≫
≪なんで?≫
≪色々あるのだ≫
思考を巡らせてみるが、分かりやすい答えは当然転がってない。 返信に悩んでいると彼女は待てないのかメッセージを重ねてきた。
≪夜かけるね≫
スマホを閉じた。なんとなく遠ざけたくて、腕をいっぱいに伸ばしてスマホを床の上に置いた。「今日電話したいのだ」なんてどこか陽子らしくない気がする。陽子のことだから本当に用があるなら許可を取らずに掛けてくるだろう。しかも「風邪を引いているとこごめんなのだけど」と来た。
風邪を引いて休んでいる相手にしょうもない理由で電話を掛けるほど、陽子はズレていないと思うし、そこまでして伝えたい用件が僕と陽子の間にあるとも思えない。一体何の用だろうか。ほんの僅かだけれど、嫌な予感が胸を渦巻いていた。
この瞬間から時間の経過が一気に遅くなったことは言うまでもない。“夜かけるね”とはなんて抽象的で人のことを振り回す言葉なんだろうか。夜って何時だ。18時か、20時か、24時か、2時か3時か? 人間、何かを待っているときの時間は果てしなく長く感じるものだ。それが好きな異性からの電話なら尚更。
僕は意味もないのに彼女が電話をしてきそうな事柄を一生懸命に考えていた。当然のようにもっともらしい説は出てこないのだが。
日が陰りだしてから、時間感覚のずれは一層顕著になった。
ちょっとの振動でもバイブレーションだと勘違いしてしまうから、マナーモードを解除して音量をマックスに設定した。いつでも電話に出られる態勢を整えておいて、読書やネットサーフィン、ごろ寝などの音を出さないことをして過ごした。
しかし、7時になっても8時になっても電話はない。バイトかもしれないと思い待ち続けたが9時になっても10時になっても来なかった。こちらから掛けようかとも思ったが、彼女が何を話そうとしているのかを知らないまま電話をかけることが、僕にはとても度胸のいることだった。
そして11時になり0時になり1時になり、それからしばらくして僕は眠った。
結局陽子から電話が来ることは無かった。
それどころか、朝起きてスマホを確認したところ、彼女は僕たちとのグループラインから退会していた。
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