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第25話 普通にお前気持ちわりぃな



「集合」


 なんだろう、このタイミングは。

 ホームルームが終わって帰り支度をしているとき、金髪でハリネズミのような髪型をした男子に声を掛けられた。背の高い彼はこちらを蟻のように見下ろして、今にも食ってかかりそうな高圧的な表情を浮かべていた。


 僕は大人しく、教室じゅうの注目が集まるなか踵を返した相沢のあとを付いて歩いた。幸いにも陽子はもう教室を出ていった後で、廊下を歩いているときに古川とも鉢合わせることはなかった。十中八九、古川のことだろうと思っていた。


 だから、もうどうにでもなれとしか思わない。

 殴るなら思い切り殴ってくれればいい、強がりとかではなく本気でそう思っていた。


「お前、愛莉と選択授業一緒なの」


 男子トイレで壁際まで追い詰められた僕に向かって、彼は静かに言った。そして僕は内心、しまったと焦っていた。あの“キス未遂”を見られていたんじゃないかって。


「……一緒だけど、何」


「クソする時って階ずらすじゃん?」


 なんの話かと思ったがどうやら言葉通り、大便をする時に階を移動してトイレに行くという意味だった。


「そんで上のトイレでクソして降りようと思ったら愛莉いるじゃん。声掛けようと思ったらお前がいんの」


「……それで、ど、どうしたの」


「愛莉がやけにキレてっから俺いこうと思った訳よ。お前のことぶっ飛ばそうって。でもよく顔見たらさ、なんつーかお前らがただのカンケーには見えなくなってきてさ。そんで今」


 とりあえず肝心なところは見られていないようだった。安心でため息がこぼれ出そうになった。


「お前ら付き合ってるとかねーよな」


「付き合ってるなんてそんな」


 力を込めて首を横に振る。何故その組み合わせで成り立つと思ったんだろう。


「だよな。んなワケねーよな」


「うん」


 んなワケがない。


「どういうカンケーなんだよ?」


「え」


「だから、どういうカンケーなんだよ」


 一瞬、言葉に詰まってしまう。そして何も言えなくなった僕を彼は許さなかった。


「言葉濁すんじゃねーぞ?」


「……ともだち」


「あ?」 


 ともだちだぁ? と相沢は睨みつけた。まるで僕が嘘をついていると決めつけているようなそんな目つきだった。まあ、嘘をついているんだけれど。


「……本当だよ」


 僕が言い終えると、彼は


「セックスは?」


 絶句した。


 しばらく経っても彼の言っていることが理解できなかった。


「なんだ怪しいなテメー」


「や、やってないよそんなこと……」


「本当か」


「うん」


 セックスだなんて、僕にできるはずがないだろう。キスをするかしないかでもこんなにも動揺して疲弊しているのに。でも“こういう人”にとってみたらキスなんてものは朝飯前ぐらいな感覚なのかもしれない。


 ふと、淫らな古川が浮かんできてすごく嫌な気分になった。僕は彼女のことを“こういう人”としてカウントしてしまっている。


 相沢は相変わらず捕食者のような鋭い目つきで僕の全身をなめまわすように見て、それで顔に戻ってきたところで言った。


「てか、普通にお前気持ちわりぃな」


「うん」


「さすがに愛莉もこんな奴は相手しないか」


 相沢がははっ、と白い歯を見せる。笑っても捕食者の目は変わらない。

 そうだ、僕はこんな奴なんだ。古川、ごめん。


「……もういいかな」


「ああ、いいよ。じゃあな」


 軽く頭を下げながら足早に去る。何故だか涙がこみ上げてきていた。だから一刻も早くこの場所を去りたかったのに、


「あ、ちょっと待って」


「……何」


 彼は長身を生かした大股でこちらに詰め寄って、大きな手のひらで僕のあごと頬をいっぺんに掴み上げた。うしろにのけ反りそうになる僕にこういった。


「一応言っとく。余計なこと愛莉にしたら殺すからな」


「うっ……」


「返事ぃ!」


「……はい」


 大きな手から解放された僕は、今度は逆に相沢を見送った。それから個室に入って小さな手のひらでこぼれ落ちてくる涙をぬぐった。とめどなく出てくる涙の理由が自分でも、まるで分からなかった。


 相沢に呼ばれた時、僕はたしか『どうにでもなれ』と思っていた。殴りたいならどうぞ殴ってくれと。「ふふ……」苦笑が漏れた。いくら自棄になっていたとはいえよくもまあそんな強気なことが言えたものだ。


 顔を掴まれただけでこんなに泣いてるのに。

 弱いなあ。カッコ悪いなあ。

 情けないなあ。


「ははは……」


 久しぶりに流れる涙は、蓋の仕方を忘れてしまったみたいにしばらくの間止まらなかった。



******



 土曜日の朝、なんとなく気怠くて体温を計ったら微熱が出ていた。

 風邪だろう。身体が重たくて、全身に菌が巡っている感覚がある。


 部屋から窓の外を見てみると、雲ひとつない晴天が広がっていた。太陽はまるでこの世界すべてを照らしているかのように凄まじい光を下界に放射していて、いつも変わらずそこに立っている木が光沢のある緑色に輝いていた。あと1週間もすればあの木は蝉でいっぱいになるんだろう。


 むしろ蝉がまだいないのが不思議に思える、そんな夏らしい外の景色だった。


 エアコンがガンガン効いた冷たい部屋で、薄い掛布団をかけて横になる。スマホの通知はなし。こんないい天気の日は陽子から連絡が届きそうだと思ったが、彼女はこの土日どちらも通しでバイトだった。


 助かったような気がする。昨日の今日で、まだ誰とも関われる状態じゃない。前向きになれる気がしないのだけれどもしもこのままフェードアウトしてしまうのであればそれでもいいかな、って思う。誰かと親密に関わるには僕はちょっと弱すぎるから。


 お昼のチャイムと夕方のチャイムを両方聞いて、それからあっという間に空には月が現れて、夜は着々と深まりを見せていってとうとう日付けが変わってしまう。昼間寝すぎた僕はなかなか寝付けず、夜は底を抜けて今度は太陽が昇りはじめた。夏の夜明けは早いんだった。


 そしていつの間にか眠りについた僕は、電話の着信音で目を覚ました。


「もしもし?」


「……もしもし」


「あれ? もしかして寝起き?」


 古川はそう言って笑った。僕の声は寝起きのせいか風邪のせいかガラガラだった。


「あのさ、成瀬、いま何してる?」


「寝て起きたとこ」


「寝起きのところ悪いんだけどちょっと会えたりしない?」


 状況がよく分からない。というか、まず今何時だろう。陽子はそこに居るんだろうか。というか何曜日だっけ。


「ごめん。いま何曜日?」


「は? 日曜日だよどうしたの」


「じゃあ、何時?」


「んっとね……6時23分」


 朝? かと思ったけどそんな訳はない。夕方だ。どこかでカモメの水兵さんのメロディが聞こえる。


「それで、出てこれる? 私、そっちのほう行くからさ」


「なんっ……」なんで? と聞こうと思った口が止まった。


「えっ?」


 それから少し悩んで僕はこう答えた。


「ごめん、風邪ひいてるんだ」


 それを聞いた彼女は、申し訳なさそうに電話したことすらも詫びて、お大事にと優しくいって電話を切った。


 それからラインまでよこして。


≪お大事に! 明日も無理しないで休んでね!≫


 風邪を引いているのは嘘じゃないのに、変な罪悪感が胸を巻いていた。

 スマホを投げ捨てて大の字になって寝転んだ。一体、なにが無理をしないという状態になるんだろう。薄暗くなった灰白色の天井を見つめながら僕は苦笑する。ただの定例句にいちいち突っかかっている僕はだいぶキテいるのかもしれない。


 なんで古川は電話してきたんだろう。こっちのほうに来てまでも僕と会おうとしたんだろう。相沢の言葉が脳内でリピートされている。「さすがに愛莉もこんな奴は相手しないか」


 そう、僕はこんな奴なのだ。なのに、古川は、誰からも好かれて友達も多くて男子からも人気があって話も面白くてみんなを笑顔にできる、そんな彼女がどうしてこんな奴と。そりゃあ相沢だってそう思うだろう。


 ――真実なんていっこあれば十分だよ。


 その真実とやらに一瞬でも縋ろうとしてしまっていた自分は、もう遥か昔の出来事になってしまったかのように思い出せず、そこに痛みだけが残っていた。




 熱を測ってみるが昨日と変わらない。それでいて体調も横ばい。しばらくこの状態が続くのだと思うと心底辟易した。



******



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