第23話 割り切っている“好き”
好きなのに好きだと言えないことがつらい。
好きな気持ちに素直に従うことができないことがつらい。
いっそのこと離れられれば全てが解決するのに、それができないことがつらい。
≪放課後は選択教室でよろしく≫
授業中、グループラインが鳴る。
陽子の連勤明けである今日、みんなで遊ぶ約束をしていた。だが外はあいにくの雨。登校した時点で靴下までぐっしょりと濡れてしまうほどの、かなり強めの雨だった。僕は適当に≪わかった≫と返したが陽子は無反応だ。
スマホから目を離して陽子を見る。
それもそのはずで、彼女はスライムのように机にへばりついて眠っていた。
はあ、うっかり大きなため息が漏れてしまい、隣りの席の女子がおそらく非難であろう視線を向けてきた。だから、僕も陽子のようにスライムのように机へへばりついてみた。大丈夫だ、今教壇に立っている教員は生徒の言動行動に無関心で有名だから。
学年で最も有名な不良の相沢と、学年で最も可愛いで有名な古川のふたりを思い出す。休み時間の終わった食堂で、授業に遅れることになんの躊躇いもない具合で、楽しそうに喋っているふたりだった。
そのツーショットにショックだったのが本音だ。でも、まったく可笑しい組み合わせではないことが現実である。彼女は「あんな奴」とこき下ろしていたけれど、ふたりを乗せたシーソーは見事に足をつけないでバランスを保っている。
空まで届く勢いで浮きまくって慌てふためいている僕とは大違いだ。
そういう意味でも古川は“こんな人”に恋をするとは思わなかったんだろう。
そして彼女の本来の定位置は“こちら”ではなく“あちら”なのだ。
写真を眺めながら薬を飲めばその人のことが好きになれるなんて素晴らしい世の中だ。
そりゃあ、普段好きになれないタイプだって好きになれるだろうし、好きな気持ちにも割り切って受け入れられるだろう。僕だってもう少し器用な人間ならば、薬で好きになった陽子のことをもう少し割り切って考えられたはずだ。
割り切らなければだめなのだ。
古川のことも、そして陽子のことだって。
だって当の本人の古川だってそのへん割り切って僕に恋をしているだろうから。
放課後が訪れて、約束通り僕たちは選択教室で会った。
雨のにおいが漂った誰もいない選択の教室と、古川だけじゃなく陽子も一緒に居ることが絶妙な塩梅で混ざり合って、新鮮なのにどこか切ない空気で満ちていた。他愛もない話が9割9分だけど、僕は花火の時のように一生懸命笑顔をつくって――傍から見たら微笑レベルかもしれないが――相槌を打った。
何度か教員が訪れて「早く帰りなさい」と定例文のように声を掛けられ、都度僕たちは空返事で返した。そのうち一人の教員が古川の担任であったが、彼はこの異端な組み合わせにびっくりした顔をしながらも、それに言及することはしなかった。
僕は途中、何度も帰りたいと思った。でも体は一切動かなかった。まるで朝目覚めたときに起きたいのに体が起きてくれないときのように。一生懸命理由を付けてこの場から離れようと頭で考えているのに、ドーパミンがすっかり全身を支配してしまって、体は乗っ取られてしまったみたいだった。
そのうち吹奏楽部の練習の音も、遠くの廊下で聞こえていた女子のはしゃぎ声も、まるでなかったかのように消えてしまい、帰るタイミングを失った僕たちだけが校舎に残ってしまったかもしれなかった。
******
打って変わって雲ひとつない晴天の今日、昼休みの中庭にはいつものバスケットボールをする男女グループが帰ってきた。相変わらず声を張り上げながら、男子がちょっとだけ女子には遠慮しながらもみんなで真剣勝負を楽しんでいる。
こうも毎度彼らのプレイを眺めていると、だんだん誰が一番うまくて下手なのかが分かってくる。坊主頭がかなり上手い。多分バスケ部なんだろうと思う。
カラッとした空気にふぅ、とため息を落とす。時計を見ようと振り返ってみると昨夜とまるで景色の変わった選択教室が視界に広がった。蓋をしたように薄暗くて、雨のにおいが立ち込めていて、そして古川と陽子と僕が三人そろっていた、そんな昨日の教室とはまるで違う光が差した真昼間の教室。昨日のことなのになんでこんなに懐かしいんだろうと思う。
今日は金曜日。このあと選択授業で古川に顔を合わせると思うと、今まではなかった変な緊張感が心に表れてきた。これまで事あるごとに『どうせ裏切られるんだから信じるなよ』と引き締めてきた訳だが、今回はそういった緊張感ではない。
僕のなかで何かが本質的に変わりはじめていて、それが果たして良いことなのか悪いことなのか、これまで通りの現実逃避なのかはたまた現実主義なのか、受け入れるべきなのか受け入れないべきなのかはまったく分からない。
居ても立ってもいられなくなってきて、1階の食堂に向かった。まだ昼休みはわずかに残っている。甘めの缶コーヒーでも飲んで、もしまだ菓子パンあたりが残っているのなら食べて、糖分をたくさん蓄えて胸に絡まった刺激を中和させよう。
と、思ったのだが。
食堂に入ってすぐ、古川のうしろ姿を見つけた。隣りには今日もハリネズミみたいな金髪をした男子――相沢がいた。胸に大きな注射針が刺さった僕は咄嗟の痛みに耐えきれず食堂を飛び出した。
――ただの知り合いだよ。
もしも彼がただの知り合いなら、彼女の腕を握ったりなんかしない。
やっぱり古川と相沢は“ただの”関係ではない。
友達かもしくはそれ以上で、少なくとも僕なんかよりはずっとずっと発展した間柄。ともに授業をさぼっててまで話し込んだり、高校生の分際でボディタッチをしたりする関係性。そりゃあそうだ、だって古川は誰もがその存在を認める、所謂“陽キャ”という種類の人間なのだから。
そう、彼女は本来“あちら”がわの人なのだ。そして好き薬は普段好きになれない人を好きになれる。
ふう……と軽くため息を吐いて、僕は選択教室に戻ることにした。
瞬間的な痛みは強かったけど、思っていたよりも微妙に平気で、そんな自分が不思議だった。なんか前よりもふたりの姿がすっと腹の中に落ちていく。もちろん飲み込みたくないことに変わりはないのだけれど。
「なんか久しぶり」
座って授業が始まるのを待っていると、遅れて古川がやって来た。昨日見たばかりのくしゃっとした胸が弾けるような笑顔がそこある。たとえ相沢という男と親交が深くとも、少なくとも僕といる時は僕のことをまっすくぐ見てくれている。
笑いかけてくれる古川に、僕の心臓はまるで薬物を注入したかのようにほろほろに溶けていく。別に、それだけで十分じゃないか。そう思った。
「昨日会ったじゃないか」
「でも選択授業って久しぶりな感じしない?」
「そうかな」
雑談も程々にしたところで、教員がやって来て、午後の授業が始まった。……できることならもう少し話していたかった。何せもう古川がちゃんと僕に笑顔を向けて話してくれるのも、残り2週間を切ってしまっているのだから。
妙に素直になってしまった自分が可笑しくて、僕は笑った。
そして、そんな失態に対して古川のアンテナはいっつも鋭いのだ。
「何にやけてんの」
茶化すような忍び声。口に手をあてて瞳はこちらに対する好奇心で輝いている。
「にやけてないから」
「えーめっちゃにやけてんだけどウケる」
「思い出し笑いだよ」
心臓がどきどきと熱い血液をたくさん送り出している。でも時どきその血液には鋭利なものが混じっていて、内側から僕の心を傷つける。こんなにときめいたところで何になるんだ、所詮終わりが見えている見せかけの幸福じゃないか、と。
どうせなら、期限が切れると同時に僕はサヨナラしたい。この学校からもしょうもないコンプレックスからも生きづらい現実社会からも。
そうすれば夢を夢のままで終わらせられるから。
罪悪感を覚えることなく、幸せをバカ正直に認めることができるから。
「ねえ、聞いてもいい?」
手をメガホンのように丸めて、古川は言った。
「今日も成瀬逃げたでしょ」
「え、ああ……」
さっきの食堂での出来事だと分かった。
「あのさ、本当に私たちなんもないの」
「いや、別にいいよ」
「いや別にいいよじゃなくて、別に良くないから逃げたんでしょ」
「ちがう」
「とにかく、まじであんなのと仲良いとか思わないでよね」
何を言っているんだ。しっかりと腕を握られていたくせに。まさか僕がそれに気が付いていないとでも思っているんだろうか。仲が良くなければあんな距離感でボディタッチをするはずがないだろう。
「なんで嘘つくんだ」
「嘘じゃないよ」
「いや見え透いた嘘つくなよ」
「私言い寄られてるだけだもん」
「え?」
一瞬言葉を見失う。古川は眉間にぴくりとしわを寄せて軽くこちらをにらんでいる。
「別に私からアイツのところ行ってるわけじゃないんだから勘違いしないでよ」
「……つまり?」
「最近しつこいの。それに私の友達とも仲が良いから意外とかわすの難しいし」
喜びの感情が穴から勝手に這い出てきそうになるのを、憲兵がしっかりハンマーで叩きのめす。
「でも、ボディ……」
「ボディ? 何のこと?」
「いや……ボディブローって、効くらしいよ」
はあ? と少しばかりの嫌悪感を向ける古川。そしてため息とともに前を向きなおして黒板の字をノートに書きはじめる。黒板はいつの間にか白いチョークで書かれた字でいっぱいになっていて、とてもじゃないけど追いつけそうにない。
彼女が相沢のことを好いていないことは嬉しい事実のはずなのに、ちょっと頭が混乱している。授業が始まったときよりも今のほうがずっとメンタルに負荷がかかっている気がする。せっかく綺麗になった泥水を再びかき乱されたようなそんな気分。
「あいつ、結構悪いやつなんだよ」
ぽつりと古川が呟く。ノートに字を書きながら。
「なんとなく、分かるけど」
「そう……」彼女はペンを置いて話しだした。明らかにまだ書き写し終えてはないだろう。
「中学時代はかなりの不良でよその市からも喧嘩売られたりしてたんだって。それで中学生なのに暴走族? みたいなの参加したり暴行事件なんかも起こしたりしてとにかく悪かったらしい」
古川は続けて言った。
「それなのにひとり暮らしだよ?」
「ひとり暮らし?」
「親の方針らしいよ。そんな奴がひとり暮らしなんかしたら、溜まり場になるのに決まってんのにね。どうかしてる」
「ちょっと、住む世界が違うかな」
「でしょ」古川は不満で膨れた顔をこちらに向けて言った。「私があいつのこと好きじゃないの、これで分かったでしょ?」
僕はちょっとびっくりしながら、素直に首を縦に振った。
ふりだしに戻されたような気分だった。
「私が好きなのは成瀬だけだもん」古川は小声で言った。
「え」
「……」
ナルセだけだもん。
つまり、成瀬だけだもん。ってことでいいのか。
いや文脈的にナルセっていったらこの成瀬しかいないだろう。
「成瀬ってつまり?」
「成瀬は成瀬」
「それって」僕は自分を指差す「僕のこと?」
ふふっ。
古川が小さく吹きだして、それからふふふふふ……声を押し殺しながら、泣き出しそうな顔で笑い出す。情けなくて堪らないような呆れてどうしようもないような、そんな笑い方。前の席の男子が、隣りの席の女子が、何事かと振り向く。
「そんなことまで言わせる男子、初めてだよ」
「だって分かんないから」
「もういいよ。全然時間足りない。授業終わったらちょっと残って」
「……あ、うん」
泥水はもうぐっちゃぐちゃだった。
そしてずっとそこで待機していたかのように、ひょっこりと罪悪感メーターが発動していて、チチチと嵩が増していく。久しぶりのお出ましだった。そんなこといったって断れるわけがないだろう、と僕はそいつに文句を付けた。
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