第21話 夏らしいことをやろうよ
それで、夜の9時過ぎになり僕はまた学校の最寄り駅を訪れた。全然やりたくない花火をやるためだけに。なんだか忙しすぎるって、今日。いつの間にか見慣れてしまった夜のロータリーを抜けて、学校の方面に向かう。
足取りは酷く重かった。直線を引いたように真っすぐなバス通りを、綺麗に並んだ街灯が照らしていた。空は温度の高いミストで埋め尽くされたように、じっとりぼんやりしている。少し歩くともう首や胸に汗が噴き出してきて、改めて僕は思う。何故花火なんかが夏らしいことなんだろう。家でクーラーを効かせて映画を観ることのほうがよほど夏らしいじゃないか。
一応商店街と呼べるこの通学路では、両脇に並んだ小さな商店があらかたシャッターを下ろしていた。元々もうやっていないのか閉店時間を迎えたからなのかは、毎日ここを通っているくせに分からなかった。
でも等間隔の街灯が寂しい街並みを助長していて、思わず僕はこんな寂れた街に住んでいる人間なんているんだろうか、と考えてしまった。毎日通っているくせに。
「やっほ」
声の掛け方からして陽子だと思ったが、違った。
「あ、うん」
「陽子もう着いてるかな?」
「さあ」
私服、なのか。
街灯があっても暗い夜道では、彼女の純白のTシャツが輝いている。
「成瀬さ、別に断るなら断るでいいからね」
「なにが?」
突然何を言ってるんだろう、って思った。
「今日。一緒に帰ろってラインしたのに返信くれなかったじゃん」
「ああ、それ」
「ま、いいんだけど」
本当に、別にいいやと思ってそうなライトな口調で古川は言った。
「でも帰るなら本当に仲良い人たちと帰ればいいんじゃない?」
「どゆこと?」
「今日食堂で喋ってた人とか」
「……ん?」
古川は少しの間考え、それから静かにゆっくり声を出す。
「……もしかして相沢のこと?」
うん、とあごを引いた。
こんな僕でも相沢という名前は知っている。どれだけ日陰の中を生きていても不思議なことにヤンキーの情報は入ってくるもので、彼が学年イチのヤンキーであることも逆らったらとんでもないことになる人間であることも、僕はよく知っていた。
でもそんな彼と古川の仲が良いことは知らなかった。ともに授業をさぼってまで立ち話をする間柄だなんて知らなかった。
「あはははは」
古川は夜空に笑い声を響かせて、
「ちょっとやめてよあんな奴」といった。
「……」果たして。
「もしかして妬いてる?」
やいてるという事柄がどういうものなのか正直よく分からなかったが、なんとなくひどくみっともないものだということは分かった。
「そんなんじゃない」
「妬いてもいいよ」
「だから違うって言ってんだろ」
小さな十字路で曲がって一本裏の路地に入った。人の住まいだけが延々と続いた小さな路地には、さっきまでは辛うじて通っていた車やバイクも走ってない。互いの足音と息遣いだけが僕たちの空間を埋めていた。
「……相沢はただの知り合いだよ」
「あっそう」
「ただのね」
飽くまで“ただ”の関係であると強調しているようだった。そんなことを言われると“ただの”にどんな要素が入っているのか余計気になってしまう。古川は器用に見えて人の心理に関しては疎いのだろうか。
公園にたどり着くと、既に陽子は花火をベンチの上に並べて僕らを待っている様子だった。僕たちを見るや否や「おそいぞお」と文句を付けた。遅いのはそもそもだろう。
「ねえ、めっちゃ住宅街だけど大丈夫なのかな」
古川がもっともなことを言う。確かに言われて見ればここは閑静な住宅街。真夜中でもないのに人っ子ひとり歩いていない街でいきなり部外者が花火をぶっ放すなんて、いくらなんでも非常識が過ぎる。
「僕も思った。ちょっと静かすぎるよ」
「だよね」
「えええええ、じゃあどうするのだ?」
「移動しない? 確か向こう側にも公園あったと思うよ」
「わかったのだ」
陽子は渋々、でもない様子で広げた花火をビニールに戻している。それを手伝う古川。
ここ……本当にあの公園だろうか? なんて間抜けなことを思う。
古川とふたりきりで過ごしたときと、陽子とふたりきりで過ごしたとき、三人で揃って過ごしている今、公園の景色はまるで違う。街灯の位置とかベンチの大きさとか隣りに建つマンションとか、それぞれの姿形は同じなのに、角膜を入れ替えたようにこの場所の全体像が変わっていて同じ場所には思えなかった。
「成瀬くん」「成瀬」
「え?」はっとする。
「行くよ」
「ああ、悪い」
古川と陽子に続いて公園を出る。
甘い色をして肩までかかった髪と、暗闇に溶け込んでいるショートカットの黒髪。互いに蒸し暑さなんて忘れたかのように肩を寄せ、そして弾ませている。不思議な光景だと思った。古川も陽子もこちらのことが、その……今は好きでいてくれているわけで、そして僕自身もふたりのことが好きなんだ。そして、そんないびつな関係の僕たち三人がこうやって定期的に遊んでいる。僕がこれまで抱いてきた負の感情を一気に詰め込んだような空間に思えた。
僕たちは何がしたくて同じ時を過ごしているんだろう。
古川と陽子は、どんな未来に期待を寄せて過ごしているんだろう。
これから約2週間ほど先に、どんな結論が待っているのだろう。
やっぱりそれを考えるだけで気持ちはげんなりして、とてもじゃないけど期待に胸を膨らませることなんてできそうもない。僕はきっとふたりほど自分自身を信頼していないから。せめて無責任な形で物事を投げ出してしまわないように、一時の感情に支配されないよう必死に抗うことしかできない。
好きだよ――とラインで送ってくれた陽子。
この人を好きになってみたいと、好き薬を飲んでくれた古川。
どうしてこんな人間なんかのことを……申し訳なさや歯がゆさで自分の顔をボコボコに殴りたくなった。
「成瀬くんはどう思うのだ?」
「え」
古川が笑って振り返った。
「聞いてなかったでしょ」
何も言い返せなくて、そんな僕を見たふたりは顔を合わせ、大袈裟に笑った。何が面白いのかさっぱりだけど、嘲笑ではなくて普通に面白くて笑ってる。さっきまで近所迷惑を気にしていた割にはずいぶんとでかい声だ。
胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。笑っている古川と陽子が恨めしいし羨ましい。嫉妬と羨望の感情が胸の中で、まるで泥水のようにぐっちゃぐちゃにかき混ぜられている。普通に思う。友達とか欲しいなって、僕だってこんなふうに笑いたいなって。本当。
強烈な寂しさが襲っていた。もういよいよ本格的に重症になってきた。
2、30分ほど歩いてようやく汗だくになりながらそこそこ大きい公園に辿り着いた。入り口から見る感じは鬱蒼とした気味の悪い森なんだけど、中に入ると整備された歩道があって、途中水飲み場があったり、自動販売機があったりして、そこはよくある「ふれあいの森」的な公園だった。
僕たちは幾らか足を進めたところの池の前のベンチに腰を下ろすことにした。人の気配が一寸たりともしないのに、やけに白いLEDの街灯が等間隔に立っていて、真っ黒い池の水面にその光が目映く浮かんでいた。
飲み物を買おうということになり、ジャンケンで負けた人が自販機まで買いに行くことになったのだが、負けたのは僕だった。本音を言うと助かった。なるべくだったら三人でいたい、というか二人きりにはなりたくない。
なるべくゆっくり砂利を踏みしめて歩いた。でも着いてくれるなと思っているときほど、着くのは早い。僕は言われたとおりの飲み物を買い、それから踵を返すと、あっという間にふたりの待つ池に戻ってしまった。
ふたりは互いに向き合い、手に先っぽの折れた花火を持ちながら、声を殺すように笑っていた。
「ああ……ごめん成瀬、ありがとっ」
「あ、ありがとうなのだ」
コーラとアイスココアをそれぞれに渡し、ふたりとも収まらない笑いで手を震わせながらそれを受け取る。
「……楽しそうだな」
僕はそう言うのが精いっぱいだった。
それじゃあ始めようといって、古川も陽子もこれまで握っていた先の折れた花火を無慈悲に捨てて、新しい花火を手に取った。僕も倣って同じ類の花火を手に取る。陽子がコンビニのライターで僕から順番に火を点けた。
ぽっと灯った火は蝋のように滴り落ちて火薬に到達、何度か頼りなく火花を散らしたのち、息をし始めたかのように噴き出した。遅れて古川、そして陽子の花火も赤い火花が噴き出した。
「おおおキレ―イ!」
「うわあー」
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