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第20話 ヤンキー男子と彼女の間柄




 ぷす、とマチバリで刺されたような気分になる。なんだか陽子に引かれるといよいよ末期なんじゃないかって気に思えてくるのだ。大概の変人よりも彼女は変人なわけだし、それに彼女は僕が何をやっていても受け入れてくれるような気がしているから。


「……別にいいけど」


 顔を見ないよう、俯いて言った。


「やったあ。じゃあ決定なのだ」


 視界の端っこで影がはしゃいでいる。たぶん万歳をしているんだろう。タイルと睨めっこをしている僕だけれど、なんとなく陽子がどんな顔ではしゃいでいるのかが目に浮かんで見えた。何せ、彼女は、僕のことが……まあ、一応好きなわけだ。


 このままではまずいだろう。

 水銀の体温計のように罪悪感の値がどんどん上昇していっている。


「じゃあ今から愛莉ちゃんよぼっか」


「それはやめてくれ」


「えっ」


 陽子がびっくりした顔を浮かべるのも無理はない見事なまでの即答。正直、今この状態で古川までやってきたらもう僕の頭はオーバーヒートして動かなくなるだろう。


「……陽子が、陽子からラインか何かで言っといてくれ」


「あ、うん、いいのだよ」


「じゃあ僕はもう行くから」


 そう言って足早にこの薄暗い手洗い場から出ようとしたが、彼女はそれを予測していたかのようにこちらの手首をがっしり掴んでいた。


「成瀬くん、日にち決めないと」


「あーもう……」


 新鮮な野菜のように瑞々しい手が、僕の手首にだんだん溶け込んでいく。耳が、顔が、だんだん熱くなる。


「陽子が決めていいって」


「えー、そしたらあ、火、水、木……木曜日でどうなのだ? わたし今日からバイト三連ちゃんなのだ」


「いいけど……あれ、たしか」


「なになに?」


 明け方に暇で流し見ていたニュースを不意に思い出した。


「2、3日で台風来るんじゃなかったっけ」


「えええええ」


「じゃあやっぱり花火は中止ということでっ……うっ」


「――待つのだ」


 立ち去ろうと試みたが、握られた手は振りほどけなかった。もうすぐ休み時間終わるぞ、と言おうかと思ったけど、勝手口の向こうでは相変わらずこの炎天下のなかバスケットに勤しんでいる男女生徒がいた。毎日やってて飽きないのか。


「じゃあ今日の夜、バイトが終わったら」


「は?」


「昨日の公園で会おうなのだ」


「夜も夜じゃないかよ」


「花火といったら夜でしょお。とりあえず愛莉ちゃんには言っとくのだ」


「はあ……」


 ようやく陽子から解放されて、魂の抜けた足取りでトイレに向かっていたところ、予鈴のチャイムが鳴った。古川と選択教室で会っているときなら、ちょうど会話が温まってきたぐらいのところで、でも授業開始時刻はいよいよ迫っていて、毎秒の経過をひしひし感じながら言葉を交わしている頃だろう。


 ほんの一瞬、古川とさしで会いたいと思った。もしかしたら傷をつける側よりもつけられる側のほうが楽なんじゃないかって。それならばいっそのこと古川に思いきり傷つけられればいいんじゃないかって。


 ……って違うだろ。

 何を考えてるんだお前は。


 殴られている僕を憐憫の目で見下ろしているユイが蘇っていた。

 ああ、中庭でぎらついた太陽に向かって大声でも出してやりたい。そんな気分だ。


 個室で項垂れながら小便を済ませてトイレから出ると、授業開始のチャイムが鳴った。出遅れてしまった。ごった返していた1階の廊下は、人がまばらになっていて、出遅れて走っている生徒と、もはや間に合わせる気のない明るい髪をしたヤンキー風の集団しか歩いていなかった。


 どうせならもうこのまま早退してしまおうか、と思いながら食堂の入口を横切ったところで、僕の足は無意識に止まった。自分でも何で止まったのかすぐには分からなくて、なんとなく食堂だと思って、数歩戻ってみる。


「あ……」


 一瞬で戻ったことを後悔した。


 がらんとした食堂で、授業に間に合わせるつもりのない古川と、同じくそのつもりのない体つきの良い金髪男子が立ち話をしていた。金髪男子の髪型はまるで十万ボルトでも食らったかのように真っ金々で刺々していて、ポケットに手を入れながらなんとなくだらしない立ち姿をしていた。日陰者の僕ですら知っている校内では名の知れたヤンキーだった。


 後光が差している古川の穏やかな横顔は、真っすぐに背の高い彼の瞳を直視していて、その絵面が心なしか以前彼女から借りた少女漫画の主人公のワンシーンのようだった。あの、恐ろしくつまんない漫画の。


 僕は慌ててその場をあとにして、真っすぐ自分のクラスへと戻った。


 大丈夫。最初から予想通りだ。古川愛莉はいわゆる陽キャとかいう部類であって、ヤンキー男子たちとウマが合う。そんなことは彼女と初めて会った時から分かっていたことだった。元々僕とは住む世界が違うし、だからでこそ僕に恋をするなんてあり得ないわけだし、ちゃんと僕は全っ部分かったうえで彼女と関わってきたつもりだ。


 彼女も僕も、何も変わってはいない。大丈夫だ。

 柔軟に生きられない、嘘が苦手な僕が悪いんだ。


≪一緒に帰ろ≫


 5時間目の授業中、こんなラインが古川から届いた。久しぶりのラインのような気がする。


≪どうしたの急に≫


 もう今日は疲れた勘弁してほしい。


≪どうもしないけど帰ろ≫


≪だからなん……≫と途中まで打って、消した。


 やり合うよりかは無視がいちばんだと思ってスマホをポケットに沈める。

 一緒に帰ろうと誘われているのに、古川という存在がうんと遠いところに行ってしまったように感じていた。


 既読だけしてしまったのは痛恨だけれどこのまま無視を決め込むことを決意し、僕はラインを返さないまま、ホームルームが終わると早足で帰路に就いた。





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