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第19話 もう遊ぶのやめようよ




 いよいよ真夏日だっていうのにエアコンを頑なに点けない教員どものせいで、教室なサウナみたいに蒸し暑かった。開け放たれた窓から見る空は不自然なくらい青くて、そのてっぺんでぎらついた太陽が熱を放射している。こんなのが少なくともあと2か月続くなんて辟易する。


 うちわもない僕は手のひらで顔を仰ぐが、ミミズくらいのぬるい風しか生まれない。

 せっかく学校で寝ようと思ってたのに、こんな不快感のなかで眠れそうな気なんて一切しなかった。


 一睡もしていない身体が軋んで小さな悲鳴を上げている。


「おはよおございますう!」


 教科書を淡々と読み上げる教師の声は遮られ、彼の表情は瞬く間に怒りに染まった。


「お前何度遅刻したら気が済むんだ!」


「ごめんなさいいい」


 陽子が、今更意味のないダッシュをして自席に着く。


「はいっ、はいっ、席に着きましたあ」


「いい加減にしろ!」


 そして相変わらずクラスメイトの反応は冷ややかだ。ため息と舌打ちが今日もところどころで発生した。彼女は気が付いているんだろうか、自分がクラスの中でつまはじきに遭っていることに。


 ――おはよ。


 陽子がこちらに向かって口パクをした。昨日の闇に浮かんだ姿とは打って変わって、僕がよく知っている同じクラスの佐藤陽子だ。


 咄嗟に無視をしてしまい、でも少ししてゆっくり彼女のほうを見てみると、もうカバンの中から荷物を出すことに夢中になっていた。


「はあ……」


 おかしい奴。本当におかしい奴だ。

 僕は昨日の陽子の『嘘なのは45日間だけでしょお?』を思い出す。暗闇に浮かぶ余裕の笑みが鮮明に浮かんでいる。


 昨日ベッドの中でずっと考えていた。彼女の言葉の真意はなんだろうか。僕に偽りの好意を向けられた彼女の気持ちを、理解できないのに理解しようと目の上が痛くなるほどに妄想した。

 居心地の悪くなったベッドで何度も寝返りを打ちながら、そして親の目を盗んで外に抜け出して散歩をしながら、ずっと自分の納得できる答えを探し続けた。


 彼女は、嘘なのは飽くまでも45日間だけだと言った。

 それは間違いではない。45日間だけ僕は“佐藤陽子のことが好きな人間”に変身している。45日経てば元通り本来の成瀬充に戻るのだ。だから僕という人間が失われるわけじゃないし、一定期間目を瞑っていればいいだけの話だ。うん、間違ってはいない。


 だが、別に僕たちは未来を生きてない。


 45日の間、僕は嘘を身に纏っている。その瞬間その瞬間はたしかに真実かもしれないが、やっぱりトータルで見たら偽りの真実なのだ。つまりこの期間、僕と陽子の間に起きる出来事はすべてが期限が切れたあとに嘘となってしまうのだ。そんなふたりの関係性をまさか信じる訳にはいかないし、当然身を預ける訳にもいかないだろう?


 そう考えればやっぱり、いくらその人の人間性が変わらないといっても、陽子が今の僕を信用するなんてわざわざ分かってて詐欺に飛び込むようなものなんじゃないか。

 それに、そもそもたぶん、陽子は僕のことを好いているのだから。


 ……たぶんだけど。


 陽子は甘く見てるんだろう。もしこのまま期限を迎えたら、彼女はまた薬のカミングアウトをされた時みたいに傷を負うことになる。だったら先に手を打たないとだ。


 僕は預言者にでもなった気分だった。


≪あのさ≫


 3文字だけ打って、送信する。

 すぐに既読がついて、それから陽子が笑顔でこちらを振り向いてくる。……窓の外は相変わらず塗りつぶしたような青。


≪なんなのだ≫


≪もう遊ぶのやめよう≫


≪むーりーでーす≫


≪意味がないよこんなの≫


≪意味は成瀬くんだけが決めるものじゃないもーん≫


≪あのさあ……僕けっこう真面目に言ってるんだけど≫


≪わたしもおおまじめ≫


≪絶対嘘だ≫


≪嘘じゃない。成瀬くんが超ハイパースーパークソッタレ大真面目なだけ≫


 こっちがこんな真剣に話しているのに。だんだん腹が立ってきた。

 文字を打つ指先の力が強くなる。


≪今わかったかも。僕と陽子の決定的な違い≫


≪なになの?≫


≪ちょっと聞きづらいんだけどさ≫


≪うん≫


≪陽子、僕のこと本当はどう思ってるの≫


 少し間があって、


≪好きだよ≫


 スマホをポケットに沈めた。

 まるで時が止まっていたかのように、淡々と教科書を読み上げる教師がいた。


 陽子のうしろ姿をしばらく眺めていた。彼女は背中を丸めて俯いていて、教師の話なんて一切の興味を示さない。石みたいに固まったうしろ姿は少ししてようやく動き、スマホをスカートのポケットにしまう。


「はあ……」


 心のなかが淡いピンク色に染まる。

 陽子の言葉を聞いて安心しちゃってる自分が情けなくて汚くて滑稽で、顔面をパンチで殴りつけたくなった。何をやってるんだ僕は。


 それでも、彼女の送ってきた≪好きだよ≫にばかみたいに心臓は乗せられて慌しく脈を打ちはじめている。身体は僕なんかよりもずっと正直だ。本当は跳びあがるほど嬉しいはずなのに、もうひとりの僕には比例して恐怖心と罪悪感がものすごい勢いで積み重なっていく。


「はああ」


 ため息で積み重なった邪念を吹き飛ばそうと試みたのだが、かき消しきれない火からまた心のなか全域に広がっていく。諦めて机の上へ突っ伏しているといつの間にか授業が終わってしまっていた。


「ねむいのだ?」


 顔を上げると陽子がこちらを覗き込んでいた。


 炎がさらに燃え上がる。


「そっとしてくれ」


「ぶー」


「そういうのもいらない」


 机に顔面を預けて世界を遮断した。視覚を塞ぐとたちまち聴覚が過敏になって、教室の喧騒はより一層騒がしくなって気を滅入らせる。


 陽子はまだそこにいるんだろうか。いないんだろうか。まだいてくれたらいいな、って普通の感覚なら思うんだろうか。話しかけてくれないかな、って普通の感覚なら思うんだろうか。彼女らしき吐息は聞こえてこないが……。


「ねえ」


 まだ、いた――。

 乱れた感情の動きを力いっぱい踏み潰す。


「なんだよ」


「今日さ、お昼一緒に食べようなのだ」


「……なんだよ今さら」


「じゃあまたお昼ねえ」


 それで、昼休みになると案の定陽子は僕のところに来た。

 いつも通り彼女は手ぶらで、これから昼食を手配するところだった。僕と同じだ。


「パン、弁当、どっちにすんの」


 陽子は少しだけ悩んで、


「パン!」といった。


 たかだか昼食ひとつでビックリマークを付けられる感性が羨ましい。

 仕方ないように立ち上がり、僕たちは食堂へ向かう。

 ほっぷ、すてっぷ、じゃんぷぅ、と階段を一段飛ばしで下りる陽子は、短い脚で頑張っているせいかえらくコミカルで、本人は至って無感情なんだろうがウケを狙っているようにしか見えない。


≪好きだよ≫文面だったそのひと言が、彼女の声になって頭のなかで再生される。


 ああ……このままじゃあ僕はおかしくなる。というかもうなっているかも。はやく、一刻でも早くこの状況を変える必要がある。変えなければならない。絶対にだ。でもそれが分かってるのに僕は何故か、1階に下りてもなおスキップし続ける陽子のあとを馬鹿正直に追っている。


 もう陽子とは関わらない、と腹に決めていたあの時の感情が思い出せない。関わりたくないと思っているのに。


 僕たちは混み合った食堂で並んでパンを互いに買い、中庭に通じる勝手口の手洗い場に腰を掛けた。


「なんなのだそれは?」


「……なんなのだろう」


 ベーコンとチーズが乗った若干固い生地のそれは、なんという名前なのか僕には分からない。でもこれが何なのか本気で気になって質問している人はいない。……と思ったが陽子となると話は別か。


「それこそ何なんだよ」


「見て分かるでしょうがあ。焼きそばパン」


 ああ。確かに陽子は焼きそばパンを食べている。そんなことは見てりゃあ分かるのにわざわざ尋ねたのは、彼女が何を買ったのか本気で気になって質問をしていないからだ。自分の言葉がブーメランになって返ってきた。


 やばい、本当、結構重症かもしれない。


「……そんなことより何の用だよ」


「用が無ければ誘っちゃダメなのだ?」


「そういうのいいから」


 もう冷たいな、といって焼きそばパンを齧る陽子。

 彼女が見てくれを気にせずに必死に咀嚼している間に、僕は二口、三口とベーコンチーズブレッド(仮称)を口に入れる。


 彼女は口のなかが残ってる状態で言った。


「はないはう」


「へ?」


「は、な、い」


「なんだって?」


「は、な、い”」


 ……はなび?

 陽子はごくり、と口の中を空にしてもう一回いう。


「はなび」ひと息間をつくり「やりたいのだ」


「……やればいいじゃん」


「愛莉ちゃんとラインで、夏らしいことしたいねって」


 また古川か。大きなため息が出そうになるのを堪える。


「夏らしいことってなに」


「だから花火って言ったのだ」


「火薬に火をつけて燃やすことがなんで夏らしいんだ」


「……ちょっと重症なのだ」


「え」やっぱり? と聞きそうになる。


「ここまで冷徹じゃなかった気がするのだ」




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