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第17話 夜の不法侵入




 頭のなかから古川が離れなくなったことは言うまでもない。


 彼女が元々僕のことを気にしていて、こちらに的を絞って好き薬を飲んだという事実は、想像をはるかに超えて僕を混乱させた。何せこれまでは“彼女のようなカースト”の人間が僕なんかに恋をするわけがないという自分のなかの確信が、彼女への恋心にストップをかけてくれていた。だから古川の告白は、僕のなかの確信を根底から覆してしまうものだったのだ。


 まるで、これまでとは違うステージに立っている気分で、例えばゲームなら新たなステージで進行方向も分からず右往左往している段階。


 こんな状態で土日を迎えたものだから、やることがないぶん終始自問自答を繰りかえした。ベッドで寝転がっているときも、ご飯を食べているときも、散歩をしているときも、本を読んでいるときさえも。古川愛莉と僕がまさか付き合える訳ないのに、薬が切れたあとの彼女を想像して見事裏切られる展開でひとり傷ついたり。はたまた、ほんの一瞬だけれど彼女が僕のことを好きなままでいてくれる絵を描いて、そっこう頭から振り落としたり。


 でも時間をかけて考えていくうちに僕は少しずつ冷静さも取り戻していった。

 そもそも古川は薬を飲んだ状態で僕にこのような話をしている。本来の彼女ではない嘘の姿で言われたことを馬鹿正直に受け取っていいのだろうか? 


 仮に真実だったとして、薬の効果が解けたときに彼女が僕に対して、薬を飲む前と同じような好意的な感情を持ち続けているとは限らないのでは?


 そして僕に対して好意的であることと、彼女がそんな僕に対して“嘘”をつかない人間であることは、必ずしもイコールにはならないのではないだろうか。


 冷静を取り戻しつつも結局やっぱり完全には心の落ち着きどころが見つからないまま、日曜の夜を迎えた。

 デスクに着いて、本を開いて活字を流し見ていたところ、スマホが鳴った。限られている僕のスマホへの電話着信。頭のなかでは古川愛莉を描いていたけれど、画面には≪佐藤陽子≫と表示されていた。無視をしようとスマホを机上の端に戻した。今はあまり陽子と関わりたくない。


 電話が鳴りやんですぐ、今度はラインの通知音が鳴る。


≪助けて≫


≪どうした?≫


≪電話、出てなの≫


 そして掛かってきた電話に僕は出た。

 陽子との電話はものの1分で終わり、電話を切った僕はため息をついて、支度をして陽子の元へ向かった。



******



 学校の最寄り駅について駅前に出ると、制服姿の陽子が柱にもたれながら間抜けな顔をしていた。日曜日の夜、顔を赤くした大人が行き交うなか、ぽつんとひとり制服姿だからそれなりに目立っていた。


「なんで制服なんだよ」


「わっびっくりした」陽子は両手ににぎりこぶしを作って軽くジャンプした。それから「来てくれてありがとうなのだ」といった。


「本当に定期無くしたの?」


「うんなのだ」


「カバンのなかは」


「もうひゃっかいぐらいみた」


 百回は絶対嘘だ。


「どこでなくしたの。ってかどこいってたの」


「……がっこう」


「学校?」


 果たして、休日に補修でもあったんだろうかと思ったが、陽子の口から出た言葉に僕は耳を疑った。


「日曜日の学校っていってみたくて」


「は?」


「だから日曜日の誰もいない学校に入ってみたかったの」


 まったくもって意味不明だし、そもそも夜だからな?

 陽子はもう柱に寄りかかってなくて、微妙にまじめな顔をして僕を見上げていた。


「……なんで制服着てるんだよ」


「なんでって、学校だからなのだよ。制服着ないと」


 意味不明だ。校則以前の問題行動はどうしたっていうんだ。なんだかもうまともに話していても円滑なコミュニケーションは取れそうになかったから、僕は多少強引に陽子を連れていくことにした。


「行くよ」


「ふえ?」


 もうとっとと見つけて家に帰りたかった。手招きを乱雑にしながら歩き出す。小ぶりなロータリーには、迎えの車が4~5台列をなしている。1台、ライトを落とさない車がいて眩しさに顔を顰めた。


「ど、どこにいくのだ?」


「どこって、学校行ってきたんじゃないの」


 うん、で? と陽子。


「だったら学校に落ちてる可能性が高いんじゃない」


「一緒に探してくれるのだ?」


「僕だってそんなに金持ってないから」


 わーありがとー、なんてはしゃいでいる陽子を無視して前に前にと歩いた。夜風は湿気を孕んでいて顔じゅうに不快に纏わりつく。熱帯夜とまではいかないだろうけど、漂っている空気の質感がもう夏そのものだった。


 すぐに汗が体じゅうから噴き出してきた。けれど、足を止めたくなかった。このまま歩き続ければ、古川への思いも、陽子への思いも、もやもやした感情もすべて二酸化炭素と一緒に風になって消えてくれるんじゃないかって、そんな馬鹿みたいなことを考えていた。


 そんな訳がないのに。そうであって欲しいだけなのに。

 学校まであと少しといったところで陽子は言った。


「ごめんなのだ」


「……なにが?」


 僕は歩くことを止めないままそう聞いた。


「こんな夜に付き合わせて、ごめん」


 聞き慣れない陽子の言葉に思わず笑ってしまう。

 振り返ると、陽子がらしくない心細そうな目でこちらを窺っている。汗に濡れた前髪が額に張りついていた。


「どうしたの」


 彼女は首を振って、


「ごめん」という。


「謝るなよ」


「だって、怒ってる」


「怒ってなんかないよ」というか怒るわけがないだろう。


「でも、いつもと違うのだよ」


 それを言われて思わず考えてみてしまう。いつもの僕って一体どんな感じだっただろうか。陽子から僕はどう見えていたのだろう。


「じゃあ普段はどんな感じなんだ?」


「もっと優しいのだ」


 僕は吹き出して笑う。


「優しくなんかないよ。僕はいつも自分のことしか考えてない」


「そんなことないのだ。成瀬くんはしっかり優しい」


 何を根拠に言い切ってるんだ。そんなんだから君はクラスメイトから馬鹿にされるんじゃないのか。そうやって人のことを甘く見てるから、だから足元を見られるんだ。彼女の口から吐き出された靄を振り切るように、前を向きなおして歩く。「やっぱり成瀬くんは変なのだ」背中からの声も聞こえないふりを決め込んだ。


 日が完全に落ちた夜の町は静かだった。


「でもどうして変なのだろう」


「……陽子も人のこと言えないだろ」


「ええ、わたしはいつだって普通だよ」


 変な奴ほど自分のことを変だって認識してないものだ、といつだったか読んだ小説の主人公が言っていた。その通りだと思う。


 学校に着いて、ひと通り校門のまわりをスマホのライトをかざして探してみた。だが、アスファルトに落ちていたのは雑草の切れ端と吸い殻ぐらいで、定期入れなんていう落とし物はどこにも見かけなかった。


 地面と睨めっこしながら探している間、思いが通じたのか陽子はずっと黙っていて、ふたりの間には微妙に重たい沈黙が流れていた。


「中、入ったの?」


「うんなのだ」


 変なところ度胸があるんだな。

 僕は、恐らく陽子がそうしたように、校門へ足をかけて向こう側へ飛び移った。

 のだが。


「うわっ」


 目映い光の点滅が視界を埋め尽くした。光の隙間にカメラのようなものが見えて何か防犯装置のようなものが作動していると分かった僕は、慌てて校門をよじ登って敷地の外へ戻った。


「無理だっ、行こう」


「あ、うん」


 僕は陽子に目くばせをしながら半分全力で走った。


 走りながら、ふと陽子はどうやって学校に忍び込んだんだろうって不思議に思った。僕が知る限り学校に侵入できる経路はあの門を飛び越えるしかないはず。時どきうしろを振り返って誰も追ってきていないことを確認しながら、学校からある程度の距離を離れたところで僕たちは足を止めた。


 呼吸がある程度落ち着いてから、彼女に聞いた。


「どうして、あんなかに、忍び込めた?」


「……昼間だったから、たぶん、光ってない」


 なるほど……? 


「それにたぶん、あれ、ただのライトだよ。成瀬くん、ちょっとビビりすぎ」


「はは……」


 なるほど。さっきよりも声を大きくして納得した。

 学校に侵入したことも侵入しようと思ったこともない僕は、とてつもなく悪いことをしようとした気分になっていた。「でもありがとう」と陽子は心にきずぐすりを塗るように言ってきた。





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