第15話 話があるから聞いて欲しい
金曜日の選択授業にて、古川は小さな声で聞いてきた。
「今日、どこ行く?」
無視ができない距離感だった。
「別にどこでも」
「そう」
古川は引っ込んでいく。
男性教師が一生懸命音を立てながら黒板に字を書いている。板書に声のスピードを合わせながらじれったく喋る声が教室を支配して、皆催眠にかかったかのようにノートに向かって字を書いている。
隣りを見る。髪を耳にかけた彼女の横顔もまた、ノートを睨みつけながら字を書いていた。
こないだ先に帰ってしまった古川はもういない、いつもの自信に満ちた彼女の顔つきに戻っている気がした。
「……何よ」
不意に目が合って心臓が跳び跳ねる。
慌てて目を逸らした僕に、彼女は特に追及をしない。残り火のようにまだ心臓はどきどきしていて、収まってくれというこちらの声を聞いてくれる気配がない。僕たちの関係性が嘘っぱちだと分かっているのに、それでいてまだ心臓が高鳴るのは何故なんだろう。
「なんでも……ない」
「なんでもなさそうな感じに見えないけど?」
自然な微笑みを向けられた僕は、さっき自分が表現した“嘘っぱちの関係”という言葉に違和感を覚えた。
古川がこちらに向けてくる表情と“嘘”が結びつかなかったから。でも考えてみればそれもそのはずで、いくら本当は僕のことなんか好きじゃないんだと言っても、本来は交わることのないふたりなんだと言っても、今この瞬間に限って言えば彼女が僕のことを好いているのは真実なのだ。薬の効果とはいっても。
それを証明するかのように、僕が古川のことを目で追っていると、彼女は大抵こちらの視線に気が付く。たまたま動線にいたわけでもなく、しっかり意思を持って僕たちの視線はぶつかっている。
薬のせいだけど、現実に彼女は僕のことが好き。
だから……どうせ嘘だからと、角膜を取り換えて向き合うことなんて無理のある話なんだろう。
「どうしたの?」
囁くような声を掛けられた僕は、慌てて思考をいっぱい回してなんとか言葉を返した。「なんでもない」精一杯にしてはなんて情けない言葉なんだろう。
「……あのさ」
「ん?」
黒板にチョークをぶつける教師を見ながら、僕は素直な疑問を口にした。
「一体、どういう気持ちなの?」
僕のほうから質問を切り出したことがとても久しぶりな気がする。
「どういう気持ちって、成瀬に対して?」
「うん」
古川が薬を飲んだ理由も、嘘だと僕に知られているのに未だに関わろうとしている理由も、こんな男と唇を重ねた理由も、僕は古川の行動のすべてが理解不能だ。キスした瞬間の、腰が抜けるほど柔らかくて瑞々しい感触が、未だに胸を震わせてくる。
「あのさ、成瀬」
「うん」
「話あるから聞いて欲しい」
「話……か」
「ちゃんと言ってないことあるから」
僕は分かった、と呟いて前に向きなおす。
自分の気が変わらないことを願った。ほんの僅かに風が吹いただけで、僕はいとも簡単に古川のことを拒絶して逃走を図るだろう。今ならちゃんと、向き合うかどうかは別として話ぐらいなら聞けると思った。それが何でなのかは分からないけど。
放課後、陽子も含めて三人でファミレスに行って解散したあとに、僕たちはふたりで学校近くの公園に落ち合った。
住宅街の隙間で闇に飲み込まれそうな公園を、二本の街灯だけが辛うじて照らしていた。
「ごめんね。思ってたより遅くなっちゃったね」
先にベンチに座っていた古川は到着した僕にそういった。
リッチミルクの髪がいつもより美しかった。暗闇のなかで見るワイシャツとミニスカートの彼女は、学校にいる時とはまた違った世界の住人のようでそれは見とれるほど可愛かった。もし忘れ薬で思いが消えたとしても、下手したらまた好きになってしまうんじゃないかと思った。
「別に、平気」
「座ろ」
僕も彼女と一緒にベンチへ腰かける。
シャンプーなのか柔軟剤なのか控えめな柔らかい匂いが鼻に触れる。ぎゅっと胸が締め付けられるのは、それが彼女から漂う香りだと分かるからだ。リラックス効果がいくらあっても、彼女が身に纏っているのならば僕にとっては逆効果になる。
「話、するね」
「うん」
自分に対する罪悪感が血液とともに駆け巡った。
誰にも惑わされない。そして自分の生きたいように生きる。そうやってこれまでも生きてきたし、そうやって生きなければいけなかった。だから、人の気持ちを真正面から聞くことも聞こうとすることも無かった。
慣れていないぶん、素直に耳を傾けることは怖い。やっぱり来なければよかった――そう思っている間にも古川は話をはじめる。
「前に成瀬のこと薬で好きになったって言ったじゃん」
「うん」
あれ嘘だよ、という古川を一瞬だけ想像した。
今日もお読みいただきありがとうございます!
もし作品が良かったら、評価や感想を頂けると大変励みになります!
よろしくお願いします!




