第13話 三人で過ごす放課後
その日のうちに古川はグループラインを作って、早速僕たちは翌日の放課後にカフェへ行くことになった。古川曰く、関係の始まりはいつだって取りあえずカフェであるとのこと。
グループラインといい日時や場所の設定といい、ほとんど古川が手慣れた様子でコーディネートしていった。友達いないランキングのツートップと古川が組めば、まあそういうことになるのだろう。
行きたくなかった。
熱が出てくれないかな。そう願って何度も体温計を脇に挟んだけれど、そういう時に限って体調は万全なんだ。鼻水の一滴すら落ちない僕は、腹を無理やり決めて学校に向かった。好きな人と遊ぶことにこんなに憂鬱になれるのは恐らく日本中で僕ひとりだろう。
このシチュエーションを楽しめる人生だったらどれだけ良かったことか。
授業が始まってから5分ほどして、教室の扉が乱暴に開いて寝ぐせの陽子が入って来た。堂々過ぎる遅刻に先生が怒鳴る。「すみませええん」授業が中断されてあちらこちらから舌打ちとため息が聞こえる。ったく、毎回すみませんっていうなら遅刻するなよ。
陽子は椅子に腰を掛ける間際、僕のほうを振り返って笑顔を見せてきた。ピースもしそうな勢いだったから僕は目を逸らす。……今日の空は快晴っと。
「はあ」
学校で接していくだけで大変なのに、放課後にカフェなんて……。しかも古川まで居るときたら、もう遊ぶ前から耐えられない気しかしない。期間限定で僕を好いている女の子と、期間限定で僕が好いている女の子と、僕。
なんなんだこの組み合わせ。そもそも誰かと放課後に遊ぶこと自体ほとんど経験がないっていうのに、これじゃあ最初っからラスボスじゃないか。
朝から現実の厳しさを痛感したためか、授業にはまるで身が入らなかった。エスカレーターのように時は一定の速度で経過し、ついに放課後へたどり着く。物理的に逆走できればいいのに。
ため息を10回ぐらい吐いて最寄り駅の駅ビル内にあるカフェに入る。カウンターを通り越した向こうで古川が「こっちこっち」手を振っている。既に4人席のテーブルに着いて陽子と向かい合っていた。果たして僕はどちら側に座ったらいいんだろう。早速超難関な局面、正解はどっちに座ることなのかAIに聞いたら教えてくれるだろうか。
「どうしたの?」
それで、右往左往した結果僕は結局陽子の隣りに座った。
アイスカフェオレにストローを差して飲む。
甘いけどもっと甘くて良かった。
「でもさあ、ほんとウケるね」
「そんなことないのだよ」
ふたりともクスクス笑っている。なんで仲良いんだよ。そもそも。
「……あ、そういえば成瀬、何にしたの?」
「……アイスカフェオレ」
会話終了。
バスケやサッカーの授業で、運動ができないやつにも仕方なくパスを回す絵が浮かんだ。回すことでプラスの効果は決して生まれないのだけれど、そこに存在しているのだから回さないわけにはいかないのだ。それがこうして日常生活に生きていることに他人事のように感動した。
店内を見渡してみると思ってたよりも高校生が居る。女子に女子に男子に……女子。割合は女子のほうが多い。あとはパソコンを広げるサラリーマンや空のグラスを放置して話し込むおばさんたち、若くて派手な髪をしたちょっと強面の女の人や渋い表情で新聞を広げるおじいさん。
僕たち三人は、周りからどう見えているのだろう。他愛もないそんなことを思い浮かべていた。少なくとも僕がどちらの女子のことも好きなようには見えないだろう……と、向かい合い幸福に満ちた瑞々しい笑顔を浮かべているカップルを見ながら思った。正直いって羨ましい。
「陽子と成瀬がちょっと素直すぎるんじゃない?」
「ええ、じゃあ愛莉ちゃんはひねくれてるのかあ?」
「別にそーゆーわけじゃないけど」
もはや、何の話をしているのか分からない。古川はところどころで斜向かいに座るこちらに目を配っている。お前も会話に参加しろよってことなんだろうけど、如何せん体が重かった。喋りだすのに必要な筋肉が動かせない。
「え! 飲むの早すぎでしょお!」
「わっびっくりした」
いきなり陽子が僕に向かって大きな声を出して、周囲の視線を一気に集めた。
カチンときた。
「なんなんだようるさいな」
「いやあ飲むの早くないのだ?」
「あ、本当だ」古川が目を丸くする。
空になったグラスからはほとんど水滴が落ちておらず、ふと目に入る、向こうの席で水たまりをつくりながら話し込んでいるおばさんたちとは正反対だった。
「移動しよっか」
古川がもう移動することを決めたかのように、ストローでアイスコーヒーのミルク入り(たぶん)を勢いよく飲む。陽子もそれを見てか、もうほとんど入ってないグラスからズゴゴゴと音を立てて吸い込んだ。
「あのさ」
ふたりが、ストローを咥えながら見る。
「もしあれだったら、僕抜きで楽しんだらいいかなって」
「何言ってるのだ」
「何言ってんの」
「……そっちのほうが楽しいかと思うんだけど」
「愛莉ちゃんとわたしじゃあぜんっぜん楽しくないのだよ」
ちょっとそれは失礼だと思う。
「とにかくさ、移動しようよ。ほら私もう空だよ」
「わたしも空になったのだ」
元から空だっただろうが。
「でもどこに行こっか?」
「……」
******
結局みんなの共通点を探してみようということになって、仲良くなりはじめたキッカケに話が及んで、古川と僕の共通点である本を読みに行こうという結論に至った。陽子は漫画を読むらしい。
駅から近くのコミュニティハウス内にある図書室は、古川曰くどうやら穴場らしい。実際、ロビーには小学生がたくさん集まってゲームをしていたが、図書コーナーに足を入れるとそこは、休み時間が始まったばかりの図書室のように閑散として、静寂に包まれていた。
図書室であることをいいことに、僕はふたりから離れて本を物色する。二冊、三冊と、時間内に読み切れるはずがないのに次々と本を手に取って、そのへんのテーブルに着いてページを捲りはじめた。紙の質感はかたくて、色は長年空気を吸い込み続けたせいか元の色なのか黄ばんでいた。紙を捲る音だけが室内に響いて、それが心地よくって、家に帰ってきたような安心感に包まれた。そういえば最近、頭のなかがふたりのことでいっぱいだったから本を一切読んでいなかった。
書き出しから、読み進めるにつれて活字に味わいが備わっていき、気持ちよく頭に入っていく。柔らかくて噛み砕きやすいそんな文体。これは間違いなく“僕の好きなやつ”だ。
今さらだが、僕は小説が好きだ。でも、ひと言で小説というけれどその中でもいろいろなタイプがあって得意なものもあれば苦手なものもある。
それは恋愛やサスペンスなどに例えられるジャンルについての話ではない。文章が醸し出している雰囲気に幾つかのタイプが存在しているのだ。(飽くまで僕が勝手にジャンル分けしているだけだが)
僕が今回手に取った“このタイプ”の本はサクサク読めると思いきや、いつも味わい過ぎて倍以上の時間をかけて読むハメになるやつだ。嬉しい悩みといったところかもしれない。
開かれた本、背景には茶色い机、しいんと静まり返った図書室に、本が詰め込まれた部屋の独特な紙くささ……懐かしさが胸にぎゅうっとこみ上げてきた。
正体は中学時代の昼休みだ。
あの頃、ユイによって“読書”という僕の趣味は切り開かれた。そして彼女が進めてくる本は大抵“このタイプの”文体をした本だったのだ。自分に合っていたからなのか、こんなに素晴らしい世界を次々に紹介できるユイを素直に尊敬したし、だからでこそ僕の抱いた感想を聞かせたくて堪らなくなった。
……それに比べたら、古川の勧めてくる本はなんというか……クセが強めだ。
基本的に一人称ばかりで地の主張が強く、読み手に内面をぐいぐいと押し付けてくるような作品が多い。価値観の押し売りみたいな。でも、もちろん面白い作品は面白いんだけれど。
「……あれ」
気付けば随分とページが進んでいる。ひとつページを捲って戻ってみる。が、読んだ記憶のない文章がただ広がっていた。空読みしていた自分が嫌になって本をパタンと閉じる。蛍光灯に向かってため息を吐いた。
「つまんなかったの?」
はっとして隣りを見ると、席をひとつ飛ばして古川が座っていた。机上に本を開いていて、右手の頬杖に乗せた顔はぼんやりとやる気がない。
君のせいだ、と言いたくなった。君のせいではないんだけど。
古川も本を閉じ、それからほんのり苦みを加えたような笑みで、反対側を親指でさした。
「……やっぱり、合わなかったか」
「ね」
陽子が子どもみたいな寝顔で眠っている。鼻ちょうちんが似合いそうな無邪気な寝顔が可愛らしい。次があるなら図書室はもうやめておこう。
沈黙に気まずくなって、僕は改めて本の表紙を右に開く。最初から読み直すことにした。
「ねえ、交換しない?」
「え?」
「それ、読まないならさ、私のと」古川は「私、もうこれ家にあるやつだから」と付け加えた。
少しの間考えてから、何も言わないで本を彼女のほうへ差し出すと、彼女もこちらに本をよこした。互いに本を手元に置いて、それを読みはじめる。
「……これ、知ってるかも」
「漫画の小説版みたいな感じだよ。成瀬は興味ないかもだけど」
「タイトルだけ、見たことがある」
僕は何も考えずに5~6ページ読んでみた。その小説はやっぱり第一人称で、冒頭から語り手の情熱がしつこい。私はこういう人なので理解できる人だけよろしくどうぞって感じがする。
「古川ってこういう作品、好きなの」
「……」
古川は本と向き合いながら、口だけで返した。
「最後まで読んでからなにか言ってよ」
「……ごめん」
「感想、待ってる」
結局読み切るよりも先に陽子が目を覚まして、今日は帰ることになった。
半分も読んでない本を棚に戻して図書室を出る。この本を今後読み切ることはないだろう。なんとなくそれは断言出来た。だから古川に感想を言うことは一生ないと思うんだけど、どこかですべて感じたことを言ってやりたい気持ちもあった。
コミュニティハウスを出ると、ぬいぐるみの綿が散らかっているような曇り空は、ところどころがべっこう飴みたいに焦げている。太陽が沈むのはもう時間の問題だ。
「わああ、もうすぐ夜なのだ」
「時間ってあっという間だね」
夕暮れ空とふたりのうしろ姿がいい塩梅に混ざり合って、なんだか切なくて胸が痛くなった。沼に浸かってしまってはいけないのに、ふたりのうしろ姿に目が奪われている自分が居る。街の景色が、ふたりのうしろ姿が、黄味がかったあったかい光の中で少しずつ褪せていく。
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