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第12話 せっかくだから遊ぼうよ




「何してるんだ」


「何してるのって、私ただここに呼……あっ」


 何かを発見したような顔の古川。残念ながら僕はまだ何も発見できないでいる。彼女は肘を突いたままだらしなくこちらを指差した。


「あのさ、成瀬だれかしらに呼ばれてここに来たでしょ?」じゃっかん得意げに見える彼女の姿を見て、僕もようやく察する。向かいのホームにいた古川と陽子の姿がフラッシュバックする。


「もしかして――」


 その時、教壇からけたたましい音とともに人が飛び出した。

 まるで打ち上げられたセイウチのように横たわった陽子。その顔は毒草でも齧ったかのように苦い。


「足があ……足があ……痺れたあ……」


「陽子、大丈夫?」


 古川は慌てて駆け寄っていった。

 隠れ通すつもりであの狭い教壇のなかに潜んでいたんだろうか。だとしたら色々とダサすぎる。


「作戦、失敗なのだ」


「あのさ、陽子ってば強引なんだよ」


「そうなのかなあ?」


 陽子はセイウチのまま、僕のほうを見て首を傾げている。


「強引だよ。多分」


 多分、古川から何かしら聞いていて僕らの仲を取り持とうとしたのだろう。ちょっと陽子に喋り過ぎたことを後悔した。というのも……ひっそりと取り計らっていたことがなんだか微妙に結構不愉快だった。


「陽子さあ」古川が言った。「……ありがとね」


「うん?」 ぽかんとする陽子。


「私と成瀬をくっつけようとしてくれたんでしょ? 」


「うん」


 僕は思わず陽子に言う。


「なんでだよ」


「だって、仲良くしてないから」


「別に……」


 もともと仲なんてものはないから――そう言おうとしたがさすがにブレーキがかかった。陽子は追及をやめない。


「どうしたの? キライになったのだ?」


「あのな、キライだったとしても正直にいえるわけないだろ。考えろよ」


「ぶー」


 古川がなんでもないことのように口を開いた。


「実は薬で好きになっただけなんだよね。私が」


「はぇ?」


「好き薬」


 補足をひとこと付け足す古川。それを聞いて弾かれたように僕の顔を見る陽子。彼女の顔から生気が失われていく。


「成瀬も、こないだはごめんね」


「いや」


 もういいって。


「色々と事情はあったんだけど成瀬からしたら普通に嘘つきだよね。ごめんなさい」


「もういいから」


 もうその話はやめてくれ。古川。


 陽子が音もたてずに立ち上がって手をはたいている。僕はそっちが気掛かりで彼女の言葉が腹に落ちることはなかった。俯いていて顔をあげようとしない、急に口数が少なくなった陽子は何を思っているのか。


「……おかしいよ」


 陽子の、聞いたことのない唇から出たような掠れ声は、その声がいかに小さいかを物語った。


「なんで……そんなものを飲むの?」


「まあ色々と経緯はあったんだけどね」


「そんなの嘘つきなのだよ」だんだんボルテージが上がっていく「人のこと騙して、なんでそんなことするのだよ」


 古川に食ってかかる陽子だけど、珍しく声を荒げる彼女の言葉が、ボディブローのように胸を打つ。顔が向いている方向はあちらでも、すべて僕に対して言っていることだった。まさに僕が恐れていた反応だった。


 彼女は嘘によって痛めつけられていたのだ。

 僕は嘘つきで、人のことを騙していて、その結果陽子は大丈夫なように見えてしっかり傷ついていた。次の日から普通に接してくれていたのは、彼女がただただ強くて優しかっただけのことだ。


 申し訳ない。本当にそう思ってる。

 でもすべてを認められない。そんな自分が居るのも確かだった。


「……悪いことばかりじゃなかった」


「え?」


 僕は陽子に向かって続ける。


「嘘をついたことは本当に申し訳ない。でも、僕は陽子のことが前よりも知れて、良かったって思う。もしも薬を飲んでなかったら多分こんなに関わってなかったから」


「薬を飲んでなかったら関わってなかったって思うの?」


 僕は顎を引く。

 陽子は視線を落としてタイルを睨みつける。


「僕はそもそも誰とも仲良くする気が無かったんだ」


「……」


「でも薬を飲んだから前よりも接する気が起きて、そしたら陽子が思ってたよりずっといい人って分かった。陽子が馬鹿にされてることがおかしいって思うようになった」


「成瀬くん」


「もうこの思いを忘れることが怖い。というか忘れたくない。僕にとってみたら他のクラスメイトよりもずっと陽子のほうがまともに見えるんだ」


 口からペラペラと、まるで誰かに乗っ取られたように言葉が出てくる。きっと僕はあとで喋り過ぎたことを後悔するんだろう。そして喋っているこの瞬間の心境なんて忘れてしまうんだろう。


 でも、それでいいと思っていた。


「だから悪いことばかりじゃないんだ。でも騙していたのは、その、本当にごめん」


「成瀬くん」


 陽子の表情にエネルギーが巡っていた。


「嬉しい、嬉しいのだ。わたし本当に……!」


「よかったよ」


 彼女が喜んでくれた安ど感でへたり込んでしまいそうになった。


「でも……あんまり信用しないでくれよ」


「はぇ?」


「今こうしてる瞬間も薬は効いたままだから。僕はうそつきだ」


「ううん、きっと、もう大丈夫なのだよ」


 陽子は大丈夫な理由を言った。


「成瀬くんも愛莉ちゃんも、正直者なのだ」


「正直者?」


 古川と声が重なる。


「薬のこと、わざわざ教えてくれる時点で正直者じゃあない? 悪いことしようとっしてたら言わないもんねえ」


「正直者か」


 受け入れがたい、実に陽子らしい解釈だと思った。

 それから陽子は、名案を思い付いたような顔でこういった。


「あのさあ、せっかくだから遊ぼうよお」


 果たして。


「わたしたち、おかしな関係じゃあない? 愛莉ちゃんが成瀬くんのことを薬で好き。成瀬くんがわたしのこと薬で好き。こんなことないよ」


「遊びたいっていうのはつまり……」


「さんにんで! 暇なときに集まったりしてさあ、すっごい楽しそうなのだよ」


「さんにん……」


 つまり、古川と陽子と僕の三人ということか。

 当然、答えはノーだ。


 古川と陽子と一緒だなんて考えるだけで末恐ろしい。心がいくつ必要だか分かったもんじゃない。

 でも、ついさっきまで嘆き、そして怒っていた陽子が嬉しそうに目を細めている。こちらを見つめてくる純粋無垢な顔を見ていたら、とてもじゃないけど『嫌だ』なんて答えは言えないし言いたくない。


「いいじゃんそれ」


 逡巡していると古川が白い歯を見せて言った。


「こうなったのも何かの縁だし、好き者同士仲良くしようよ」


「わーいやったやったあ。成立なのだ」


「ちょ、ちょ、陽子落ち着きなって」


 古川は陽子の手荒いハイタッチを仕方なく受けながら、僕の顔を見た。それは、僕がまだ返事をしていないからだろう。


「……期限までの間なら」


「じゃあけってーい。今日はバイトだからまた今度ねえ!」


 陽子はそうやって言い残し、走って帰っていく。嵐のような人間だと思った。カバンを揺らして全力で階段を駆け下りる音がだんだんと遠くなっていって、やがて反響だけが残って他の雑音に飲み込まれていった。


 がらんとした薄暗い教室。息遣いすらも聞こえてきそうだった。なんとなく気まずくて恐る恐る古川の顔を窺ってみると、彼女も同じことを考えていて視線が合ってしまう。咄嗟にタイルを睨みつけて、言った。


「今日、今日は帰るから」


「うん、私も」


 じゃあ、と僕は教室から出ていった。


 階段を下りながらこれまでの僕と古川を振り返った。授業終わりや休み時間に、本の貸し借りを行っていたんだ。そんなことが嘘だったみたいに、今となってはふたりの間には大きな壁がある。


「嘘だったみたい、か……はは」


 みたい、じゃないんだ。

 僕たちは嘘の関係だったんじゃないか。そもそも。


 昇降口を出ると、いつの間にか雨がしとしと降りはじめていて、身を引っ込める。空は重たい雲が地を這うように覆っていて、ところどころ墨汁を流し込んだように薄黒い。雨は止むどころかむしろどんどん強くなっていきそうだった。


 古川がじきに追いつくだろう。僕は意を決して雨のなか歩き出した。

 三人で遊んだ絵を想像してみる。古川がいて陽子がいる。ふたりは肩を並べて笑いながら歩いている。そのうしろに僕。古川は途中で僕のほうを振り返ってこう言う。「成瀬はどう思った?」って。


 その時、僕が流暢になにかを答えているイメージが全く湧かない。それどころか雨水をため込んだ雲のように、胸を重くさせている自分がありありと浮かんだ。


 冷たい雨粒が頭皮に染み込んでくる。脳天がひんやりしてきて、あれこれ考えてしまう今日の頭にはちょうど良い雨だと思った。





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