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第11話 告白を受けてから1週間




 昨日買った本のうち三冊をもって学校に行った。もちろん全部読破するつもりだ。本に没頭して、現実世界のすべてを頭のなかから排除しようという企みだ。朝自分の席に着いて、心のなかでゴングを鳴らす。適当に背表紙だけで選んだ本を開いて、読みはじめる。


 ちょっぴり興奮状態にあった僕だが、活字を追っていくうちに五感が何も物音を立てずに物語のなかに浸っていった。


 SMクラブに通い詰める変態の恋模様を描いた話は、少々僕には刺激が強くてサクサク読める類のものではなかった。きっと内容を知っていたら買うことは無かっただろう。昼休みになっても読み終わらないから、この時点で1日3冊は中々に難しそうだった。


 しかし風俗というものの存在をぼんやりとしか捉えていない僕にとって、なかなかに面白かった。作中の描写が現実世界と遜色ないのかどうかは分からないけど、互いに割り切って性愛を売り買いする潔さが印象的だった。


 きっと互いに分かったうえで好き薬を飲めば、風俗チックな割り切った恋を楽しめるんだろう。敢えて嘘だと最初から言ってしまえば、傷つくこともつけることもつけあうこともずっと少なくなるんじゃないか。


 嘘もお互い正々堂々付け合うのなら真実になるのだろう。


 僕は順調に本の世界に没頭していた。昼休みもあっという間に終わっていよいよ最後の授業。ちょっと厳しい先生だから本を机のなかにしまって、教科書とノートを机上に並べた。


 陽子を見る。机に突っ伏したまま、昼休みから継続して睡眠中だ。起こしてあげようというお人よしはこのクラスには居ない。「早く起きろよ」誰にも聞こえない声で呟き、教壇に視線を戻した。


 いくら本に没頭できていたとはいえ、今日1日のなかで僕は何度か彼女のほうを無意識に目で追ってしまった。そのうち視線が合ったのが1回。その時は咄嗟に目を逸らしたのだけれども。


「こら佐藤起きろ!」


「……ふぁああ!」


 慌てて体を起こす陽子に、笑いをかみ殺すクラスメイト。きっとこの光景が見たくってみんな起こさず黙ってたんだろう。


 僕が近くの席だったら起こしてあげた……かもしれないのに。


「それじゃ佐藤、この公式解いてみろ」


「コーシキ?」


「ここだここ」黒板をたたく教師。


 くすくす、至るところで笑い声が漏れている。それでも誰ひとりとして、首を傾げる陽子に手を貸す人は居ない。


「コーシキってなんですかあ?」


 どっと笑いが起きる。頭に手を置いて照れたような顔で教室を見渡す陽子。違うんだ陽子。それ、みんなの道化にさせられてるだけだから。みんな陽子が思ってるほど、優しくないから。


「佐藤お前なあ――」


 仕方がない。


「はい」


 僕は挙手をした。この茶番を終わらせたかったから。

 先生の注意が佐藤から逸れる。無事あてられて公式を答えると、クラスメイトは皆つまらなそうな顔をして僕を一瞥した。これがあの中学時代ならいじめ街道まっしぐらだろう。陽子がにんまり笑みを浮かべて、両手を口の前で合わせていた。


 まったく、どういうつもりなんだよ。



******



 家に帰ってから、デスクの引き出しにある恋ぐすりセットを出した。


 飲みたい。

 とっとと忘れてしまって平穏を取り戻したい。


 僕はダメもとでもう一度、販売業者に電話をかける。

 だが、やっぱり出ない。

 ため息をついてスマホをベッドに放りなげる。悶々とするけど、やっぱりどちらの好意が消えるのかはっきり分からないことには飲めない。


 普通に考えれば、薬で好きになったんだから陽子に対する好意が消えるほうが理に適ってる感じはする。しかし確認したわけでもなくただの憶測だ。どこにも二人同時に好きになった際の優先順位なんて気の利いた説明書きはない。


 もしも古川への好意が消えたら、陽子への気持ちだけが残る。

 もしも陽子への好意が消えたら、古川への気持ちだけが残る。

 もしも選べるとしたら……僕はどちらを選ぶんだろう。


 ああもうヤメロヤメロ。


 僕は思いきりベッドにダイブした。ひんやりした感触が心地よくて、もうこのまま眠ってしまいたい。でも時間が経つにつれてベッドに体温が移って居心地が悪くなってくる。都度僕は寝返りを打って遮二無二寝ようとしたのだが、日没が訪れて部屋が真っ暗になっても眠れる気配が現れない。


 2冊目の本でも読もうとデスクに着いたのだが、この時点でまだ夜の7時。まだまだ続く夜の時間にうんざりした。



******



 古川に好き薬の使用を告白されてから1週間が経った。時間の経過が果てしなく感じても、終わってみればいつだってあっという間なのは何故だろう。週は最終盤の金曜。先週と打って変わって静かな1週間だったと思う。


 読んでいた本をぱたりと閉じて机に置く。

 あれから古川からのコンタクトはなかった。それも幸いしたからだと思うけど、僕は無事にブックホリックへの回帰に成功して、活字に埋もれる生活を送っている。陽子は、まあ、時どき挨拶をしたり目が合ったりはしているけれど。


 教科書など一式を持って選択教室に向かう。自分なりに振り切ってこの1週間を過ごしてきた自負があるけど、それでもこれから古川の隣の席に行くことを考えると、やっぱり緊張した。今度は、座った瞬間に本を読もう。そう作戦を決める。


 最上階に上がってふたつ目の教室に入る。


 すでに古川が座っていた。相変わらず優しい色をした髪が生きているかのように小ぶりな顔を飾っている。久しぶりに見るとやっぱり彼女は美しかった。彼女はこちらに気が付くとにこっと笑って手を振ってきて――。


 僕は目を逸らした。


 俯いたまま、席に着いてすぐに読みかけの本を開く。

 浅く腰をかけたせいか、とくん、とくん、と脈打つ心臓が机にぶつかっている。

 壁掛け時計を盗み見る。まだ5分以上ある。活字に目を戻す。


「……それ、今日は何読んでるの?」


 古川が身を寄せて覗き込んだ。


 僕が今読んでいる本はもう50年も前に遡る純文学のヒット作だ。時代を感じずにはいられない慣れない表現や語彙には苦戦をする。だけどそこの差を感じさせられるからこそ、僕には人間の本質的な部分が際立って見えるのでは、と思う。古川に合うかどうか分からないけど純文学にしては読みやすいからおすすめ…………って、違うだろうが。


「……別に」


 一蹴して本を遠ざけた。視界の隅で古川が身を引いていく。呼吸が荒くなっているから音を殺す。

 5分経って先生が来た。本を閉じて、教科書、ノートを開いていく。古川もたぶん、僕と同じように淡々と授業を受ける支度をしている。静かな休み時間の終わりに、胸がちょっぴり苦しい。


 授業中、古川はこの前みたいに紙切れを渡してくることもなく、僕も決して彼女のほうに目を向けることなく、陽の差した教室でつまらない話を延々と聞いている。でも聞いているのに頭の中には入ってこない。退屈で仕方なかった。


 授業が終わって一目散に教室を出る。僕を呼び留める声は無かった。


 よくやった――僕は階段を駆け下りながら自分をほめたたえる。1度でもいいから乗り越えることが大事なんだと思う。だから僕が今日、この選択授業を本来の自分で乗り越えられたことは大きな成果だった。甘い蜜に負けるやつはきっと一生負け続ける。


 古川のくしゃっとした笑顔も、優しい視線も、楽しそうな笑い声も、僕に話しかける積極性も、僕を好きだといったことも、柔らかい口づけも、とにかく彼女が繰り出すすべての所作は、好き薬を飲んで出来あがったニセ古川の仕業なのだから。



******



 週は変わって月曜日。


「ねえねえ」


 パンを齧った口が止まる。


「今日ひまなのだ?」


 フリーズした。

 陽子はいま、僕に今日ひまかどうかを聞いている。

 そして彼女はいつまで経っても答えない僕に押し付けるように言った。


「ホームルーム終わったら、集合なのだ。4階の多目的学習室ね」


 陽子はそれだけ言い残して去っていく。

 なんで? と聞き返そうと思った時には、もう彼女は教室からいなくなっていた。


 行きたくない。率直に。


 僕がニセ成瀬である間は、極力陽子とは関わりたくなかった。だから先週は徹底してブックホリックを貫いたし今日もそれなりの覚悟を持って月曜日を迎えた。僕が今できることはこれ以上嘘を重ねないことである。陽子への好意が消えない以上は、彼女に対する大体の行動が嘘になるからだ。


 ラインが鳴る。


≪来なかったら罰があるなのだよ≫


 スマホを閉じる。

 はあ。腹の底からため息が出る。


 悩んだ末、ホームルームが終わった僕は最上階の選択教室へ向かった。そう、4階の多目的学習室とは、毎週金曜日に選択授業で訪れているあの教室のことである。何故彼女がそこを待ち合わせ場所に指定したのか、この時の僕はまだ知らない。


 重たい足取りで最上階まで上がり、教室の前で足を止めた。

 ホームルームに陽子の姿はなかった。担任は腹を立てていた。勝手に帰りやがってと文句を言っていたし、クラスメイトもみんな彼女が帰ったものだと見なしていた。


 でも陽子はここには来ているんだと思う。人を呼び出しといてすっぽかすようなタイプではないから。果たして……。一体どういうつもりなんだ。手をかけた扉をゆっくり横に引いた。


 雲が空一面を覆ってしまっているせいか、がらんとした教室は薄暗く、ぽつんとひとり座った女子生徒は心なしか寂しい存在に見えた。咄嗟に僕は“今日は何曜日だっけ”と自問する。そして自答するよりも先に、彼女のほうから「なんで?」と僕に聞いてきた。


 口が半開きの古川はいつもよりも間抜けな顔をしている。

 なんで選択授業でもないのに、ここに彼女が居る。


「なんで古川が居る……?」


「私のセリフなんだけど」



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