第37話 旅支度
西の森から帰宅した二人の話を聞いたアレクシスは、珍しく頭を抱えた。
「その……鳥が、昨日の光の正体、ということ、なのかな?」
エマはオークの白銀の羽をアレクシスに見せた。
「その鳥……」
「オークですわ。お義父さま」
「そのオークは……エマと話せる、と?」
エマはアレクシスの問いに頷いた。
ヴィクトールはアレクシスの困惑をよく理解できるというように見ていた。
「はい。オークは森の管理者だと言っていました。代表してとも言っていたので、オークのような……生き物があの森にはいるのかもしれません」
魔の森は呪われた森として国内外に知られていたが、呪われているどころか、むしろ神聖な森だったのかもしれない。
「じゃあ、エマが言っていた変異種とは」
「おそらく――。オークのような存在が、きっとさまざまな地域にいるのではないでしょうか。枢機卿が操っていたのは、そういう生き物だったのかもしれません」
――オークのような生き物であれば、複雑な思考に耐えうる。闇魔法によって支配されてしまう可能性は高い。しかも、他の獣に対しての影響力は強そうだ。枢機卿がどこまで理解していたのかは分からない。でも、リーダー格のような魔獣を動かして、あのような状況を作ったのだろうと推察できた。
「――ちょっと……理解が追い付かない部分もあるが、とりあえず、ノクスに数十年……いや、百年以上振りだろう。魔獣に脅かされる日々ではない、平穏な日常が訪れたということだな。――エマ、本当にありがとう。君への感謝は、言葉で言い表せないほどだ」
「いえ、ですから。昨日の力はオークたちの力を借りて……」
アレクシスはエマに深々と頭を下げた。
「オークたちを救ってくれたのは君だ。――本当に、ありがとう」
エマは自分の力がノクス領の役に立ったことを実感した。
むず痒い気持ちがしたが、それ以上に自分がノクスに貢献できたことが嬉しかった。
エマはアレクシスの感謝を小さな頷きで受け止めた。
そんな様子をヴィクトールは微笑んで見守っていた。
「エマのおかげでノクスのことは大分整理がつきました」
「ああ」
「それで……――」
アレクシスはヴィクトールが言おうとしていることは分かっているように頷いた。
「行って来い。――ルシアン殿下が、待っている」
帰路、ヴィクトールと、ディベリアへ行くことを決めていた。
お互いが、ずっとそう思っていた。
“ネイト”という謎の脅威に怯えながら暮らすのも嫌だ。
ディベリアへ行くのは危険だとも思ったけれど、西の森が回復したことで自信も湧いた。
ヴィクトールが用意してくれた魔石もあるし、何より、ヴィクトールと一緒であれば、どんな場所も怖くはない。今まで私たちを助けてくれていたルシアン殿下の役に立ちたいという思いもあった。
ヴィクトールはすぐにルシアンへ手紙を出すと、ルシアンの返事は待たずディベリアへの出発を決めた。
◇◇◇
少し冷たい潮風が心地よい。
船旅は初めてだ。
というか、エマは“旅”というものは、ほとんど経験がない。
国外を出るのも、初めての経験だ。
――綺麗……。
リュクノール領も、ノクス領も海には面していないから、こんな風に海を間近で見る経験はなかった。
深い碧が小さく波打つ光景は、ずっと見ていても飽きることがない。
そういえば、ルシアンが前言っていた珊瑚の砂浜というのはどういうものなのだろう。
エマは海を見ながら、不謹慎ながらも少しわくわくしていた。
「エマ、楽しそうだな。あまり下ばかり向いていると、船酔いするから気をつけなさい」
「船酔い……」
船に乗るのもはじめてのエマは船酔いも未経験だった。
船酔いをしたら凄く気持ち悪くなると聞く。調子に乗って海ばかり見ていたらいけないわね。
エマはヴィクトールの警告を聞いて慌てて視線を上に向けた。
ヴィクトールがエマを見て嬉しそうに目を細めている。
「不謹慎かもしれないけれど……」
「ん?」
「ヴィクトールと、初めての旅行だと思ったら嬉しくて」
「奇遇だな。私もそう思っていたよ。ちょっとハードな新婚旅行だけど」
海の遠くにディベリアの陸地が見えていた。
闇月教会の5人はどうしているのだろう。ネイトのことは分かったのだろうか。
ルシアン殿下は、どうしているだろう。
ディベリアのことを考えると、不安に引っ張られて行く感覚がした。
でも、いまは……――。
エマは海を眺めるヴィクトールを見上げた。
いまは、ヴィクトールとの旅を少し楽しみたいと思っていた。




