第35話 中和の力
ヴァレンシュタイン領のデータを見て確信した。
ノクス領はそもそも領土全体が瘴気の影響が強い。
原因はおそらく西の森。西の森付近は、他の土壌や植物よりも強く瘴気の影響がある。
そして、診療所を起点に考えて50キロ圏内の土壌や植物には瘴気の量が減少している。
――これは……中和魔法の効果の可能性が、高い。
エマはイレーネにもらった作業服に身を包んだ。
イレーネの言う通り、エマの瞳の色に合わせたラベンダー色の可愛い作業服が仕上がっていた。
サイズ感もちょうどよい。女性らしいデザインに仕上がっているけれど、身体のラインを強調するようなものでもないから作業中服のラインを気にする必要もない。
――これは……最高の作業服だわ!
エマは作業服を身に付けて玄関へ下りた。
イレーネがエマの作業服姿に歓喜の声を上げた。
「エマ~、可愛い。可愛すぎるわ!」
相変わらず、義母は私に甘々だ。テンション高めな義母を、義父は微笑ましく見ている。
「お義母さま、ありがとうございます。この作業服、本当に素敵です」
「良かったわ。喜んでくれて」
「エマ、本当に可愛いよ。エマの瞳の色にも合っている」
ヴィクトールも頬を緩ませ褒めてくれる。本当にここの人たちは、私に甘すぎるかも。
クラリスが言っていたことも一理あるような気がしながら、誉め言葉を有難く受け取った。
「じゃあ、ヴィクトール。頼んだぞ」と、アレクシスが声をかけた。
「任せてください」
ヴィクトールは自信に満ちた目でアレクシスに答えた。
エマとヴィクトールは、ルーメンに乗って西の森へ向かった。
レイヤードも、ノクスの騎士たちも同行してくれている。
今日の目的は一つ。西の森に中和魔法を直接かけること。
馬車と違ってルーメンの移動は早い。
ルーメンでの移動も大分慣れて来ていた。馬で走るときに、風を感じるのが気持ちいい。
風が少し冷たいけれど、ヴィクトールがくれたストールが身体を守ってくれている。
朝に出たので昼頃には西の森に到着するだろう。
◇◇◇
誘拐事件以来、初めて西の森へ来た。
犯人たちの隠れ家はすぐに取り壊されたため、小屋の跡地に残っているのは瓦礫だけだ。
西の森も、夜と昼では雰囲気が違う。暗い森ではあるが、昼の明るさで幾分かはマシな状態だ。
夜の西の森を見て、エマはそう思うようになった。
西の森の中へ入ると、あの夜のことがどうしても思い出される。
いまエマの腕を引いているのは、ヴィクトールだ。
あの男に抱きかかえられているわけではない。
あんな背筋が総毛立つようなことは、もうないのだ。
もうないはずなのに……――。
エマの手を引いてくれているヴィクトールのことを考えた。
今日は冷静な顔をした、頼もしいヴィクトールだったが。でも、きっと、彼も……――。
――弱気でいてはダメだわ。
エマはヴィクトールが駆けつけてくれたときの、安心感を思い出そうとした。
風魔法を巧みに操る彼は、本当に飛ぶように早かった。
髪もふわふわに乾かせるし、ヴィクトールの魔法って……結構便利で羨ましい。
髪がふわふわに乾くのが嬉しくて喜んでいたら、あの晩から毎日ヴィクトールが髪を乾かしてくれるようになった。おかげでエマの髪は、前よりふわふわだ。ヴィクトールも気持ちよさそうに髪に顔を寄せている。私の魔法って、そういう日常使いがあんまりないから羨ましい。土魔法では栄養分を高められるし、水魔法ではコップ一杯分程度の水なら出せるけど。はっきり言って、そこまで便利ではない。
使い方をもう少し検討した方が良いのかも。
「この辺まで来たらどうだ?」
瘴気が少し濃くなっている。もう少し深部に行っても良いかと思っていたが、誘拐事件があったばかりだ。あまり無謀なことを言うのはよくない。エマはヴィクトールに従い、土に手をついた。
植物でも良いかと思ったけれど、私は一応土魔法も使えるし(クラリス様は呆れた使い方だったけど)、土の方が影響が強そうな気がした。
エマは地面に手をついて、目を閉じた。
ヴィクトールに教えてもらったように、頭のてっぺんからつま先まで魔力を循環させた。
そして、祖父が言ったように“闇を均す”感覚で、森に向き合った。
この森の瘴気を中和したい。
この森の瘴気に、暗闇に、ほの暗い光を当てるような感覚だった。
しばらくすると、土がほの暗い光に包まれていくのが見えた。
深い紫紺の輝きが、暗く覆われた樹木を包んでいる。
木々の間から陽光が差し込んでくるような明るさが、西の森を包んでいく。
昼なのにまるで闇に覆われているようだった森が、あるべきかたちに戻って行くようだった。
目を閉じたまぶたからも陽光のまぶしさを感じた。
――もう少し……。もう少し、この森を、中和したい。
ノクス領を治める家族のために、ノクス家を支えてくれる領民のために……――。
エマの胸には次々とノクスで出会った人たちの顔が浮かんでいた。
魔法を使っているときに、こんな風に止めどなく誰かの顔が浮かんでくることなんて今までで一度もなかった。なぜこんなに浮かぶのか。エマは自分のことなのに、よく分からなかった。
エマの頭に、ヴィクトールの様々な顔が浮かんだ。
氷の貴公子の顔、照れたように笑う姿、情熱的で獣のような熱い瞳、不安気に揺れるアイスブルーの瞳、そのどれもがエマの宝物だった。たった半年のことのはずだ。でも、もう彼がいない人生など、あり得ないと思っている。
「なんだ、これは……」
エマの閉じたまぶたからも、キラキラとまばゆい光を感じていた。
どれほどの時間が過ぎたのか分からなかった。
身体中から力が抜けていくのを感じた。
薄れゆく意識の端で、ヴィクトールの声が心地よく響いていた。
意識を失うのは怖くなかった。ヴィクトールが、一緒にいたから。
エマは安心して、意識を手放した。
◇◇◇
目が覚めたら、寝室だった。
心配そうにヴィクトールがのぞき込んでいる。
――ああ、また、彼を心配させてしまったのね。
「エマ……、大丈夫か。急に起き上がろうとしなくていい」
身体は疲れていたが、心は不思議と満たされている感覚だった。
身体を起こして、ベッドに座った。服は着替えさせてくれたのだろう。寝間着に変わっていた。
「魔力を使い果たしたんだ。それで、西の森で意識を……」
「え?」
身体から力が抜けていく感覚があったが、あれが魔力を使い果たすという感覚なのか。
「エマ……君のおかげで、西の森が……いや、ノクス領が、大変なことになっている」
「……大変?」
「瘴気に依存した植物が枯れ始めた。君が知りたいだろうと思ったから、西の森の土壌と植物のサンプルも採取してきた。効果はあとでじっくりと確認すれば良いが、確認しなくても……明らかに瘴気が消えたのが分かるほどだ」
「瘴気が……消えた?」
「ああ。消えたというのか、薄れたというのか、その辺りはよく分からないが、君が中和魔法を使っていたとき、徐々に森がほの暗い光に包まれていた。少しずつ植物の葉から瘴気が消え、明るい色を取り戻した。木漏れ日まで差し込んできた。さすがだと思った瞬間、君の手からキラキラした光が……」
「キラキラ……?」
あの、光の柱のときのようなものだろうか……? あのときはケイティの光魔法を借りたからできたのかと思っていたけれど、そうではないのだろうか?
「そのキラキラした光が現れた瞬間、西の森全体が……まるで、普通の森のような健全さを取り戻した。森自体が発光しているようだった」
「え……?」
「エマ……君は……本当に――すごい、な。予想以上の、力だ」
ヴィクトールは、ベッドで横になるエマに興奮したように語りかけた。
何時間くらい眠っていたのだろうか。辺りは大分薄暗くなっていた。
「エマ……」
ヴィクトールは、エマの髪を優しく撫でた。
ヴィクトールはベッドサイドに置いた小箱を手に取った。
その小箱を開けると、ヴィクトールの瞳の色――ブルージルコニアのネックレスが入っていた。
髪飾りにつけてくれた魔石と、同じものだ。
ヴィクトールはそのネックレスを手に取ると、「つけていい?」と尋ねた。
ヴィクトールはエマの髪を片側に流すと、器用にネックレスをつけてくれた。
「似合っている」
満足気にエマを見ると、ヴィクトールが微笑んだ。
「遅くなったけれど、私の力を込めてある」
ヴィクトールの色に込められた、ヴィクトールの力に守られていることが、エマは嬉しかった。
「ありがとう。ヴィクトール。これで……何かあったとしても、あなたがすぐに私の元へ来てくれるのね」
「ああ……」
王庭で襲われたときのことを思い出した。
風魔法を使ってあっという間に駆け付けてくれたヴィクトール。
ヴィクトールはもう1つ小箱を出した。
前にもらった髪飾りも、新しい魔石にして直してくれている。
「君が……大切にしてくれていたけれど。やっぱり効力のある魔石じゃないと」
髪飾りに施された魔石は、以前と同じブルージルコニアに、ピンクのルベライト。
そして、エマに最初にくれたネックレスにあしらわれていたアメジスト――エマの瞳の色――と、ルシアンがくれたスフェーンも使われていた。
「これ……」
「ルシアン殿下の気持ちを……一応有難く受け取っておくことにした。できれば、私の魔石が君のピンチに一番に反応してほしいけど……」
「――きれい。ありがとう。ヴィクトール」
エマは、前よりも少し色鮮やかになった髪飾りを手にした。
「前のものも素敵だったけど、これは……もっと素敵ね」
西の森のことは、光の柱のときのような派手さはなかったけれど、ノクス領の領民たちを驚かせるには十分だった。




