第8話 手紙
第8話 手紙
愛するエメリン
変わりはないだろうか。結婚準備が順調であることは、私たちとしても喜ばしいことだ。
ノクス卿からの報告もいただいている。
一点、リュクノール領で気になる話を耳にしたので急ぎ連絡をした。
エメリン、ノクス領で闇魔法を用いたことは、最善の策であっただろうと推察している。
命を救うよりも、大切にすべきことはない。しかし、そのことで、お前の力が公になることを懸念している。
お前の立場、お前の力を、利用しようとする者が現れるとも知れない。
あるいは、邪魔に思う者が現れるとも知れない。
お前を不安がらせるつもりはなかったが、この話を聞いて以上、黙っていることはできなかった。どうか、身を案じてほしい。
ノクス卿の手紙からも、お前を気にかけている様子はよく伝わった。ノクス卿の言葉を信じ、慎重な行動を取るように。
エメリン、お前のことを信頼していないわけではない。愛するが故の、老人の戯言と許してほしい。
力を悟られないよう、目立たないよう、くれぐれも慎重な行動を取るように。どうか自分の身の安全を第一に。
ノクス卿にも宜しく伝えてくれ。
愛するエメリン、リュクノール領に戻るのを私たち家族は楽しみに待っているよ。
トレラー・リュクノール
◇◇◇
祖父からの手紙を受け取ったエマは、微かな不安が現実になったことを自覚した。
私が使った闇魔法のことが、どうやらノクス領外にも広がり、リュクノール領にも伝わっている。
リュクノール領に伝わっているということは、その噂は一体どこまで広がっているのか。
覚悟はしていたことだが、後悔がないと胸を張れるほど、肝が据わっているわけではない。
今までエマはほとんどの時間、領地に引きこもり研究に明け暮れていたのだ。
祖父に闇魔法のことを習っていたとはいえ、リュクノール領は魔物出没率が非常に低く、
ノクス領のように注目される事件は起こらずにいた。
魔法も、開発した薬のことも、祖父のおかげでエマのことはずっと影となってきた。
だから、エマは自分の力がここまで世間の注目を集めるものだという自覚が薄かったのかもしれない。
この先のことを思うと、気持ちが沈んだ。
せっかく最近は、ノクス領での生活にも慣れ、ノクス辺境伯夫人との茶会も、庭の散策も、研究所も、そのどれもが、充実したものだった。
そして、何より――。
エマは自分の髪に飾られた髪飾りの贈り主のことを思った。
ヴィクトールは、本当に素晴らしい貴公子だった。紳士的で、思いやりがあり、甘い……。
先日、ヴィクトールに髪に口付けをされたことを思い出した。
「氷の貴公子」というあだ名しかエマは知らなかったので、ヴィクトールがこんなに女性に甘いなんて予想外だった。
思い出しただけでも、気持ちが落ち着かない。ヴィクトールにとっては何でもないことなのかもしれない。
でも、エマにとっては…。
あのとき、見つめられたヴィクトールの瞳を思い出すと、胸がそわそわした。
エマの胸を射抜くような高潔なアイスブルーの瞳。
エマの髪飾りにも、彼の瞳の色に似た石が誂えられていた。
そのおかげで、毎日その髪飾りを見る度に、彼の情熱的な瞳を思い出してしまう。
こんなこと、今までなかった。
エマの日常は、愛する家族、大好きな研究や本のことで、頭の中がいっぱいだったのに。
今ではヴィクトールのことを思い出すだけで、彼のことで頭を支配されてしまう。
どこが、氷の貴公子なのか。
最近では、エマにも笑顔を見せてくれることが増えたが、彼に微笑まれると、あまりに美しくて心臓が止まりそうになる。
本当にヴィクトールは、身体に悪い。
結婚したら、どうなってしまうのだろう。以前とは違う意味で、エマは恐ろしくなった。
◇◇◇
コン、コン、コン。
礼儀正しく扉がノックされる。もう声を聞かなくても分かってしまう。
ヴィクトールだ。ナタリーが扉を開ける前に、エマの様子を確認してくれる。
先程、ヴィクトールのことを思い出していたせいで、頬が赤い気がするが、そんな理由で待たせるわけにはいかない。
なるべく平静を装って立ち上がると、ヴィクトールが現れた。今日も、彼は大輪の花のような美しさだ。
「ご機嫌よう。ヴィクトール様」
「エマ、今日も可愛らしいね」
ヴィクトールの社交辞令もエマを激しく動揺させた。
貴族男性とはそういうものなのだ、一々動揺してはならないと思うが、エマの鼓動は激しく音を立てていた。
この前、私が動揺した姿を面白がってか、ヴィクトールは甘い挨拶の後にエマの手をそっと取って、指先にそっと口付けをした。
これでもかというヴィクトールの甘い態度に、エマが蕩けてしまいそうになる。
が、これもヴィクトール流の揶揄いに違いない。
エマが怒ったような素振りを見せると、ヴィクトールはまたそれを面白がって笑う。
――本気で、私に好意を向けるはずがない。
長年ケイティと比較され、「不気味令嬢」と蔑まれ続けた結果、エマは自分への好意を信じることができなくなっていた。
「ヴィクトール様、お戯れを」
「戯れだなんて。美しい花を見たら触れたいと思うのが男心だろう」
「もう」
「氷の貴公子」と呼ばれたヴィクトールが、こんな揶揄いをする男性だとは思わなかった。
エマが怒ったような素振りを見せると、ヴィクトールはまたそれを面白がって笑う。
こんな揶揄いをいつまでも続けられたら、身が持たないわ。
「私を揶揄いにいらっしゃったのですか?」
「いやいや、失礼。実は…」
ヴィクトールは一通の手紙を私に見せた。封蝋には、ルーク王国の国花が印璽されていた。
「王家の…」
「カイルからだ」
ヴィクトールは、王太子とケイティの幼馴染だ。
ケイティのことを思い出した瞬間、先程まで妙に高揚していた思いが、急に沈んだ。
「近日中にアステリアに来られたし、ということだ。君と、私とで」
王都アステリアへの急な招聘。嫌な予感がした。
「用件は、書いてない。結婚のことかもしれないし、それ以外のことかもしれない」
「…それ、以外の…」
私の不安な声に、ヴィクトールは柔らかな声で「実は…」と切り出した。
私はゆっくりと首を振り、先程から読んでいた祖父からの手紙をヴィクトールに差し出した。
ヴィクトールは祖父の手紙に目を通すと、静かに頷いた。
「知っていたんだね」
「先ほど。でも、覚悟はしていました」
ヴィクトールは頷き、申し訳なさそうに「王家にも伝わったと考えるのが自然だろうな」と言った。
「エマにもう少し、この領地に留まってもらってから、リュクノール家へ送ろうと思っていたが、アステリアへの訪問を急がなければならない」
「はい。心得ております」
ヴィクトールは、そっと私の両手を握った。
「私が必ず守るから。心配しないでほしい」
初めて触れたヴィクトールの手は、大きく、温かかった。
やっぱり、彼のどこも氷ではないわ。
エマは再び止められない胸の高鳴りを感じながら、彼の手の温もりに確かな安心感も得ていた。
お読みいただきありがとうございます。ブックマークいただきありがとうございます。読んで頂けていると実感し、嬉しく思っております。明日からは王都アステリアへ。物語が広がりを見せていきます。どうぞ、明日もご覧ください。




