第29話 報復
「んっ……あ、ヴィクトール……やっ……て」
あの後、不敵な笑みを浮かべたヴィクトールに執務室に連れて来られた。
何か本当に別の話でもあるのかと思ったら、急にヴィクトールの膝に乗せられた。
「なっ…なに!?」
「何じゃない。君に私の政務を手伝って貰わないと」
そういうと、少しいつもより大胆に空いた襟ぐりからぐいっと手を差し入れた。
「きゃあっ……何するんですか」
「仕事に集中できなくしたのは誰だと思ってるんだ。少し、落ち着かせて貰わないと……仕事にならない。責任を取ってもらう」
「どう、いうこと……?」
「言ったままだ」と言うと、先ほどからずっと胸を弄られている。
「母が君にプレゼントした服は、ずいぶんと脱がせやすくて助かるよ」
ヴィクトールの吐息がエマの耳元にかかる。
確かにイレーネの贈り物は、あっさりとヴィクトールに胸を露わにされてしまった。
さっきからエマの胸はヴィクトールの大きな手に包まれ、頂を指で弄ばれている。
こんな時間からこんな場所でされているのに、ヴィクトールの愛撫に翻弄されてしまう。
こんな、いつ誰が来るか分からない場所で……。明るい部屋で身体を弄られることに抵抗しているのに、身体はヴィクトールに従順に従ってしまっている。
気持ち良すぎて、目がうるうるとしてきた。
--もう、こんなんじゃヴィクトールの思うままにされてしまうのに……。
「昨夜は、君の期待に応えてあげられなかったから……」
「それは……夜の話で……。こんな、時間から……」
「君がそんな格好で、私の政務を邪魔するからいけない。昨日だって、あんな……お願いして……。私の妻は、最近……ずいぶんと夫を翻弄して楽しんでいるみたいだから……、私も楽しませて貰うことにしたんだ」
ヴィクトールは、エマの胸に顔を寄せて来た。
「エマ、綺麗だ」
胸の頂を優しく舐められると、喜んでいるようにピクッと反応してしまう。
その反応にヴィクトールは満足するように「溜まらないな……」と呟いた。
「さ、エマ。今日は何をしてほしい? エマがしたいことをしてあげるから」
エマは必死の抵抗で首を振った。
「も……やっ……て、言ってるのに」
エマが息絶え絶えにヴィクトールを睨んだ。
睨んでいるのに、何故かヴィクトールはますます興奮するようにエマの姿を見た。
その瞬間、ノック音が聞こえた。
扉に意識がいったヴィクトールから逃れるように、エマはサッとヴィクトールの膝からおり慌てて服を元に戻した。
ヴィクトールは不機嫌そうに扉に向かって、「……はい」と返事した。
「ヴィクトール? 私よ、クラリス」
その声にエマはビクッと反応した。
--こ、こんな……こと、してたなんて思われたら……なんて言われるか……。
真っ青になって、ヴィクトールに乱された服におかしな点がないかを点検する。
ヴィクトールは、ため息をつきながらエマの着替えを手伝い、扉の向こうに「何か?」と気のない返事をした。
「ちょっと……話が、あって。入ってもいいかしら?」
「ちょっと待って。……書類を仕舞う」
エマは乱れた髪も慌てて手櫛で整えた。
「おかしくない?」とヴィクトールを見ると、ヴィクトールは頷いた。
--ああ……本当に冷や汗を掻いたわ。ヴィクトールには二度とこんなことしないように言わないと……。
ヴィクトールはエマの身支度を確認したうえで、「どうぞ」と扉を開けた。
クラリスはヴィクトールを見て嬉しそうな顔で「急にごめんね」と言って、執務室に入った。
入った瞬間に、いるとは思っていなかったエマを見て、顔が凍るのが分かった。
--そうよね。私がいるなんて思ってないわよね。き、気まずい……。
「エマには執務を手伝ってもらっていたんだ」
「そう……」
「で、話って?」
ヴィクトールはソファに座るよう声もかけず、立ち話で終わらせようとしていた。
--それは、さすがに失礼じゃ……。
クラリスがエマに視線を向けているのも、肌で感じた。
「ヴィクトール、私、部屋に戻っているわ」
「いい」
「でも……」
「エマに聞かせられない話なんて、ない」
ヴィクトールをクラリスを射抜くように見ながら、そう言った。
ヴィクトールは、いつまでもクラリスに座るようにも声をかけない。
妙な沈黙が部屋を包んだ。
「……明日、帰ることに、したわ」
「そうか。ヴァレンシュタイン卿によろしく伝えてくれ。迅速に対応してくださって本当に助かった」
「分かったわ」
「クラリスも……わざわざ届けてくれて、ありがとう。助かったよ」
クラリスは、ヴィクトールのその言葉に少しだけ救われるように笑顔が溢れた。
「ううん。いいの。私も、あなたに……会いたかったから」
クラリスのそれは、愛しい人に向けるいじらしさを感じた。しかし、ヴィクトールはそんなクラリスに淡々と「そうか。そういえば、久しぶりだったな」と答えるだけだった。
「その……あなたが、急に結婚をすると聞いて……驚いたの」
クラリスがチラッとエマを見た。
「王命なのだから、仕方ないとは思うけど……。出会って、たった半年でしょう? お互いのことだって何も分からないわけだし……」
「何が言いたい?」
「……別に」
クラリスとヴィクトールは20年近い付き合いなのだ。その絆に比べれば、その年月に比べれば、王命で下ったたかだか半年の絆がいかに薄っぺらいものなのかを、言いたかったのかもしれない。
「私たち貴族にとって、王命は絶対だし、厄介でもある」
クラリスは嬉しそうにヴィクトールを見た。だが、次の瞬間、地獄に突き落とされるように顔を歪めた。
「ただ、今回の王命には感謝しかない。エマと出会えた半年は、私の人生において最も重要な半年だ。運命の相手に出会うと言うのは、こういうことなのだと思い知ったよ」
「……運命……?」
「ああ……」
「あなた、らしくない」
「だろうな」
クラリスの瞳には、もう光は見えなかった。
「話はそれだけか?」
ヴィクトールが冷たく言うと、クラリスはぼんやりとした様子で部屋をあとにした。その足取りの重さに、エマは言い知れぬ不安を拭いきれなかった。
「ヴィクトール……クラリス様、あのまま行かせて……大丈夫?」
「さあな。この辺は護衛もいるし、クラリスも妙なことはしないだろう」
でも、かなりショックを受けた顔をしていた。ノクスに着いた時の、あの華やかな姿とは雲泥の差だ。
「……探したほうが、いいんじゃないかしら?」
「子どもじゃないんだ」
「でも……」
何かあってからでは心配だ。エマが探しに行けばいいのかもしれないが、エマに探されるなんてクラリスにとっては最悪な気持ちだろう。
かと言って、ヴィクトールに追いかけてほしい……なんて、思えてもいない。
「あまり気にするな」
「……--」
「どうしようもない。答えられないのに優しくする方が残酷だ」
エマはヴィクトールの顔を見た。
ヴィクトールも、クラリスの思いにきちんと気が付いていた。そのうえで、あの対応をあえてしたのだと思った。
ヴィクトールは、確かに氷の貴公子然としたところはあるけれど、優しい人だ。
ヴィクトールの行動は正しい。
言っていることも。
でも、同じ人を愛した者として、あの顔をしたクラリスを放っておくこともできなかった。
エマは、淡々と仕事道具を準備するヴィクトールに「ちょっとだけ……様子を、見てくる」と声をかけて執務室を出た。
ヴィクトールのため息は聞こえていた。
ため息を吐かれても仕方がない、中途半端な行動だということは自分でも分かっていた。
でも、そんなに割り切れるものばかりではない。屋敷の中でクラリスが行きそうな場所を見たがどこにもいなかった。
クラリスが行きそうな場所なんて、エマに分かるはずもない。
クラリスのことは、何も知らないのだから。
エマは外に行ったのかも……と庭を見たが誰もいなかった。ふと、ルーメンの優しい瞳を思い出した。
クラリスは子どもの頃から、ヴィクトールとルーメンに乗っていると言っていた。
もしかしたらと思いきや、ルーメンのいる厩舎に向かった。厩舎の扉を開けたら、そこにはクラリスがいた。
クラリスが戸の開く音に反応して顔を上げた。
エマを見るとこれほど嫌なものはないという顔をされた。
--そりゃあ、そうよね。
「何よ」
--何よ、と聞かれると困る。あなたを心配して……なんて、言えるわけがない。
「笑いに来たの? ヴィクトールに、告白すらさせて貰えない哀れな私を」
「……そうでは……」
「そういう善人面で、この家の人間に取り入ったの? 高位貴族らしくない振る舞いで、新鮮だったかもしれないわね。でも、あなたなんて、ただの厄介者でしょう? カイル殿下とケイティが結婚するために、ヴィクトールが犠牲になっただけじゃない!」
いまだにこの国の貴族に私たちの結婚はそういうものだと理解されているのだと、感じた。
別に他人にどう思われようが構わないが、こうもはっきり言われるとさすがに少しは傷つく。
「でも、ヴィクトールは、私とずっと一緒にいてくれるって言ってくれました。私たちは、王命が下らなくても、結ばれる運命だったと、私も思っています」
そのエマの言葉にクラリスはカッとしたように掴みかかった。
--叩かれる!
頬を殴られる覚悟で目をつぶったが、いつまでも予想していた痛みは訪れなかった。恐る恐る目を開くと、エマを睨みつけながら涙を流すクラリスがいた。クラリスの目からは大粒の涙が流れていた。
エマはこういうとき、どうしたら良いかを知らなかった。女の子の友だちなどいたことはなかったから。
エマは思わずクラリスを抱きしめた。エドワードが泣いたとき、そうやって泣き止ませていたから。エドワードとクラリスは、全然違ったけれど、そういうやり方しか知らなかった。
クラリスはエマの手を振り解かなかった。
キィッ……と厩舎の扉が再び開いた。
ヴィクトールが探しに来てくれたのかも、と振り向くとそこには見知らぬ男が三人立っていた。ノクス家の使用人でもない。農民のようにも見えたが、見覚えはない。
「だれ……?」
エマの問いかけは虚しく厩舎に消えた。
ビクッとクラリスを抱き締めると、その男たちはエマとクラリスの口に布を当てた。その布の香りを嗅いだ瞬間、意識が薄れるのを感じた。




