第28話 協力体制
食事を終えて立ち上がると、クラリスが声をかけて来るより先に、ヴィクトールがエマの細い腕を強く握った。その力の強さにエマは不思議に思ってヴィクトールをチラッと見た。
「エマ、ちょっと……話がある」
「話?」
ヴィクトールは口元に笑みを湛えていたが、目は怒りを隠し切れないように無感情なものだった。
--何……かしら?
そんな様子を、クラリスは嬉しそうに目を細めて見ていた。
「ヴィクトール、あなたまたつまらない嫉妬はやめなさいよ!」
エマを食堂から引きずって行こうとした瞬間、イレーネの厳しい声が飛んだ。
その声にクラリスは、余裕の笑みが壊れた。
「……嫉妬?」
エマはきょとんと、エマの腕を握っていたヴィクトールの背中を見た。
ヴィクトールはイレーネの指摘が図星なのか、首を項垂れさせている。
「女心の分からない朴念仁なんだから」
「……母さんには関係ない。夫婦の問題に口を挟まないでください」
ヴィクトールは開き直って、堂々とした様子でイレーネに向き合った。
「どうせ、エマのドレスを着替えさせようとしているんでしょう?」
「……え? これ……似合って、いませんでした?」
エマは不安気な顔でヴィクトールを見上げた。
ヴィクトールはそんなエマに「うっ」と言い淀むと、視線を逸らした。
--皆、褒めてくれたから調子に乗ってしまったけれど、一番褒めて貰いたかった人には……。
エマは下を向いて自信を失っていた。
「エマ、ドレスは似合っているわ。私の見立てに間違いはないわ」
イレーネは俯くエマにはっきりとそう言った。
背筋を伸ばし、前を向きなさいと喝を入れられている気持ちになった。
エマは、視線を逸らして来るヴィクトールに凛と向き合った。
「私が間違ったのは、子育てよ」
「……え?」
「少しは殿下を見習ったらどうなの? 本当に女心をよく理解されているわ」
突然矛先が向いたルシアンは、クラリスの隣で興味深げに親子喧嘩を眺めていた。クラリスの反対隣には義父も立っていた。
「……だから、これは夫婦の問題で……」
「なんでドレスを着替えさせようとするのよ。こんなに似合っていて、素敵なのに」
その瞬間、母がクラリスの方をチラッと見た。
ヴィクトールの用件は、エマのドレスの着替えだと言うことは、ヴィクトールも否定しないので確定ということか……。
「あなたの価値観で女性のお洒落を邪魔するなんて……」
イレーネがため息をつく。
その仕草はいつもより大袈裟なような気もする。
ヴィクトールはらしくなく、顔を赤くして母を睨んでいた。
自分のドレスで、2人が揉めるなど居た堪れない。
「……お義母さま、私は大丈夫です。ありがとうございます。ヴィクトール、着替えて来るわ」
よく分からないけれど、とりあえずヴィクトールの指示に従ってここは丸く収めた方が……と思っていると、「行けません、エマ」とイレーネがエマを止めた。
「ヴィクトール、何でそんなに着替えさせたいのよ」
ヴィクトールは母の追求に苛立ったように髪を乱暴に掻いた。
「……集中、できない」
イレーネの追求から逃れられないと察したヴィクトールは睨み付けるような表情のまま、そう言った。
--集中?
ヴィクトールの意外な答えにエマはポカンとした。ヴィクトールは知られたくなかったのであろう、エマの視線に頬を赤らめた。
「……エマの姿が……妖艶過ぎて、集中が削がれる。政務にも、支障が出る」
「私と同じシリーズのドレスだって言ったでしょう? 別におかしなドレスを着せているわけじゃないのに何だって言うの」
「母さんの格好は何だって結構です。他の女性も好きな格好をすればいい。何も思わない。でも、エマは……。私の妻ですから。少しくらい口を出しても……」
「妻だからって、何だって夫の言う通りになるとでも思っているの?」
ヴィクトールの言葉に、クラリスは自分の妖艶なドレスをきゅっと握った。
その母の言葉に、自分の身勝手さを自覚しヴィクトールは押し黙った。
ヴィクトールは声を絞り出した。
「驚くだろう、クラリス」
その光景を見ていたクラリスに、アレクシスは穏やかに声をかけた。
「私もまさかあのヴィクトールが、こんなことを言うようになるとは思わなかったんだ」
クラリスはアレクシスを見上げた。
「私なんか、毎日のように睨まれていますよ」
「殿下、不肖の息子が申し訳ありません」
「揶揄いがいがあって楽しんでいますよ」
「そう言っていただけますと幸いです」
「しかし、クラリス嬢、昨日は肝を冷やしたぞ」
「え?」
「君がヴィクトールが良いとおっしゃるから、私は騎乗中ずっとヴィクトールに命を狙われなければならなかったんだ」
ルシアンは昨日の騎乗中のヴィクトールの殺気を思い出して高らかに笑った。
クラリスは、令嬢らしい愛想笑いはしていなかった。
ただ、いつの間にかエマを抱き締めてイレーネと揉めているヴィクトールの姿を眺めていた。
イレーネの知っているヴィクトールは、こんなに表情がくるくる変わる人ではない。
冷たいけれど、クラリスには他の令嬢よりも少し優しいと思っていた。エマが現れる前は、紳士的なエスコートが儀礼的なものだと考えることもなかった。
でも……--。
イレーネは自分の身体の中が冷えていくのを感じた。
「叔父様、少し部屋で休ませていただきますわ」
「昨日来てからもずっと休んでなかったから、少し疲れたんだろう?」
「ええ。……そうみたいです」
「殿下、先に失礼致します」
「ああ……」
クラリスはそう言うと、親子喧嘩を続けるヴィクトールの後ろをそっと通った。一瞬だけエマを見た。その視線には、昨日までの余裕はなかった。クラリスは、静かに食堂を出て行った。
しばらくヴィクトールとイレーネの不毛な喧嘩が続いたが、クラリスが食堂を出たしばらく経ったあと、その喧嘩は急に止まった。
ヴィクトールと、義父母は大きなため息を、ルシアンは笑いを噛み殺していた。
その様子に、エマだけが置いてけぼりを喰らっていた。
--え? え? もしかして?
「どうかしら? あの子、少しは分かってくれたかしら?」
アレクシスはイレーネに微笑んだ。
「お見事だよ。演技派だな、イレーネは。ルシアン殿下も、ありがとうございました」
「うむ。空気を読むのは得意だ。楽しかったよ。これだから、ノクス家は面白い」
ヴィクトールは戸惑うエマに優しく触れて、耳元でそっと囁いた。
「言っておくけど、私が君のドレスを着替えさせようとしたのは芝居じゃないからね」
--え?
「……言ったことも、嘘、ではない」
ヴィクトールとイレーネの喧嘩を思い出して、エマはカァッ…と赤くなった。
「妻のお洒落を邪魔する狭量な夫にはなりたくはないが、毎日、それだと……私の政務が滞ってしまうよ」
ヴィクトールは愛らしく、エマにお願いをした。
ヴィクトールが、エマのドレスで集中が乱れるなんて……。
「ご協力願うよ、奥さん」
ヴィクトールはみんなの目を盗むように、ちゅとエマに口付けた。




