第27話 助言
「……鼻血、ですか?」
「そうなの。お風呂でのぼせていたみたい。それで昨日は……」
作戦は途中で頓挫してしまった。
ヴィクトールの恥を口にするのは憚られたが、ナタリーには相談に乗ってもらっている手前、話さざるを得ない。
ナタリーは、主人の秘密をベラベラ話す人間でもない。
「そうでしたか……」
ナタリーは複雑な表情をして言った。
「ええ。教本も……できそうなものから、やってみるわ」
エマは頬を赤ながら、懸命に言った。
「そうですか。……あまり、無理をなさり過ぎないように、してくださいね」
ナタリーはエマにニコリと微笑んだ。
「ええ。でも、昨夜挑戦してみたら、ヴィクトールも嫌がっている感じはしなかったし、頑張ってみるわ」
嫌なわけはないだろうとナタリーは内心思っていた。むしろ、昨夜は奥さまに翻弄されたであろうヴィクトールに心の中で同情した。
--あまり、頑張ったりしたら……。旦那様の理性が崩壊してしまうのではないかしら。
エマは子どもの頃から、素直で努力家だった。その長所がまさかこんなところでも発揮されるとは……。
ナタリーは、エマの細い腰にコルセットをキュッと巻いた。エマはリュクノール領にいる頃からコルセットを巻くのはあまり好まなかった。ノクス領に来てからも、普段はあまり着用してはいなかった。
ところが今朝はコルセットを巻いて、スタイルがよく見えるようにしたいと言い出した。
理由は言わずもがなだったので、ナタリーは黙ってエマの指示に従った。
先日イレーネ様が作ってくださったドレスの中から一番大人っぽく見えるデザインのものを選んでいた。
最近はヴィクトール様の"跡"問題も解消したようで、服に悩むことは無くなった。
ただ、元々エマは露出の控えめな、機能的な服を選ぶことが多い。だから、ヴィクトールも妻の服装に口を挟まなかったのではないかと想像している。
でも、これは……どうだろうか。
イブニングドレスを着たエマを見たときの、不貞腐れたヴィクトールをエマは思い出していた。
鏡に映る姿を見て、エマは満足そうにしている。
「お義母さまみたいに、見えるかしら?」
確かにイレーネ好みの服装だ。
女性の流行を抑えた上品かつ、少し妖艶な……。
ナタリーは、エマの胸の谷間が強調された姿を見て、ヴィクトールが不貞腐れるのではないかと懸念した。もちろん、そんな破廉恥な格好というわけではない。そもそもイレーネ様が贈られたものだし……、でも……。
ナタリーは悩みながらも結局嬉しそうにするエマに何も言えず、「イレーネ様もお喜びになると思いますよ」と言った。
間違いなく喜んでくれるはず、イレーネ様は……。
◇◇◇
私室を出ると、待機していたレイヤードが驚いた顔をした。
「エマ……。ふ、雰囲気が……、いつもと違うな。どうしたんだ?」
レイヤードもすぐに気付いてくれた。
「お義母さまにいただいたの。今まで少し恥ずかしく着られていなかったんだけど、どう? 似合う?」
エマはいつもと違う自分に少しテンションが上がっているのか、スカートの裾を持ち上げて服を見せてきた。
--似合う……けど。そのドレス……。ヴィクトール様、大丈夫なのかよ。
レイヤードと同じ心配を抱えたナタリーと目が合ったが、ナタリーは静かに首を振った。
--言えなかったってことか……。
クラリスへの対抗心なのか、エマの意地らしい乙女心を察するに無碍に否定できないが……。
「あー……エマ、その」
「なに?」
「ヴィクトール様は……どう、思うかな?」
エマはきょとんとした。
--ヴィクトール様は……。
昨日のナタリーはエマのドレスよりももっと妖艶なものだったけれど、特に気にしている素振りはなかった。あんなに胸を押し付けられてもただ怒っているだけだったし……。夜着にしても、どんなものを着てもいつも「可愛い」って言ってくれているし……。
「あまり女性の服装には、関心がないのかもしれないわ」
「……え? そんなことはないだろう? ほら、認定式のドレスのときだって風邪引くって心配してただろう?」
「あ……」
「な。今日も心配されるんじゃないか?」
「確かに、そうですわ。奥さま。朝食までまだお時間もありますし、ほかのドレスにした方が良いかもしれません」
「でも……。イブニングドレスと普段着は違うでしょう? あの日はいっぱい知らない人がいるから心配していたんじゃないの?」
「いや……。どう、だろうな」
「それに、このドレス、お義母さまが着ているものにも似ているでしょう? 大人っぽく見えて良いかと思って」
「あ……そうか」
「もしかして、似合って……ない?」
エマは何となく着替えを促そうとする2人に不安気に問いかけた。
「いや……」
「似合っています」
「うん、似合っているよ」
ナタリーも、レイヤードも、結局はエマに弱かった。
--もう、仕方ない。ヴィクトール様に大人になってもらうしか……。
◇◇◇
食堂の入口を開けるとき、少し緊張した。
ナタリーも、レイヤードも似合うと言ってくれたが、他の人の反応も気になった。
変だと思われたら……。
今までお洒落などというものに、無頓着に生きてきた。何が自分に似合って何が似合わないのかも、正直よく分かっていない。だから、いつも勧められるがままになってしまっていた。
でも、今日このお義母さまが贈ってくださったドレスは自分で着ようと思た。
鏡に映る自分を見て、少し自信も湧いた。
クラリスに子どもっぽいと言われたことを気にしているみたいに思われるかとも思ったけれど、実際気にしているのだから見栄を張っても仕方ない。少しでも、大人っぽく、ヴィクトールの隣にいて自然な人間でありたい。そう、お義父さまとお義母さまのような……。
エマは勇気を出して、食堂の扉を開けた。
既に皆が揃っていた。
「おはようございます。お待たせしてしまったみたいで、申し訳ありません」
すぐに反応してくれたのは義母だった。
「まあ! エマ。そのドレス着てくれたの!」
「はい。お義母さま、とても素敵なドレス、ありがとうございます」
「やっぱり想像していた通り、いいえ。それ以上だわ!」
「うん。いつもと雰囲気が違うけど、似合うね。イレーネのドレスに似ているのかな」
「ふふ、分かる? 同じシリーズのものを作っちゃったの」
義父母が仲良さげに話している。
やっぱり、理想的だわ。
クラリスもエマのそばに来て、エマを見下ろすと「さすが叔母さまのお見立てね」とにこりと微笑んだ。その微笑みの裏に何かを感じ取ってしまうのは、昨夜のことが尾を引いているからなのだろう。
席に着くと、ヴィクトールよりも先にルシアンが「エマ、素敵なドレスだね。あまりに素敵で朝からクラクラしたよ」と揶揄い交じりに褒めてくれた。「ふふ、ルシアン殿下。ありがとうございます」と言うと、その瞬間、ヴィクトールの方からため息が聞こえた。
ヴィクトールを振り返ると、ヴィクトールは精神統一でもするかのように顔を下に向けている。水の入ったグラスを一気に飲み干した。グラスを持つ手は微かに震えているようにも見える。
--何?
そして、そのまま朝食が始まり、ヴィクトールからはドレスの件は一言も触れられないまま終わった。そんな様子にクラリスは、勝ち誇ったような笑みを浮かべてエマを見ていた気がした。




