第23話 ルーメン
クラリスがお祝いに用意してくれたのは、ルーメンの鞍だった。
ヴィクトールの瞳の色に合わせたのか、贈り主の瞳の色なのかは、判断の難しいところだが、美しいブルーの鞍だった。白毛のルーメンによく映えるだろう。
クラリスから贈り物を見て、みんな驚いた顔をした。こんな美しい色の鞍は、早々見ない。しかも金糸の刺繍も丁寧に施されている。豪華な鞍だったが、ギラギラと飾り立てていないところが、ヴィクトールの好みを的確に押さえていた。
「すごいな、このブルーは」
「本当、初めて見たわ。作らせたの?」
義父母も感心の声を上げている。
ヴィクトールは大げさなリアクションをしないが、素直に嬉しそうな様子だ。
そんなノクス家の面々の様子を見て、クラリスも満足気だ。
「結婚式も行けなかったし、お祝いもまだ渡していなかったから。喜んでくれて嬉しいわ」
「ありがとうございます」とエマも改めてクラリスに一礼をすると、「気にしないで」と大輪の華のような微笑みを浮かべた。
――先ほどの……冷たい目は勘違いだったのかも。
そんな様子に、エマはあまり考えすぎないようにしないと、と自分に言い聞かせた。
「そうだわ! 折角だから、久しぶりに乗馬をしましょうよ」
「――え?」
「ルーメンに新しい鞍も試したいでしょう?」
クラリスはヴィクトールがルーメンを可愛がっていることも良く知っているようだ。
「ヴィクトール、少し行って来たらどうだ?」と義父が声をかけた。
「そうよ、ヴィクトール! ルシアン殿下も宜しければどうかしら?」
「私もご一緒しても良いのかい?」
「もちろん、ねえ、ヴィクトール」
そんなクラリスの言葉に、もう乗馬をすることは決まっていた。
◇◇◇
「なんで、クラリスがルーメンに乗るんだ?」
「え? いつもそうしているじゃない?」
「いつもって……――何歳の頃の話だ」
「だって、私、ルーメンにしか乗ったことないわ」
クラリスの鞍は、ルーメンの白毛に想像以上によく合った。
惚れ惚れするセンスの良さだ。ヴィクトールも愛馬の美しさに満足気だった。
ルーメンに試乗するということだったので、ヴィクトールは当たり前のようにエマをルーメンに乗せようとしていた。ところが……――ヴィクトールは、クラリスに猛抗議を受けていた。
黒鹿毛のノワールが、誰を乗せたら良いのかと戸惑っているようにも見える。
「ノワールもよく訓練された大人しい馬だ」
「どうしてルーメンに乗っちゃダメなのよ」
「どうしてって……――当たり前だろう」
クラリスとヴィクトールの口論が徐々に激しさを増す。
挟まれているエマは居たたまれない思いで立っていた。
ノワールとともに、だれをエスコートしたら良いのか分からぬまま少し離れた位置にルシアンも立っていた。
「ヴィクトール……。私、ノワールに乗るわ」
ヴィクトールが「え?」という顔で、クラリスは満面の笑みでエマを見た。
「……それなら、私もエマとノワールに乗る。お前はルシアン殿下に乗せてもらえ」
ルシアンの名前を出されては「嫌だ」と騒ぐのも失礼だ。
クラリスは、困ったように眉根を寄せている。魅惑的な瞳は涙で潤んでいるようにも見える。
「ルシアン殿下に乗せていただくことは光栄なことですけど。私、緊張してしまうわ。さっきも殿下のエスコートは恐れ多くて……。ヴィクトールとは子どもの頃からの仲だから、気安いし、安心するの。別に二人の邪魔をしようとしているんじゃないんだけど……。エマ様はルシアン殿下とも仲が宜しいんでしょう?」
「それは……」
「殿下とも非常に仲の良いご友人だと伺ったわ。すごいわ。隣国の皇太子とご友人なんて。私なんかでは、とてもとても……」
「クラリス」
「ヴィクトール……、私、ルシアン殿下に乗せていただくから」
エマはヴィクトールを見上げて微笑んだ。
「エマ」
「こんなに待たせては殿下にも失礼だわ」と、ヴィクトールの耳元にそっと囁いた。
いくらルシアンが気の置けない友人になりつつあると言っても、こうも巻き込んでは申し訳ない。
「……――すまない」
ヴィクトールが、小さくため息をついてエマに囁いた。
◇◇◇
「私もそれなりにご令嬢にモテるはずなんだけど……」
ルシアンがノワールを走らせながら、エマに呟いた。
その自虐的な物言いが、いつものルシアンらしくなくおかしい。
クラリスと接して陰鬱な気持ちになるのが、ルシアンのおかげで少し晴れた。
「殿下がおモテになるのは分かっています」
「二人でヴィクトールを取り合っていただろう? 泣いてしまうかと思った」
「そんなこと……。私はルシアン殿下にノワールに乗せていただいて楽しいです」
ノワールにも失礼なことをしてしまった。
「そうかい?」
「ええ、殿下には相談に乗っていただきたいこともありましたし」
「相談?」
「はい。策略家の殿下のお力をお借りしたいことが……」
「楽しそうな案件だな」
「実は……」
先日研究所で分かったことと、ヴィクトールを説得する方法をルシアン殿下に相談した。
「ははっ! それは……そうだな」
ルシアンはクラリスを乗せて前を走るヴィクトールをチラッと見た。
なるべくヴィクトールの方は見ないようにしていた。
クラリスがヴィクトールに触れ、ヴィクトールが何か諫めているような様子が時折目に入った。
そんないがみ合っているように見える様子も“二人の歴史”を感じさせる。
触れ方も、言い合いも、呼吸のように自然だった。
本当に兄妹のように、いや……長年付き合ってきた恋人のようにも……。
――いけない。そんなこと、考えては……。
「まあ……。君がヴィクトールに言うことを聞かせるなら、あいつの判断力が鈍っているときに言質を取ることだな」
「判断力が鈍っているとき?」
ルシアンはエマを見てニッと笑った。
「君の方が分かるんじゃないか。あいつの判断力が乱れるのが、どんなときか」
意味深なルシアンの視線に、夜のヴィクトールの姿を思い出した。
まさか……――。
「まあ、男はそういうときの“お願い”には、弱いだろうな。特に、心から欲している相手の頼みなら」
「な……何を言っているんですか」
「策略というのは、相手の心理の穴をついてこそだ。君は好まないんだろうが、精神を操る闇魔法もそうだぞ。相手の心の隙を狙う。どんな人間も必ず“隙”はあるもんだ」
エマはルシアンの怪しい瞳に取り込まれないように、プイッと目を背けた。
「なんだったら、ヴィクトールの隙を作るシチュエーションもお教えしようか?」
「け……結構です」
「遠慮するな。エマの頼みにはいつでも応じると言っただろう?」
「だから……そういうのは、本当にいいんです」
「そうか? 君のハニートラップなら、私もかかりそうだが」
「ご冗談もほどほどにしてください」
――教えられたって、できる気がしない。要は、ヴィクトールを誘惑しろということだ。
誘惑なんて……。ヴィクトールに翻弄されてばかりの自分が……。
それこそクラリスのような妖艶な女性なら造作もないことかもしれないが……。
クラリスのことを考えると、また胸がチクリと痛んだ。
そんなエマの不安を吹き飛ばすかのうように、ルシアンは声をあげて笑った。
困るエマを実に愉快そうに笑っている。
――本当に揶揄うのが、お好きね。でも、ルシアン殿下のおかげで気持ちが紛れている。
その瞬間、ヴィクトールがチラッと後ろを振り返った。
ご機嫌なクラリスと対照的な表情を浮かべていた。
クラリスはチラッと私の方を嘲笑するように見て、ヴィクトールの胸にしな垂れかかった。
ヴィクトールはすぐにクラリスを押しのけていたが……。
“あなたにはできないでしょう?”とでも言うように見えた。
「気にするな」
ルシアンはルーメンの歩みをゆっくりにし、ヴィクトールたちと距離を取ってくれた。




