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不気味令嬢は、氷の貴公子に溺愛される  作者: 青海きのこ
第2章ノクス編

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第16話 すれ違い

「各地でサンプル採取をしましたが、やはり診療所を起点に瘴気の影響は少なくなっているようでした。元々森と違って農地は瘴気の影響は薄かったと思うのですが、騎士の方に採取していただいたノクス領の国境沿いのサンプルになると農地の土壌でも瘴気の影響は多少見られました。おそらくは、ノクス領の畑に残留する平均的なものなのだとは思います。他領の農地の瘴気の濃度が分かればもう少し正確な比較になるとは思うのですが……。リュクノール領やリンドン領ですと、データの比較には適していないでしょうし」


途中経過を報告しに、義父の執務室をヴィクトールとともに訪ねた。

研究所で分析したデータを説明していると、「それなら、ヴァレンシュタイン家に依頼するか」と義父がヴィクトールを見た。ヴィクトールも「ああ……」という様子で同意している。


「イレーネの実家なんだ」と義父がエマに言った。


ヴァレンシュタイン家と言えば、社交が苦手なエマでも知っている超有名な公爵家だ。

義母の生家はヴァレンシュタイン家だったのか。

そんな基本的なことも抑えていなかったことをエマは内心反省した。


――お義母さまは超お嬢様だったわけね。


義母の立ち振る舞いを思い出し、エマは納得していた。


「ご協力いただけるのであれば、より正確な調査ができますので助かります」

「すぐに頼んでおこう」


義父は頼もしい微笑みを浮かべた。


「二人の調査も順調に進んでいるようで何よりだ」

「土壌調査が一通り終わりましたら、魔獣の方も……」

「ああ。頼むぞ、ヴィクトール、エマ」


義父の言葉に二人は深く頷いた。


◇◇◇


――今日は、手は握らないのね。家の中だもの。別に手をつなぐ必要なんてないし……。


今までがおかしかったのだ。

エスコートのために取った手をヴィクトールは離すことがなかった。

家の中だろうが、外だろうか、身体のどこかはいつもヴィクトールに触れていた。

触れられなくなると、そのことをやたらと思い出し、意識してしまう。


不純な妄想に頭を支配されていたサンプル採取の夜は、エマに確認してから何度か口づけをしてくれたが、いつものような、あの頭がぼうっとしてしまうほど激しいものではなかった。

二人の部屋で身体に触れることはあったけれど、妙に紳士的な触れ方が義務的な触れあいのようにも感じてしまっていた。まるで、“正しい夫婦の振る舞い”をなぞっているだけのようで。約束した通り、“跡”も一切残していない。

見えるところだけはなく、見えないところへの跡も残さなくなってしまった。

自分が望んだことなはずなのに、こんなことでもやもやするなんて……私……――。

前を歩くヴィクトールの手が目に入る。

ヴィクトールが触れてくれないなら、自分から触れれば良いのだ。

そう思って、そっとヴィクトールの手に触れると、ヴィクトールが驚いたようにエマを見た。

その視線は、咎めるものでも拒むものでもないのに――なぜか、ひどく遠く感じられた。


「どうかした?」

「え……手を……」

「ごめん。触れてしまっていた?」

「そうではなくて……」


触れたかっただけなのに……――。


変な感じの沈黙を壊すように、レイヤードが現れた。


「レイヤード」


気まずい空気にどうしたら良いか分からなかったため、レイヤードの登場にほっとした。

最近はたまにこういうことが起こってしまう。


「ルシアン殿下が、時間があればレッスンでもと言っているけど」


レイヤードがヴィクトールの方を伺うようにチラッと見る。

ヴィクトールは穏やかな笑みを浮かべ、「エマが疲れていないなら行って来たらよい」と言った。


「私は執務室にいるから。レイヤード、エマを頼む」

「かしこまりました」


ヴィクトールはそのまま執務室へ向かって行った。

エマはヴィクトールの背中を見ていたが、ヴィクトールは一度も振り返ることがなかった。


◇◇◇


ルシアンとのレッスン中、ヴィクトールの執務室を見上げた。

そんなエマの様子に、ルシアンは「最近は、監視員は忙しそうだな」と揶揄った。

今まではルシアンの揶揄いは、恥ずかしいけれどヴィクトールの愛情にも気づかされてむず痒い嬉しさのようなものもあった。

でも、今は……――。


ヴィクトールは、喧嘩をした日以来、ルシアンとのレッスンに張り付いていることもなくなった。

ちょっと見に来ることはあったが、護衛もレイヤードに任せて自分は執務室に籠ってしまう。

そもそもレイヤードがエマの護衛で、ヴィクトールは小辺境伯としての仕事もあるのだから執務室で政務をしているのは何らおかしなことではない。むしろ、それがあるべき姿なのだが。

なのだが……――。


エマは人影が見えないヴィクトールの執務室の窓を見て切なく思った。


――こんなことになるなら、恥ずかしくても、困っても、全部受け入れていれば良かった。


後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。

今のヴィクトールの振る舞いにおかしな点などない。

紳士的で完璧な夫そのものだ。

むしろ、今までおかしかったのだ。

それは分かっているのだが……――。


執務室の窓を見ていると、なんだか目の奥が熱くなって来る。


――いけない。こんな……。自業自得なのに。


エマは涙が零れないように、空を見上げた。


「そんなに瞬きもせずに空を見上げていたら、目が乾燥するぞ」

「空が、とてもきれいで……」

「曇りのようだが」

「雲のかたちが独創的だわ」

「そうか……」


ルシアンはエマと一緒に何の変哲もない曇り空を見上げた。


ルシアンは、もう大分中和魔法をマスターしている。

そもそも、ルシアンはエマの千倍魔法の扱いに長けている。

コツさえ掴んでしまえばお手の物なのだろう。

それなのにこうしてレッスンを怠らない姿は本当に尊敬に値する。

本当はレッスンに集中しなければいけないというのに。

私と来たら……――。


エマは久しぶりに自己嫌悪に満ちていくのを感じた。


闇属性の魔法はこうして負の感情を引き寄せるのが得意なのかしら。

目の前のルシアンはあまりそんな風には見えないけれど。

属性のせいにしてはダメね。自己責任だわ。


大分、目が乾いて来た。


エマはルシアンと向き合った。


「ルシアン殿下は本当に習得が早くて驚きます」

「先生が良いんだな」

「光栄です」


エマはレイヤードに声をかけた。

レイヤードはエマに何か言いたげな表情を浮かべた。

「なに?」と聞くと、何度か躊躇ったあとに「どうかしたか?」と幼馴染の顔をした。


「どうか……?」

「元気がない」


ルシアンも心配そうにエマを見ていた。


「あ……」


――私、かなり分かりやすく態度に出してしまっていたんだわ。


ヴィクトールのことで頭がいっぱいで、周囲への配慮を欠いていた。


「俺たちのことはいい」と、レイヤードが真顔で言ったあと、隣にいるルシアンを見て少し慌てたように「あ、俺たちってルシアン殿下のことは含んでいませんから。ナタリーとか、俺とかのことですから」とおろおろと言い訳をしていた。


「私のことも含んで構わないよ、レイヤード」

「いえ、ルシアン殿下のことは一緒くたにできません」


レイヤードのいつもの生真面目さが、自然とエマを和ませる。

ふふ、と笑うエマの姿を見て、二人もほっとしたようだった。


――心配、してくれているみたい。もうバレバレなんだから……相談、してみようかしら。


レイヤードとルシアンを見て、エマはそう思った。


――一人でモヤモヤしているとロクなことないわ。


「その……大したことではないのだけど……。ヴィクトールと行き違ってしまって、それ以来……なんだか、少し避けられているような気がして……」


声が、最後の方でかすれた。


「避けられている」と内心密かに思っていた言葉を口にすると、自分の胸が引き裂かれるような痛みを感じた。


「ヴィクトールが?」「ヴィクトール様が?」


二人はエマの告白に目を見開いた。


「それは……エマの勘違いだよ」

「そうだな。あいつが君を避けるはずがない。むしろ、エマが避けてもしつこく追っかけて来るような男だろう」

「そんなこと……」


「そんなことない」と他人には言いながらも、エマも内心ヴィクトールのそういう“情熱”を感じていた。エマが離れようとしても、ヴィクトールは絶対にずっと離れないでいてくれる。そう思っていたし、いまもそう思っているけれど。人影の見えない執務室の窓を見ていると、不安になる。

ルシアンはエマの視線の先に思い当たり、ため息をつく。


「確かに、ここ最近のヴィクトールは妙に紳士面して気味が悪いところはあるな」

「紳士面なんて言い方」

「そうだろう。あれほどベタベタ人前で牽制していたにも関わらず、ここ数日はまともな距離感で接している」


その通りなのだが、ルシアンに言葉にされると恥ずかしい。

しかも、そのまともな距離感になったことに寂しさを感じているなんて……。

自分もおかしくなってしまっているようだ。


「仕方ないな。私が協力しよう」


ルシアンはにやりと笑った。


「「え?」」


エマもレイヤードも嫌な予感がするように、ルシアンを見た。


「ルシアン殿下、大変失礼ですが……。余計な工作をすると拗らせることもありますので……」

「レイヤード、私は策士なんだ。必要な工作により、何度も戦火を回避している」

「しかし……――」

「エマ、私に任せなさい。私があの紳士面をすぐに剥がしてやる」

「え……ルシアン殿下、本当に……そういうことは結構ですから」

「遠慮するな。私もあのヴィクトールは退屈だからな」


ルシアンは楽し気にヴィクトールの執務室を見上げた。

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