第11話 検証
――本当に、専門家の鑑定なんて必要なのかしら。
エマは昼間のことを思いながら、寝室の窓からおぼろ月夜を見上げていた。
後ろからシトラス系の香りに包まれた。
ヴィクトールの長い指にエマの顎が絡み取られ、甘い口づけに酔わされてしまう。
「んっ……」
――ダメね。この香りに包まれると、何を考えていたか分からなくなってしまうわ。
ヴィクトールとの深い口づけに、思考が溶かされてしまう。結婚してからもう何回か口づけた分からないほどなのに、いつまでも翻弄されてしまう。アイスブルーの瞳に、ぼんやりとした顔でヴィクトールの愛に溺れている自分が映っている。そのことを嬉しく思う反面、ヴィクトールへの依存度を高めることへの恐怖も時折感じていた。
「何を考えているの?」と、ヴィクトールはエマを背中からぎゅっと抱きしめた。ヴィクトールの体温や心音を感じ、先ほど抱えていた不安が少しずつ消えていくのを感じていた。
「何でもな……んっ……」
先ほどより深い口づけに、頭の奥がぼんやりする。長い口づけのあと、ヴィクトールが鋭い視線をエマに向けた。
「エマ、私たちはもう夫婦なんだ。君の不安は私のものだ。私の不安は君のものだ」
ヴィクトールはエマの髪をさらりと撫でる。
「私は……弱い男だ」
ヴィクトールは意外な言葉を口にした。
仕事も、剣も、何でも思うままに操る彼のどこが弱いというのか。
私の疑問が顔に出ていたのか、ヴィクトールは小さくため息をついた。
「君のことは何でも知っておきたいと、いつも思っている。君の瞳に映る男は、私だけでも良いともね。そうでないと……不安になるんだ。こんな思い、エマに出会って始めて感じた。どうしたら良いか分からないんだ」
先ほどエマが感じていた思いに、ヴィクトールの言葉が重なるのを感じた。
ヴィクトールを思えば思うほど、満たされているはずなのに、恐怖にも似た感情が頭をもたげてしまう。そう思うと、なんだか自分の悩みは滑稽なもののように思えてくる。お互いに、思い過ぎて不安がっているなんて。突然笑い出したエマに、ヴィクトールはきょとんとエマを見る。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないの。幸せだと思って、つい」
「私も、幸せだよ」
今度はちゅと目尻に優しく唇を寄せた。
「――……それで、どうしたの? 独占欲の強い夫には、何でも相談してほしい」
「ちょっとだけ……、怖かったのです。自分のことを知ることが」
ヴィクトールは、静かにエマの言葉を待っている。
「私はずっと自分の闇魔法の力を隠して来ました。長年、人には知られてはならないと思い続けてきた」
そのように育てた祖父を恨んでいるわけではない。闇魔法の秘匿は祖父の愛情だったし、あの時点では最善解だったと今でも思っている。でも……――。
「習慣って不思議ですね。自分の力と向き合って来ないで来たから、今更向き合おうとすると、ちょっと怖いんです。何かが変わってしまいそうな気がして」
自分の中にある力で、何か恐ろしいことが起こってしまったら……。
そういう考えが頭を時折巡っては、エマの恐怖心をあおった。
ヴィクトールがエマを背中からぎゅっと抱きしめた。
――温かい。
ヴィクトールの身体は、陽だまりのようにエマの冷えた身体を温めた。
「大丈夫。何があっても私がついている。君を必ず守るよ」
ヴィクトールがエマに優しく囁き、雨のような優しい口づけを降らした。
◇◇◇
「うーん……」
ヴィクトールの手際は素早く、翌日にはノクス領の司祭がヴィクトールの執務室を訪ねた。
エマの手から魔力量を図ろうとしてくれているが、難しい顔をしている。
「ちょっと安定しない部分はあるのですが、魔力量はさほど多くはないかもしれませんね」
司祭はエマの手を離してから、そうヴィクトールに告げた。
――やっぱりお祖父さまの言った通りだったわ。
司祭の言葉にほっとしてヴィクトールを見ると、ヴィクトールは訝し気な表情をしていた。
「エマ」
「はい」
「君は司祭に魔力を流すとき、どうやっている?」
「え? それは……。普通に」
「普通とは?」
「普通に手に魔力を集中させて……」
ヴィクトールはエマの手を取った。
「身体中の魔力を循環させて、指先にその力を全て集中させるイメージで、もう一度」
落第生を指導するように、ヴィクトールがエマに指示した。
「普通にやっているのに」と、ヴィクトールの指示に内心プライドが傷つけられたが、指示通りやり直さないと許してくれそうもない。
頭のてっぺんから、つま先までに力を行き渡らせてから、指先へと力を集中させて……。ヴィクトールに言われた通り、丁寧に頭にイメージして指に力を集める。
――え?
ドクンッ……と、心臓とは別の場所で何かが脈打った。
指先から、ほの暗い光が滲み出た。
いや、光ではない——闇だ。
蝋燭の炎が怯えたように揺れ、窓から差し込んでいた陽光が後退していく。部屋が呼吸するように明るさを失い、エマとヴィクトールの繋がれた手だけが、深い紫紺の輝きを放っていた。
「司祭、エマの手を」
司祭は光が零れるエマの手を握り、驚きに目を瞬かせる。
「こ、これは……」
ヴィクトールは、司祭に無言で頷く。
「エマ、もう良い。大丈夫だ」
ヴィクトールはエマと手を離した。部屋は日中の明るさを取り戻した。
――これは、一体……何?
全身の血液が沸騰したような熱さが駆け抜け、視界がチリチリと焼けるような感覚に襲われた。
「失礼いたしました。私の鑑定が誤っておりました」
「え、どういう……」
「仕方がない。おそらくエマ自体自分の力をコントロールできていないようだ」
「詳しく調べるには王都から大司教以上を招聘すれば」
「いや、いい。むしろ、神殿には伝えないでくれ」
「しかし……――」
「枢機卿の件もあったから、エマのことは子細には知られたくない。あなたに頼んだのもそのためだ。相当な力があることが分かれば充分だ」
「承知いたしました」
ノクス領の司祭は、ヴィクトールの言葉に素直に従い去っていた。
「あの……ヴィクトール。これは一体」
「君の魔力量は相当あると見て良い。測定に謝りが出ていたのは、魔力のコントロールが上手くいっていなかったからだろう」
「コントロール?」
「ああ、君が行っていることは間違いではない。測定時に、手に魔力を込めれば通常は問題ない。それだけで相当な魔力が消費されるからだ」
――え? そういうものなの?
エマはアカデミーに通っていなかったため、魔法についての基礎的な知識が乏しい。そういえば、祖父との研究は基礎を飛ばして応用ばかりだった。
「だが、君を見ていると魔力の消耗を感じなかった。おそらく身体中の魔力を集中させずとも、力を発しているに違いないと思ったんだ。だから、身体中の魔力を循環させてから手に魔力をと、指示したんだ」
ヴィクトールは指示の意図を丁寧に説明してくれた。ヴィクトール自身、魔力量が多いからこそ、そのやり方を熟知していた。
「あんな風に魔力が漏れるのを見たのは……ケイティのとき以来だな」
――そんな、まさか。
「少なくとも、ケイティと同等の魔力量はあると見ていい」
ケイティと同等なんて……それはつまり、王国で最大に匹敵すると言っているに等しかった。
エマはいつもの自分の手を不思議そうにマジマジと見つめた。
ヴィクトールは深刻な面持ちでエマを見つめた。
「やっぱり、西の森の件は君の魔力と関連していると考えるのが妥当だ」
「君なら分かるだろう」というように、ヴィクトールは目を眇めた。




